日本人の歴史認識に問題提起
冷戦後の不確実性から、日本国民は戦後体制を見直し始めている。特にナショナリストは戦後の価値観をアメリカのニュー・ディーラーに「押し付けられた」ものと問題視し、日本の伝統的な価値観を取り戻そうとしている。冷戦が終結したこともあり、日本が戦後の敗北感から脱却しようというのは正当な望みである。しかし日本のオピニオン・リーダーは、政治家、財界人、学者、メディア、ブロガーに至るまで、近代国家日本の基礎を殆ど理解していない。
以前の記事「ビクトリア女王が東アジア史に残したもの」で述べたように日本が自らの決断で大英帝国の世界秩序に入り込み、暗黒時代の惰眠を貪るアジアと決別したのである。このようにして日本はアヘン戦争後にサクセス・ロードを歩み始めた。一般に広く行きわたっている見方に反して、近代日本はアジア国家というよりもむしろアングロ・ゲルマン国家である。日本が政治と経済のモデルを輸入した国はイギリス、アメリカ、ドイツが圧倒的で、全ての日本国民が西洋のシステムと思考様式に適応していった。どのようにしてそうなったのか?
オランダの歴史学者で”Japonius Tyrannus”という織田信長の研究書を著したユルン・ラマース氏は、近代的なビジネス・ルールを作り上げたのは北西ヨーロッパと日本だけだと指摘している。さらに日本やヨーロッパやアメリカのように、そうしたビジネス・ルールが社会の基本的な規範として受け入れられている先進経済では経済発展と社会安定の目的を両方とも追求できると述べている。これはアジア新興諸国には当てはまらず、そうした国々では経済発展が社会の不安定化を引き起こす恐れもあるという(長野商工会議所だより2006年6月号)。日本だけが極東諸国の中で「欧米列強の仲間入り」したのは不思議ではない。実際に日本人には勤勉に働いて社会に貢献するという、アングロ・ゲルマンのプロテスタントと共通の価値観がある。
現在、日本は「欧米」あるいはもっと端的に言えば「白人」重役クラブの一員として世界を運営する立場にある。日本人はこのことに誇りを持つべきである。昨年のサンクト・ペテルスブルグ先進国首脳会議を前に、アメリカのジョン・マケイン上院議員とジョセフ・リーバーマン上院議員がロシアのG8加盟資格に疑問を呈したのは、プーチン政権の権威主義的政策が西側の自由主義の規範とは相容れないからである。これに対し日本の場合はサミット設立当初からアメリカでもヨーロッパでも参加資格に疑問を投げかけられなかった。残念なことに保守派はこれを理解しておらず、近代自由主義国家である日本のアイデンティティーの基盤を古代の神話や戦中の軍国主義に置いている。
日米同盟が日本外交の柱であることに疑問の余地はない。だがこれが地域安全保障を超えたものであることを理解する者は殆どいない。日米同盟によって日本は欧米先進民主主義国の最も権威あるクラブの一員としての地位が保証されているのである。麻生太郎外相が「私達日本人は黄色い顔をしている。私達は中東和平の推進にアメリカ人やヨーロッパ人より優れた立場にある。」と発言したことに私が失望しているのは、まさにこうした理由からである。
最も重要なこととして、戦後のレジーム・チェンジが連合軍により押し付けられたと非難する者は以下のことを理解すべきである。日本は近代化の後発国であったので、政府は上からの強制的な啓蒙政策をとらざるを得なかった。国民が政治を理性的に議論できるまで成熟してくると、強制的な啓蒙は下からの自発的な啓蒙に変わっていった。1920年代の大正デモクラシーはグラスルーツ主導であった。不幸にも戦中には軍国主義がこの自然な進化を中断してしまった。それは市場の失敗の政治版であり、アメリカ主導のレジーム・チェンジは事態を正しく作動させたに過ぎない。フランクリン・ローズベルトのケインズ主義政策が経済のニュー・ディールなら、連合軍の統治は永続的な啓蒙化という「マニフェスト・デスティニー(明白な運命。アメリカ政治史の頻出語句)」を促進する政治のニュー・ディールである。北側一雄国土交通相が戦中の政策を賞賛するのはもっての他なのである。
政策形成者にもオピニオン・リーダーにも以下の三つのキーワードを明確に理解していないように思われる。それは日本のサクセス・ロード、自然な進化、そしてマニフェスト・デスティニーである。これが理解もされずに冷戦後の日本の体制が議論されることには不安を覚える。
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http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/18085604.html
からのつづき
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相手に素直になりすぎるのは、人間の心理としてそう簡単にできる所業ではないでしょう。私とて、いや。たとえ誰でも、批評など見たくはないでしょうし、聞くことさえ嫌になる。
それが本来の人間の姿というもの…倫理観に偏りなく、誰にでも。
いきなり素直に聞き入れるのは、悟りを開く境地に至り、自らを極めた者でもない限り、そのような所業は不可能です。真っ当であれば、誰..... [続きを読む]
» 現代の誤った保守思想と本来の保守思想 [平和党東京都総支部連合会会長・木村重成が言い過ぎます。]
現在のナショナリズムが、伝統的価値観、即ちこれが保守思想だと彼らが思っているものは、明治維新以降の洋式天皇スタイルを指しているといっても間違いはないでしょう。武士時代に顕在していた天皇の伝統スタイルを破壊したものを保守と呼んでいるようです。即ち京都時代の天皇ではなくて、江戸城が皇居になってからのものを指しているようです。
日本の気候・風土に適していた和服をやめ、洋服を着、建物も木造からレンガやコンクリートに変えていきました。エネルギーもバイオから石油へ転換を図ったわけです。
そればか..... [続きを読む]
» 硫黄島二部作に思う、情緒に溺れる者は国を滅ぼす [ニッポンを生きる!]
思うに、私の定規からすると、先の大戦前以来の日本の「右翼」の多くは「愛国者」では [続きを読む]
日本のナショナリストが伝統的な価値観と思っているものは少し勘違いがあるように私は感じます。
明治維新以降を日本の伝統と信じてるように思えます。
当然のことながら日本の伝統はそれ以前かる続いてます。
江戸時代は民主主義にはほど遠かったけど世論を気にする政権でしたし何より非武装中立っいってもいいくらいの世界史にないくらい平和な時代だった。
日本という国は。いいとこ取りができる才能があって英米的な価値観も上手く取り入れていってると思います。
日本の伝統的な価値観を戦前の軍国主義にもとめるのは歴史を知らない人ですね。
投稿: アラメイン伯 | 2007年4月11日 22:54
舎さん
お久しぶりです。少しばかり昨今の評論家達の見解に対して感想を。
(平成)ナショナリストにしても、護憲派と呼ばれる人達にしても、かなり、内向きのナイーブな議論になってる印象です。つまり、議論が肯定・否定の2元論で、柔軟性もなく、矮小化が見受けられます。過去の歴史においても、良い面もあれば、悪い面もある。当然のことです。護憲派にしても、では、現在、これからの国際環境の中で、日本は、安全を保ちつつ、どういう国家になりたいのかはっきりしない。
ただ、興味深いのは、「日本よ国家たれ」というナショナリストも、「繰り返しません過ちは」という護憲派も、反米という点では、共通してます。
(もちろん、一般化はできまんせんよ)
私には、どちらも、日本の国益に適うとは思いませんが。。。
以上、感想でした。
投稿: forrestal | 2007年4月14日 11:38
アラメイン伯さん、
明治の日本は、やはり暗黒時代からの脱却という意味で画期的です。そもそも明治の元勲は後のファシストほど天皇を神格化していたのかどうか疑問です。何せ当時は上方より文化水準が低いと思われていた関東に天皇を移住させたり、洋式の生活スタイルを皇室に取り入れたりなど、伝統的な天皇のあり方をことごとく破壊しています。軍国主義者の天皇像は彼らの発明だと私は思っています。
江戸時代は暗黒時代ながら、近代化への土台にはなりました。何と言っても当時の日本は世界に冠たる法治国家でした。これも何かと悪評の高い徳川綱吉の功績でしょうか?ちなみに忠臣蔵の最大の悪役は吉良でも浅野なく、将軍綱吉です。なぜか?まともな取調べもせずに刑を科したのは、彼の理念である法治国家とは全く矛盾するからです。
暗黒時代と言えば、ヨーロッパでも中世になって技術への信頼、個人主義、大学制度の整備がなされました(The Furure of Capitalism, Lester Thurow, p.266)。決して停滞の時代とは決めつめられないことは、日本史でもヨーロッパ史でも同様です。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年4月18日 11:15
forrestalさん、
確かに現在盛んになっている日本の国のあり方の議論は非常に内向きです。しかもしっかりとした理念に基づいたものではなく、きわめて情緒本位になっています。安倍首相の著書のタイトルが「美しい国へ」となっていることが何とも象徴的です。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年4月18日 11:26
舎さん、
>>現在、日本は「欧米」あるいはもっと端的に言えば「白人」重役クラブの一員として世界を運営する立場にある。日本人はこのことに誇りを持つべきである。<<
これを誇りを持てと言うのは、左翼からも右翼からも同意はできないと言われると思いますよ。日本は明治38年の日露戦争の勝利によって、白人クラブに入ったと思いますが、文明論者でもあった漱石は、これを哀しみとして書いています。ラフカディオ・ハーンが痛烈な近代日本批判を書いています。西欧化によって、日本は多くのものを失いました。
昭和に至っては?日英同盟を破棄し、日独伊三国協定を結び、国連を脱退し、結局、英米と戦争することになったのは日本側に問題あったとは思いますが、英米の対アジア政策も褒められたものではなかったのでは?
戦後については?米ソの冷戦の下で、アメリカ主導によるレジーム・チェンジを受け入れざる得なかったというのはわかりますが、それが戦後日本に数多くの問題を生み出したことも事実です。今の日本は、それを見直そうという動きが出てきたのだと思います。その動きを、へんなナショナリズムにもっていこうとさせているのが、今の日本の保守派です。
投稿: 真魚 | 2007年4月19日 01:56
>>これを誇りを持てと言うのは、左翼からも右翼からも同意はできないと言われると思いますよ。日本は明治38年の日露戦争の勝利によって、白人クラブに入ったと思いますが、文明論者でもあった漱石は、これを哀しみとして書いています。ラフカディオ・ハーンが痛烈な近代日本批判を書いています。西欧化によって、日本は多くのものを失いました。
やはり、このときの先見性と大胆な決断があってこそ、後の日本の地位がある訳です。日本人として多いに誇りを持つべきだと思います。以前の「ビクトリア女王が東アジア史に残したもの」で述べた通りです。
私がこのようなことを言うのは、日本の保守派は生産性の全くない歴史修正主義に首を突っ込んでこの国の立場を悪くしようとしています。一方で左翼は低姿勢謝罪主義です。どちらも日本人として自信を持って国際社会をわたれる考え方ではありません。私の考え方なら、こうしたジレンマを一挙に解決できるのです。とは言うものの、日本国民は過去に対してもアジアに対しても思い切った考え方ができません。麻生外相の「黄色い顔」発言など端的です。実際に日本人が金、銀、青、緑など何色の肌をしていようが、一度植民地帝国として発展し、戦後も先進民主主義国の主要メンバーとして地位を築いたうえは、白人重役クラブに日本がいることは厳然たる事実です。
それにしても真魚さん、言ってくれますね。左翼からも右翼からも同意できないとは。そうです。私こそ、この日本ではレッド・データ・ブックに登録すべき本物の無党派層です。
ところでこれまで幾度かこのブログで言及してきたAtlantic Reviewによると、今やドイツでも歴史修正主義の動きがあるようです。詳細はTwo More Americans Accuse Germany of Historical RevisionismとHistorical Revisionism in Germany?を参照して下さい。NATOとEUの中で確固たる地位を築いたドイツがなぜなのでしょうか?
>>昭和に至っては?・・・英米の対アジア政策も褒められたものではなかったのでは?
これはゴア「大統領」、イラク問題にも発言をで引用したケーガンのインタビューでも認められています。ただ、挑発の解釈も程度問題で、パールハーバーほど損害が甚大なものまで謀略というのは拡大解釈です。
>>アメリカ主導によるレジーム・チェンジを受け入れざる得なかった
違うんですよ。これは日本人が元々戦前に取り組んできた民主化の根を占領統治が後押ししたと私は言いたいのです。そもそもアメリカのリベラル派がイラクのレジーム・チェンジに否定的だったのは、日本とドイツには大正デモクラシーとワイマール・デモクラシーという民主化の根があったが、イラクにはないという論拠からです。真魚さん、日本がアメリカのレジーム・チェンジを渋々受け入れたなんて言ってしまっては、リベラル派の立場を自ら放り投げるようなものです。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年4月21日 22:58
トラックバックありがとうございました。
私は、ヤフーブログの外部のブログにコメントすることはめったにないのですが、操作方法が不慣れな事もあって、いつも面倒くさくてほうっておくのですが、こちらのコメント欄を拝見しまして、共鳴したところがありまして、お邪魔しました。
それは現在のナショナリズムが、伝統的価値観、即ちこれが保守思想だと彼らが思っているものは、明治維新以降の洋式天皇スタイルです。それまでの天皇の伝統スタイルを破壊したものを保守と呼んでいるようです。
服飾ばかりではなく、人間が自然と調和してきた江戸時代までの経済システム。こうした仏教式輪廻のごとくの自然循環システムをなくして、キリスト教式の一直線の環境システム。廃棄されたらそれが積みあがるような環境社会ができています。
八百万の神々、たくさんの神様がいて、それら全てを認める宗教である神道が江戸時代まではそうであったと思いますが、現在のナショナリズムは、他の考えを排除することとなっています。これはまさに一神教のような考えを取り入れてしまっているため、元来の大和思想ではなくなってきているということです。
西洋のナショナリズムは多様性を認めないというのは、わかりますが、日本の場合、わが国の伝統スタイルからすれば、多様性を認めるというのが我々の遺伝子の中にはあるのだと思います。
したがって現在の日本のナショナリストは、保守にあらず、伝統を守らず、ということが言えるのではないかと思います。
私には江戸時代が決して、停滞している時代とは思えないのです。
勿論、その後の西洋文明を取り入れたことも停滞ではないと思います。しかし、現代においてはこれが停滞しているのだと思います。
今世紀はアジアの時代とはよく言われますが、それは西洋式の経済文明をアジアがやるからだとの意味で使われています。
しかしながら私は、日本であるのならば、江戸時代までに国民が持っていたアイデンティティを呼び起こすべきだと思います。そしてこれこそが保守のあるべき姿であり、これから日本が進むべき方向であると、私は考えます。
投稿: 木村重成 | 2007年4月24日 08:01
明治の天皇のあり方は伝統破壊の側面がありましたが、あれだけの大胆な改革があってこそアヘン戦争後の極東で日本だけが植民地として征服されず、逆に西欧列強の仲間入りに成功したと言えます。当初は上からの押し付けによる啓蒙化をせざるを得ませんでしたが、これは後発国なら致し方ないところ。プロシア、オーストリア、ロシアで専制君主のリーダーシップで啓蒙化が進みましたし、トルコとイランでは日本に学んだ強権による啓蒙化政策がとられたのは周知の通りです。
強権による啓蒙から国民自身による啓蒙化が大正デモクラシーであったのですが、不幸にも後に軍部が台頭すると本来あるべき歴史の流れが逆転されてしまいました。軍国天皇と明治の近代化と啓蒙化の天皇は全く別だと私は考えています。そもそも脱亜入欧から大東亜共栄圏へと正反対の理念が唱えられたわけなので。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年4月25日 20:33
舎さん、
>>実際に日本人が金、銀、青、緑など何色の肌をしていようが、一度植民地帝国として発展し、戦後も先進民主主義国の主要メンバーとして地位を築いたうえは、白人重役クラブに日本がいることは厳然たる事実です。<<
大日本帝国は帝国主義の国家だったとは、とてもそんなことは言えません。そもそも、帝国主義とは国内の工業生産力の高まりによる余剰生産物を,
植民地に売りつけることで利益を得るということです。イギリスの三角貿易とは、そうしたものでした。ところが、日本は他国にモノを売りつける程の工業力を持っていません。むしろ、マイナスですね。満州国運営も朝鮮統治も赤字でした。植民地政策で儲かったことなどありません。日本は、植民地帝国として発展していません。そんなことができるレベルの国ではなかったのです。なかったにも関わらず、その真似事をして、アジア諸国から恨みだけをかってしまっただけだったのが、昭和前期の日本なのです。
戦後のアメリカによる民主化もタテマエですね。実際、GHQは共産党を弾圧し、自民党に資金を流していました。大正デモクラシーでは、そこまでしなかったです。むしろ、日本における社会主義思想の普及があったのが大正デモクラシーでした。戦後の民主化とは、反共イデオロギーのもとでの民主化だったのです。それが良い悪いではなく、事実は事実として認めなくてはなりません。
投稿: 真魚 | 2007年4月30日 00:53
ヨーロッパの植民地帝国でも工業生産力も海外に投下する余剰資本も充分でない国はありました。スペインやポルトガルがそうでしたし、小国ながら最先進国の一つであるベルギーのコンゴ経営などは現地人の虐待で世界の非難を受ける有様でした。日本も植民地帝国と見なして一向に差支えないです。
ただ、日本人特有の思い切りの悪さがあるのか、右翼が好んで言うような「朝鮮人は日本人である」という非現実的な理念で植民地統治を行なっていました。実際には彼らを日本人として自国社会に受け入れる余裕などありませんから、どうしても差別が生ずるわけです。欧米人のように"A sahib has to act like a sahib."を徹底した方が良かったのですが。かの大東亜共栄圏構想など、あのような発想の延長線上にあるので、初めから破綻した政策だったわけです。
どういうわけか台湾では創氏改名はやっていなかったようですが、そのせいか植民地統治を恨まれることは余りありません。いずれにせよ、植民地統治は大なり小なり抑圧的です。建国の父の理念に従ったであろうアメリカのフィリピン統治もそうでした。「同じ東洋人」というフィクションを信じてsahibになりきれなかったのは日本の失敗です。
日本の植民地経営は赤字だったでしょうが、朝鮮、台湾、満州、南洋諸島は安全保障の観点から必要だったのでは?
アメリカの占領統治には真魚さんが指摘する裏の闇の側面はありました。ただ、全体的には日本人自身にあった自由と民主主義への希求とうまく整合したと見て良いのでは?共産党が弾圧されたとは言え、戦前の治安維持法がなくなって合法化されています。何よりも共産党と社民党は自民党以上に戦後のレジーム・チェンジを歓迎しています。(本当に奇妙なねじれです。)
投稿: 舎 亜歴 | 2007年5月 3日 03:05
舎さん、
スペインやポルトガルとイギリスの帝国主義は異なります。大日本帝国がモデルとしたのはイギリスであって、スペインやポルトガルではありません。そもそも、スペインやポルトガルが覇権国だった時と時代が違います。さらに言えば、スペインやポルトガルは帝国主義でかなり儲かりました。日本は全然儲かっていません。ようするに、投資したコストに対してペイをしていないのです。
戦前、軍事力で植民地を持って、そこから資源を持ってくるよりも、世界の市場から買ってきた方が安く上がるということを言っていたのが石橋湛山です。だから、西欧の植民地主義政策など日本はとるべきではないということです。今の時代から見れば、これが正しかったわけです。
20世紀前半を顧みると、帝国主義的な植民地政策の行き詰まりの時代だったと思います。大英帝国は、植民地でのナショナリズムと民族自立の動きに対応し切れなくなっていました。国内に巨大な資源を持つアメリカの存在が大きいですね。植民地を持たなくても資源に困ることがないアメリカが民族の自由と自立を唱え、アジアの各地で独立運動が勃興し、ロシアでは社会主義ソビエトが出現した。この時点でもうイギリスの帝国主義は終わっているんです。こうした状況では、石橋湛山が言うように、植民地を持つよりも貿易立国になった方がいいんです。つまり、イギリスのマネをした植民地国家になるべきではなかったんです。事実、戦後、日本は貿易立国になって経済大国になったわけです。アジアの各地も西欧から独立しました。
安全保障の観点から見ればどうか?大日本帝国陸海軍は、朝鮮、台湾、満州、南洋諸島といった広域をカバーできる程の規模の大きな軍隊ではありません。補給ラインの確保すらできないですね。安全保障とは、どこの国からの安全保障でしょうか。ソ連が満州と朝鮮に進行して、日本に迫るのでしょうか。満州と朝鮮を侵略統治できる余力が誕生して間もないソビエトにあったとは思い難いですね。
経済での相互依存関係こそ、最大の安全保障であることは、私が何度も申していることです。
投稿: 真魚 | 2007年5月 4日 11:57
まず誤解を解くために言いますが、ここで言及しているスペイン、ポルトガルとは日本が帝国主義列強仲間入りをした頃のことです。当時は両国ともラテン・アメリカの植民地が独立、あるいは米西戦争で生産性のある植民地をアメリカに取られてしまいました。スペインに残っていたのはモロッコ北部と西サハラで、およそ市場としても投資先としても魅力がありません。ポルトガルにはゴア(真魚さんが大好きなあの元副大統領とは発音もスペルも違いますが)とマカオという優良な植民地が残っていましたが、アンゴラ、モザンビーク、東チモールなどは開発しがいのある植民地ではありません。それでも両国が帝国主義列強の末席に居座り続けたことは事実です。
大英帝国について真魚さんが言い逃しているのは、直接統治の植民地ばかりでなく主権国家を投資先や実質的な支配下に置いて利潤を挙げていたということです。そもそも独立国アメリカはどのイギリス植民地より大きな投資先でした。大陸横断鉄道はイギリス資本によって建設が進みました。またアルゼンチンも主権国家でしたが、牧畜業や農業の発展にイギリス資本が深く関わりました。
興味深いのは中東で、イギリスの石油資本が儲けたのは正式な植民地でなかったサウジアラビアやイランです。イラクは第一次大戦後にオスマン・トルコから委任統治領として奪い取りましたが、反乱鎮圧に手間取りました。正式な植民地であったイエメンやオマーンは軍事拠点として重要でしたが、ここから経済的に利益を得ていたとは思えません。
言うならば、植民地支配だけが大英帝国ではなかったわけです。石橋湛山の発想と同様なこともやっていたわけです。
旧大日本帝国の植民地と安全保障ですが、朝鮮が日本の防壁として重要だったことは議論の余地がありません。ただ、どの植民地にしても英米両国の支援があって日本が維持できたということを戦時の日本の指導者達は忘れ去っていました。これは朝鮮の併合で典型的に表れています。
>>経済での相互依存こそ、最大の安全保障である
それが通用しない相手もいます。そうした国家や非国家アクターが、まさにショッカーです。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年5月 4日 18:23
お久しぶりです。
イギリスの政策は純粋な功利的動機から発生したものも多いと思いますが、結果として多くの合理的な考え方を生み出し、人道の向上にも繋がったように思います。少なくとも通商というものに余分な信念をあまり持ち込まなかったことは評価されて然るべきでしょう。
>大陸横断鉄道はイギリス資本によって建設が進みました。またアルゼンチンも主権国家でしたが、牧畜業や農業の発展にイギリス資本が深く関わりました。
後の米国や日本の姿と大差ないですね。要は有望な投資であるかという点が全てだったのでしょう。戦前の日本が投資先を台湾あたりに集中していたらどうだったかなと考えることがあります。当時は文明的と思われていなかった地域ですから難しいところですが。
>言うならば、植民地支配だけが大英帝国ではなかったわけです。石橋湛山の発想と同様なこともやっていたわけです。
植民地支配は寄港地の確保といった安全保障の経費に近い面もあったかと。もっともどの程度の固定費がそれぞれの時代で政治的に容認可能とされていたのかは様々な見方があるでしょう。また少なくなったとはいえ、今でもその残滓が英国外交に残っているようにも見えますね。
>>>経済での相互依存こそ、最大の安全保障である
>それが通用しない相手もいます。そうした国家や非国家アクターが、まさにショッカーです。
安全保障の厳しい問題を主題に置けば、大半の相手が通用しないかと。実例は二度の世界大戦だけで充分でしょう。また皮肉を言うなら、相互依存して安全保障が悪化する場合もあります。そのことへの言及は政治的には注意深く避けられる事が大半ですけども。
投稿: カワセミ | 2007年5月 6日 19:00
相互依存での関係悪化の典型例はアル・カイダの台頭です。夢のような美しき世界の実現は難しいところ。時代が進めば、従来の常識では行動を予測できないアクターが出てくるので。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年5月 8日 21:47
舎さん
20世紀においては、植民地経営より交易や投資の利益が大きくなってきたというのは、まさに私が述べている、20世紀になると、もはや砲艦外交や軍事的侵略で国を大きくすることは、コストに対してペイしなくなるようになってきたということです。20世紀を19世紀の延長上にある近代世界システムでの国家間の対立の時代と見るか、次の世紀で本格化するボーダーレス・ワールドの曙の時代であったと見るかは見方の相違です。
経済の相互依存について、私は従来の国際関係論者の「相互依存なんてまゆつばみたいなものだ」的な見方に対しては、大いに反論があります。そうしたことを言う人は、今の経済の実際を知らない人ですね。David Ricardoの貿易論で止まっているのではないでしょうか。今の世界経済の相互依存関係とは、リカードが述べたような主権国家が主権国家どおしとして分業的な経済関係を持つという関係ではありません。
例えば、台湾の半導体産業は世界のコンピュータを支えています。中国と台湾の間で有事があっては困るのは世界なのです。だからこそ、そうならないように各国は動きます。その各国の中には中国も含まれます。今、台湾の半導体メーカーは、中国の上海や蘇州にさかんに投資しています。今後、台湾と並び中国もまた世界のコンピューターの半導体チップの提供元になるでしょう(日本やシンガポールの半導体産業は追い抜かれるわけです)。つまり、その意味ではもう中国と台湾は「ひとつ」なのです。台湾海峡で有事が起きた場合、計り知れない損失を受けるのは中国と台湾そのものなのです。
これはインドとパキスタンも同じです。インドとパキスタンで紛争が起こり、バンガロールでのビジネスが停滞すると、インドは困りますし、世界も困るのです。だからこそ紛争回避の方法へと動くわけです。つまり、グローバル経済の相互依存が安全保障をもたらすのです。
ちなみに、ネオコンが掲げていたイラク統治の目標もこれですね。イスラム諸国が(欧米式の)民主主義国家になり、そしてグローバル経済の一員になればテロも戦争もなるというのがネオコンのみなさんの夢であったはずです。おやっその意味では、私もネオコンも同じなんだな。
ようするに、何が言いたいのかと言いますと、歴史認識について、日本が大東亜共栄圏の理念を掲げて英米にたてついたのは間違っていたかもしれませんが、だからといって、英米に従っていた頃の時代の認識をもう一度振り返ろうとしても、それは21世紀の今の時代には合いませんというのが私の意見であるということです。その理由は、上記に述べたように経済が大きく変わっているということです。
投稿: 真魚 | 2007年5月12日 14:17
あっと、脱字です、
「テロも戦争もなるというのがネオコンのみなさんの夢」
というのは
「テロも戦争もなくなるというのがネオコンのみなさんの夢」
ということです。訂正します。
投稿: 真魚 | 2007年5月12日 14:23
真魚さん、そんなに軍事力の役割が低下していますか?実際に利用されなくても、軍備は各国の外交政策の道具です。
国際関係の主体が主権国家だけではなかったのは昔からですが、真魚さんの指摘にもあるように20世紀末から今世紀にかけて非国家アクターが大きな力を持つようになりました。真魚さんが記していることはボーダーレス・ワールドの光の部分です。闇の部分としてはテロ組織などの台頭が挙げられます。いや、組織というより緩やかな連合体(そうした「体」なるものも成していない場合も多いですが)です。ロンドン地下鉄爆破テロの少年達はネットを通じてアル・カイダに洗脳されていました。そもそもオサマ・ビンラディン自身がボーダーレス・ワールドの鬼っ子です。
私は相互依存を否定はしません。しかし、どれほど国家レベルあるいは財界レベル、市民レベルで相互依存が進もうと、力の対決の根は常に存在しています。この5月にロシア空軍の爆撃機がイギリス空軍の偵察に及んだ際に、英国メディアは一斉に冷戦への逆戻りだと書きたてていました。今のロシアが西ヨーロッパとの経済的な相互依存を強めているにもかかわらずです。少なくとも相互依存によって平和的関係を築きやすくはなりますが、絶対的にそれを保証してくれるものではありません。
私はただ日本が「英米追従」すれば良いと言っているのではありません。日本が近代国家として国造りをしてゆくに当たって自らの意志で英米の覇権に積極的に関与していったということを忘れてはならないと言っているのです。こう言いたいのは、日本の親英米派の論客達がアヘン戦争からのコペルニクス的発想の転換に触れてくれないからです。この国でも最高レベルの知識人がどうしてこれに言及しないのか不思議です。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年5月20日 01:23
舎さん、
軍事力の役割は低下しています。今の世界の先進諸国では、軍事よりも株価や為替レートの方が大きな影響力を持っています。もう一点は、ご指摘の通りボーダーレス化によって出現した新しいテロ・ネットワーク組織です。主権国家間の戦争を前提とした近代軍隊では、テロ・ネットワークへの有効な対策にならないことは、今のアメリカを見ても明白です。
もちろん、軍事がなくなるべきだとはまったく思いません。しかし、多国籍企業の製品や情報を購入しなくては、今の軍事は成り立ちません。一昔前の軍事と国家の関係とは、大きく変わっているのだということです。一国の主権国家が、その一国の国家意志と軍事力を持って国際社会の中で生き残っていくという近代の国際社会のモデルはもはや時代遅れです。と言いますか、正確に言うと、とは、まだ言い切れない、というのが現在のステイタスだと思います。ある部分は、まだ19世紀が生きています。ある部分では、21世紀になっています。現代は、この大きな変動の状態なのです。だからこそ、新しい、来るべき時代の国際世界の側面を見ていこうというのが私のスタンスです。
ロシア軍がポーランドに侵攻してくるのでしょうか?。バルト3国を再び支配しようとするのでしょうか?。ロシア軍のミサイルがロンドンを攻撃するとか?イギリスとロシアが戦争になると、ロンドンのポップ音楽を聴くロシアの若者はいやがるでしょうねえ。イギリスやフランスのファッション雑誌を読む女性たちもいやがるでしょうし。モスクワのマクドナルド(そこで食べたことがあります。ロシア語がわからないので、こーした店でしか食事ができなかったのです)(笑)の営業はどうなるのでしょうか。つまり、ロシアとヨーロッパの間に、もう戦争なんてものは不可能なのです。
軍隊である以上、周辺諸国を警戒し、偵察するのは当然の行為です。時には、領空侵犯もするでしょう。こんなことは、よくある話です。また、こんなことでメディアが騒ぐというのは、逆から見れば、それだけボーダーレス・ワールド化が進展しているということです。
>>日本が近代国家として国造りをしてゆくに当たって自らの意志で英米の覇権に積極的に関与していった<<
この「関与」というのは、いかなる意味でしょうか。以前も申しましたように、日本人は好きでサムライをやめたわけではありません。ここをどう理解するか、が重要です。
幕末、アメリカの南北戦争が終わり、武器商品の販売先としてアメリカは需要が低くなったので、日本のサツマに売りさばいたのがジャーディン・マセソン商会の長崎代理店のトーマス・グラバーです。グラバーは日本に内戦が起こることを望み、薩摩と長州の倒幕運動を支援しました。
かたや、日本人の側はどうか。西欧の植民地になりたくないという思いは、すなわち、神州である日本の地に、異人が入り込むことを許さないという攘夷からです。ここは重要な点なので強調しますが、アヘン戦争のことを知っているのはごく一部の人々でしかありません。大多数の日本人にとっては、尊皇によって、閉塞感のある今の世の中が変わるのではないかという世直しの期待感と、外国人は嫌いだという攘夷の感情、すなわち尊皇攘夷の情念が倒幕運動へと向かったのです。
明治政府ができた後、日本各地で反乱が起こりました。その最大のものが明治10年の西南戦争です。これが日本史上最後の同じ民族間での戦争です。これは凄惨な戦争でした。明治というのは、文明開化、近代化というオモテ向きの裏に、士族や民衆のなんとも言えない政府への怨恨があります。対外的には、1895年の閔妃暗殺事件から1910年の日韓併合、そして、その後の朝鮮統治、さらには中国での満州国建国の一連の日本の行動には、とても褒められたものではないものもあります。さらに言えば、そうした帝国主義の真似事をしながら、肝心の軍事は明治38年の銃を昭和20年の太平洋戦争終結まで使い続けたという無能さ。ここに「自らの意志で英米の覇権に積極的に関与していった」と一言では表現できないものがあります。
投稿: 真魚 | 2007年5月20日 12:01
軍事力の役割が低下しているなら、なぜ大量破壊兵器の拡散が進むのでしょうか?こうした兵器、中でも核兵器の開発に乗り出す国の中には自国の安全保障というより、国家の威信のために行なうところも多いようです。
それから真魚さんが大いに注目している中国ですが、「平和的な台頭」を目指すならなぜ急激な軍備拡大を行なっているのでしょうか?これを文字通りに実行した国といえば、戦後の日本とドイツ、それにメディチ家時代のフィレンツェぐらいのものです。中国も、そしてその軍拡に注目するアメリカの指導者も軍事力の役割を重視していることの表れです。
それと覇権国家の役割を考える際に、確かに真魚さんが指摘するような株式市場や通貨の支配を通じて自由貿易と市場経済の安定に大きな役割を果たすのは重要なことです。これは19世紀の大英帝国から今日のアメリカに至るまで共通しています。ただし、そうした株式や通過の支配者には政治の信用がなければなりません。英米両覇権帝国に共通して言えることは、自由貿易と市場経済に基づく世界秩序を脅かす存在があれば、主権国家であれ非国家アクターであれ容赦なく武力で討伐してきたことです。そのことが覇権国家の政治的信用を高め、ひいては株式や為替の支配にもつながってきたわけです。
非国家アクターの台頭は1990年代より著しくなりましたが、実は現代も19世紀の世界からも現代に通じる教訓が学べるわけです。
それから英露関係の緊張についてですが、私は「冷戦の再来」について述べています。これは「熱い戦争」ではありませんから、直接の武力対決ではありません。真魚さんの言うことは私のコメントよりかなり飛躍しています。
冷戦の再来が騒がれるのは、やはり現在の欧米とロシアの関係が緊張しているからです。確かに石油と天然ガスを通じてロシアとヨーロッパの相互依存は強まってはいますが、プーチン政権がエネルギーを切り札に世界での影響力の拡大を狙っています。しかもロシアの民主化後退によって欧米とロシアの対立は深まっています。
さらに言えば、ロシアはウクライナにガス供給停止で圧力をかけました。これはロシアへのエネルギー依存を高めるフランスやドイツに対する脅迫とも受け取れませんか?相互依存と言っても、双方が平等に脆弱ということは有り得ません。より依存性と脆弱性が高い者(それが国家であれ非国家であれ)が圧力を受けやすくなります。
日本についてですが、確かに当初は排外思想から討幕運動が決起しました。ここまでは遊就館の説明で間違いはありません。その一方で日本人は幕僚から下級武士や町人に至るまで西洋文明を熱心に研究し始めていたことは事実です。そうした下地があってこそ、攘夷派の武士達が一点の曇りもなく脱亜入欧に邁進したのではないでしょうか。ただの神国主義で外国勢力の追放に決起したのであれば、中国の義和団と何ら変わりません。遊就館の説明がなっていないと言うのは、まさにこの点です。「未熟な」対米史観を改めようと、あるいは今後、中韓に配慮した説明文に変えようと(きわめて考えにくいことですが)、あの説明文では攘夷から開国にコペルニクス的転換をはかった元勲達と義和団が全くの同類になってしまいます。
だからと言って、私は西欧化以前の日本文化を否定している訳ではありません。それどころか、この記事に引用したオランダの歴史学者の言にもあるように、日本が北西ヨーロッパとは独自に「プロテスタンティズムの倫理観」に似たものを作り上げたことを高く評価しています。またアラメイン伯さんへの返答にもあるように、江戸期の法治国家も世界に誇るべきものと思っています。ビーナス(公家)とマルス(武士)を両輪に発展した日本文化の土台があればこそ、西洋文明の吸収により一挙に近代国家になれたと見ています。丁度、仮面ライダーが本郷猛、スーパーマンがクラーク・ケントという能力の高い人物を土台に変身したようなものです。(ただし現在放映中の電王は野上良太郎という、知力も体力も運もないという冴えない人物が変身するそうです)
帝国主義についてですが、スペインやポルトガルのように大航海時代の植民地帝国から脱皮できなかった場合もあります。ロシアも国民の大半が農奴同然でしたから、近代資本主義の植民地帝国にはなっていませんでした。日本が行なった帝国主義の真似事が稚拙だったからと言って、特別に出来の悪い植民地帝国だったとも思えません。
投稿: 舎 亜歴 | 2007年5月27日 23:47