WBCと文明の衝突
ワールド・ベースボール・クラシックにおいて目についたのは、東アジア儒教文明圏が西欧文明圏と日本文明圏との間に起こした文明の衝突である。特に差別という問題では東アジア儒教文明が世界のどの文明よりも過敏であることが思い知らされた。この地域の国々は経済成長の高さから注目を世界の注目を集めてはいるが、彼らがこの度のような態度とり続ける限り真のグローバル経済の一員となれるかどうか極めて疑わしい。
まず儒教文明諸国と西欧文明との衝突について取り上げたい。事の起こりはボブ・デイビッドソン主審の誤審事件である。WBCのアメリカ対日本の試合で日本の打者がレフトフライを打ち上げ、外野手の捕球を待って三塁走者がタッチアップして本塁生還して1点を挙げたかに思われた。ところがアメリカ側から三塁走者のタッチアップが外野手の捕球より早かったという抗議があった。その抗議を受けて、最初の判定では日本に1点が入ったはずだったものが走者アウトとなった。こうした判定の二転三転はアメリカのファンからも厳しく非難された。
ここで奇妙なことに、普段は日本に対して敵対的な韓国や中国のメディアはデイビッドソン球審の判定を「アジア人に対する人種差別」だとして非難した。何かある度に日本を悪者に仕立て上げて喜ぶ中国や韓国のメディアが今回は日本を支持するというのは非常に奇異なことであった。
だがさらに奇妙なことに、当事者の日本側が球審の態度や判定技術の問題に焦点を当てるといった冷静な態度であったのに対し、直接関係のなかった中国や韓国の方が得意の「人種差別」をとり挙げてアメリカを攻撃するといった感情的な態度であった。
はてデイビッドソン球審は人種差別主義者なのだろうか?彼の経歴を見るとそうではないらしい。実は1998年にアメリカ白人のヒーロー、マーク・マグワイアが世紀の本塁打記録に挑戦していた折に、デイビッドソン審判は彼の66号本塁打を二塁打と判定してしまった。マグワイアの本塁打を幻にしたデイビッドソン審判に対しては全米のファンから激しい非難の声が挙がった。ともかく、デイビッドソンは白人に対しても誤審を行なうことがわかった。どうやら人種差別主義者ではなく、ただ審判としての技術に問題があるだけのようだ。それともデイビッドソンはアイルランド系カトリック教徒に偏見を持っているのだろうか(McGwireあるいはMaguire、McGuireはアイルランド系の姓)?
そこまで言ってはきりがない。人の深層心理を完全に知ろうとすれば、途方もない労力を要する。日本のチームやファンが問題にした球審の態度や技術に集中した方が現実的である。それとも中国も韓国もそれほど差別とは無縁の国なのだろうか?誰が見ても、彼らの社会がアメリカ、ヨーロッパ、そして日本よりも平等で友愛に満ちているとは思えないのだが。だから、何かあれば差別、差別と騒ぎたがる儒教文明圏の態度がいかに奇妙なものかよくわかろうというものだ。
次に東アジア儒教文明圏と日本文明圏の衝突をとりあげる。これを象徴するのがイチロー発言をめぐる日韓の応酬と、大会後の韓国プロ野球コミッショナーの発言である。
まずイチローの発言であるが、どの発言を読み返しても韓国への侮辱と解釈できる語は一つも見当たらない。日本野球の実力がアジア地区では図抜けているのは常識であり、その通りに勝ち進むべく全力を尽くすと言ったまでである。そもそも日本は何事においても世界のトップランナーの仲間入りを目指してきた。政治・経済分野でアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスといった先進資本主義国との関係が常に重要であったように、野球でもアメリカ、キューバ、ドミニカ、プエルトリコといった強豪と鎬を削ろうと意気込んでいただけである。これはアスリートの本能を正直に口にした過ぎない。イチローの発言で侮辱された国はどこもない。
大会後の韓国プロ野球コミッショナーの発言にも驚いた。短期決戦で偶然に日本に2勝1敗で「勝ち越し」たからといって、日本は韓国の実力を認めろなどと言ってきた。この大会で世界一を勝ち取った日本でさえ、「アメリカ野球、何するものぞ」という思い上がった発言はしていない。韓国コミッショナーの日本に対する発言は失笑ものなのだが、これも儒教文明圏特有の発想から出る挑発発言なのだろうか?日本から受けた「侮辱」なるものへの挑戦状だというのが明らかである。
以上のように何かあれば差別だ侮辱だと騒ぎ立てるようでは、とてもではないが中華儒教文明圏をグローバル経済の一員に迎え入れられるものではない。今回の大会ではっきりしたことは、彼らは日本に対してだけでなく欧米に対してもあの独特の論理を持ち出して相手をやり込める癖があるということである。
こうした中華儒教文明圏のあり方を変えるには一種のオレンジ革命が必要かも知れない。その参考になるのはイスラム文明についてアメリカン・エンタープライズ研究所のルエル・マルク・ジェレクト常任研究員がウィークリー・スタンダード誌2月20日号に寄稿した”Selling Out Moderate Islam”という論文の一節である。そこではテロリストがはびこる現在のイスラム世界について次のように述べている。
イスラム文明は、まだエドワード・ギボンのような人物を輩出していない。ギボンは信仰心の厚いキリスト教徒でありながら、西欧文明の根本を研究するに当たっては自らの文明に批判的で時には非宗教的な視点に徹した。このように自らの文明を自己批判できる人物がイスラム文明にも必要である。
この一節は中華儒教文明に対しても見事なまでに当てはまる。事あるごとに差別だ侮辱だと騒ぎ立てる彼らの文明には、今こそエドワード・ギボンのような人物が必要である。アメリカもヨーロッパも日本も彼らのギボンを支援するだけである。このように彼らの文明のオレンジ革命が成功すれば、その時は儒教文明圏もグローバル経済の一員として歓迎されるであろう。


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