イラク憲法草案の是非:イスラエルからの視点
イスラエルのミドル・イースト・インフォというシオニストNGOのEニュースで、イラクの憲法草案の是非に関するエルサレム・ポストの社説がとりあげられていた。一つは、この憲法によってイラクのどの民族にも自治が約束されたのは素晴しい前進だというものである。もう一つは、この憲法草案では連邦政府の権限が弱すぎて国家の分裂につながりかねないとしている。
ここでイラクの民族・宗教分布についてだが、普段から触れているメディアでは北部にクルド人、中部にスンニ派アラブ人、南部にシーア派アラブ人といった大まかな分類しかされていない。この三派の力のバランスが重要なのは言うまでもないが、この他にもトルクメン人やアッシリア人といった少数民族も重要である。トルクメン人とは中央アジアから南下してきたトルコ系民族である。隣国トルコとの関係もあって、彼らの動きも目が離せない。アッシリア人はかつての大帝国を築いた民族の子孫で、ヨーロッパとは独自のキリスト教を信仰している。イラクのキリスト教徒といえば、人口は少ないながらもサダム・フセインの副首相や外相を歴任したタリク・アジーズのような人物を輩出している。メディアは主要三派の動向ばかりを取り上げるが、少数民族の影響にも注目したいところである。
新憲法草案ではイラクを多民族国家としており、アラブの盟主への野望をあらわにしたサダム・フセイン時代とは全く異なる国に生まれ変わろうとしている。歴史的に見ても、現在のイラクに当たるメソポタミア地域はローマ、ペルシア、アラブをはじめとした様々な民族が衝突を繰り返してきた場所である。バグダッドを首都とするサラセン帝国が崩壊してから1920年代まで、この地域に統一国家は設立されていない。となれば、アラブ国家から多民族国家への移行は理にかなっている。ではこの憲法の下で新生イラクはどうなるのか?以下、エルサレム・ポストから二人の見解を挙げてみる。
8月30日掲載のThe Region: Opting out of Arabism in Iraqという記事で、国際問題センターのバリー・ルービン上級研究員は民族や宗教の異なるイラク国民にそれぞれの自治を認めた憲法草案を多いに評価している。スンニ派アラブ人はクルド人とシーア派に支配されるという危惧を抱く必要など全くないという。新憲法草案では各民族や宗派の自治が保証されているからである。また、公用語はアラビア語とクルド語とされたものの、トルクメン人やアッシリア人のような少数民族にも自分達の母国語による学校教育が認められたのは特筆すべきである。こうなるとスンニ派の懸念など杞憂としか言いようがない。
ただルービン研究員も二つの問題点を挙げている。まずアラブ諸国ではこれまで少数民族の権利に配慮した連邦制を採用した例は皆無だということである。アラブではどの国も中央集権である。ましてや非アラブ系民族にも対等な自治を認めるという新憲法はあまりにも画期的過ぎる。また王制時代からバース党政権期までイラクで支配的な地位にあったスンニ派アラブ人が新しい現実に適応できるかという問題もある。イラクの人口の20%に過ぎないスンニ派が他の民族や宗派と同じ地位になるのはごく自然なことなのだが、既得権益を奪われることには抵抗を感じるのであろう。
これに対してヘブライ大学のショルモ・アベネリ教授は8月28日に投稿したLong litany of contradictionsという論文で、各民族や宗派の自治権が強過ぎる憲法草案ではイラクという国家が分解してしまう危険を警告している。中でも第116条で「連邦法と地域の法の間で相違が生じた際には地域の法を優先する」としていることで、旧ソ連やユーゴスラビアと同様な崩壊の途を歩むと懸念している。そして在外のイラク大使館に各民族や宗派の代表部まで設けては外交業務にも支障をきたすと言う。さらに石油収入の配分についても第110条で「人口分布を考慮して公平に分配する」としていることから、実質的に石油産出地域を優先して配分されるのではと指摘している。
以上のような期待と懸念を総合すると、スンニ派には新憲法によって自分達が被支配階級に転落する懸念がないことを理解させねばならない。各民族や宗派の自主独立を定めた憲法を受け容れることが彼らにとっても得なのである。石油収入について言えば、これまでスンニ派の特権階級がクルド人やシーア派から搾取してきたのである。むしろ新しい国造りでは石油以外の産業を興す方が理にかなっている。
各民族と宗派の自治を認めた連邦国家は、中東でも新しい試みである。中央政府と地方の関係については修正の余地はあるだろうが、新憲法を成立させて新しい国造りに向かうことが結局は全てのイラク人の利益となる。ただ、憲法が成立するか否かはさておき、しばらくは外国軍の駐留が必要なことにはかわりない。


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