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2005年5月31日

アメリカが懸念するアジアの核兵器

核兵器の拡散防止はアメリカ外交の中でも最重要課題の一つである。アメリカの専門家の間では北朝鮮の核保有によって韓国や日本も核開発に踏み切る可能性が議論されている。実際に韓国は核兵器開発の疑惑が取り沙汰され、IAEAによる査察を受けた。アジア人としてのアイデンティティを強烈に訴えかけて国際政治での存在感を増そうという韓国の姿勢も、疑惑に拍車を掛けたかどうかは定かではない。多くの日本人とって、アメリカから核開発の懸念を抱かれるなど想像も及ばないであろう。だが朝鮮半島の情勢が悪化すれば、日本も核抑止力を保有せざるを得ないのではという懸念は拭い去れていない。私の英語ブログでは、一般のアメリカ人までこうした問題に言及したのには驚いた。

日本にとって核兵器の保有で得られるものより、失うものの方が大きい。現在のアジアでアメリカにとって最大の脅威は中国であるが、経済力と技術力のある日本が核保有に踏み切れば事態はややこしくなる。より強大な敵に対処するためには中国と同盟して日本に対抗しなくてはならなくなるかも知れない。こうなると第二次大戦の悪夢の再現である。アジア太平洋地域の二大国と対決できる力は日本にはない。

また、冷戦後は地域紛争やテロとの戦いが重要な問題になってきている。そこでは小規模だが機敏な軍隊が必要で、大型兵器で破壊力を誇っても余り意味はない。将来、日本が海外に出兵するとすれば、こうした事態に対応できなければならない。特に参考になるのは英仏両国の軍事力の比較である。イギリスが戦略核兵力をアメリカ製のトライデント・ミサイルに集中しているのに対し、フランスは潜水艦発射ミサイルばかりか航空機も含む多種の戦略核兵力を保有している。こうしたゴーリスト戦略の代価は大きく、バルカン半島ではアメリカ軍と満足に行動できなかったフランス軍はバックパッカーという汚名までもらった始末である。これに対し、イギリス軍の方はNATOや中東の多国籍軍で重要な役割を担っている。

いまだに根強い平和国家志向もさることながら、日本にとって核保有は現実的な選択ではない。そんな日本すら核保有の懸念を抱かれるのは、アジア太平洋地域にNATOのような集団安全保障体制が存在しないことも一因であろう。

そしてアジア最大の核保有国と言えば中国である。私の知る限り、この国を民主化して分割するという議論は、政策担当者の間でもネット界でもアメリカより日本の方が盛んなように思われる。ジョージ・W・ブッシュ米大統領が一期目の選挙の際に「強い中国を望むか、弱い中国を望むか?」ときかれたというが、あの巨体がどちらに転んでもやっかいである。

ソ連が崩壊し、各共和国が独立した際には核兵器の扱いが大きな問題となった。それでも米ソ間では何度も戦略核兵器交渉が行なわれてきたのに対し、これまでの米中間の戦略核兵器交渉は皆無である。ウイグルなどが独立する際の軍備管理はどうなるのか?イスラム過激派に核兵器は渡らないのか?

ともかく、東アジアの核兵器は日本国民が考えているより深刻である。今のところ、日本の核保有に対する懸念が差し迫った問題になる気配はない。ただ、政府も国民も知らないところで、一部の自衛隊幹部が密室で核開発を推し進めていないとは言い切れない。なんと言っても韓国の例もある。政府が核開発に踏み切った訳ではないようだが、一部の科学者に疑惑の行動があったらしい。

誰も知らぬ間に日本も核保有で諸外国との関係を悪化させるという事態は避けたいものだ。この核問題は差し迫ってはいなくても、一般の日本人が考えているより国際社会で心配の種になっているようだ。

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2005年5月26日

文明の衝突:日本vs.アジア

このところ日本とアジアの間で第二次大戦に関する歴史認識をめぐる対立が激化している。これまでも両者の対立は続いてきたが、先のアジア・アフリカ会議で小泉首相が正式に謝罪の意を表明したにもかかわらず、日本とアジアの対立が収束する気配は見られない。様々な要因はあろうが、実務家も研究者も指摘していないのは「文明の衝突」という側面である。これまで、文明間の衝突と言えば西欧とイスラムの抗争が議論される事が多かった。そして不見識な政治家や言論人は、アメリカの中東政策に日本が関与すべきでない根拠を「文明の衝突」に求めていた。いわば、他人の喧嘩には加担せずに局外で傍観せよという主張である。だが今や日本自身が文明間の対立の当事者になってしまった。この抗争は容易には決着しない。終結させるには、欧米など外部の国際世論を味方につける必要がある。日本にとっては幸いにも、教科書問題で日本を非難している中国自身が自国の歴史教科書では事実を歪曲している実態が判明した。これまでこの問題ではファシズムの過去を背負う日本が劣勢に立たされていたが、これからは公正な決着をはかる事が望まれる。

ところでアジアの反日運動について言えば、古い世代のものと新しい世代のものでは性格が異なる。古い世代の反日運動は、自らが直接の被害を受けた日本のファシズムへの憎悪であった。いわば、純粋な被害者意識である。新しい世代のものは、これとは全く異なる。いかに反日教育が浸透しようとも、若い世代が日本への恐怖感を抱いているとは考えにくい。先の中国での反日暴動など参加者はほとんどピクニック気分であり、普段から国際政治に深い関心を持っていない者までお祭り騒ぎをしていた。まるで日本の若者が反ブッシュ・デモに喜々として参加した時と同じ表情である。

最も重要な要因としては、中国でも韓国でも国力の増大に伴って一般国民の間でナショナリズムとプライドが肥大化してきた。それと同時に、アジア人としての自意識が急速に強まっている事が見逃せない。中国で特に顕著なのは、英語の排除と中国語使用の徹底である。近年、中国外務省の報道官の記者会見では英語は話さない方針となったのはよく知られている。在日中国大使館のホームページにいたっては、中国語と日本語しか使用されていない。西側世界でのuser friendly(消費者の便宜を最大限にはかる)という概念は存在しないらしい。韓国は日米と中朝の間で力のバランスをうまく泳ぎ回ろうとしている。これは一般国民の間でアジア人としての自意識の高まりと大いに関わっている。私が驚いたのは、サッカーのワールド・カップ予選で韓国のファンが「悪の枢軸」を代表する北朝鮮を応援していた事である。自分達に核の脅威を及ぼし、日本人の数倍の韓国人が北に拉致されているにもかかわらずである。これは理性では説明できない。こうしたアジア人意識、ナショナリズム、プライドの高まりから、誰かに挑みかかってやりたいという欲求が生ずるようになる。その格好の対象となるのは日本である。

さらに、かつての反日運動の深層心理に見られなかった特徴を挙げると、現在の反日は反日米という性格をも併せ持っている。アジア人として自分達の実力に自信を持つようになると、外部の大国の存在が邪魔に思えるようになる。実際にアジアでは反日感情の強い国ほど反米感情も強まってきている。

こうした火種を抱える日本とアジアは、文明の断層を挟んで直接向かい合っている。衝突は容易に解決するものではない。

だがアジア人が自信を持つのは悪い事ではない。昨今の韓流エンターテイメント・ブームに象徴されるような、日本とアジアのグラスルーツ交流の進展は大いに歓迎すべきものである。彼らには自分達の文化を自信を持って発信して欲しい。日本からも送り返すまでだ。文明の断層に面して隣り合っているからこそ、政治レベルでは一気に解決できない地道な努力が必要である。

いずれにせよ、「文明の衝突」は日本にとっても他人事ではない。よってアメリカの戦争だから日本は巻き込まれないでいようという姑息な政策はとるべきではない。そして、日本は国際世論を自分の味方につけるというハードな手段でアジアとの抗争に勝たねばならない。同時にグラスルーツでの理解を深めるというソフトな手段も忘れてはならない。

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2005年5月23日

日中友好??

この度、初めてブログに投稿します。英語版ともども宜しくお願いいたします。

今回は日本と中国の首脳が最近になってしきりに口にする「日中友好」という語への疑問を投げかけたいと思います。そもそも反日暴動以前の日中関係は友好的であったか?このところの中国は周辺諸国に露骨な軍事的圧力をかけているのは周知の通り。急激な軍拡ばかりか、台湾海峡、日本近海での暴挙など挙げればきりがありません。

日本と中国は敵対関係にある。これが実態であり、第二次大戦時の旧日本軍による「蛮行」よりもずっと深刻な問題です。両国の歴史認識が一致しようがしまいが、あれは過去の脅威なのに対し、中国の暴挙は現在の脅威なのです。

靖国参拝が好ましくないというのは理解できます。今の段階では、靖国神社が明治政府による国策神社という性格を払拭しきれていません。また、欧米諸国も参拝を好ましく見ていないのは事実です。ただ、同じ旧連合国でも欧米からはあそこまで高圧的に参拝中止を求められてはいません。結局のところ、日本国民が自ら納得した参拝中止ではなく、中国の圧力による参拝中止では、後々まで両国の紛争の火種となりかねません。

ともかく、いつわりの「友好」など求めても無意味です。今の日中は敵対関係にある。この事実はしっかりと踏まえる必要があります。

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