WBCと文明の衝突
ワールド・ベースボール・クラシックにおいて目についたのは、東アジア儒教文明圏が西欧文明圏と日本文明圏との間に起こした文明の衝突である。特に差別という問題では東アジア儒教文明が世界のどの文明よりも過敏であることが思い知らされた。この地域の国々は経済成長の高さから注目を世界の注目を集めてはいるが、彼らがこの度のような態度とり続ける限り真のグローバル経済の一員となれるかどうか極めて疑わしい。
まず儒教文明諸国と西欧文明との衝突について取り上げたい。事の起こりはボブ・デイビッドソン主審の誤審事件である。WBCのアメリカ対日本の試合で日本の打者がレフトフライを打ち上げ、外野手の捕球を待って三塁走者がタッチアップして本塁生還して1点を挙げたかに思われた。ところがアメリカ側から三塁走者のタッチアップが外野手の捕球より早かったという抗議があった。その抗議を受けて、最初の判定では日本に1点が入ったはずだったものが走者アウトとなった。こうした判定の二転三転はアメリカのファンからも厳しく非難された。
ここで奇妙なことに、普段は日本に対して敵対的な韓国や中国のメディアはデイビッドソン球審の判定を「アジア人に対する人種差別」だとして非難した。何かある度に日本を悪者に仕立て上げて喜ぶ中国や韓国のメディアが今回は日本を支持するというのは非常に奇異なことであった。
だがさらに奇妙なことに、当事者の日本側が球審の態度や判定技術の問題に焦点を当てるといった冷静な態度であったのに対し、直接関係のなかった中国や韓国の方が得意の「人種差別」をとり挙げてアメリカを攻撃するといった感情的な態度であった。
はてデイビッドソン球審は人種差別主義者なのだろうか?彼の経歴を見るとそうではないらしい。実は1998年にアメリカ白人のヒーロー、マーク・マグワイアが世紀の本塁打記録に挑戦していた折に、デイビッドソン審判は彼の66号本塁打を二塁打と判定してしまった。マグワイアの本塁打を幻にしたデイビッドソン審判に対しては全米のファンから激しい非難の声が挙がった。ともかく、デイビッドソンは白人に対しても誤審を行なうことがわかった。どうやら人種差別主義者ではなく、ただ審判としての技術に問題があるだけのようだ。それともデイビッドソンはアイルランド系カトリック教徒に偏見を持っているのだろうか(McGwireあるいはMaguire、McGuireはアイルランド系の姓)?
そこまで言ってはきりがない。人の深層心理を完全に知ろうとすれば、途方もない労力を要する。日本のチームやファンが問題にした球審の態度や技術に集中した方が現実的である。それとも中国も韓国もそれほど差別とは無縁の国なのだろうか?誰が見ても、彼らの社会がアメリカ、ヨーロッパ、そして日本よりも平等で友愛に満ちているとは思えないのだが。だから、何かあれば差別、差別と騒ぎたがる儒教文明圏の態度がいかに奇妙なものかよくわかろうというものだ。
次に東アジア儒教文明圏と日本文明圏の衝突をとりあげる。これを象徴するのがイチロー発言をめぐる日韓の応酬と、大会後の韓国プロ野球コミッショナーの発言である。
まずイチローの発言であるが、どの発言を読み返しても韓国への侮辱と解釈できる語は一つも見当たらない。日本野球の実力がアジア地区では図抜けているのは常識であり、その通りに勝ち進むべく全力を尽くすと言ったまでである。そもそも日本は何事においても世界のトップランナーの仲間入りを目指してきた。政治・経済分野でアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスといった先進資本主義国との関係が常に重要であったように、野球でもアメリカ、キューバ、ドミニカ、プエルトリコといった強豪と鎬を削ろうと意気込んでいただけである。これはアスリートの本能を正直に口にした過ぎない。イチローの発言で侮辱された国はどこもない。
大会後の韓国プロ野球コミッショナーの発言にも驚いた。短期決戦で偶然に日本に2勝1敗で「勝ち越し」たからといって、日本は韓国の実力を認めろなどと言ってきた。この大会で世界一を勝ち取った日本でさえ、「アメリカ野球、何するものぞ」という思い上がった発言はしていない。韓国コミッショナーの日本に対する発言は失笑ものなのだが、これも儒教文明圏特有の発想から出る挑発発言なのだろうか?日本から受けた「侮辱」なるものへの挑戦状だというのが明らかである。
以上のように何かあれば差別だ侮辱だと騒ぎ立てるようでは、とてもではないが中華儒教文明圏をグローバル経済の一員に迎え入れられるものではない。今回の大会ではっきりしたことは、彼らは日本に対してだけでなく欧米に対してもあの独特の論理を持ち出して相手をやり込める癖があるということである。
こうした中華儒教文明圏のあり方を変えるには一種のオレンジ革命が必要かも知れない。その参考になるのはイスラム文明についてアメリカン・エンタープライズ研究所のルエル・マルク・ジェレクト常任研究員がウィークリー・スタンダード誌2月20日号に寄稿した”Selling Out Moderate Islam”という論文の一節である。そこではテロリストがはびこる現在のイスラム世界について次のように述べている。
イスラム文明は、まだエドワード・ギボンのような人物を輩出していない。ギボンは信仰心の厚いキリスト教徒でありながら、西欧文明の根本を研究するに当たっては自らの文明に批判的で時には非宗教的な視点に徹した。このように自らの文明を自己批判できる人物がイスラム文明にも必要である。
この一節は中華儒教文明に対しても見事なまでに当てはまる。事あるごとに差別だ侮辱だと騒ぎ立てる彼らの文明には、今こそエドワード・ギボンのような人物が必要である。アメリカもヨーロッパも日本も彼らのギボンを支援するだけである。このように彼らの文明のオレンジ革命が成功すれば、その時は儒教文明圏もグローバル経済の一員として歓迎されるであろう。
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お見事!私が読んだWBC問題について書かれたものの中では、ピカイチです。
投稿: 草木 | 2006年3月26日 06:06
どうもありがとうございます。今後も宜しくお願いします。
投稿: 舎 亜歴 | 2006年3月26日 13:20
とても参考になりました。是非この記事も紹介させて頂きたいと思います。日本文明は中国、韓国などとも違う文明なのに、それを一色たに考えることが間違いであると思います。
投稿: 極右評論 | 2006年3月26日 16:23
中国の史学は、根本的に欧米のそれとは異なりますから、エドワード・ギボンような歴史学者を中国に期待するのは無理があると思います。むしろ、司馬遷のような歴史学者が現れて、清朝から現代中国までの中国の近現代史を書いてくれないものかと思います。
中国のナショナリズムの本質は、反日ではなく、反欧米ではないかと思います。反日というのは、いわばうわべの衣のようなもので、中国共産党が国内をまとめるためのスローガンでしかありません。本当のナショナリズムは、その下の清朝末期以来の反欧米感情があるのではないでしょうか。日本による中国侵略はもちろん認めざる行為でしょうが、世界史的視野に立てば、そもそも西欧による中国への侵略がすべての始まりであり、日本はその流れに(時期的には遅かったですが)乗ったにすぎないことがわかるはずです。では、なぜ清朝は西欧の侵略を受けることになったのか。軍事技術で西欧に及ばなかったことや政府の腐敗堕落などが挙げられます。ようするに、国が弱かったからであり、だからこそ国は強くなければならないということです。今の中国は、日本の100年前の富国強兵をやっているようなものです。私は最近の中国の巨大な軍事費増強の背後に、こうした意識を感じます。彼らの主張に道理がなくても、国際社会でその国の影響力が強ければ、その主張は通ってしまうのは、アメリカを見てもわかることです。急速に巨大化しつつあるチャイナパワーに対して、その周辺国の一つの国として、どのように対処すべきなのか。日本は、もっと中国とどういう関係を持っていくのか考えるべきだと思います。敵対関係を持つのか、それとも共通の利益を見出すのかなど、さまざまな関係を模索するのが外交であって、今の日中間にはお互いの嫌悪感しかありません。
投稿: 真魚 | 2006年3月26日 17:32
極右評論さん、
どうもありがとうございます。日本と東アジアは本当は違う文明であるにもかかわらず、両国民とも同じ東洋人だと思い込んでいるように見受けられます。相互理解が進まないのは、違いを違いと認められないからではないでしょうか。
投稿: 舎 亜歴 | 2006年3月27日 01:29
真魚さん、
現代の司馬遷ですか。いずれにせよ、自分達の歴史を批判的に考えられる人物が中国や韓国に出現しない限り、日本であれ欧米であれ彼らとの歴史論争は無意味です。
ところで私が関心があるのはなぜ中国が西欧列強の侵略を受けたかよりも、アヘン戦争による西欧の衝撃を日本だけが理解し、その後の事態に対処できたのはなぜかです。
清朝が英仏に敗れても何の危機感も持たなかったのは有名な話しです。そもそも洋務運動が日本の明治維新を手本にという有り様ではお話しになりません。それ以前の西欧列強への敗北をどう考えていたのかと首を傾げてしまいます。
朝鮮、ベトナムも中華秩序の崩壊を全く理解していませんでした。
ともかく、東アジアの近現代史で最大の岐路はアヘン戦争です。植民地支配への恨み辛みや南京でのボディー・カウンティングなど大した意味はありません。
それと私を悩ませるのは、西欧対イスラムという文明の衝突では両者の理念の違いが比較的明確なうえに、学者もメディアもそれなりに研究しています。ところが日本対儒教アジアとなると、両者の理念の違いが今一つ不鮮明なうえに、研究も余り進んでいないように思えます。
そのため、西欧対イスラムはわかりやくすても、日本対儒教アジアとなると感情の対立ばかりが目立って中味がさっぱりよくわからない、ただ表面化する現象は西欧対イスラムによく似ているという有り様です。
この問題に直面すると、自分が日本人でないようにさえ感じる、それぐらいわかりにくい衝突です。
投稿: 舎 亜歴 | 2006年3月27日 02:03
TBどうもです。
中国の米国叩きや、日本優勝に対する嫉妬の報道は知りませんでした。
韓国は、東亜日報に詳しく出ていましたが。
韓国は単に反米反日なだけだと思います、
韓国マスコミがボブの誤審を騒いだ割には
韓国民はいたって、どうでもいいよという反応でした。
韓国も中国も民主的国家ではないですから
まずそこを何とかしないと、崩れそうもないでしょうな。
投稿: 慶次 | 2006年3月27日 02:34
中国・朝鮮(韓国)が、次の事を言うのは、儒教のせいでしょうか?
(1)日本に対して歴史の見方を自国の見方に一致するように要求
(2)反日
(3)デイビッドソン球審の判定を「アジア人に対する人種差別」だとして非難
投稿: とおる | 2006年3月27日 13:27
慶次さん、
中国のメディアも人種差別を幸いだというのは日本のニュース報道から知りました。
韓国は制度的には民主主義国ですが、実態はポピュリズムです。
投稿: 舎 亜歴 | 2006年3月27日 20:53
とおるさん、
儒教のせいか?孔子や孟子が人種差別を騒ぐような教えを説いたわけではありませんが、華夷秩序の意識が日本や欧米に対する傲慢な言動につながっています。
イスラム教徒の自爆テロにしてもマホメットがそのように教えたわけではありませんが、教義を極端に解釈した人達があのような行動に出ています。
投稿: 舎 亜歴 | 2006年3月27日 20:59
TBいただき、早速読ませて頂きました。
単刀直入に、見事な文明論的考察、と評させて頂きます。
冷静かつすわりのよい分析で、頭の中のもやもやがすっきりいたしました。
中国韓国相手になると脊髄反射で感情論の非難を繰り返すことも、彼らと同列だと実感いたします。
一杯飲み屋の酒の肴以上にはできません。
ブログは、公の言論です。私も、目線は高く、腰は低く、精進して参りたいと思います。
そして、今後も、このようなcoolな評論を楽しみにしております。
投稿: ろろ | 2006年3月27日 23:24
舎 亜歴 様
お返事ありがとうございます。
儒教とイスラムの対比は分かりやすかったです。
投稿: とおる | 2006年3月28日 17:16
清朝末期でも、このままではアジアは西欧の植民地なるという危機意識を持っていた人物はいました。しかしながら、基本的に皇帝の専政社会であり、かつ官僚制社会ですから、自分で自分の社会を変えようとする意識は生まれなかったのかもしれません。日本も徳川幕府では近代化はできなかったと思います。かたや朝鮮は、儒教国家ですから宗主国である清に従うしかありません。明治維新後、日本は朝鮮に共に近代化して手を結ぼうと呼びかけたわけですが、朝鮮から日本人は西洋のマネをする猿と呼ばれました。猿と呼ばれた日本人は、好きで西洋のマネをしていたわけではないのですが、朝鮮にはそれがわからなかったようです。
アジアでなぜ日本だけがWestern Impactの意味が理解できたのか、なぜ他のアジアの国はそれがわからなかったのかというのは興味深いテーマです。やはり儒教の影響かもしれません。
先日のコメントで司馬遷のことを書きましたが、実際のところ司馬遷でもダメかもしれません。司馬遷が書いた史記は、結局、武帝は正統の天子であるということだけですから。そう考えると、中国の歴史家で過去、優れた歴史家というのは私の知る限りでは一人もいません(最近の人で優れた人がいるのかもしれませんが)。東洋史が西洋史と並べて論じることができるようになったのは、京都帝大の内藤湖南によってです。
日本は他のアジア諸国とは違うところが多いです。少なくとも儒教文化圏に入っていません。日本は鎌倉時代以後は社会構造も他のアジア諸国とは異なり、むしろヨーロッパとよく似た点が数多いです。つまり、ユーラシア大陸を挟んで、両端のヨーロッパと日本は「同じ」であるという視点です。これはかなり昔、梅棹忠夫という人が「文明の生態史観」という論文で提唱した考え方です。
投稿: 真魚 | 2006年3月29日 23:54
ろろさん、
どうもありがとうございます。中国も韓国も日本にとって重要な国には違いありませんが、近年のメディアやブログは余りにセンセーショナルに事を論じがちです。
彼らに「歪んだ」大和魂をぶつけるのではなく、世界200ヶ国の中で日本とアジアの関係を考えるべきだと思っています。
投稿: 舎 亜歴 | 2006年3月30日 23:33
とおるさん、
日本対儒教文明圏の対立は西欧対イスラムの対立と似ていると思いますが、前者の対立軸はどこか不鮮明です。
次いでに言えば、特定アジアとかいう訳のわからない語より、儒教アジア、中華儒教文明圏とでも呼んだ方が実態に即しています。
台湾や東南アジア諸国と日本は友好的ですが、潜在的には反日あるいは反欧米の目があります。
投稿: 舎 亜歴 | 2006年3月30日 23:40
真魚さん、
日本の徳川幕府では近代化は無理だったでしょうが、それでも幕藩体制下で蘭学が盛んになったり異国船打ち払いのための海防の研究が進められていました。西欧文明に関する知識の流入が極めて乏しかった時代にです。
それに引きかえ、中国には日本とは比較にならないほどの西欧文明の知識が入り込んでいたわけです。その気になれば・・・そうなれないのが皇帝専制の官僚国家なのでしょうか?
京都帝大の内藤湖南の学説は興味深いです。日本の武家社会とヨーロッパの騎士社会の類似性を述べるエッセイは必ずしもアカデミックでないものも含めて多いようですが、これも梅棹忠夫を基にしているのでしょうか?
投稿: 舎 亜歴 | 2006年3月30日 23:56
徳川幕府による近代化について、まず徳川幕府にはフランスが背後にいて、薩長にはイギリスがいたということが挙げられます。もし幕府主導による日本の近代化が行われたのならば、圧倒的にフランスの影響のもとに行われることになります。フランスは、ナポレオン3世のもとでの国の近代化に躍進していましたが、後の1870年の普仏戦争でドイツに敗北したことからもわかるように、国際社会の覇権国になることはできませんでした。世界はロンドンを中心として動いているのであり、パリではありません。つまり、徳川幕府+フランスによる明治維新ではなく、薩長+イギリスによる明治維新であったことが、19世紀の国際社会で日本が生き延びることができた要因のひとつだと思います。
さらに、徳川幕府では国民皆兵による近代軍隊ができません。徳川幕府が廃藩置県、四民平等、廃刀令などを出すとは考えがたいです。しかしながら、これができなくては近代国家にはなりません。徳川幕府が唯一、明治に残した「近代化」は、横須賀の造船所ですね。これは大いに役に立ちました。
中国の歴史を西洋の視点から見て考えることができたのは日本人なんです。内藤湖南は、当然ながら社会主義者ではありません。では、マルクス主義歴史学ではどうかというと同様です。中国は共産主義国家でありながら、自国の歴史をマルクス主義の観点から整理し構築し直すことすらやってきたとは思えません。これも、日本の歴史学者がやっています。これは芸術や演劇の面においても同様なんです。ソ連は学問や芸術の面で大きなものを残しました。ところが、中国はそれらのものがありません。これは重要なことだと思います。つまり、ソ連と中国ではマルクス主義思想に対する視点が異なるということです。
梅棹忠夫の「文明の生態史観」もアカデミックな論文ではなく中央公論のエッセイでした。これはかなり衝撃だったようです。明治以来、日本は西欧の下だという認識があったわけです。これに対して、中央公論という大衆雑誌ではありませんが、いちおう一般の方々が読む雑誌に、日本とヨーロッパは同じであるという説が堂々と載ったわけですから、その当時の論壇に与えた影響は大きかったようです。
投稿: 真魚 | 2006年4月 1日 10:53
徳川期の近代化については基本的に真魚さんと同意見です。ただ、幕府だけでなく藩や市井の蘭学者も限られた情報から近代文明の吸収に励んでいました。
こうした人達がいたからこそ、日本人が適切な時期に徳川幕府に見切りをつけられたわけです。西欧の市民社会とは全く同じではないものの、どこか似たものが日本にもあったと言えるのでは?
儒教圏のマルクス主義は確かにソ連東欧の「科学的」マルクス主義とは異質です。中国もそうですが、北朝鮮にいたっては首領様や将軍様がまるで儒教の聖人のように崇められています。そもそも本当のマルクス主義国家で権力の世襲は有り得ません。
投稿: 舎 亜歴 | 2006年4月 2日 01:41
以前、自分の拙いブログで、歴史認識を考えるスタートとして、「アジアで何故唯一日本だけがいち早く近代化をなし得たか」、そしてその事実が「中華思想ないしは華夷秩序に与えた影響」について知りたいと書きました。
従って、舎 亜歴さんと真魚さんのやり取りを興味深く読ませていただきました。そこで本棚にホコリをかぶっている「文明の生態史観」を取り出して読んでみようかと思っています。同時に内藤湖南の著書も早速図書館で借りてきます。
私は日本も儒教の影響を強く受けていると思っていましたが、それは江戸時代までの事だったのでしょうか?影響はあったとしても朝鮮半島に比べれば小さかったのでしょうか?
またキリスト教の普及度についても日本は朝鮮半島に比べれば小さくて、信徒の数も少ないと聞いていますが、何か関係あるのでしょうか?
投稿: カズ坊@U | 2006年4月 2日 15:48
舎さん、
蘭学者や洋学者の存在が、日本人が幕府を見限らせたことに影響があったとは思えません。やはり、尊皇攘夷ですね。幕藩体制に対するアンチテーゼとして、天皇というものをもってきて、日本人はみな天子の臣であるという考え方を持つことにより、幕府の権威を無力化させたわけです。
むしろ、中産階級の存在が重要だと思います。幕末に活躍した人は下級武士が多かったわけですが、彼らは農民も含めた日本人全体で見れば中産階級であったとも言えますし。それと庄屋や名主といった富農ですね。彼らも全体的に見れば中産階級でしょう。ちなみに、ここから明治になって自由民権運動が生まれます。
蘭学や洋学も含めて、江戸時代後期あたりから、百姓の子なのに学問が好きでやっているとか、下級武士のせがれなのに、やたら外国のことの関心を持っているとか。生活する上では不必要なことなのに、それでも関心があってやっているという奇人変人というか、それ以前の時代では見られなかった新しいタイプの人々が数多く出てきます。平賀源内とか伊能忠敬とか最上徳内、前野良沢、杉田玄白、佐久間象山、間宮林蔵、工藤平助、林子平などです。彼らの存在は、その後の幕末から明治に変わる社会変動の中で大きな意味を持っていました。
江戸時代後期というのは、非常に知的レベルが高かった時代で、その充実が最も高くなっていた時期にペリー艦隊の来航が起きたわけです。だからこそ、日本はWestern Impactの意味を理解できたのかもしれません。これは舎さんが以前書かれていたロシアの民主化において中産階級が大きな役割を果たすことと同じですね。日本は16世紀の信長秀吉の時代に、一度西欧文明と出会っていますが、この時はさほど西欧の意味を理解することなく、すぐ鎖国に入ってしまいます。しかし、その300年後、次に西欧文明と出会った時は、その意味を理解し、すばやく技術を吸収することができたのは、江戸時代という時代に知的に充実した中産階級が育っていたからかなと思います。清朝中国になかったのはこれですね。江戸時代があったから、日本はアジアで唯一欧米文明を理解し、近代化に成功することができたとも言えそうです。
投稿: 真魚 | 2006年4月 4日 03:09
カズ坊@uさん、はじめまして。
日本は儒教文化圏に属していません。つまり、それほど強く儒教の影響を受けていません。まず、奈良・平安時代では儒教は朝廷の数ある学問の中のひとつに過ぎません。鎌倉・室町時代では禅宗文化が中心であって、儒学は臨済五山の禅僧がやっていただけでした。江戸時代になって、幕府が儒教、その中の朱子学を正学としたことで、初めて日本全国に広まりました。日本人の多くが孔子や孟子を知るようになったのは江戸時代からです。江戸時代は識字率が高かったため、庶民でも「論語」を読んでいたようです。
しかしながら、幕府は明や朝鮮をならって朱子学を正学としましたが、科挙制度は導入しませんでした。科挙試験がないというのは、どういうことかといいますと、儒教をかなり自由に解釈できてしまうということなんです。良く言って日本風な解釈、悪く言っていいかげんな解釈というわけです。それと幕府は(江戸時代前期では)朱子学を習うことを強制しませんでした。
元禄から享保の時代の知識人である新井白石も、当然、朱子学者ですが、明や朝鮮の基準で見れば、およそ朱子学者らしからぬ実践的、合理的な思考の人です。同時代の荻生徂徠は、反朱子学ですね。荻生徂徠は朱子学を批判し、今日の人文学のような論理的な文献考証をした人です。伊藤仁斎も同じです。またこれも同じ時代の人ですが室鳩巣も、この人も朱子学者なのですが論理的に物事を考える人でした。
このように、あまりにも朱子学らしからぬ朱子学者ばかりなので、とうとう寛政2年に老中松平定信が、こんなイイカゲンな朱子学をやってはイカンと幕府のおふれを出します。それでようやく本来の朱子学に戻りました。江戸時代後期の話です。
ところが、これでじゃあ明や朝鮮のように、まっとうな朱子学の世の中になった(科挙試験はないですけど)のかといいますど、まったくそうではなくて、庶民の通う私塾では、相変わらず自由闊達な朱子学をやっていました。
大阪に懐徳堂という私塾がありました。ここは学びたい者ならば、武士でも町人でも学ぶことできる塾で、これひとつをとっても身分にうるさい朱子学らしからぬことでした。この塾では、朱子学だけではなく、算術、医術、蘭学もやっていて、ようするになんでもありだったんです。しかし、ここの朱子学の講義は一時期、江戸の昌平坂学問所を超える程だったそうです。それだけレベルが高かったわけです。碁や将棋の本もあったそうですけど。この懐徳堂の学派から、後に富永仲基や山片幡桃が現れます。
つまり、江戸時代は儒教だったんです、儒教だったんですけど、科挙制度がないので、明や朝鮮のようにきっちりした儒教ではなくて、かなり自由奔放な儒教だったんです。そして、その自由奔放な学問のスタイルから日本独自の文化が生まれていったわけです。
では、朝鮮はどうか、これはもう李氏朝鮮は徹頭徹尾儒教です。科挙試験もあります、ガチガチの朱子学です。14世紀から20世紀の日韓併合までずーとそうだったわけです。
キリスト教の普及度の違いについては、話が違って、これはこれで長くなる(笑)ので、また別の機会にさせてください。僕のブログの方で機会があれば書きますので。
投稿: 真魚 | 2006年4月 4日 03:14
カズ坊@Uさん、
返事が遅れて申し訳ありません。答えるべきことは真魚さんが答えてしまいました。
キリスト教の普及の違いについては、明治政府が国家神道を定着させたこととも関係あるのでしょうか?ただ、韓国のキリスト教徒が多数派にはなってませんが。
投稿: 舎 亜歴 | 2006年4月 8日 12:11
真魚さん、
江戸時代について、以前は私も誤解していたところがありました。徳川幕府の政治体制は織田・豊臣時代の重商主義から農本主義へと逆行したり、封建体制を固めたりといったことで時代を後退させたイメージが強くありました。面白いことに、安定のために政治体制を逆行させた徳川幕府の下で、町人すなわち西欧社会の市民階級が経済と文化のうえで大きな役割を担うようになったことです。
皮肉なことに江戸幕府の歴代将軍や幕閣には「信長・秀吉級」の為政者は一人もいませんでした。戦国時代がまさに「英雄の時代」なら、江戸時代は「庶民の時代」と言えます。「バカ殿」を笑えるのは江戸時代ならではで、戦国時代では有り得ません。
外国人は明治維新をmiracleだと言いますが、封建的な幕藩体制の中で庶民の力が著しく伸びてきたからこそ明治の近代化にも対応できたことを見逃しがちです。
投稿: 舎 亜歴 | 2006年4月 9日 23:07