ブレア政権後の英米関係
イギリスのトニー・ブレア首相は国際政治の場で最後の外遊の途上にある。首相は6月27日に退陣し、ゴードン・ブラウン蔵相がその地位を引き継ぐ見通しである。ブレア首相の政策は次期政権にも引き継がれるのだろうか?ここでトニー・ブレア首相の業績をふり返ってみたい。さらにこの点を強調しておきたい。一般にブレア首相をブッシュ米大統領のプードルと見る向きが多いが、実際にはブレア首相自身の信念に基づいて行動していたということを。
トニー・ブレア首相の政治的功績の全体像をつかむために、英エコノミスト5月10日号の“The Great Performer Leaves the Stage”と“Tony Blair’s Farewell”という記事に言及したい。ブレア政権が掲げるニュー・レイバーは保守党の皮を被っていると見る向きも多い。だがブレア氏は都市の中産階級出身でベビー・ブーマー世代であり、保守党のエスタブリッシュメントを快く思わない有権者の支持を得てきた。内政ではブレア首相は労働党の統治能力が低いという悪評の払拭に成功した。経済は繁栄し、雇用創出と失業削減にも成果を挙げた。さらにブレア政権下ではスコットランドとウェールズの自治も認められた。英エコノミストで述べられているように、内政での業績は高く評価されるべきである。
ブレア首相の経済政策と社会政策はマーガレット・サッチャー元首相に負うところが大きい。ブレア氏は市場競争原理に基づく公共サービスの改善に努め、中産階級からの幅広い支持を勝ち取った。ゴードン・ブラウン蔵相もデービッド・キャメロン保守党党首もブレア政権下のサッチャー的社会経済政策を引き継ぐ見通しである。ブレア政権が掲げたニュー・レイバーはイギリスにとってそれほど目新しいものではないが、それはマーガレット・サッチャー元首相や故クレメント・アトリー首相のようにイギリスの政治と社会の変革が要求された訳ではないからである。
ブレア政権の評価が分かれるのは外交の分野である。特に一部メディアと左翼はイギリスのイラク戦争参戦を批判し、トニー・ブレアとはジョージ・W・ブッシュのプードルだと揶揄している。こうした者達は明らかにブレア政権の自由対外介入主義を理解していない。またイラクでのブレア首相の役割の評価も考え直す必要がある。
ブレア政権の自由対外介入主義に関してはヨーロッパ外交評議会のマーク・レナード所長が、メージャー政権時のマイケル・ポルティーヨ元国防相が議長を務めた外交政策センターとプロスペクト誌共催の討論会で以下のように指摘している。
ブレア首相はルールに基づく世界秩序というヨーロッパの立場を主張しているが、そうした世界秩序が機能するためには力の裏づけが必要で、現在それができるのはアメリカの力だけであるということを知っている。そのため、そうした世界秩序の正当性はアメリカの正当性と強く関っており、アメリカ政府が世界の不安定化を招く行動をとればヨーロッパは厳しい二者択一を迫られる。すなわち、アメリカから距離を置いて対米批判に徹してアメリカ主導の国際プロジェクトの正当性を損なわせるか、さもなければアメリカを支持してその正当性を高めて自国に不都合な部分だけは修正させるべきかになる。そうした二者択一からこれまでのイギリスは常にアメリカと行動を共にしてきた。常にこうした観点から問題を投げかけてみれば、ブレア首相がアメリカと行動を共にし続けた理由がよくわかる。(“Liberal Intervention: The Empire’s New Clothes”, p. 18, 26 July 2003)
レナード氏はブレア首相がイラク戦争に参戦したのはアメリカとの同盟関係の強化によって国際政治でのイギリスの立場を有利にしたかったという一般に信じられている見方に反論している。むしろブレア首相を動かしたのは、上記のような原則である。
レナード氏が討論会で述べたことに加えて、イギリスは自国の国益を超えて世界の平和と安全保障のために介入をしてきたが、それはパーマストン卿やローズベリー伯爵の時代から続く自由帝国主義の伝統に基づいている。
アメリカン・エンタープライズ研究所のリチャード・パール常任研究員は、イラク戦争と対テロ戦争でトニー・ブレア首相が果たした役割は単にジョージ・W・ブッシュ大統領と行動を共にした以上のものだと指摘している。パール氏はブレア首相が対テロ戦略の立案でブッシュ大統領より先んずることも多かったと言う。このことは外交政策センターで行なわれた首相の演説から明らかである。“In the News. co.uk” で述べられているように、ブレア首相はテロと過激思想に対する戦いは文明の衝突といった小さな枠にとどまらず国際社会への脅威だと主張している(Blair: Global intervention is vital, 21 March, 2006)。トニー・ブレア首相はこれがイラクとアフガニスタンへの介入を決断した究極の理由だと明言している。
また、パール氏はブレア首相がビル・クリントン大統領に対して力による問題解決が必要となったコソボへの派兵を強く要請したことにも言及している。これはサダム・フセインのクウェート侵攻に際し、マーガレット・サッチャー首相がジョージ・H・W・ブッシュ大統領に行なったことと軌を一にするものである。
ブレア首相はブッシュ大統領と共にサダム・フセインを権力の座から引き吊り降ろした。だがイラクとの戦争ではブッシュ大統領を説き伏せて国連決議による出兵を行なおうとした。トニー・ブレア首相は自らの信念に基づいて行動したのだが、事態を理解しないで批判を行なう者はこの点をしばしば見落としてしまう。
ブレア首相が盲目的な対米従属論者だとしか見られない者は、リチャード・パール氏の一言を肝に銘じて欲しい。「英米両国が外交政策の決定をめぐって行なうやりとりは、反ブレア論者が考えているよりもずっと複雑で微妙なものである。」
現時点ではイギリスの対米関係がゴードン・ブラウン氏の下でどのように変わるのかはわからない。ブラウン氏はアメリカ政界に強い人脈を持っている。その人脈たるや共和党のポール・ウォルフォビッツ氏から民主党のエドワード・ケネディ上院議員にまで広がっている。しかしワシントン・ポストは5月11日付の“Brown May Loosen UK Ties to Bush” という記事で、両国の関係がトーン・ダウンするのではと警告している。マーク・レナード氏は「労働党がイラク戦争をめぐる党内分裂から立ち直るためにブラウン氏はブレア路線からの変更を余儀なくされるが、当面はブラウン政権下でも微妙なバランスの舵取りがなされるであろう。ブラウン首相がプードルとして振る舞うことはなく、イギリスの国益を強く主張してくるであろう。だがホワイトハウスとのあからさまな決別はないであろう」とコメントしている。
エセックス大学のアンソニー・キング教授によると、ゴードン・ブラウン氏は理念の人ではなく、「イラクについては意図的に明確な発言を避けており、真意はわかりにくい。これほど発言に慎重だとスフィンクスさえ多弁に見えてしまうほどだ」という。
他方で、オピニオン・ジャーナル(ウォールストリート・ジャーナル紙が発行する保守系週刊誌で、当ブログがリンクしている「保守思想」のマイク氏の大のお気に入り)はより楽観的な議論で、「強力なイギリスはアメリカとヨーロッパの双方にとって利益である。大陸諸国にとって聞いて愉快な一言ではないかも知れないが、イギリス経済はヨーロッパ連合が採るべきモデルである」と記している。そして以下のように結論づけている。
ロンドンはワシントンにとって旧世界では最も信頼できる相談相手であり続けるだろう。イギリスのメディアで反米主義が蔓延しようとも、イギリスはアンジェラ・メルケル首相のドイツやサルコジ大統領のフランス以上にアメリカとの精神的な絆の強い国である。ブレア首相をブッシュ大統領のプードルだとするのは事実の歪曲で、ワシントン政界では両国の特別関係に対する敬意は党派を超えたものである。
ゴードン・ブラウン蔵相が沈黙を守っているので、ブラウン政権が英米関係の難しい舵取りをどのように行なうのかはわからない。ブラウン氏は過去10年の間に優れた模範を目にしてきた訳で、前任者を見習っているのは当然だと見なして差し支えない。(“Britain after Blair”, Opinion Journal, May 10)
テロと圧制国家に対する戦いを成功に導くには、強固な英米同盟の維持が不可欠である。そこで、今後はゴードン・ブラウン蔵相とデービッド・キャメロン野党党首についてより詳しく取り上げてみたい。
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» 中朝開戦!!そのときロシアは [日々是勉強]
今回は、このブログでたびたび取り上げている「中国・朝鮮の冷戦」について、この二カ国と国境を接するロシアに注目してみたいと思います。
先日ですが、面白いニュースが飛び込んできました。
ロシア、対北制裁措置実施へ
http://www.chosunonline.com/article/20070601000012
−−−−−−−−以下引用−−−−−−−−
ロシアも北朝鮮に対する制裁に加わることになった。イタル・タス通信は先月30日、ウラジーミル・プーチン大統領が先月27日に、昨年10月... [続きを読む]
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リチャード・パールはネオコンの親玉みたいな人です。アメリカをイラク戦争に進ませた張本人の一人です。私はこの人が言っていたイラクの民主化とやらとか、フセイン政権を崩壊させなくてはならないとかいったことに、なんの正当性も意義も感じませんでした。この人がブレアを支持してもねえ。
投稿: 真魚 | 2007年6月 7日 02:11
リチャード・パール以外にも文中に良いリンク先はあります。マーク・レナードのコメントやInTheNews.co.ukでブレア本人の発言を読んでみては。
イラク戦争の張本人はジミー・カーターです。ペルシア湾の憲兵が健在であった頃、サダム・フセインは間違っても「俺はサラディンだ、ナセルだ!」などどうそぶいたりできませんでした。そう言えばあの怪人も矛盾しています。サラディンを尊敬するならどうして彼の出身民族であるクルド人に毒ガス攻撃をやったのか?
投稿: 舎 亜歴 | 2007年6月 7日 12:02