アメリカのイラク開戦をめぐる賛否を振り返る
イラク戦争の是非をめぐってアメリカの世論は割れてしまったが、アメリカの有力な言論人でイラクの脅威を軽く見た者はいない。このことについては党利党略もイデオロギーも関係ない。イラクで起こることについてブッシュ政権が何もかも悪いかのように言うのは不公平である。今やこの戦争に反対を唱えている者も開戦当時は賛成していたのだ。
ここであるブログと論文を引用したい。まず、私がよく閲覧するポリティカル・イェン・ヤンというブログにある“Did Bush Lie?”という記事よりイラク開戦前の政策過程を簡単に振り返りたい。さらにカーネギー国際平和財団のロバート・ケーガン上級研究員がワシントン・ポストに投稿した論文に触れる。このブログと論文を読めば、たとえアルバート・ゴア氏が大統領に選出されていたとしてもアメリカがイラクを相手に開戦したと考えるようになるであろう。
まずポリティカル・イェン・ヤンのブログ記事にもあるように、イラク攻撃の計画を最初に立てたのはクリントン政権である。議会下院はイラク解放法案を1998年に通過した。そしてこの法案に署名してほどなく、ビル・クリントン大統領は対イラク開戦に向けて準備を始めた。レジーム・チェンジが議論されたのはクリントン政権であり、アーマッド・チャラビ氏が指導するイラク国民会議も同政権から支援を受けていた。
こうした経緯を振り返れば、ブッシュ政権のイラク政策はクリントン政権の政策から継続したものであることがわかる。ではイラク戦争をめぐってアメリカの世論がこれほど分裂しているのはなぜだろうか?これについてはロバート・ケーガン氏の寄稿が何らかのヒントを与えてくれる。ケーガン氏はベストセラーにもなった「ネオコンの論理」(原題Of Paradise and Power)の著者としても有名なネオコンの論客である。また、ウィリアム・クリストル氏とともにブッシュ政権に大きな影響を与えているシンクタンクである「新世紀アメリカのプロジェクト」の設立者として名を連ねている。
この論文からクリントン政権期からのイラク問題の推移がわかる。1997年にサダム・フセインが国連の査察を妨害したのを機にイラクの危機が深刻化し、戦争勃発の瀬戸際までいった。クリントン大統領は大量破壊兵器の貯蔵が疑われる地点を爆撃したが、それでもサダムは湾岸地域の支配と大量破壊兵器保有の野望を捨てなかった。そのような重大な危険を目の前にしたクリントン政権は、サダム・フセインを権力の座から引きずり降ろしてイラクを民主化しようと考えるようになった。リベラル派から保守派、そしてネオコンにいたるまでサダム・フセイン政権の打倒が広く支持されるようになった。
安全保障の専門家の中にはイラク攻撃に慎重な意見を表明する者もいた。同じくカーネギー国際平和財団のジョセフ・シリンシオーネ上級研究員は、アメリカがイラク攻撃に踏み切る前に国連の最終査察結果をよく吟味すべきだと主張していた。ブルッキングス研究所のマイケル・オハンロン上級研究員も同様の主張を述べた。だが注意すべきは、こうした慎重派であってもイラクの脅威を深刻に受けとめており、早くそうした脅威は取り除かれるべきだと考えていたということである。シリンシオーネ氏の研究グループは戦争よりリスクの少ない「強制」査察という方法まで考案し、武装査察団がイラク国内にある全ての疑惑の施設を検査すべきだと主張した。これからもわかるように、イデオロギーや対イラク開戦への賛否がどうあろうとも、専門家の間ではサダム・フセインの態度が深刻な脅威と映っていた。
イラク論争の性質をおかしくしたのは左翼系のプロ市民である。左翼の活動家はアメリカが好戦的で、石油利権に動かされていると非難した。さらに彼らデマゴーグはアメリカが無慈悲な殺戮者でサダム体制下のイラクが被害者に過ぎないかのようなプロパガンダを広めて扇動していた。こうしたデマは問題から的外れなのだが、不思議なことにマスコミにはこうした考え方が大きな影響を与えた。これに対して日本の福田康雄官房長官は「まるでフセインが正義でブッシュが悪者みたいじゃないか」と怒りをあらわにした。福田氏の言う通りである。左翼のプロ市民は問題の焦点を中東の安全保障から違うものに摩り替えてしまった。
左翼はイラク問題で本当に議論すべき問題を捻じ曲げてしまった。彼らによって理性のある議論は感情むき出しの激昂に変わってしまった。プロ市民の反米スローガンによって多国籍軍の信頼を損ない、テロリストが利益を得るようになった。彼らがどのように扇動を行なっているかは、いつか別の記事で書いてみたい。


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