英米の覇権を哲学から考える
バートランド・ラッセル著 “A History of Western Philosophy”
正直なところ、私は哲学に関して全くの素人である。しかし19世紀より世界の自由主義の王者として君臨してきた英米の覇権を理解するうえで哲学的な背景を理解する必要があるのではと思えるようになった。パックス・ブリタニカとパックス・アメリカーナを哲学から理解するにはバートランド・ラッセル著の“A History of Western Philosophy“を推薦したい。なぜか?それはこれから説明し、その著書に関しても手短にコメントしたい。
私がロンドン・スクール・オブ・エコノミックスの大学院に在学時の主要テーマは覇権安定論であった。アメリカの政治経済学者チャールズ・キンドルバーガー氏とロバート・ギルピン氏はこの理論を基に自由主義秩序が戦間期に崩壊した原因を考察し、イギリスの国力が低下する一方でアメリカが新たな覇権国家としての責務を果たそうとしなかったことが世界大恐慌と第二次世界大戦につながったと結論づけた。
現在、私はニール・ファーガソン著の“Empire: The Rise and Demise of the British World Order and the Lessons for Global Power” と“Colossus: The Rise and Fall of the American Empire” に加えてロバート・ケーガン著の“Dangerous Nation“という3冊の歴史的洞察力に富む著書を読んでいる。そうした著書を読むうちに、イギリスとアメリカの覇権において道徳面でのリーダーシップが私の想像よりももっと重要なものであると理解し始めるようになった。“A History of Western Philosophy”では両覇権国家の哲学的な拠り所について基本的でしかも深く掘り下げて論じている。
ハーバード大学のニール・ファーガソン教授は奴隷制度の廃止でイギリスがリーダーシップを発揮したことを述べている。ロックの啓蒙主義に基づき、大英帝国首相の座にあったパーマストン卿はイギリスには道徳、社会、政治のいずれにおいても文明の指導者という特別な役割があると主張した。パーマストン首相は奴隷貿易を阻むために砲艦を差し向けたばかりか、ベルギー、ギリシア、イタリア、ポーランド、イベリア半島での自由主義運動も支援した。カーネギー国際平和財団のロバート・ケーガン上級研究員はアメリカが拡張主義外交を推し進めるうえで自由主義の理念がどのように強力な武器となったかを詳細に述べている。“A History of Western Philosophy”で近代イギリスの哲学者について参照すれば、大英帝国とアメリカ合衆国による「慈善的な帝国主義」のイデオロギー的基盤を理解するえで役立つ。
歴史を通じて数多くの超大国が出現した。しかしその殆どは人類の進歩と福祉のための普遍的理念を持っていなかった。大英帝国とアメリカ合衆国は歴史上の他の帝国とは全く異質の存在なのである。歴史上の超大国を数例ほど取り上げて、こうした国による世界秩序と英米両帝国による自由主義秩序がどれほど違うものか述べてみたい。
まず世界史上初のグロ-バル帝国となったスペイン帝国について述べる。スペインは大英帝国と現代のアメリカとは似ても似つかぬ超大国であった。スペイン建国の基になったのは「レコンキスタ」であり、イベリア半島のキリスト教徒がイスラム教徒より祖国を取り戻そうという情熱がこれを突き動かした。それは一種の十字軍であった。歴代のスペイン国王は宗教的情熱が強過ぎて非寛容的なカトリック主義政策を追求していった。本国ではイスラム教徒、ユダヤ教徒、そしてプロテスタントが悪名高き異端審問の弾圧を受けた。ハプスブルグ家よりカルロス1世が王位に就くとスペインはカトリックの守護者を自認するようになり、プロテスタントへの弾圧はさらに激しくなった。フランシスコ・ピサロとヘルナン・コルテスがアメリカ大陸で現地の文明を抹殺したもの何ら不思議ではない。
もう一つの超大国として中国を挙げる。歴史を通じて中華帝国は周辺アジア諸国ばかりかインドからヨーロッパにいたる諸国に対しても圧倒的な経済力と軍事力を誇ってきた。主人を敬うという儒教の理論を利用して、歴代の中華皇帝は内政でも外交でも権威主義的なヒエラルヒーを押し付けてきた。自らを天帝より遣わされた地上の支配者と位置付ける歴代の皇帝は、アヘン戦争でイギリスに敗北するまで諸外国の「夷荻」の王を見下し続けてきた。イギリスは東洋の巨龍をロック、スミス、リカードの理念に基づく新しい秩序に引きずり込むことに成功した。中華秩序は自由とか普遍的という概念とは程遠いものであった。
イギリスとアメリカとは違ってスペインにも中国にも道徳面でのリーダーシップがとれるだけの知的基盤がなかった。その他の歴史上の大国も同様である。“A History of Western Philosophy”では西洋哲学の進化をギリシア文明の初期から眺めている。バートランド・ラッセルはギリシアで哲学がどのように始まったかを述べている。また西洋哲学の進化の背景を歴史的視点からも分析している。近代自由主義については、商工業に従事した中産階級の役割を述べている。さらに初期の自由主義が勃興する市民階級を反映して楽観的で活力に満ち、哲学的であったと指摘している。これはイギリスとアメリカの拡張主義を理解するうえで押さえておくべきポイントで、こうして自信に満ちた自由主義が世界の覇権国家となった両国の外交政策に大きな影響を及ぼすからである。この本は大変な分量なので、全てを読みこなすのは難しい。それでなくても素人が哲学の考え方と専門用語に慣れるのは大変なことである。この本を偉大な思想の百科事典として利用すれば、現在の世界情勢をより深く理解するうえで役立つであろう。
この記事で挙げた文献については別の機会にもっと詳しく取り上げたい。冒頭で述べたように私は哲学に関して全くの素人なので、この分野に詳しい者からコメントいただくとあいがたい。道徳面でのリーダーシップはアメリカ外交の重要課題、中でも対テロ戦争と民主主義の拡大ではきわめて大きな地位を占める。必要な“A History of Western Philosophy”を参照し、将来を形成する基本的な思想を理解することができる
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哲学は大学でしかやっていませんでしたが、英米には根本的な違いが一つありますね。それは、「ジョン=ロックの理論を社会運営に取り入れているか」です。
ロックの思想というのは、根っこはルソーに近い国民主権です。「市民政府二論」などで、革命権を説いているところにその徴候が見えます。
これが名誉革命の原動力になったといいますが、ロックの理論はそれほど権利章典に反映されていません。もっともこれを反映しているのは、アメリカ合衆国独立宣言です。
>すべての人間は平等につくられている。
>創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を
>含むある侵すべからざる権利を与えられている。
>これらの権利を確実なものとするために、
>人は政府という機関をもつ。その正当な権力は
>被統治者の同意に基づいている。
>いかなる形態であれ政府がこれらの目的にとって
>破壊的となるときには、それを改めまたは廃止し、
>新たな政府を設立し、人民にとってその安全と
>幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える仕方で
>その政府の基礎を据え、その権力を組織することは、
>人民の権利である。
とまあ、ここだけ見ると、共産主義国の憲法としても通用してしまいそうです。要するに、アメリカは白紙の状態から作ることができた国なので、王室という「権威」に配慮する必要がなかったのです。
英米法というカテゴライズをすることがありますが、アメリカは国内的にはフランスに近いというのが私の印象です。その大本は、ロックの哲学を取り入れているところが大きいのだと思います。
アメリカの社会運動(例えば反タバコ運動)はどうも極端で、行き着くところまで行かないと終結しないという特徴があります。これは、フランスなど大陸国家における、反対派の絶滅行為に近いものがあると思います。権威や伝統の重石がないから、極端になってしまうのでしょう。
私が、アメリカは怖いなと思うのは、そういう論理故です。
投稿: ろろ | 2007年2月28日 13:56
初めてブログを拝見させていただきました。
イギリスの大学院に行かれていたんですね。
それだけ優秀な頭脳を持っていて、なぜここまで無批判に親英米的になれるのでしょうか。
アメリカとイギリスが「人類の進歩と福祉のための普遍的理念」を持ち、「慈善的な帝国主義」のもと活動しているとは私には全く感じることができません。
アメリカやイギリスの大学院に行った日本人は親英米的になって帰国し、日本の政策に英米的な手法を取り組もうとする傾向が見られます。
私にはそれが理解できません。
日本の伝統をあなたのような人が無自覚に破壊し、英米に加担することで世界の平和を崩すのです。
もし貴方様がアメリカとイギリスを擁護なさるのなら、アメリカとイギリスがこれまで世界の何に貢献してきたのか具体的に上げていただきたいです。
失礼いたしました。
投稿: | 2007年3月 1日 01:00
すべてが正しかったわけではないけど、英国の植民地支配は客観的な合理性があったと思います。
その証拠に旧植民地のほとんどはイギリス連邦の加盟国です。
ファシズムもダメ。共産主義もダメ。日本的な官僚主導も行き詰まり、北欧の重福祉も斜陽とあっては、やはり英米的な自由主義が正しいと思います。
自由と民主主義と市場経済を世界にひろめた、それが客観的合理主義に基づく慈善的な帝国主義ではないでしょうか?
投稿: アラメイン伯 | 2007年3月 2日 23:35
客観的な合理性があったから旧植民地のほとんどはイギリス連邦の加盟国というのには疑問があります。
ただ単にイギリスが侵略していった結果でしょう。
英米的な自由主義が世界に広まったのは武力を背景にしているわけです。
そのどこが「慈善的」な帝国主義といえるのでしょうか。
そんなのは、慈善ではなくただの欺瞞です。
そもそも、自由と民主主義と市場経済が世界を幸せにしたのでしょうか。
幸せなのは英米のような帝国だけではないでしょうか。
世界の人々が反英米的な態度を取るのも、自分たちの生活が英米によってねじ曲げられていると思っているからです。
現状を追認したり、強者におもねったり、長いものに巻かれたりすることは誰にでも出来ます。
しかし、それは安易な妥協であり、逃げであり、自ら考えることを放棄した行為でしかありません。
今の現状に目をつぶり、英米の良い面だけを声高に主張する英米のスポークスマンと化すことに対し、本当に誇りを持てているのか本当に疑問です。
投稿: Re:アラメイン伯 | 2007年3月 3日 00:29
ろろさん、
アメリカが思想的に極端な揺れがあるというのは日高義樹が「アメリカ国粋主義」(90年代初期の本なので、もう絶版と思いますが)で述べています。イギリス本国と英連邦白人自治領のように王室がbuilt in stabiliser(ここはBritishなスペルで)として機能するわけではなかったので。現在でも差別用語の排斥というPC(politically correct)運動が行き過ぎると、あえて差別用語を堂々と使うpolitically incorrectの運動が台頭する始末です。
フランスとの類似?フランスは革命後の政情が安定せず、結局は恐怖政治を経てナポレオンのような独裁者に国を委ねたり、ウィーン会議以降は王政が復古したりといった有り様です。実際に、神聖同盟の一員として大陸の反動王政国家の一員となったフランスを警戒したアメリカは、その後は同じ自由の国であるイギリスに接近しています。現在でもフランスは「自由、平等、博愛」の理念がどこへ行ったのかというほどの官僚国家です。アレクシス・ド・トックビルが名著を残せたのも、こうしたフランス出身だからこそアメリカの自由と民主主義の新鮮さに感動したからではないかと思えてきます。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年3月 3日 01:54
僕はアラメイン伯さんの意見に同意しますね。確かに色々問題はあるけれど、こうやってネット上で論戦ができるのは自由、民主主義、市場経済の恩恵だと信じています。例えば経済は市場化しているけれど政治的な自由がない中国じゃこんな事できないでしょう?
投稿: 悩める青年 | 2007年3月 3日 01:57
_さん、
せめてハンドルネームぐらい記してコメントしていただけませんか?できれば投稿者名をそちらのブログかホームページにリンクして。どこの誰かわからないで返信するブロガーはそう多くないと思います。
貴方は右翼ですか左翼ですか?国粋主義者ですか、大アジア主義者ですか?一体、日本人ですか、アジア人ですか?
一つだけ返答させていただきます。私は長いものに巻かれろ思考で議論はしていません。日本人としての誇りを込めて議論していることを理解していただくために、「新年への問いかけ2:ビクトリア女王が東アジア史に残したもの」を参照してください。日本人は自らの強い意志でコペルニス的転換をはかり、中華秩序とはバッサリと決別したのです。
URLはhttp://newglobal-america.tea-nifty.com/shahalexander/2007/01/post_f588.html
ところでそちらのa@yaho.co.jpというメールアドレスは本当に使えるアドレスですか?ともかく、コメントする以上は名乗りぐらいあげて下さい。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年3月 3日 02:27
悩める青年さん、
貴方のコメントに同意します。また宜しくお願いします。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年3月 3日 02:31
舎さん、
西洋文明が人類社会を覆うようになったのは、西洋の思想・哲学が道徳的に優れていたからというのは、輝けるビクトリア王朝時代の大英帝国というか、19世紀のヨーロッパ人の考え方です。20世紀になって、第一次世界大戦が起こり、ヨーロッパの知識人たちは、なぜこれほどの大戦争がヨーロッパで起きたのかということを考えるようになり、例えばトーマス・マンなども西洋文明の限界を論じています。オスヴァルト・シュペングラーの『西洋の没落』が出版されたのもこの時代です。この時代あたりから、ヨーロッパの知識人の東洋志向や社会主義礼賛が生まれてきます。大ざっぱに言えば、19世紀は西欧の理念が最も正しく、全人類の共通の価値観であり、共通の目標でもあるという考え方でしたが、20世紀になって、こうした考え方はethnocentrismでしかないと考えるようになっています。現代ではフランスでは、モダニズムそのものが批判されていますし、イギリスのアーノルド・トインビーにしても、文化相対主義の影響が濃厚にあります。つまり、今のヨーロッパの現代思想はポスト西欧中心主義とも言うべきものになっています。
例えば、イギリスのインド統治は正しかったのかというと、ガンジーやネルーやチャンドラ・ボースならばイギリスは悪であるの一言でしょうけど、実際のところ様々な側面があり一概には言えません。一概には言えないので、(カンタンに言うと)20世紀になって「西洋の価値観が優れていたから正しかったと言うことはもうやめよう」となったわけです。何度も繰り返しますが、ヨーロッパ人自身がそういうように考えるようになった、ということです。今の英米のポストコロニアル運動にも、そうした背景があります。
ましてや21世紀の今日、西欧の思想・哲学が世界で最も道徳的に優れていたため、イギリスと、その後アメリカが世界の覇権国になったとセオリーとして考えている欧米の知識人はいないのではないかと思います。ホンネではそう思っているでしょうけど、それは自分の国の文化が一番いいと思っているようなもので、どの国の人も同じです。今の時代、欧米で、心の中でそう思っているだけではなく、堂々と全世界に向かって公言しているのは、アメリカのネオコンぐらいですね。まあ、Robert Kaganなら、そういうことを言うでしょう。
つまり、何がいいたいのかと言いますと、今の欧米ではすでに西洋中心主義史観は、とうの昔に終わっている(except neoconservatismの人々)ということです。
歴史的に言えば、もともとローマの植民地であり、弱小の文化圏でしかなかったヨーロッパが、強大なオスマン帝国に勝利したのは、16世紀に、後に軍事革命と呼ばれる「鉄砲の発達」「要塞構築技術の進歩」「軍制の改革」があったからとされています。なぜ、ヨーロッパ人はこれほどまでに異常に軍事技術の改革に熱心であったのかというと、ハプスブルク家によるオーストリア継承戦争や、新教と旧教の対立など、あの狭いヨーロッパの中で戦争につぐ戦争を繰り返していたからです。そうした戦乱の中で進歩していった軍事技術が、イスラムと戦い、これに勝利し、その後、地球上の他の諸民族を殺戮するようになったわけです。
この「殺戮」の良し悪しを言えば、悪であったことは当然です。しかし、歴史的に言えば、ゲルマン人たちも、かつてローマやモンゴルやイスラムに殺戮されてきました。人類は、その長い歴史の中で、お互いに殺し合ってきたというのが歴然たる事実です。だからこそ、今のヨーロッパはカントの永久平和の理念を掲げているわけです。これに対して、Kaganはホッブスの間違った解釈をもとにして国際社会を論じていると思います。
投稿: 真魚 | 2007年3月 3日 13:17
真魚さん、久しぶりです。そちらのブログがお休みなので、どうしているのかなと思っていたところです。
まず誤解を説かねばなりませんが、私の議論ではethnocentrismは極力排しています。スペインの異端審問にせよ、新大陸での現地文明の抹殺にせよ、あるいは中華思想に基づく冊封体制にせよ、こうした思想と行動は排除されるべきもの以外の何物でもありません。
歴史上、数多くの世界帝国が出現しましたが、大英帝国とアメリカ合衆国だけが自由主義と啓蒙思想という人類普遍の理念に基づく世界秩序を築きあげてきました。列強の中でもドイツやロシアなどは植民地の弱小民族に西洋文明を押し付けただけでしたし、フランスも「liberte, egalite, fraternite」の理念を外交政策に充分に反映させたとは言えません。次いでに言えば、覇権安定理論(theory of hegemonic stability)の根拠はパックス・ブリタニカとパックス・アメリカーナなので、多極化あるいは中国の台頭が進行すると極めて不安定で危険な世界になってしまいます。
トインビーもさることながら、同じくイギリスの歴史学者として私はNiall Fergusonに言及しています。これまでも幾度かこのブログでファーガソンを取り上げていますが、アメリカ人のネオコン以上に合衆国の特別な役割を主張しています。植民地帝国であったビクトリア朝のイギリスと比べると、「共和国へのとらわれ」があるアメリカは覇権国家としてもう一つ押しが足りないと議論しています。
いずれにせよ自由と啓蒙の思想はたかだか西洋文明という小さな枠組みをはるかに超越したものです。そうでなければ、独裁者達が自己正当化に利用する「アジアの価値観」などといった怪しげな理念(というより言い訳)を認めることになります。
もちろん、西洋文明が自らを批判的に省みる必要はあります。いつの時代もどの民族もそうして進歩してきたので。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年3月 4日 01:56
舎 亜歴 様にまったく同感です。
やはり私はイギリス連邦という存在が過去にあった世界帝国とはイギリスの植民地支配が違う証拠だと思います。スペインの植民地や中国の冊封国で同じような存在はないでしょう。
形式的とはいえ英連邦の国々のなかには英国王を国家元首とする国さえあります。このような例は他にはないです。
ただ単に軍事力で侵略したのなら独立したら英国と縁を切ればいいはず。
イギリスやアメリカのもたらした自由主義という思想が普遍的客観的価値を持つ証拠だと思います。
投稿: アラメイン伯 | 2007年3月 4日 11:16
舎さん、
舎さんに言うまでもありませんが、覇権論は、ある一国の覇権国が世界を管理すれば、世の中は安定していると考えます。しかし、その欠点は、世界を管理し統治するコストが厖大なものになり、やがて覇権国はそのコストを賄えなくなって崩壊し、逆に世界が不安定になるということです。従って、もっかの世界覇権国であるアメリカの同盟国は、アメリカを支え、そのコストをshareしよう。それが世界を安定させる唯一の方法であり、そうしたことを行ってこそ、アメリカ及びアメリカの同盟国は世界から信頼を得ることができる。それが国家の威信である、と、考えるのだと思います。この考え方については、こうした考え方はあると私は思います。
イギリスはパックス・ブリタニカ一直線に進み、アメリカはパックス・アメリカーナであろうとしたり、そうでなかったりしているのは、やはり、イギリスとアメリカの違いですね。アメリカにはモンロー主義がありましたし、そもそもイギリスような世界帝国にはならない、アメリカは共和国であるという考え方がグラスルーツにはあります。イギリスから見て、アメリカがどうも世界帝国として煮えきれないところがあるのは、そこですね。
自由と啓蒙の思想は人類普遍の価値であると考えるのが近代以後のヨーロッパであり、アメリカ(カンタンに言って英米)であるわけですが、歴史的に見ると、インド、中国、イスラムにそれが通用したとは思えません。イギリスはインドを長く統治しましたが、インドに近代ヨーロッパの社会意識が根付いたわけではありませんし、中国にしてもそうです。中近東については、言うまでもありません。このへん、西洋文明より以前の古代の文明の地であった地域には通用しないものがあるようです。
しかし、「通用しないものがある」であったとしても、このグローバルでボーダーレスな時代に、通用しないので無理矢理押しつけることはやめよう、で終わりになる話ではありません。だからこそ、ややこしくなるわけです。そして、このややこしさの中で、パックス・アメリカーナに同盟しようと、しまいと、インドでもなく、中国でもなく、イスラムでもなく、日本、それも1945年以後の戦後日本の我々は、近代ヨーロッパの思想が人類普遍の価値であると信じざる得ません。
前のコメントの中で「名無しさん」が書いていた。
>>そもそも、自由と民主主義と市場経済が世界を幸せにしたのでしょうか。
幸せなのは英米のような帝国だけではないでしょうか。
世界の人々が反英米的な態度を取るのも、自分たちの生活が英米によってねじ曲げられていると思っているからです。<<
というのは、確かにそうしたことは言えると思います。戦前の昭和に総理大臣を務めた近衛文麿も「英米本位の平和主義を排す」という一文を書いています。戦前の日本にとって、英米というのは自分勝手で、お節介な連中でした。今の時代でも、英米以外の国々にとって、英米というのは自分本位で勝手な連中に見えるでしょう。そして、その全世界から迷惑な連中だと思われている側でも、ヨーロッパの知識人はそれがいいとは思っていませんし、アメリカの保守の人々も、なんで外国に関わるんだと思っているでしょう(こだわるようですが、ネオコンは除きます)(笑)。
しかしながら、その一方で、誰かが(どこかの国が)人類社会のグローバル・スタンダードを作り、管理し、維持していかなくては、この世界は成り立たないのも事実です。今のところ、それができるのはアメリカ合衆国以外にありません。アメリカが世界覇権国であることのリスクとコストを背負っているということは理解すべきだと思います。今でも、イラクではアメリカの若者が死んでいるわけです。これは共和党のやっていることが間違っているからなのですが、それはそれとして、そもそも、なぜアメリカの若者が中近東で死ななくてならないのか。それを日本はもっと考えるべきです。
とまあ、人様のブログで長々書いていますね。
投稿: 真魚 | 2007年3月 4日 12:49
初めに申し上げておきますが、ちょっと長くなります。
>現在でもフランスは「自由、平等、博愛」の理念が
>どこへ行ったのかというほどの官僚国家です。
フランスがいくら破壊主義的な国といっても、土地が限られている欧州の国であることからは逃れられません。ルソーの哲学を実践してしまったら、空中分解するに決まっています。権威主義的な官僚が資源分配する必要があってそうなったのでしょう。
国際政治学の範疇ではないのかもしれませんが、アメリカ社会に、権威の重石がない危うさは感じませんかね。訴訟社会である点や、中絶に対するリベラル対右翼の対立が激しい点など見ても、アメリカはホッブスが怖れた「万人の万人に対する闘争」状態の社会です。
ロックやルソーの哲学は、他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい、かけたとしても市民社会のルールに照らして黒白つければいいというものです。女王やジェントリがいて貴族院があって、階級の違いを肯定しているイギリス社会のそれではありません。
ただ、そのようなあやうい状態は、同時にアメリカの強さでもあったわけです。なぜなら、抽象化されたルールを守る人間は、リスク管理さえ自分で出来れば、誰でもそこに参加できたからです。そのおかげで優秀な移民が集まりました。ロシア移民やユダヤ移民がいなかったら、今のアメリカはありません。アメリカには、そういう人たちを受け容れる隙間がたくさんありました。土地が十分にあったことと、権威や伝統が存在しなかったことがそれです。
もっとも、そういう国のやり方やルールを、日本のような重層的な文化を持つ国に一方的に押しつけないでいただきたいとは思いますね。舎さんにこう言うことをいうと、「国際社会で生き残るためにはアングロサクソン的なルールを身体に叩き込まなければいけない」「あなたはパックスアメリカーナのもたらす自由と民主主義という価値観に異論を挟むのか?」と反論されるのかも知れませんが・・・私はパックスアメリカーナはちゃんと評価していますよ。しかし、だからといって残業代がゼロになったり、法人税を払わず設備投資もしない金融資本に自分の会社を支配されるのは嫌です。
せっかくのお考えを伝えたい時に、こういう書込をする輩がいて、もどかしいとは思いますが、どうしても発言しておきたいと思い書かせていただきました。失礼します。
投稿: ろろ | 2007年3月 5日 06:30
ろろさん、
はじめまして。横から割り込むようですが、一言コメントさせてください。
ここで舎さんが提起しているのは、あえて解釈すると、かつてフランシス・フクヤマが「歴史の終わり」で論じた最終政治体制としてのリベラル・デモクラシーだと思います。
アングロ・サクソン的な自由主義では、ろろさんが書かれたように、個人がなにやってもいいんだ、ということだと思います。ということは、イコール、他人の生活や財産に干渉しない、つまり、他人に迷惑をかけないということで、まさにロックの自由とは、ろろさんが言われるように「他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい、かけたとしても市民社会のルールに照らして黒白つければいい」というものです。これに対して、フクヤマはドイツ観念論をもってくるわけです。カンタンに言うと、個人は自分の財産獲得や安全を求めるだけではなく、公共での市民としてお互いがお互いを認め合うことが必要じゃあないですか、ということです。また、ヘーゲルの(これも大ざっぱに言っていますけど)人は尊厳を持つ者として自分を認めて欲しいという気概を持つ、そのためには時として人は自分の生命財産を否定することすらするという考えをもってきます。だからこそ、自由な個人として自分を認めてくれる民主的な社会があるべき社会の姿なのだとしています。最終政治体制としてのリベラル・デモクラシーの社会とは、ヨーロッパも含めていまだ実現していません。そうしたリベラル・デモクラシーの社会へ向かって社会は進化しているのだ、ということです。
もちろん、リベラル・デモクラシーが最終政治体制であるとするのは、コジェーブの解釈によるヘーゲルを学んだフクヤマの解釈であす。例えば、イスラムやインドや中国では、そうは考えないでしょう。もともと、フクヤマの念頭にあったのは、社会主義思想だと思います。フクヤマの議論は、冷戦の終焉をリベラル・デモクラシーの勝利と理解したことから始まっていますから、イスラムや中国の存在は見ていないと思います。
つまり、21世紀の今、社会主義思想とは異なるイスラムやインドや中国という非西洋文明圏でありながらも、国際社会に大きな影響力を持つパワーが出現してきて、そこで、今後、欧米のリベラル・デモクラシーの理念はどうなるのかということです。フクヤマが言うように、それは本当に最終の政治体制なのか、ということだと思います。
で、ですね、上記に述べた最終の政治体制(かもしれない)リベラル・デモクラシーと、ろろさんが言われる「残業代がゼロになったり、法人税を払わず設備投資もしない金融資本に自分の会社を支配される」といった、いわゆる(おおざっぱに言うと)グローバリゼーションの問題とは別だと私は思います。パックスアメリカーナだから、アメリカの慣習や制度が、そのまま日本に無理矢理に導入させられるというわけではありません。それは、アメリカからの年次改革要望書などを無批判にハイハイと受け入れる今の日本の政治の問題です。日本はアメリカの同盟国であり、パックスアメリカーナを支持する、ということと、アメリカの議会や国務省や国防総省の言うことをハイハイと聞くということは関係ありません。今の日本がそうなっているのは、日本の政治家と官僚とマスコミと御用学者の問題なのです。
舎さんが常々このブログで主張されているのは、上に述べたように、社会主義思想とは異なるイスラムやインドや中国が台頭してくるアジアの中で、欧米のリベラル・デモクラシーの理念を共有する日本は、そのことをもっと自覚せよ、ということだと思います。日本というのは、国内にいるとわからないですけど、外国から見ると、英米の同盟国であるということは、英米の社会理念を共有する国であるということです。つまり、日本は欧米のリベラル・デモクラシーの理念を持つ国なのです。では、それに見合ったことを日本は行っているのか、ということだと思います。それはGHQが戦後日本に押しつけた理念であって、日本人が自ら選択した理念ではないという議論もありますが、GHQに押しつけられたものであったにせよ、なかったにせよ、そもそも戦後の日本は、そうした理念や思想のレベルで政治や外交を考えることをしていません。アメリカにただ従属することが同盟国なのだと勘違いをしているのです。これは本来の同盟国の姿ではありません。
投稿: 真魚 | 2007年3月 6日 03:13
>日本はアメリカの同盟国であり、パックスアメリカーナを支持する、>ということと、アメリカの議会や国務省や国防総省の言うことをハイ>ハイと聞くということは関係ありません。今の日本がそうなっている>のは、日本の政治家と官僚とマスコミと御用学者の問題なのです。
なるほど、確かにそうですね。同盟国でありながらグローバリゼーションを拒絶している国はいくらでもありますね。
国際関係というのは、自分の手持ちのカードを使っていかに相手国(ここでは米国)とのポーカーを楽しむかというところなのですが、日本の場合はそもそもポーカーをやる前からチップを相手に渡しているような節があります。交渉の放棄ということです。戦後の「外国人=やさしい人たち」的教育が尾を引いているのでしょう。困ったものですね。
繰り返しますが、私はパックス・アメリカーナの価値は認めています。
フランシス福山がヘーゲルを取り入れているとは知りませんでした。まあ、だからといって、アメリカ合衆国の政治が、ヘーゲルのいわゆる「絶対精神」の体現だというのも変な話ですが。
投稿: ろろ | 2007年3月 6日 13:50
アラメイン伯さん、
イギリス連邦については、戦前のウェストミンスター憲章では白人自治領による王冠への忠誠が前提になっていましたが、戦後にインドをはじめアジア・アフリカ諸国が独立するようになると本国と対等な独立国の集合になりました。そのインドも独立後の数年間は自治領の形式をとって共和制に移行しました。
興味深いのは、オマーンのように独立後もイギリスと政治的あるいは軍事的なつながりが強いのにもかかわらず英連邦に加盟していないという例です。ミャンマーのような社会主義国なら、英連邦を離脱しても不思議はないのですが。
現在のジンバブエやアミン時代のウガンダのように英連邦に加盟していながらイギリスと対立した例もあります。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年3月11日 10:40
ろろさん、
何やら真魚さんに私の言いたいことを私よりもっと洗練された議論をされてしまったので、そちらの方にはこれ以上深くコメントしようがありません。
ところで、この記事に出てきた覇権安定理論ですが、元々はチャールズ・キンドルバーガーが経済学者として戦間期に大恐慌がおこり自由貿易体制が崩壊した原因を分析したものです。記事中にもある通り、自由貿易体制を維持すべくイギリスの国力低下とアメリカの孤立主義によって「国際的公共財」を提供できる者がいなくなったことを批判的に述べています。
この理論では、覇権国家が自由貿易体制を維持するために充分な国力があり、かつそのために自らの国力を投じて平和と安定という国際的公共財を提供することが自らの国益だと見なした場合に世界は平和と繁栄を謳歌できるということです。しかし覇権国家が公共財を提供する国力も意志もなくなってしまうと世界は混沌としてきます。
このように元々は経済の側面から議論された理論ですが、やがて安全保障や科学、情報、思想、理念など他の分野にも広がって議論されるようになりました。
他方で覇権国家が国益中心主義に走る際の危険についても述べているので、_さんがコメントしたように無条件で英米を賛美する理論だというのは全くの筋違いです。
そうした観点から言うと、最近の米朝交渉は気になります。あんな国を相手に譲歩しすぎでは?日本のマスコミが言うようなイラクにとらわれて北朝鮮対策の余力がないでは覇権国家の責務が問われます。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年3月11日 11:51
真魚さん、
真魚さんのコメントにいくつか問いかけたいことがあります。
1)<<アメリカの保守の人々も、なんで外国に関わるんだと思っているでしょう(こだわるようですが、ネオコンは除きます)(笑)。>>
この保守主義とは第二次大戦直前の保守主義のように聞こえてきます。もちろん、現代でもパトリック・ブキャナンのような人物もいますが、9-11以降の世界では通用しない考え方なのは真魚さんも承知の通りです。イラクやアフガニスタンでの徹底討伐を叫んでいるのはネオコンばかりではありません。そもそもチェーニーやラムズフェルドはネオコンではありませんし、グラスルーツの保守主義者に戦争支持の運動は根強いです。また、いつの時代のどの国にもjingoistが存在します。ただただ自分の国が勝つことに純粋な喜びを感じる人達で、そこにはイデオロギーも何も全くありません。真魚さんが言うほどネオコンは例外的な存在でしょうか?
2)ネオコンは特異な思考の持ち主か?
大英帝国のパーマストン卿やローズベリー伯爵の帝国主義政策はネオコンにそっくりです。両者の思想が同じ系統から出ているわけでもないのにです。アメリカでもセオドア・ローズベルトやウッドロー・ウィルソンが今日のネオコンを思わせる政策をとりましたが、両大統領ともアービング・クリストルやレオ・ストラウスよりはるかに昔の人物です。真魚さんが常々言うほどネオコンは特異でしょうか?
合衆国が合衆国である以上、特定の人脈の影響力がどうあれネオコンに似た政策がとられるはずです。
3)日本にとって望ましい相手はネオコンでは?
北朝鮮との合意は日本を不安にさせています。覇権国家として毅然とした態度を主張するネオコンこそ日本の政府と国民にとって最大の味方ではないでしょうか?
4)<>
そもそも戦後に押し付けられたかどうかの議論が無意味だと私は考えています。以前の記事「新年への問いかけ2:ビクトリア女王が東アジア史に残したもの」で述べたように、アヘン戦争を機に自らの意志で積極的に英米の世界秩序に飛び込んだのが日本人です。以下のリンク。
http://newglobal-america.tea-nifty.com/shahalexander/2007/01/post_f588.html
ちなみに、このところ政治家や言論人が日本の根本的なあり方を議論していますが、誰もこのことに触れようとしないことにもどかしさを感じています。
そうした観点から言えば第二次大戦の「鬼畜米英」路線は一時的なもので、戦後のレジーム・チェンジは近代国家日本の本来の姿に戻ったに他なりません。
5)ロバート・ケーガンはホッブス(あるいは他の哲学者でも)を誤解している?
どのように?これまで真魚さんが数度言ってきたことですが、もう少し具体的に説明してもらえれば。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年3月11日 12:37
舎さん、
ブッシュはいまや国内の保守主義から見放されつつあります。真の保守主義とはなにか。私は67年の大統領選挙で負けたゴールドウォーター共和党議員こそ保守主義であったと思います。この保守主義支持者の人々がニクソンを支持し、レーガンによる保守革命が起こり、94年の中間選挙でのギングリッジの「アメリカとの契約」による共和党の議会支配が続き、昨年の中間選挙でその支配が終わるというものだったと思います。保守主義が主張するものとは、福祉政策の根本的な見直しであり、減税であり、小さな政府の実現です。共和党が保守主義であるというわけではなく、保守主義が共和党を支持してきたというわけです。これがレーガン以後の共和党だったと思います。
しかしながら、ブッシュがやってきたことは連邦政府の史上最大の財政赤字です。保守主義の人々にとって、フセイン体制を倒すとか、イラクに民主主義政権を樹立するとかいうことはどうでもいいことなのです。それではテロリストはどうするのか。もちろん、テロリストは撲滅しなくてはなりません。しかし、そのために政府予算を湯水の如く使い、市民を監視するような法律を作るのは認められないのです。去年の中間選挙の結果は、ブッシュが保守主義から見放されたことを意味しています。またリバータリアンは、最初から海外派兵は反対でした。くどいようですが、そもそも、ブッシュは国民の選挙で選ばれた大統領ではありません。共和党寄りの最高裁判所によって選ばれた大統領なのです。
ブッシュ政権がネオコンとむすびついたことも、共和党から保守主義が離れていく原因の一つです。チェイニーはネオコンではありませんが、アービング・クリストルの息子でネオコンの雑誌The Weekly Standardの編集長のウィリアム・クリストルと関係があり、「Project for New American Century」の設立の資金援助をしています。
ネオコンは特異な人々です。ネオコンの最大の誤りは、外交政策にアメリカン・デモクラシーの価値観をもってくることです。ハンス・モーゲンソーやキッシンジャーなどのリアリズムはそうしたものは一切持ち込まないことは、舎さんならよくご存じでしょう。国際関係論のリアリズムから見れば、ネオコンなどイデオロギー論者の空想外交論でしかありえません。何度も申しますが、今のアメリカは輝けるビクトリア王朝の大英帝国でもなければ、セオドア・ローズベルトやウッドロー・ウィルソンのアメリカではありません。強いて言えば、今日のアメリカとは、1968年のテト攻勢と75年のサイゴン陥落後のアメリカです。
かつてアメリカは、アメリカの自由主義・民主主義こそが世界をリードする人類普遍の価値であり、それを世界に普及することがアメリカの使命であると信じていた時代がありました。しかしながら、今のリベラルは違います。そんなことは、たわごとであり、アメリカがそれを行うなど傲慢以外のなにものでもないということを今のリベラルは知っています。まあ、その意味では、ネオコンは60年代リベラルの理念を今でも持ち続けている人々であり、尊敬すべき人々なのかもしれませんが。
ネオコンとは別に、アメリカの軍事力と外交をひとつにして考える集団にペンタゴンや統合参謀本部での政策立案に関係している国防専門の知識人たちがいます。彼らは、戦争を中心として考えるグループです。こっちの方がネオコンの空想民主主義の夢がないだけに、より現実的ですが、まあ、こっちもなに言っているのだろうかという感じではありますが、覇権国家であるアメリカだからこそ考えることができることでもあります。
日本にとって望ましい相手はネオコンではということについては、日本にとって「望ましいアメリカ」というものが、そもそも存在しません。戦後日本というのは、国際社会に向かって「コレコレがこうであって欲しい」「こうでなくてはならない」「こうであるべきだ」と主張したことなど一度もありません。そういうことが言えるのは覇権国家なんです。従属国家である日本にできることは、「コレコレはこうであるから、こうしよう」ということです。その根本にあるコレコレを自分の望むように変えようとは思ってもいないし、かつ、そもそもできないのです。アメリカが民主党政権になれば民主党政権に合うように、共和党政権になれば共和党政権に合うように、その時、その時で、アメリカにひたすら従順するのが日本外交なんです。従属国家であるからこそ、自前の世界戦略など持つ必要がないのです。
もし次の大統領がヒラリーになれば、中国寄りになりますから、日本にとっては困る事態になるでしょう。ただ、まあ、それでも、その場、その場で、なんとかやっていくんじゃあないですか。外務省というのは、そういうことが非常にうまいですから。むしろ、共和党政権では、在日米軍が削減され、日本は日本で自分の国を守れ、北朝鮮問題は中国と日本でなんとかしろというわけですから、日本は困るんじゃないでしょうか。民主党政権になって、日本は中国の次の位置に置かれて、アメリカからも、中国からも従属関係になるという方が日本の政府や官僚はいいんじゃないでしょうか。
もちろん、これがいいわけありません。
(4)については、そちらの記事の方にコメントを書きます。
(5)については、長くなりますので、近々、自分のブログで書きます(と言って、だいぶたちますが)
投稿: 真魚 | 2007年3月11日 23:47
1・>保守主義の人々にとって、フセイン体制を倒すとか、イラクに民主主義政権を樹立するとかいうことはどうでもいいことなのです。それではテロリストはどうするのか。もちろん、テロリストは撲滅しなくてはなりません。しかし、そのために政府予算を湯水の如く使い、市民を監視するような法律を作るのは認められないのです。
保守主義の意味をどのようにとらえるかにもよります。国が違えばイデオロギー的バックグラウンドが違ってくるので、保守主義者の特定にアメリカで言われる大きな政府か小さな政府かの分類法は当てはまらない国は多いです。にもかかわらず、どこの国でも自国への脅威に強く対応するのが保守派です。また、保守派が自国の威信を重視するのも世界共通です。
また政府の予算を湯水のように使うということですが、ニール・ファーガソンは対テロ戦争での国防支出は冷戦期より少ないと指摘しています。だからこそ、ファーガソンはアメリカ人のネオコン以上に合衆国の帝国主義的使命を強く訴えているわけです。
2・>そもそも、ブッシュは国民の選挙で選ばれた大統領ではありません。共和党寄りの最高裁判所によって選ばれた大統領なのです。
これについては以前にマイクさんが間違いだと言っていましたが。参照リンクを多数示して。真魚さんがどれほどフロリダの一件にこだわろうとも、二期目の当選ははっきりと国民の選挙によるものです。もしかしたら、真魚さんはアメリカ人のリベラル以上にこの件にこだわっていませんか?
3・>ネオコンは特異な人々です。ネオコンの最大の誤りは、外交政策にアメリカン・デモクラシーの価値観をもってくることです。ハンス・モーゲンソーやキッシンジャーなどのリアリズムはそうしたものは一切持ち込まない
キッシンジャーのようなリアリストさえ、アメリカン・デモクラシーの価値観に基づいた外交政策を高く評価しています。あの「外交」で述べていましたが、私の手元にはないので具体的な参照ページはわかりません。図書館で調べるしかないです。何せ分厚い本なので、時間はかかるでしょうが。
4・>アメリカの自由主義・民主主義こそが世界をリードする人類普遍の価値であり、それを世界に普及することがアメリカの使命であると信じていた時代がありました。しかしながら、今のリベラルは違います。そんなことは、たわごとであり、アメリカがそれを行うなど傲慢以外のなにものでもない
イデオロギーの如何を問わず、アメリカのシンクタンクはこぞって自由と民主主義の普及を研究しています。もちろん、イデオロギー的背景が違えばアプローチも違い、その中には現政権のやり方に批判的なものもあります。
ところで真魚さん、それならアメリカのソフト・パワーでのリーダーシップをどのように考えますか?自由と民主主義の普及をアメリカが行なうことが傲慢以外の何物でもないなら、ソフト・パワーでのリーダーシップなど殆ど発揮しようがなくなります。
5・日本はアメリカの政権政党に合わせるしかない。
これはその通りです。イギリスも時の政権がどうあれ、特別関係を維持すべしという基本戦略です。実際には時のメージャー首相が「レーガン・サッチャー関係を続けるためにも共和党の勝利を望む」と発言したおかげで、クリントン政権の誕生と共に関係が冷却化するという失敗もありましたが。ちなみにブレア政権になって両国関係は改善され、共和党政権を相手にもこの関係は続いているのは周知の通り。
日本について言えば、自国の立場と価値を明確に認識する必要があります。それは
(1)スエズからパールハーバーまでで最大かつ最良の基地を提供する同盟国である。
(2)中国、朝鮮半島、ロシアといった危険な地域や国々が外洋へ出てゆく喉元を押さえる位置にある。
(3)アジア地域では唯一の「白人重役クラブ」の一員である。
といったところでしょうか。その中でも最も重要なことには私なら(3)を挙げます。というのも昨年のSTペテルスブルグ・サミットを前にマケイン・リーバーマンが連名でロシアのG8加盟資格に疑問を呈してきました。アメリカにおいてもヨーロッパにおいても日本は始めからこのような疑問を抱かれませんでした。
とてもではありませんが、中国にこうした「特別な価値」はありません。このことをこれほど強調したいのは、どうも最近の日本の政治家からメディアやブロガーに至るまで、近代国家日本のアイデンティティーを全く理解していない発言が余りにも目立つからです。だからこそ、近隣諸国との衝突に過剰な反応をしているのではないでしょうか?
投稿: 舎 亜歴 | 2007年3月14日 00:43
舎さん、
メディアで見るアメリカの保守派はひどいもんです。極右のAnn Coulterなどもそうですが、イラクの兵士を助けよと言いながら、従軍した兵士が反戦を言うと、一転して人格攻撃を行ったり、誹謗中傷をしたりしています。「アメリカン・マインドの終焉」を書いた故アラン・ブルームが今のネオコンや保守派のメディアを見たら嘆くでしょう。
共和党支持者がゴアを認めるわけがありません。しかし、第43代大統領は選挙ではなく、共和党寄りの最高裁判所が選んだことはアメリカ史の事実です。今でも、ゴアをMr. Presidentと呼ぶ人々がいます。民主党支持者は、口に出さなくても、みんなそうなんじゃないでしょうか。今度の選挙も、ヒラリーよりも、オバマよりも、アル・ゴアに出て欲しいと思っているでしょう。ブッシュの2期目の選挙についても、いろいろ情報があります。どうも公明正大なものではなかったようです。
キッシンジャーはその時、その時の権力になびく人ですから、彼がネオコンを高く評価するのは当然です。時の権力になびくというのは、同じリアリズム出身のライスもそうですね。リアリズムの人ってそうなのかも(ということを書くと、モーゲンソー研究の原先生に怒られるな)。
ジョセフ・ナイのソフト・パワー論をどう考えるか。自分のブログの方で書いてみたいと思います。
中国は「白人クラブ」に入る必要はありませんし、入りたいとも思っていないでしょう。重要なのは、大国は大国どおしの関係があるということです。いわば社長どうしの関係ともでも言いましょうか。米中関係とはそうしたものです。我が小国ニッポンは、せいぜい「白人重役クラブ」の末席に座っているぐらいです。
投稿: 真魚 | 2007年3月18日 23:29
>メディアで見るアメリカの保守派はひどいもんです。・・・。「アメリカン・マインドの終焉」を書いた故アラン・ブルームが今のネオコンや保守派のメディアを見たら嘆くでしょう。
これは保守やネオコンを十把一絡げにしてませんか?環境保護主義者を共産主義者呼ばわりするのと同じでは?酷い人もいますが、そうでない人もいます。ニール・ファーガソンならアメリカ人(特に女性)に憧憬の念を抱く者が多いOxford Englishで理論構成のしっかりした主張をしてくれるはずですが。保守やネオコンも玉石混交です。
ところでアルバート・ゴアはなぜ温暖化ばかりとりあげるのでしょうか?重要な問題ではありますが、彼はクリントン政権の環境長官であったわけではありません。副大統領だったのです。となるとイラク政策や対テロ戦争について何か言うべきではないのですか?9・11についてクリントン政権のテロ対策の不手際を厳しく問う声が挙がっているのは周知です。副大統領の座にあったなら、この問題に答えるべきでは?もちろん、温暖化についての活動は意義のあることですが。
キッシンジャーが「外交」を書き上げたのはクリントン政権期です。時の権力になびいてネオコンを礼賛したというのは、全くの誤りです。やはりリアリストでも自由と民主主義の普及にアメリカが力を尽くすべきと考えているわけです。
確かに中国は「白人重役クラブ」など招かれても入る気はないでしょう。ロシアはその気ですが。これはピョートル大帝の時代より常に追い続けてきた夢です。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年3月20日 22:44