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2007年1月 5日

新年への問いかけ2:ビクトリア女王が東アジア史に残したもの

Queen3 東アジアの近代史で最大の出来事はアヘン戦争である。ビクトリア女王の艦隊が中華帝国を破り、中華秩序は破壊された。中華帝国は大英帝国による自由貿易とロックの自由主義という世界秩序に引き込まれてしまった。アジア諸国民の殆どは西洋文明の衝撃がもたらした本当の意味を理解できなかった。日本人だけがそれを深刻に受けとめた。アジア人が西洋文明を理解できなかった、あるいは理解しようとさえしなかったのはなぜだろうか?

これは東アジアの近代史の根本的な問題である。日本人は中華帝国による平和と安定はもはや続かず、自分達はビクトリア女王の世界秩序に適応する必要があると結論づけた。そのため、日本国民は「脱亜入欧」というコペルニクス的転換を決断した。アジア東海岸沖の排外主義の国民は、突如として拝外主義の国民に変身し、史上例を見ない情熱で西洋的な思考様式を吸収した。最終的には日本自身が欧米列強の仲間入りをしてしまった。このようにして日本国民は自ら暗黒時代から抜け出て行った。明治の近代化以前の日本は独自の洗練された文明を持つという東アジアでは独特の国ではあったが、他とは隔絶した高度な文明国ではなかった。西洋文明の影響に正確な評価を下したことで、日本は他とは隔絶した高度な文明国になれたのである。

他方で中国とアジア近隣諸国は眠りの中にあり、儒教的な世界観に基づいて中華皇帝が天帝の名代として地上を支配する世が続くものと信じて疑わなかった。冊封体制の下では中華皇帝が世界の諸王の上に君臨した。そのため中国はどの国とも対等の関係を持ったことがなかった。朝貢貿易は中国への忠誠の証しであった。近隣諸国の王は自国の産物を中華皇帝に献上し、皇帝からは恩恵の品々を受け取るのであった。 

この中華秩序は近代的な政治経済体制とは相容れないものであった。自由貿易の守護者であった大英帝国こそ東アジアの暗黒時代を象徴するこうした体制を打破する者として最もうってつけであった。ロイヤル・ネービーの砲火によって時代遅れの儒教秩序は吹っ飛ばされてしまった。中国人もアジア人もそれを理解しなかった。列強に征服されたのも当然である。当時は植民地主義の時代であった。

残念なことに日本の戦時中の指導者達はアヘン戦争の教訓を忘れ、大東亜共栄圏の建設などといったことに無駄な労力を注いだ。 

アヘン戦争は今日にも多くのことを示唆している。現在、欧米は中華帝国をグローバル経済に組み込もうとしている。アメリカの政策形成者達もイギリスの経験から多くを学べるだろう。西洋文明の衝撃は現在でも日本とアジアの関係に影響を残している。だからこそ、この問題について何度も考えてみることは重要なのである。

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中国・朝鮮半島&アジア太平洋」カテゴリの記事

コメント

日本ではマイナスイメージが強いですが大英帝国の植民地政策は客観的な価値観に基づくものでした。中国の美術品は欧米に紹介したのも英国です。
日本の植民地支配とは似て非なるものといえましょう。

外国は全て臣下という史上、最も凶悪な中華秩序を王立海軍が打ち砕いたことはアジアの近代化のきっかけといえますね。

投稿: アラメイン伯 | 2007年1月10日 17:05

日本にもバイコフのような人物がいて、朝鮮のシベリアトラを題材に小説でも書いていれば歴史認識で叩かれ続けることもなかったか?

大英帝国について言えば、奴隷貿易の廃止の先頭を切り、イギリス海軍が奴隷商船を拿捕していました。それなのに過去の奴隷貿易でイギリスの首相が謝罪を要求されるのは理不尽です。

アヘン戦争が中華秩序を破壊した意義について、遊就館ではほとんど述べていません。日本のメディアもブログももっとこれについて触れて欲しいです。ちなみに中国や韓国が歴史の相互理解を深めようと言っていますが、そのこと自体は美しい考えです。ただ、アヘン戦争後の対応で自分達の至らなかったところも率直に見直すのでしょうか?日本はこれを問いかけて、相手を試す必要があるのでは?

中国を破るだけならフランスでもロシアでもよかったでしょうが、これらの国では中国から領土を割譲して植民地を拡大するに留まったと思われます。ロック、スミス、リカードの思想を背景に世界最強国として自由貿易を推し進めていたイギリスだからこそ、中国を新しい秩序に引きずり込めました。

投稿: 舎 亜歴 | 2007年1月12日 22:55

  東アジアの儒教文化がいまだに根強く残っているのは、以下のリンクからも容易に窺えますね。

スターバックス「商標パクったろ」→韓国裁判所「韓国じゃスタバなんて有名じゃないから却下」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/898083.html

  「客観的な法秩序<身内可愛さ」という、アジア的やさしさ爆発ですね。マカートニーに三跪九叩頭を要求した乾隆帝の時代と、支那や朝鮮は精神的に全く変わっていません。こういう連中と付き合うのは時間の無駄です。大東亜共栄圏などという幻想は、究極の時間・金・人命の無駄でした。
  あ・・・こんなこと書いている私って嫌韓厨ですかねぇ?(笑)

投稿: ろろ | 2007年1月14日 20:49

ニフティのメンテ作業で返事が遅れました。ろろさんの参照リンクを見ましたが、どこまで本当なんですかね?有名でないという理由で著作権や商標権を侵害されては、これから伸びようとする若手の研究者や芸術家、そしてベンチャー企業は全て泣き寝入りしなければならなくなります。無名な中小企業には大手にはない独自の高度な技術があります。日本の新幹線のレールは中小企業の冶金技術ですし、現在の野球界で人気高騰のメープル製バットを開発したサムバットもカナダの家内工業同然の会社です。この裁判所は自国のこうした企業の著作権や商標も守る気がないのでしょうか?

今の韓国は先進国の仲間入りを政策目標に掲げているはずです。先進国とは、様々の良いアイデアを出せる国です。無名を理由に権利が保証されないなら、先進国入りは無理です。

ただ、この件が本当なら、司法権の独立を象徴しているとは言えるでしょう。どう考えても韓国政府の「先進国入り」という政策に合わない判決だからです。

投稿: 舎 亜歴 | 2007年1月18日 13:33

舎さん、

アヘン戦争そのものが「正しい」のかどうかというと、これは「正しい」ものとは言えないと思いますが。当時、首相になる前のグラッドストンが批判したように、この戦争はほめられたものではないですね。

イギリスは産業革命によって、世界の工場として儲かっていたわけですが、お茶を飲む習慣が、この頃に生まれます。そのお茶を中国から輸入していたわけです。で、中国には何を輸出していたのかというと、イギリスの特産の毛織物は中国人は着ませんから買わない。そのためイギリスは銀で支払うしかなかったわけですが、このためイギリス国内の銀が減っていきます。そこで困ったイギリスは、インドで生産していたアヘンを中国に売るようになったわけです。しかし、アヘンを売るのが「正しい」商売であるわけがありません。これでは、長期的な交易がやがてできなくなり、イギリスにとっても不利益になります。本来ならば、企業努力をして、中国市場で売れる商品を開発して商売をすべきです。それができないのならば銀で支払う以外にないでしょう。それをせずに、麻薬を売るというのは、大英帝国の歴史にとって恥ですね。戦った水兵たちも、イギリス人ではなく、インドで徴兵したインド人です。

もちろん、清朝側にも問題はあります。皇帝の軍隊なんてものは、イギリス軍にはまったくかなわなかったわけです。敗北した後、洋務運動が起こりますが、本質的な問題は何も改革されず、結局、孫文の辛亥革命によって清朝は滅びます。

では、日本はどうであったのか。薩摩は薩英戦争で負け、長州は下関戦争で負けて、西欧文化を導入する方向へ行きます。このへんが清朝中国とは違いますが、国の大きさが違いますから一概には比較できません。

侍であった者たちが、西洋文明と出会い、その威力に驚き、西洋文明を学ぶようになった、それが明治日本である、という筋書きではありません。まあ、福沢諭吉あたりはそういうことを望んでいたんでしょうけど。そうはならなかったですね。つまり、幕藩体制を破壊し、明治国家をつくったのは、尊皇攘夷の情念だったと思います。ようするに、攘夷なんです。西洋の植民地になってたまるものかという意識です。ある意味で、薩長はイギリスの日本を大英帝国の世界経済システムに組み込む」という意志に従ったという国賊ものであったわけです。明治維新のバックにいたのはイギリスです。フランスが援助している徳川幕府を倒し、親英的な政府を日本に作ろうというイギリスの対アジア戦略です。

しかしながら、薩長がそれに従ったのは、それはそれで、あの時代ですからやむを得ないと思います。重要なことは、イギリスが世界を支配していることを知り、そのシステムの中に組み込まれながらも、日本は日本であるということを貫いたということです。明治日本は西洋の技術は導入しましたが、社会理念は導入していません。自由民権運動がありましたけど、帝国議会ができるとそれもすぐになくなってしまいました。いわゆる和魂洋才ですね。脱亜入欧でありながら、和魂洋才であったのが明治日本です。

投稿: 真魚 | 2007年3月11日 23:53

アヘンを売りつけたことは好ましくはないのですが、あのまま中国が東アジアで独自の世界を維持し続けることが望ましかったでしょうか?当時の中国は世界でも最大規模の経済大国でした。世界の工業生産に占める中国の割合は1800年に33.0%で1位、1830年には30.0%で1位、1860年には19.7%で2位でした(Joseph Nye, “Bound to Lead”, p.55)。これほど巨大な国が近代的国際体制の枠外にあることがどれほど不自然だったでしょうか?中国をウェストファリア体制と自由貿易に組み入れることが世界の利益になったことは明らかです。

また商品の需要で言えば、輸入国にも輸出国の水準になってもらわないと創出できないところがあります。巨大市場を開放して、例えば鉄道でも敷設しようとすればそれに関連する当時のハイテク産業が怒涛のように進出できるわけです。

日本について言えば、近代化の初期は「強制的な啓蒙化」であったと私は考えています。古い慣習を力づくでも変えさせるという政策はロシア、プロシアといった後発国でとられました。日本をモデルとしたトルコ、イランでも同様です。国民の自覚が高まってからは大正デモクラシーが高まりましたし、これは戦後レジーム・チェンジの促進要因にもなりました。

ファシズムの時代はこうした進化の道筋を外れた間違いと例外の時代と私は考えています。そもそも天皇をあそこまで神格化したのはあの時代だけであり、明治近代化路線では天皇は有効利用されました。近代化以前の日本の歴史を見ても、関白や将軍に代表される為政者があの時代ほど天皇を神格化したでしょうか?

日本の文化を維持したのは当然です。しかし「力による啓蒙化」から民衆による啓蒙化といった進化は確実に起こりました。

投稿: 舎 亜歴 | 2007年3月19日 01:02

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