日米同盟こそ冷戦後の日本の国体である!
ところで当ブログでは重要な課題の「日米同盟と世界」の記事がいまだに出ていないので、これから日本の内政と外交について記事を投稿する際の基本方針を示したい。今後、日本について私が書く際に最も重視するのは、日本が戦後を通じて本当に生まれ変わったのかという点である。その核となるのは日米同盟による世界の自由と民主化の推進である。日本の内政と外交は一切合財がこれに適合するかどうかで判断されるべきで、適合すれば何の躊躇もなく推し進められるべきであるし、適合しないものは容赦なく切り捨てられるべきである。また日米同盟はヨーロッパや中東をも視野に入れたものでなくてはならない。日本の指針の判断基準となるのは、この「ボーン・アゲン(born again)」理論である。
戦後の日本は自国のあり方について個別の問題について枝葉末節の議論ばかりを繰り返してきた。それを象徴するがある保守系政治家の老秘書が、ある機会に私に問いかけた質問内容である。
「天皇をどう思うか?」、「日の丸をどう思うか?」、「君が代をどう思うか?」といった質問ばかりで日米同盟、世界の中での日本、戦後日本の自由と民主主義に関する質問は一切なかった。すなわち上記のような枝葉末節ばかりを問題視しているのに対し、日本という国の根本的なあり方を問うとはしないくらいの政治センスの持ち主が政治家を取り巻いているということである。
実際に戦後を通して国民的議論となったのは、平和憲法、国旗、国歌、天皇、靖国参拝、歴史認識、対アジア関係である。これらはいずれも個別に精緻な議論されてきたが、何の成果も得られていない。それは日本という国について普遍的で絶対的な理念がないままに枝葉末節の議論を繰り返してきたからである。包括的な理念さえしっかりしていれば、国内の党派の間で重箱の隅をつつくような不毛な議論はしなくて良い。またアジアの排外主義者から何を言われようとも動じることもない。
戦後、そして冷戦後の日本の背骨となるのは、日米同盟を基礎とした世界の自由と民主主義の一翼を担うということである。日米同盟を支持している日本の保守本流の中でもこのことを明確に認識している者は多いとは思えない。これは単に極東の脅威から日本を守るための軍事同盟ではなく、戦後の日本が民主国家に生まれ変わった証であり、冷戦後はアメリカの有力なパートナーとして世界の自由と民主化を担う意思表示である。ではそれに基づいてどのような指針を立てるべきか?
(1) 世界規模での自由と民主化への加担
これはもう当然である。イラク出兵を期に、これから日本もテロやならず者の掃討に積極加担すべきである。
(2) 拡大欧州の一員
経済力に加えて、世界でも最大級の米軍基地を提供している日本だからこそ、G8の一員という他のアジア諸国とは別格の地位がある。冷戦直後に「バンクーバーからウラジオストックまで」の標語で拡大欧州首脳会議が開催されたが、これを東京まで含めるべきである。アメリカのみならず、ヨーロッパ諸国とも世界の重役の一翼を担ううえで日米同盟の裏づけは重要である。
(3) 日本の内政で生まれ変わった民主主義国に相応しくないものは一切排除
もはや冷戦後の新しい世界になろうとしているこの時期に、東京裁判を非難するような非常識な政治家がいた。こうした人物は生まれ変わった国には相応しくないので、即座に公職を解くべきである。彼が有能だろうが無能だろうが一切関係ない。
以上の観点から、戦後を通じて国民的な議論となった個別の問題はどう対処すべきであろうか?平和憲法はもはや時代遅れで墨守する価値もない。国旗と国歌は何もファシズムとは関係ないので敬意を払うべきだ。自国の国旗や国歌を敬えなければ外国の国旗や国歌も敬えない。天皇については戦争責任追及が不充分ではあったが、何とか残すのが現実的である。今の天皇家とファシズムは全く関係ない。靖国神社はファシスト思想とのつながりさえ絶てばよい。それがなくなればただの神社か博物館である。最後にアジアの排外主義者の抗議も、日本が完全に生まれ変わっていれば根拠がなくなる。
時代は新しくなるのだ。アジア以外で第二次大戦が外交問題になっているだろうか?それもこれも日本人に「ボーン・アゲン」の自覚がないからである。一部のネオ・ナショナリストが戦前の体制を賛美するかのような言動をとるのがいかに言語道断かわかるだろう。
いずれにせよ、冷戦後の日本について包括的な指針が必要である。そうすれば多くの問題は一刀両断に解決できる。それもなしに個別の問題ばかりを議論して、いたずらに事態を複雑にするのは不毛である。


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