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2005年7月31日

日米同盟こそ冷戦後の日本の国体である!

ところで当ブログでは重要な課題の「日米同盟と世界」の記事がいまだに出ていないので、これから日本の内政と外交について記事を投稿する際の基本方針を示したい。今後、日本について私が書く際に最も重視するのは、日本が戦後を通じて本当に生まれ変わったのかという点である。その核となるのは日米同盟による世界の自由と民主化の推進である。日本の内政と外交は一切合財がこれに適合するかどうかで判断されるべきで、適合すれば何の躊躇もなく推し進められるべきであるし、適合しないものは容赦なく切り捨てられるべきである。また日米同盟はヨーロッパや中東をも視野に入れたものでなくてはならない。日本の指針の判断基準となるのは、この「ボーン・アゲン(born again)」理論である。

戦後の日本は自国のあり方について個別の問題について枝葉末節の議論ばかりを繰り返してきた。それを象徴するがある保守系政治家の老秘書が、ある機会に私に問いかけた質問内容である。

「天皇をどう思うか?」、「日の丸をどう思うか?」、「君が代をどう思うか?」といった質問ばかりで日米同盟、世界の中での日本、戦後日本の自由と民主主義に関する質問は一切なかった。すなわち上記のような枝葉末節ばかりを問題視しているのに対し、日本という国の根本的なあり方を問うとはしないくらいの政治センスの持ち主が政治家を取り巻いているということである。

実際に戦後を通して国民的議論となったのは、平和憲法、国旗、国歌、天皇、靖国参拝、歴史認識、対アジア関係である。これらはいずれも個別に精緻な議論されてきたが、何の成果も得られていない。それは日本という国について普遍的で絶対的な理念がないままに枝葉末節の議論を繰り返してきたからである。包括的な理念さえしっかりしていれば、国内の党派の間で重箱の隅をつつくような不毛な議論はしなくて良い。またアジアの排外主義者から何を言われようとも動じることもない。

戦後、そして冷戦後の日本の背骨となるのは、日米同盟を基礎とした世界の自由と民主主義の一翼を担うということである。日米同盟を支持している日本の保守本流の中でもこのことを明確に認識している者は多いとは思えない。これは単に極東の脅威から日本を守るための軍事同盟ではなく、戦後の日本が民主国家に生まれ変わった証であり、冷戦後はアメリカの有力なパートナーとして世界の自由と民主化を担う意思表示である。ではそれに基づいてどのような指針を立てるべきか?

(1)   世界規模での自由と民主化への加担

これはもう当然である。イラク出兵を期に、これから日本もテロやならず者の掃討に積極加担すべきである。

(2)   拡大欧州の一員

経済力に加えて、世界でも最大級の米軍基地を提供している日本だからこそ、G8の一員という他のアジア諸国とは別格の地位がある。冷戦直後に「バンクーバーからウラジオストックまで」の標語で拡大欧州首脳会議が開催されたが、これを東京まで含めるべきである。アメリカのみならず、ヨーロッパ諸国とも世界の重役の一翼を担ううえで日米同盟の裏づけは重要である。

(3)   日本の内政で生まれ変わった民主主義国に相応しくないものは一切排除

もはや冷戦後の新しい世界になろうとしているこの時期に、東京裁判を非難するような非常識な政治家がいた。こうした人物は生まれ変わった国には相応しくないので、即座に公職を解くべきである。彼が有能だろうが無能だろうが一切関係ない。

以上の観点から、戦後を通じて国民的な議論となった個別の問題はどう対処すべきであろうか?平和憲法はもはや時代遅れで墨守する価値もない。国旗と国歌は何もファシズムとは関係ないので敬意を払うべきだ。自国の国旗や国歌を敬えなければ外国の国旗や国歌も敬えない。天皇については戦争責任追及が不充分ではあったが、何とか残すのが現実的である。今の天皇家とファシズムは全く関係ない。靖国神社はファシスト思想とのつながりさえ絶てばよい。それがなくなればただの神社か博物館である。最後にアジアの排外主義者の抗議も、日本が完全に生まれ変わっていれば根拠がなくなる。

時代は新しくなるのだ。アジア以外で第二次大戦が外交問題になっているだろうか?それもこれも日本人に「ボーン・アゲン」の自覚がないからである。一部のネオ・ナショナリストが戦前の体制を賛美するかのような言動をとるのがいかに言語道断かわかるだろう。

いずれにせよ、冷戦後の日本について包括的な指針が必要である。そうすれば多くの問題は一刀両断に解決できる。それもなしに個別の問題ばかりを議論して、いたずらに事態を複雑にするのは不毛である。

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2005年7月25日

インドとアメリカの戦略的パートナーシップ

今日のアメリカ外交において核兵器の不拡散とテロとの戦いはきわめて重要な課題である。どちらの問題においてもインドは重要な国である。また、アメリカの覇権を脅かすことなく世界の大国になろうというインドの望みを受け入れることも重要である。先週の718日から19日にかけて、インドのマンモハン・シン首相がブッシュ米大統領との会談のためワシントンを訪問した。核不拡散と南アジアの安全保障が話し合われたこの会談は、アメリカ外交と世界の安全保障の転機とも言えるものであった。このニュースにはもっと全世界からの注目が集まってもよさそうに思える。この問題について核不拡散、テロとの戦い、世界のパワーゲームの観点から述べてみたい。

その前にアメリカとインドの関係を少しふり返りたい。冷戦期のアメリカは、中東とインド亜大陸へのソ連勢力の拡大を防ぐためにパキスタンを支援していた。そのため、アメリカとインドの関係はややよそよそしいものであった。事態が一変したのは911テロからである。今や両国ともアフガニスタンの安定とイスラム・テロの打倒が切実な問題となっている。

先の米印首脳会談でブッシュ政権はインドの民間核利用への技術支援を行なう決定をした。インドは核保有国でありながら核不拡散条約に加盟していないので、この決定は議論を呼んでいる。クリントン政権下で国務副長官を務め、現在はブルッキングス研究所所長となっているストローブ・タルボット氏は、イェール・グローバル・オンラインに投稿したGood Day for India, Bad for Nonproliferation”という論文でこの取り決めを批判している。ブッシュ政権は大した見返りもなしにインドの核兵器保有を認めてしまったという理由からである。そのような取り決めがなされれば、NPT体制の空洞化につながるとの懸念を示している。一方で国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長は、この合意に歓迎の意を示している

上院で批准されなければ、この取り決めには効力はない。ところでこれはインドへの宥和なのか、それとも現実的な解決策なのだろうか?英エコノミスト719日号の“Together at Last”という記事によると、アメリカはこれまでインドの望みを拒否し続けたという。

「アメリカはインドと国境を挟んで対立する核保有国のパキスタンと強固な同盟関係を維持してきた。インド外交の悲願とも言える国連安全保障理事会の常任理事国入りにも反対した。インドがイランからパキスタン経由で天然ガスのパイプラインを建設しようとした際にも反対した。軍事技術と原子力技術についても、インドが1998年に核実験を再開したうえに国際的な核不拡散体制にも参加していないという理由から協力を拒否した。」

そうした事情を考慮すれば、インドとの戦略的パートナーシップを築き上げるうえで何らかの取り決めは必要である。だがカーネギー国際平和財団のジョセフ・シリンシオーネ上級研究員は「民間利用の核施設をいくら査察しても、インドが核兵器に使うプルトニウムを査察できなければ核不拡散には有効とはいえない」と指摘している。ジョージ・W・ブッシュ大統領が言うように、インドが責任を全うする核保有国となれるかどうかは予断を許さない。

テロとの戦いではインドは最前線である。ここ数年はアフガニスタンで反タリバンの北部同盟を支援してきた。カシミールではシーア派のテロとも対決している。こうしたイスラム・テロの脅威に対処するためにも、インドにとってアメリカとの戦略的パートナーシップは必要不可欠である。またアメリカもインド亜大陸での不測の事態に備えておかねばならない。現在、パキスタンではペルベズ・ムシャラフ大統領の下で全国規模のテロ掃討作戦を推し進めている。だが911テロ以前のムシャラフ政権がタリバンを支援していた事情もあり、政府上層部にも親タリバン派はいなくなったわけではない。そうしたパキスタンへの過剰な依存関係はリスクがあり、この観点からも米印戦略提携関係の強化が望ましい。

パワーゲームに関してはインドの対中国あるいは対パキスタン関係がよく話題になる。インドによって中国の力を相殺できるのは確かである。またアメリカがパキスタンに肩入れし過ぎると、パキスタンの軍事政権に自国の民主化など進まなくても対米関係には支障はないと思われかねない。よってアメリカにとってはインドとパキスタンのバランスを取る必要がある。

またシン首相が720日の記事でワシントン・ポストとのインタビューで述べたことにも注目すべきである。首相はインドがイランとの関係で何らかの役割を担えると述べている。インタビュー記事にもあるように、人種、文化、宗教、歴史のうえからもインドとイランとは深い関係にある。インドの野心を国際社会は受け入れられるだろうか?ともかく世界の将来を見通そうというなら、インドの動向は見逃せない。

インドは中国とは違う。パックス・アメリカーナに風穴を開けようとはしないだろう。インドは英語圏の民主主義国で、アメリカにとってもインドとの戦略的パートナーシップの発展は望まれるところである。だがインドが独立してからというもの、この誇り高い国が西側の全面的な同盟国であったことはないので過剰な信頼は禁物である。インドとの戦略提携を深めてゆくにはこのことに留意すべきである。

インドにはもっと注意を向けるべきである。欧米人はイスラム過激派に、日本人は中国の脅威に目が向いている。インドはどちらの問題にも影響を及ぼす国だということを忘れてはならない。

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2005年7月19日

南北問題に自由主義の視点:グローバル化やテロにどう対処するか?

南北問題について興味深いブログを紹介したい。「山中優の研究日記」と題されたこのブログは皇學館大学の山中優助教授によるもので、ハイエクの自由主義思想によって南北問題とグローバル化について議論してゆこうというものである。何やら遠大な難しいテーマのようであるが、このブログではそれをきわめて平易な文章で語っている。南北問題については全く素人の私が言うのだから間違いない。

私がこのブログに注目するのは、自分の経験による。かつて私は環境や開発に関するNGOや市民活動の関係者と付き合いがあったが、彼らの人道主義的な使命感には共感を抱いても極端な左傾ぶりには強い疑問を抱いた。貧困、児童労働、女性の地位低下、民主主義の危機、文化の侵食、環境の危機・・・・・こうした諸悪の根源はグローバル化なのか?また、世界情勢の不安定は全てアメリカ、先進諸国、そして多国籍企業のせいだというのか?陰謀理論を多用して、一般市民の不安感を煽るのはなぜか?・・・。また南北問題の専門家と言えば、とかく従属理論、すなわち自由主義経済の下では途上国は先進国に搾取されているという理論を振りかざすばかりである。

彼らが言うように、自由主義経済とグローバル化は悪なのだろうか?

こうした疑問を抱いたのは、私の大学院時代の中心テーマが大英帝国そしてアメリカという大国の覇権に基づく自由主義と世界秩序であったためである。この考え方からすれば、グローバル化は先進国ばかりか途上国も豊かにするものだからである。

そうした中で、山中助教授がハイエクの思想を土台に自由主義の立場から南北問題にアプローチしようという視点を打ち出したのは新鮮に映った。このブログで注目すべき記事は「スティグリッツとバグワティのグローバリゼーション論」シリーズである。本来は良いものであるはずのグローバル化に問題が生じるのはなぜか、両者の議論は目が離せない。また国際テロについては自分達の文化や社会を保ちながら欧米と同じように近代化の利益に預かりたいのに、それが叶わぬもどかしさが大きな要因だとしている。

世界銀行ではポール・ウォルフォビッツ総裁が就任し、トニー・ブレア英首相がアフリカ支援を訴えている昨今、このブログから南北問題の現状を見つめるのは有意義である。途上国の開発について全く素人の初心者から中上級者にいたるまで、平易で明解なこのブログは是非ともお薦めである。

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2005年7月14日

Vive la France!

今日はフランス革命記念日。 フランスはアメリカとは共通の理念を有している。すなわちliberté, égalité, fraternitéである。

ともかく

Félicitation!

マリアンヌとアンクル・サムのお二人へ

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2005年7月10日

好き嫌いが左右する国際政治:反感とテロをめぐって

去る7月7日にはロンドンでテロがあったが、この事件は国際政治で好き嫌いの感情がどれほど重大な問題かをまざまざと見せつけた。これまでの国際政治で議論されてきたのは理念と政治力学がどのように絡み合っているかであった。議論の対象が国家アクターであれ、非国家アクター(企業、圧力団体、NGO/市民社会など)であれ、同じことであった。しかし好き嫌いの感情に基づいた行動はきわめて予測しにくい。昨今のテロや暴動は何が原因でどのように進展してゆくのかわかりにくい。理念や政治力学のように合理的な動機と行動ではないからである。好き嫌いの感情が大きな影響力を持ち始めたのとは裏腹に、こうした感情には根拠があるわけではないので、事態を見通すことは難しい。

そもそも好き嫌いの感情で最も話題になってきたのは、親米と反米である。反米感情の高まりは世界各地に見られるが、アメリカをなぜ嫌いなのかという理由を明確に答えられる者がどれだけいるだろうか?殆どの者は圧倒的な国力を見せつけるアメリカへの嫉妬と反感を抱いているに過ぎない。特にヨーロッパや日本でイラク戦争の時期に反米デモに参加した一般市民の多くは、決して普段から国際政治に関心を寄せていたわけではない。多くは反米スローガンを叫んで憂さ晴らしをしていたに過ぎない。それをはっきりと示していたのは、多くのデモ参加者はピクニック気分でイベントを楽しんでいた。彼らを巧みに動員したのは、組織と資金力に恵まれた左翼団体である。

反米主義者は陰謀理論を好んで引用するが、これがどれほど根拠のないものかは当ブログ記事の「中東の諸問題と日本人の誤解」(2005年6月15日)を読んでいただければよくわかる。こうした陰謀論者の多くは冷戦終結によって自分達のイデオロギー的基盤が崩壊し、行き場を失った左翼である。彼らがあれこれ理論武装をしているが、その本音は強大な国が嫌いというだけである。そして何か悪いことがあれば、アメリカを攻撃しているに過ぎない。

ところでアメリカへの好き嫌いの感情についてはPEWセンターが行なった調査が話題になっている。これは日本でも朝日新聞などで取り上げられたので、読者の中にはすでに知っている者も多いと思われる。この調査については、先の独立記念日の記事でも触れたアン・アップルボームが興味深い分析結果を述べている。それによると、先進国では学歴が低く下層階級から這い上がったタイプの人達が親米なのに対し、高学歴のエスタブリッシュメントに反米の傾向が見られるという。さしずめ当ブログ記事の「フランスの凋落」で登場したENA出身のエリート官僚などはアメリカに好意を抱かないエスタブリッシュメントの典型と言える。これに対して途上国では高学歴で欧米企業に勤めるヤッピーが親米であるが、経済発展から取り残された層では反米となっている。いずれの場合にも共通して言えるのは、アメリカの活力とマッチョなまでの力強さに共感を覚えて自らに重ね合わせられる層では親米感情が強まっている。逆に既得権益を侵されたと感じたり、発展から取り残されている層では、アメリカのマッチョなイメージに反感を抱くようになっている。

現在、アメリカとその同盟国にとって最も重大な脅威となっているイスラム過激派のテロリストの場合は、欧米に反感を抱くエリート層が貧困層を煽り立てている。多くのイスラム戦士は、マドラサ(イスラム神学校)でコーランの暗唱を中心とした教育を受けている。だが古典アラビア語で書かれた内容が中途半端に理解されてしまえば、過激派の思想に容易に染め上げられてしまう。アラビア語を母国語としないパキスタン人やアフガン人ともなれば、そうした傾向はさらに強まるであろう。こうして過激思想を純粋培養されて育った彼らは、イスラム思想も国際政治もまともに理解しないままに暴力に駆り立てられるようになる。ニューヨーク、ワシントン、そしてロンドンとテロ行為を繰り返す彼らには、理念も政治力学も関係ない。あるのは根拠のない憎しみの感情だけである。

日本もまたアジアから根拠のない好き嫌いの感情に苦しめられている。よってたとえ日本が中東との関わりを抑えたとしても、この問題は他人事ではない。日本がどこまで第二次大戦の謝罪をすれば彼らの気が済むのかはよくわからない。おそらく、謝罪を要求している側さえよくわかっていないのではなかろうか?そもそも冷戦が終結して新しい世界を作り上げようという時代になって、いまだに第二次大戦の「歴史認識」が政治課題になっているのは東アジアだけである。彼らの主張が正当か否かは別にして、これだけでも極めて奇異なことである。しかも教科書問題にいたっては、彼らの側にも捏造があったという事実まで判明している。なぜそこまで日本を攻撃したがるのか?結局のところ、日本を悪く言わないと感情が落ち着かないのである。あれこれと理論武装しているが、これが彼らの本音であろう。イスラムのテロリストと同じで、明確な根拠もない反日感情なので暴力という形で爆発するようになる。

好き嫌いの感情は、必ずしも暴力や敵対感情の爆発を伴う訳ではない。EU憲法の否決の背景には、自分達の築き上げた国や社会がブリュッセルの官僚に支配されるのではという恐怖感があった。6月23日の記事に掲載した風刺画が示す通りである。実際に、ロンドンを拠点とするデモクラシー・ムーブメントという市民団体はEU憲法反対を訴えるに当たって、自分たちはヨーロッパ統合に反対している訳ではないと述べている。

21世紀に入って、これまでは重要視されてこなかった好き嫌いの感情が多いに注目されるべきものとなった。理念や政治力学と違って、合理的に考えてゆけば解決策が見つかるものではないだけに厄介である。だが何らかの取り組み方はある。

第一はヘンリー・キッシンジャーがインターナショナル・ヘラルド・トリビューンに寄稿した”Realists vs. idealists”で述べているように、欧米も日本も相手国の国内とも国際社会ともコンセンサスを形成して、自国の価値観のごり押しで反感を得るような真似はさけるべきである。

第二に、敵を分断する必要もある。中東のテロに対してはイスラム社会の中から親欧米の民主主義勢力を育てることである。今回のロンドン・テロへの非難ではブレア英首相やブッシュ米大統領の発言ばかりが取り上げられた。メディアがこのように扱えば、米英対イスラムの対立構図が固定化してしまう。もっとイスラム社会の指導者からのテロ非難を取り上げねばならない。このことは日本と中韓の対立にも当てはまる。例えば韓国では親日を探し出すのは難しくても、親米国際派を味方につけることならできるだろう。そうやって彼らの間に日本の味方を増やしてゆかないと、アジアとの感情的な対立は終わらない。

第三には、これまで以上に自国を好きになってもらう努力が必要になってくる。これまでも各国とも文化交流を推し進めてはきたが、もっと一般市民にも広く根を降ろすやり方も考えてゆかねばならない。

いずれにせよ、これまでは重要視されてこなかった好き嫌いの感情が大きな役割を果たす時代になった。我々にはこれまでにない難題が突きつけられた。合理的に解決できないだけに、時間をかけて取り組まざるを得ない問題である。

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2005年7月 4日

アメリカ独立記念日から世界を振り返る

本日はアメリカ合衆国の独立記念日である。現在、アメリカはテロとの戦いと世界の民主化を推し進めている。その中で以下のことについて述べる。

1・国民の和解は進まず

大統領選挙の時の国民の分断はぬぐい去れぬままである。現政権がイラクで困難に直面しているのは事実である。中東の民主化も始まったばかりで、充分な成果とは言えない。だからと言ってイラクから早急に撤兵すれば良いというものではない。リベラル派はイラク撤退後の青写真を示せないでいる。中途半端でイラクを投げ出してしまえば、中東全体を危険な状態に陥れてしまう。党利党略も民主主義にはつきものであるが、現在のような危機においては国民の結束が肝要である。リベラル派は説得力のある代案を示せなければ、事態を悪化させるだけである。

また上院での国連大使の承認がここまで遅れているのは異常である。今期は軍備管理、イラン、北朝鮮といった重要な議題が安全保障理事会に持ち込まれることが考えられる。国連大使も決まらないでは、アメリカがリーダーシップをとろうにも、危機に当たって迅速な行動にでようにも思うようにゆかなくなる。リベラル派はジョン・ボルトンを好まないだろうが、自分達が推したくない大使でもいないよりはずっと良い。正しかろうが間違っていようが、保守派はアメリカと世界をどのように運営するかの構想を示している。リベラル派も代案を出すべきである。

2・アメリカと同盟国の現状認識の食い違い

アメリカにとってテロと大量破壊兵器は重要な問題であるが、同盟国は必ずしもそう思ってはいない。そうした現状認識の食い違いから、アメリカと同盟国の亀裂が広がる可能性もある。ヨーロッパ大陸諸国はテロとの戦いに関わりたがらなくなっている。スペインは爆弾一発で左翼のザパテロを選出し、イラクから早急に撤兵してしまった。日本はアジアの排外主義に直面している。

こうした傾向が続けば、アメリカは単独行動で問題解決せざるを得なくなる。幸いにもアメリカにとって最も強固な同盟者であるトニー・ブレアが再選された。こうした時期こそ、手遅れになる前にアメリカと同盟国の現状認識の食い違いを解消すべきである。

3・希望の国

こうした問題を抱えながらも、アメリカは希望の国となっている。フォーリン・ポリシー誌の本年7・8月号に掲載された“In Search of pro-Americanism”という論文で、ワシントン・ポストのコラムニスト、アン・アップルボームは親米派には社会的地位を向上させつつある者が多く、既得権益を持つ層や下層階級では反米派が多いと述べている。世界でアメリカの支持者と言えば、活力に満ちて前向きな者が多いようだ。こうした人達こそ、これからの世界を良い方向に導く者である。

テロやならず者国家との戦いを前にアメリカ国民は団結しなければならない。同盟国との間の現状認識の食い違いも埋め合わせる必要がある。独立記念日はアメリカ国民にとっても全世界の市民にとっても将来を見据える良い機会である。この歴史的な転機をうまく乗り切れれば、アメリカは世界の希望の国でい続けられる。

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