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2006年1月31日

ロシア退役将軍は語る:自由だが民主的でない国

以前、当ブログではロシアについてカーネギー国際平和財団のアンダース・アスランド上級研究員の論文を紹介した。アスランド上級研究員は西側によるロシアの民主化への積極関与と旧ソ連諸国での親米政権への支援を訴えていた。

今回はカーネギー財団モスクワ・センターのドミトリ・トレニン副所長の論文を紹介する。トレニン副所長はロシア陸軍の退役将軍で、NATO国防大学の教員も歴任している。

アスランド上級研究員と同様に、トレニン副所長も西側はロシアに対しては辛抱強く改革を見守り、対話の門戸は閉ざすべきでないと主張している。他方でトレニン将軍は西側によるロシアへの政治的関与には慎重である。将軍はロシアの民主化について深く踏み込んだ分析を行なっている。トレニン将軍は共産体制下のエリートとしてのキャリアを積み上げてきたにもかかわらず、まるでアメリカ人やヨーロッパ人の論客のように民主主義の価値観をよく理解している。これから論文の要約と書評を述べる。

トレニン副所長は西側の対ロシア政策は理解不足がもとで混乱していると言う。西側はプーチンのツァーリズムを批判する一方で、ロシアは西側に不信感を抱いている。ロシアから見れば、旧ソ連諸国で親米政権の樹立、チェチェンでのイスラム過激派への支援、そしてロシア自体へのレジーム・チェンジの画策といった政策によって西側がロシアを弱体化しようとしているように映っている。よって西側はロシアをもっと理解すべきだと主張している。

この論文ではまずロシアの民主主義について分析している。トレニン副所長によると、現在のロシアは自由ではあるが民主的ではないということである。これはどういうことであろうか?ロシアは自由である。議会は活発である。私企業が利潤を追求できるし、メディアも政府を批判できる。だがロシアは民主的ではない。権力は大統領に集中している。資本主義も政治権力に依存している。「自由な」はずのメディアも新興財閥の資本傘下にある。

西側はプーチンの権威主義的な政治を批判している。だが「自由だが民主的でない」という現在の状況は、ロシア史上初の民主的な憲法が施行されたエリツィン時代に逆上る。ボリス・エリツィン大統領は権力の維持には熱心でも民主主義の定着には無関心であった。そうしたことから自由な国になっても民主主義は発展しなかった。

それならロシアが真の民主主義国になるには何が必要なのだろうか?ドミトリ・トレニン将軍は西欧社会に民主主義が定着したのは自覚のある中産階級が拡大し発展してからと述べている。こうした展開になるには資本主義の発展が不可欠である。また国民の大多数が最低限の生活水準を維持している必要がある。そうでなければ、民主主義どころかポピュリズムに陥ってしまうと警告している。

現在、ロシアの政治は自己中心的なエリートに支配されている。この国の民主化を推し進めるには、所有権や意思決定についての基準を作り上げておく必要がある。これによって民主主義が保証されるというわけではないが、憲法に基づく法の支配を確立する前提にはなる。

こうした基準を作り上げるだけでなく、市民社会の発展も重要になる。クレムリンの官僚や片棒担ぎが好んで口にするのは、19世紀からよく言われている「ロシアで本当のヨーロッパ人と言えるのは政府だけだ」という諺である。そうした風潮の中にあっても、旧来からの自由主義は知識人の間に定着していた。しかしこうした自由主義は、愛国主義とは相容れないこともあって、国民に広く支持されてはいない。今日のロシアで自由主義が発展するには自由の理念とナショナリズムが一つにまとまらねばならない。新しい自由主義の担い手となるのは新興ブルジョワジーと都市の中産階級である。彼らはまず地方レベルから、自分達の要求を効果的に反映させて政治の透明性を高めようとするであろう。そうした自由主義は粗野でインテリ嫌いに見えるであろう。彼らの自由主義では社会の不正や人権の問題よりも、政治の透明性の方が重要になってくる。こうした動きが活発になれば、クレムリンの独裁政治は徐々に影をひそめるようになる。

トレニン将軍は資本主義の発展とそれが民主化に及ぼす影響についても述べている。ロシアで資本主義が本格的に始動したのは、ボリス・エリツィン大統領が1993年に新憲法を導入して個人の所有権と企業の利益が保証されるようになってからである。西側はプーチンによる新興企業家の逮捕を非難している。だがこれを望んだのはロシア人自身である。新興財閥の企業家が逮捕されたのは、権力政治に加担したためである。資本主義が発展すれば市場が拡大し、日常生活でロシア国民が物事を選ぶ権利はもっと大きくなるであろう。 

このような変化によって、かつての集団重視から個人重視へと価値観の変化も起きている。かつてロシア国民は自国のミサイル部隊、バレー団、大型ダムプロジェクトに誇りを感じてきた。それが今や自分達の個人的な財産や子弟を送る教育機関に誇りを抱くようになってしまった。そうした情勢から、自覚ある中産階級が登場しつつある。

外交の面では、トレニン副所長は近隣諸国へのロシア影響力は低下しており、クレムリンは旧ソ連諸国への影響力拡大をめぐって西側と競うだけの能力も意志も持ち合わせていないと述べている。そのため、ロシアは帝国の重荷を下ろして現代に合った大国へと変貌してゆかねばならないとトレニン副所長は主張する。アメリカとの関係は冷却化しているものの、ロシアはアメリカの優位を認めている。西側がロシアのチェチェン政策を批判したことから、ロシアの欧米に対する不信感は根強い。そうした事情から、ロシアが中国に接近することは容易に考えられる。

国際政治でのロシアの地位は低下しているとは言え、無視はできないとトレニン将軍は言う。西側にとってエネルギー資源の確保、そしてテロや大量破壊兵器の拡散といった新しい脅威への対処といった問題でロシアは重要な国である。ロシアは西側への石油と天然ガスの輸出国である。また中央アジア、イラン、アフガニスタン、朝鮮半島といった地域の問題で、アメリカもヨーロッパもロシアとの強調は不可欠である。

最後に、トレニン副所長は西側に対して以下の提言をしている。

1.      長期的な視野:民主主義にショートカットはない。

2.      排除は不可:G8その他の国際機関からロシアを排除しないこと。

3.      具体的な要求:西側はロシアに対して何ができて何ができないかを区別すべきである。また要求は特定の問題に対して行なうべきである。例えば、人権のような大きな問題よりも、囚人の待遇改善や裁判官の職業倫理の徹底といった問題に対して西側は要求してゆくべきである

4.      グラスルーツとの交流:クレムリンのキング・メーカーになろうとは夢にも考えないこと。青年層との交流を活発にする方が有益である。

5.      友好関係:「権威主義」を理由にロシアを「問題児」扱いしない。

論文の最後でトレニン将軍は西側によるロシアへの過剰な干渉を戒め、ロシアのことはロシア人に任せるべきだと助言している。

ドミトリ・トレニン副所長は西欧型の民主主義をよく理解し、ロシアの民主化についても深く踏み込んで分析している。その一方で、ロシア人として西側の干渉には懐疑的である。この論文はロシアの理解にも、西欧型民主主義の再評価にも多いに有益である。

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2006年1月28日

パレスチナの狂想曲:テロリスト風情に国家統治ができるのか?

1138340155_7069 先日のパレスチナ総選挙でハマスが勝利したが、はてはてテロリストに国家が統治できるのだろうか?

イスラエルにとって選挙結果は驚きである。

政権から下野するファタハにとっては残念な結果である。

そして予期せぬ政権の座が転がり込んでしまったハマスが途方に暮れている。

ボストン・グローブ、2006年1月27日

インターナショナル・ヘラルド・トリビューン、2006年1月28日

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2006年1月19日

米独首脳会談を手短にふり返る

先の米独首脳会談について、前回の記事ではグアンタナモ基地での囚人の処遇をめぐってアンジェラ・メルケル首相がアメリカを厳しく批判したことに触れた。このことで、アメリカとドイツの関係は思ったほど好転しないのではないかという観測も流れた。当ブログでは「米、対欧改善も中韓とは緊張」という記事で、新首相の下でのドイツは対米関係改善に一気に進むであろうと述べたが、こうした見方はやや楽観的過ぎたようだ。「テロとの戦い」と「人権重視」のバランスのとり方について、アメリカとヨーロッパの間で見解の違いが大きいことが改めて認識された。このことについては、有名な「ネオコンの論理」(原題Of Paradise and Power: America and Europe in the New World Order)に記されている通りである。

はて、メルケル首相がワシントンでジョージ・W・ブッシュ大統領と行なった会談の成果はどうであったろうか?前回も言及したアトランティック・レビューというブログでは次のように語っている。

ドイツとアメリカの間に「蜜月」が訪れることはなく、よりビジネス・ライクな関係になる。新首相はアメリカに対してことさら異を唱えるような真似はせず、両国の意見の一致と不一致を明確にしてゆくであろう。グアンタナモ基地での囚人の処遇をめぐって米独両国は意見の一致を見なかったが、イランへの核兵器拡散防止については共同で対処することになった。

アトランティック・レビューではアメリカ、イギリス、ドイツの有力メディアの論説を引用しながら、今後の米独関係をこのように総括している。詳細はリンク先を読んで欲しい。

ワシントンから戻ったメルケル首相は、すぐにモスクワでロシアのプーチン大統領と会談している。中でもイラン問題が重要な議題になったが、その他にもロシアの民主化についても取り上げた。この件についてはシュレーダー前首相が余り熱心でなかったこともあって、「新しいヨーロッパ出身」の新首相と前任者の違いが出た。

旧東ドイツ出身のメルケル首相はこれまでのドイツ首相にも増して、民主化や人権の擁護に積極的に取り組むようだ。またドイツ外交はド・ゴール=アデナウアー路線から大西洋同盟重視に変わってくるであろうが、テロリストに対してでも人権を尊重するというヨーロッパの立場はしっかりと主張してくるようである。ともかく今後のドイツの動きはヨーロッパ情勢に大きな影響を与える。

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2006年1月14日

イラクよりの朗報:抵抗勢力分断か?

ここで手短にイラクからの朗報を述べたい。昨日のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(そしてニューヨーク・タイムズ)によると、イラクの抵抗組織「イスラムの軍隊」がアル・カイダとの手を切ることになった。アル・カイダはイラク国外からのアラブ人で占められており、彼らの自爆テロによって自分達の同胞が殺される事態をイラクの抵抗組織も座視できなくなった。昨年10月よりイラク人のゲリラとアル・カイダの間で戦闘が行なわれるようにまでなった。

イラク人の抵抗組織がアル・カイダと決別するようになった時期は、スンニ派が新体制での政治参加の意向を強めるに従ってアル・カイダをよそ者視するようになった時期と重なっている。イラク人の抵抗勢力でも「イスラムの軍隊」や「ムハンマドの軍隊」などは、アメリカ軍によるアル・カイダ討伐を歓迎するとまで言うようになった。

結局、アメリカに対する批判がどれほどあろうとも、何がイラクにとって最も望ましいかは明らかになるものである。一度、動き出したレジーム・チェンジへの流れは逆転できない。先の記事「アメリカのイラク開戦をめぐる賛否を振り返る」でも述べたように開戦前にはイラク攻撃に反対していた論客でも、戦後のレジーム・チェンジの邪魔をするような発言はしないものだ。ところが一部の評論家や市民団体は自らが責任を負わない立場を良いことに、少しでも占領統治でうまくゆかないことがあると一斉にネガティブ・キャンペーンを行なってテロリストを鼓舞してしまった。本当に悪いのは多国籍軍だろうか、テロリストだろうか?このように答えが明確な問題で、なぜ彼らはあのような言動を行なったのだろうか?本来ならもっと早く、事態は好転していたはずである。

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米独関係の行方は?

興味深いリンクを紹介したい。先のブログ・カーニバルでも述べたアトランティック・レビューがドイツとアメリカの間に持ち上がった重要な問題を取り上げている。先の選挙で選出されたアンジェラ・メルケル首相が、拘留者への人権侵害を理由にグアンタナモ海軍基地の閉鎖を要求したことが「デル・スピーゲル」誌に掲載された

選挙でのメルケル首相の勝利は米独関係の改善につながると見られてきた。現在、メルケル首相はブッシュ大統領との会談のため訪米中である。事態はどのように進展するのだろうか?リンク先を見て、コメントしてみよう。

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2006年1月 9日

日本政治での当ブログの立場

バースデイ・ステートメント

この度はグローバル・アメリカン政論が日本政治の中でどのようなイデオロギー的な立場となるのかを明らかにしたい。主として外交、戦後のレジーム・チェンジ、憲法といった観点から論ずる。ブログの副題にも記してある通り「親米タカ派」を標榜しているわけだが、当ブログは日本の保守本流とは大きく立場を異にする。外交、国防、憲法の問題ではタカ派ということで、保守本流とは近い。だが戦後のレジーム・チェンジについては日本の保守派とは見解が全く異なる。日本の政治土壌においてはむしろ「リベラル」と言っても良いくらいである。リベラル国際派の保守主義、あるいは日本版ネオコンとでも言った方が相応しいかも知れない。

まず日本の外交と国防に関して述べたい。この問題では私の立場は保守本流と近い。日米同盟こそ日本の外交の中核だという考え方は揺らがない。だが保守本流とナショナリストが日米同盟をリアリスト的観点からのみ評価しているのに対して、私はこれを日本が世界の自由と安定のための道義的な関与を行なうための礎と見ている。ナショナリストにとっては日米同盟とは中国の膨張主義的な野心を封じ込めるためだけのものである。彼らは世界の平和と安定のためのバードン・シェアリング(使命の分担)には関心がない。保守本流も大なり小なり同じような考え方である。だが私は日米同盟を戦後のレジーム・チェンジの根幹をなすものと見ている。戦後60年を経た今、日本は世界の安全保障にこれまで以上の貢献をすべきである。日本の政治家も言論人も世界平和のために武器をとる覚悟はまだなく、ひたすら友好的でただ乗りの外交を続けようという幻想を抱いている。この点に関しては、私はナショナリストよりも保守本流よりもタカ派である。

世界の中での日本の立場については、アジアよりも西側民主主義国家クラブの一員という方を重視している。保守本流にもアジア志向は強まりつつあるが、私はアメリカとヨーロッパこそ日本と共通の価値観を持って世界の運営ができる仲間と見ている。アジアも重要ではあるが、日本とは異質の文明世界である。

中国と韓国、北朝鮮から執拗に要求される日本の第二次大戦時の行為に対する謝罪については、私は懐疑的である。彼らは日本に対して優位に立つとともに日米同盟を分断し、「アジアの価値観」を全世界に高らかに訴えかけようとしているのではという疑いの目で見ている。これは日本にとって正真正銘の脅威である。ここではナショナリストや保守本流、そしてリアリストとも近い視点である。

戦後のレジーム・チェンジについてはナショナリストや保守本流とは全く考え方が異なる。彼らはアメリカ主導のレジーム・チェンジに批判的で、戦後の「押し付け」改革を逆転させようとしている。一例を挙げると、保守本流とナショナリストはアメリカ製の憲法を受け入れたことを屈辱と感じている。さらに戦前の日本の政治的伝統を取り戻そうとさえしている。例えば天皇への服従、国家への犠牲、社会的ヒエラルヒーに対する従順さという儒教的価値観である。レジーム・チェンジを果たした日本にはこうしたものは受け入れられるものではない。私は戦後のレジーム・チェンジを世界に広めるべく、冷戦後の日本は積極的に働きかけるべきだと見ている。この件ではむしろ私は保守というよりリベラルである。

最後に憲法について述べる。平和憲法はもはや用を成さない。だがナショナリストや保守本流とは違い、私は平和憲法には戦後史で重要な役割があったと見ている。この憲法には戦中のファシズムに対する懲罰としての役割があった。レジーム・チェンジを経てからというもの、日本は国際社会の良き一員であったので、もう懲罰は終わりにして良い時期である。罰に永遠なものはない。ナショナリストは「押し付け」憲法を屈辱と見なし、保守本流にも程度の差こそあれそのような考え方が見られる。戦後の平和憲法を改定すべきという点では私と彼らは一致しているが、根本的な考え方は大きく異なる。

外交では日本の保守本流と当ブログの共通点は多い。だが戦後のレジーム・チェンジに関してはグローバル・アメリカン政論と日本の保守本流やナショナリストとは見解が大きく異なる。憲法に関しては結論は日本の保守派と同じであっても、理由では大きく異なる。

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2006年1月 3日

2006年 年頭声明

新年明けましておめでとうございます。グローバル・アメリカン政論は今年も冷戦後の新世界秩序を模索してゆきます。また今年は数名の投稿者からの記事も掲載したいと考えています。昨年は当ブログが学研の「最新人気ブログ・ランキング200」に掲載されました。また独米ブログ・カーニバルにも招いていただきました。今年は当ブログが一層発展するよう邁進したいと思っています。 新しい年に何が起るかは誰もわかりません。当ブログの理念である自由主義に基づく世界秩序の形成を主張してゆくためにも、世界の諸問題の分析に当たって最善を尽くしてゆきたいと思っています。本年も宜しくお願いいたします。

Shah Alex

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