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2006年1月 9日

日本政治での当ブログの立場

バースデイ・ステートメント

この度はグローバル・アメリカン政論が日本政治の中でどのようなイデオロギー的な立場となるのかを明らかにしたい。主として外交、戦後のレジーム・チェンジ、憲法といった観点から論ずる。ブログの副題にも記してある通り「親米タカ派」を標榜しているわけだが、当ブログは日本の保守本流とは大きく立場を異にする。外交、国防、憲法の問題ではタカ派ということで、保守本流とは近い。だが戦後のレジーム・チェンジについては日本の保守派とは見解が全く異なる。日本の政治土壌においてはむしろ「リベラル」と言っても良いくらいである。リベラル国際派の保守主義、あるいは日本版ネオコンとでも言った方が相応しいかも知れない。

まず日本の外交と国防に関して述べたい。この問題では私の立場は保守本流と近い。日米同盟こそ日本の外交の中核だという考え方は揺らがない。だが保守本流とナショナリストが日米同盟をリアリスト的観点からのみ評価しているのに対して、私はこれを日本が世界の自由と安定のための道義的な関与を行なうための礎と見ている。ナショナリストにとっては日米同盟とは中国の膨張主義的な野心を封じ込めるためだけのものである。彼らは世界の平和と安定のためのバードン・シェアリング(使命の分担)には関心がない。保守本流も大なり小なり同じような考え方である。だが私は日米同盟を戦後のレジーム・チェンジの根幹をなすものと見ている。戦後60年を経た今、日本は世界の安全保障にこれまで以上の貢献をすべきである。日本の政治家も言論人も世界平和のために武器をとる覚悟はまだなく、ひたすら友好的でただ乗りの外交を続けようという幻想を抱いている。この点に関しては、私はナショナリストよりも保守本流よりもタカ派である。

世界の中での日本の立場については、アジアよりも西側民主主義国家クラブの一員という方を重視している。保守本流にもアジア志向は強まりつつあるが、私はアメリカとヨーロッパこそ日本と共通の価値観を持って世界の運営ができる仲間と見ている。アジアも重要ではあるが、日本とは異質の文明世界である。

中国と韓国、北朝鮮から執拗に要求される日本の第二次大戦時の行為に対する謝罪については、私は懐疑的である。彼らは日本に対して優位に立つとともに日米同盟を分断し、「アジアの価値観」を全世界に高らかに訴えかけようとしているのではという疑いの目で見ている。これは日本にとって正真正銘の脅威である。ここではナショナリストや保守本流、そしてリアリストとも近い視点である。

戦後のレジーム・チェンジについてはナショナリストや保守本流とは全く考え方が異なる。彼らはアメリカ主導のレジーム・チェンジに批判的で、戦後の「押し付け」改革を逆転させようとしている。一例を挙げると、保守本流とナショナリストはアメリカ製の憲法を受け入れたことを屈辱と感じている。さらに戦前の日本の政治的伝統を取り戻そうとさえしている。例えば天皇への服従、国家への犠牲、社会的ヒエラルヒーに対する従順さという儒教的価値観である。レジーム・チェンジを果たした日本にはこうしたものは受け入れられるものではない。私は戦後のレジーム・チェンジを世界に広めるべく、冷戦後の日本は積極的に働きかけるべきだと見ている。この件ではむしろ私は保守というよりリベラルである。

最後に憲法について述べる。平和憲法はもはや用を成さない。だがナショナリストや保守本流とは違い、私は平和憲法には戦後史で重要な役割があったと見ている。この憲法には戦中のファシズムに対する懲罰としての役割があった。レジーム・チェンジを経てからというもの、日本は国際社会の良き一員であったので、もう懲罰は終わりにして良い時期である。罰に永遠なものはない。ナショナリストは「押し付け」憲法を屈辱と見なし、保守本流にも程度の差こそあれそのような考え方が見られる。戦後の平和憲法を改定すべきという点では私と彼らは一致しているが、根本的な考え方は大きく異なる。

外交では日本の保守本流と当ブログの共通点は多い。だが戦後のレジーム・チェンジに関してはグローバル・アメリカン政論と日本の保守本流やナショナリストとは見解が大きく異なる。憲法に関しては結論は日本の保守派と同じであっても、理由では大きく異なる。

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コメント

なかなか興味深い自己分析ですね。「日本版ネオコン」というのが実に言いえて妙だと、一読者として、感じました。

せっかくなので、私の政治的立場も書いてみたいと思います。お読みになって私にレッテルを貼ってみてくださるとありがたいです。他人からどう見られているのかということは大変興味あるところですので。

・日米同盟について:
基本的には国益の追求ということでリアリスト的立場かと思います。一方で「世界に自由と民主主義を広める」という理念にも大きな共鳴を感じており、ネオ・ウィルソニアン的要素も兼ね備えているかもしれません。これも、そうすることが国益につながるというのが大きいのでベースはリアリストなのでしょう。

・世界の中での日本の立場:
これは日本はアジアではなく、太平洋を拠点とする世界的な海洋国家だと認識しています。民主主義の海洋国家同士のネットワークを構築すべきです。

・戦後のレジーム・チェンジ及び憲法について:
日本には1945年の段階で民主国家としての素地がすでに存在しており、戦前戦中に道を誤ったにせよ、早晩民主化されただろうという立場から、敢えて連続性を認め、「押し付け憲法即けしからん」という考えには立ちません。この連続性と戦後60年の積み重ねを重視するのが、私の考える保守主義です。英国のエドマン・バーグ流保守主義といいましょうか。憲法を改正せねばならない理由は、現代に即さないという一言に尽きます。また、尊皇思想は多少強いけれど、あくまで立憲君主制のもとでの自由民主主義の堅持です。

猫研究員さん、久しぶりです。猫さんの立場を日本政治の中で分類するとすれば、保守本流の中でのリベラル派というところでしょうか?もちろん、ここでいう保守やリベラルとは日本政治の実態に合わせて使っています。

私がこうした記事を書いたのは、日本政治で奇妙なパラドックスを見たからです。それは日米同盟と戦後のレジーム・チェンジをめぐって、日米同盟支持の保守派の方が戦後のレジーム・チェンジに不満を持っているのに対して、日米同盟に否定的な左翼の方が戦後のレジーム・チェンジを支持しているからです。

こうした議論は、真魚さんというブロガーの「深夜のニュース」でやりました。以下のリンクを参照してください。

http://night-news.moe-nifty.com/blog/2005/12/the_japanese_wa_e281.html

保守本流の中のリベラル派ですか。ちょっとにんまりです(笑)いわゆる右翼とはどこかで肌合いが違うと感じていたので腑に落ちました。

「深夜のニュース」の記事、拝見しました。
そこでの議論にもありましたが、米国が戦後の対日政策を180度転換してきたところに「ねじれ」の原因があろうかと思います。左派にとっては「裏切られた」という思いが強く、反米になってしまったのでしょう。保守派にとっては、米国は逆に「味方に変わった」。私も占領初期のGHQ(とりわけ民生局)による社会主義的な政策には大反対です。マッカーサー憲法原案にあった「天然資源の国有化」など正気の沙汰ではなかったと思っています。何とか、自由主義陣営の国として許容できる範囲の体制変換で済んでよかった。左派としては、もっとやってほしかったんでしょうけど…。

社会主義的な政策はともかく、戦争裁判を感情的に非難する人達にはついて行けないですね。

当時は占領下の日本ばかりでなく、イギリスでもベバレッジ・プランや主要産業国有化が行なわれていました。アメリカはニューディーラーが政権を担っていました。

そうした「大きな政府の福祉国家」に向かう時代背景があったのかも知れません。また、戦後という特殊な時代では政府の介入による復興が急がれていたことも社会主義的な政策の採用一歩手前にあったことの原因かも知れません。

東京裁判についての歴史的意義とは、これはまた壮大なテーマを持ち出してこられましたね。私の立場は「事後法であり近代法の精神には反しているが、サンフランシスコ平和条約でジャッジメントを受諾している以上、今更どうのこうの言っても政治的にはあまり意味がない」「国際法において戦争犯罪の概念を発展させる出発点になった歴史的意義はあり、試行錯誤の一歩なのだから手続論として瑕疵があったのもやむを得ない面がある」といった感じです。
舎 亜歴さまのご意見も是非伺いたいです!

>「国際法において戦争犯罪の概念を発展させる出発点になった歴史的意義はあり、試行錯誤の一歩なのだから手続論として瑕疵があったのもやむを得ない面がある」

法的にはそれで良いと思います。

ただ、ニュルンベルク裁判もそうですが、戦争裁判とは元来、政治的な決着をつける目的で行なわれるものだと思います。特に現在ほど戦争犯罪をめぐる国際司法が整備されていなかった当時なら、なおさらです。

多少の瑕疵をどうこう言うよりも、ファシズム体制の終焉と戦後の民主化と新体制発足というより大きな政治目的を優先すべきだと思います。

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