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2007年8月21日

NHK討論回顧1:日本は中東の良い子ちゃんたれだって?馬鹿な!

先の記事でも述べたように、8月15日にNHKのテレビ討論会に参加した。議論は過剰に白熱したものになった。私としてはテレビで発言できなかった二つの問題について述べたい。第一は中東での日本の良い子ちゃん(pretty boy)外交である。第二は日本のナショナリズムと日米同盟についてである。今回は第一について記す。

日本国民の間では中東での日本の立場は欧米とは全く異なると広く信じられている。こうした議論をしたがる者は以下の理由を挙げる。曰く、第一に日本は欧米キリスト教社会と中東イスラム教社会の間の文明の衝突に関わっていない。曰く、第二に日本は中東では利権と関わりのない大国で、この地域で帝国主義政策をとったこともない。曰く、第三に中東の人々が帝国主義に走らぬ経済大国の日本を賞賛している。だが私はこうした甘い夢に浸った発想に徹底的な反論をしようと決意し、日本が中東のプリティ・ボーイたることを止めよと主張する。さらに、私は日本が西側同盟の中核として啓蒙主義と民主主義の拡大に努め、暗黒時代の理想に精神的に漬かりきっているイスラム過激派を打倒するべきだと主張する。

不運にもピース・オンの相澤恭行代表が日本は上記にあるように中東での良い子ちゃん外交を続けるべきだと主張した際に、私は挙手したが反論の機会はなかった。そこで、以下の議論を行ないたい。

愛憎がどうあれ、中東の諸国民は欧米を日本とは比較にならぬほど賞賛している。「イスラム過激派に関する5つの問題点」という過去の記事では、フォーリン・ポリシー誌200611月号の電子版に掲載された“What Makes a Muslim Radical?”という論文を引用した。この記事ではジョージタウン大学ウォッシュ外交学院のジョン・エポスティーノ教授とギャラップ社イスラム研究部のダリア・モガヘド部長が、中東のイスラム教徒は穏健派であれ過激派であれ欧米の自由民主主義を賞賛していると結論づけている。

中東の市民社会とシンクタンクがそれに対応する欧米の団体と緊密な関係を築いているのは何ら不思議ではない。これは重要な事実で、先の「中東の民主化とはネオコンの陰謀なのだろうか?」という記事でさらに詳しく述べている。

きわめて重要なことに、反体制活動家は欧米に亡命拠点を求めるが日本には求めない。そこを拠点にして活動家達は(自国の)人間の自由のためにショッカーと戦うのだ。そうした活動家は枚挙暇がない。アーマッド・チャラビ氏が指導したイラク国民会議はロンドンを拠点とした。レザ・パーレビ氏はワシントン近郊に住んでいる。マリアム・ラジャビ氏はロンドンを拠点としているなどなど。民主化活動家は欧米のメディアに訴えかけ、欧米の市民社会との関係を築こうとする。反体制活動家がどれほど欧米を称賛しているかは、ペルシアン・ジャーナルのようなネット社会を見れば明らかである。これはイランの進歩的なジャーナリストとブロガーのオンライン・フォーラムである。しかしこのサイトは英語で書かれている。このことはイランの市民社会が物質的にも精神的にもアメリカとヨーロッパからかなりの支援を期待していることの表れである。不幸にも中東の市民が日本にここまでの期待をしている兆候は見出せない。

体制派も日本より欧米に目が向いている。アラブの王侯と富豪がショッピングと観光を楽しむのはロンドン、パリ、ニューヨークで、東京ではない。東京には欧米の大都市に劣らぬ魅力ある町があることを考えれば、これは不思議なことである。かつて東京は日本株式会社の本部と見なされた。それ以外の何物でもなかった。しかし今日では東京はポップ・カルチャーの中心の一つである。そうした評判を背景に、麻生太郎外相はアニメ外交によって日本のソフトパワーを向上させようとまで主張している。そうした名声にもかかわらず、中東の体制派は欧米の都市を訪れる方を好んでいる。

明らかに、日本の良い子ちゃん外交では中東の反体制派にも体制派にも印象が弱いのである。

より重要なことに日本国民はイスラム過激派の脅威に警戒を強める必要がある。イデオロギーの観点から言うと、イスラム過激派は日本にとって不倶戴天の敵である。これはイスラム過激派がトルコとイランで近代化と啓蒙化を否定し続けているからである。これは暗黒時代の真っ只中にあるアジアから抜け出して西欧列強の仲間入りを目指す日本のイデオロギーに対して深刻な難題を突きつけている。よく知られているように、日本は明治維新から大正デモクラシーへという見事な進化を歩んでいた。この進化については「新年への問いかけ2:ビクトリア女王が東アジア史に残したもの」と「日本人の歴史認識に問題提起」で述べている。日本は両国にとってロール・モデルであった。ケマル・アタチュルクとレザ・パーレビ1世は日本が行なったように急速な西洋化を推し進めた。

トルコ語の表記はアラビア文字からローマ字に代わった。トルコはNATOに加盟し、EUへの加盟も申請し続けている。イランは白色革命を断行した。イランという国名自体が「アーリア人の国」を意味する。パーレビ王朝二代のシャーは明らかに自分達の国と近隣のアラブ・イスラム諸国とは一線を画そうとしていた。日本はアヘン戦争を機に惰眠をむさぼるアジア諸国と袂を分かった。トルコとイランの両国は日本の近代化と同じ途を歩んだ。

しかしイラン革命を契機としたイスラム過激派の台頭は日本の価値観を脅かし、日本国民のアイデンティティーに対する重大な脅威となっている。今日ではイスラム過激派によってヨーロッパの中核にあるトルコというケマル以来の宿願は、重大な岐路に立たされている。

中東で良い子ちゃん(pretty boy)外交を続けるなど日本にとって恥辱でしかない。日本は先進民主主義国の重役クラブの一員である。よって中東での日本の関与は欧米と同レベルにまでステップ・アップすべきである。歴史的に日本は中東諸国民の近代化と啓蒙化のロール・モデルであった。神権政治家、ジハード主義者、テロリスト、そしてならず者の独裁者は、アメリカにもヨーロッパにも日本にも共通の敵なのである。よって欧米とともに中東の民主化に乗り出すことは日本の国益に適うのである。当記事で述べた事実から、中東での日本のプリティー・ボーイ外交では労なくして得るもの少なしになってしまう。

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コメント

舎さん

中近東の人々が欧米を賞賛しているというのは、それはそういう人々もいるのは当然なのではないでしょうか。西洋が好きという人々はどこの国にもいます。抑圧的な独裁社会での反体制者が憧れ、目標とする外国の国はアメリカです。日本にとっても、幕末の倒幕運動の志士たちが理念として憧れ、目標としたのはアメリカでした。そもそも、ヨーロッパやロシアからの移民が目指した国はアメリカであり、リバティ島の自由の女神です。アメリカこそ、世界中の自由を求める人々にとっての憧れの国なのです。これは20世紀初頭の頃も、21世紀の今も変わっていません。

しかしながら、である、ということと、アメリカが世界各地の解放運動や反共運動を支援するということは、話は別です。現代アメリカの最大の誤りここです。まあ、このへん、世界最強の超大国になってしまったが故の、やむをえなかったということもあります。世界覇権国家であるからこそ、諸外国はアメリカに、良きにせよ悪しきにせよ期待をかけるわけですし。

アラブの王侯と富豪がショッピング先としては、ロンドン、パリ、ニューヨークと並んで、今後、上海や北京になるのではないでしょうか。中国は、現在、中近東の石油とオイルマネーの獲得に猛然と動いています。中近東諸国と中国(と、そしてロシア)の結びつきこそ、今後、警戒すべきです。

そうした中で、日本国の中近東政策はいかにあるべきか。私は良い子ちゃん外交で良いと思います。中近東のみなさんも、日本にはインフラ整備や農業開発などの部門での技術支援や資金援助を求めているのであって、日の丸を掲げた軍隊が駐留してくることを求めていません。そもそも、日本の国力では、欧米と共に中東の民主化に乗り出すことなどできません。日本国は日本国の国力にみあった「良い子ちゃん外交」を黙々と実行していく。それでいいんです。それは十分に合理的で正しい選択です。どこぞの国の大使館が「ショウ・ザ・フラッグ」とか言ってきても、我が国にはそんな国力はございません、と言って、突っぱねればいいんです。吉田茂なら、そうしたでしょうなあ。

こんにちは舎さん(過日は二重投稿してしまってスミマセンでした)。

ぅう~~ん、この記事は舎さんにしてはちょっと文脈が途切れているっと言うか、何かショートカットされているような気がするんですが?

特に”イスラム過激派が日本にとって害になる”っとする辺りですが、具体的にはどういう”害”なのでしょうか?

中東イスラムの反体制派、体制派双方が実は欧米を賞賛(憧憬ですよね)している、ってのは否定しませんが
その彼らが日本に注意を向けないことが”害”なのですか?

日本にはイラン大使館もありますしイランにも在外公館がありますよね、それだけでもかなりなモンだと思うんですが・・・

ソフト外交(何だかよく分かりませんけどね)が駄目だ、っとするなら”ハード外交”なら是っと言うことでしょうか?

aseanさん、

真魚さんのコメントは長すぎるので、aseanさんから答えます。イスラム過激派がなぜ日本にとって許すべからざる敵か?イデオロギーのうえで、イランとトルコで近代国家日本の理念と共通による国家建設に真っ向から異を唱えて暗黒時代への逆戻りを謀っているからです。近代国家日本の理念とは、本文中にリンクした「ビクトリア女王・・・」と「日本人の歴史認識・・・・」で述べている通りです。端的に言ってしまえば、アヘン戦争を機に西洋文明の衝撃に目覚めた日本人が脱亜入欧路線によって、惰眠を貪るアジア諸国民(特に中国、朝鮮、ベトナム)を尻目に一点の曇りもなく啓蒙主義と近代化に邁進したことです。

イランのパーレビ王政とケマル・アタチュルク以降のトルコは、まさに日本と同様な脱亜入欧により一点の曇りもない啓蒙主義と近代化に邁進しました。丁度、プロシアがフリードリヒ大王の絶対的な権力によって啓蒙化と近代化を推し進めたように、日本もイランもトルコも上からの力ずくで啓蒙化と近代化を推し進めました。そこには何の迷いもありませんでした。日本の場合、これが下地になって大正デモクラシーへと進化してゆきましたし、アメリカによる戦後のレジーム・チェンジを成功させる受け皿にもなりました。

近代化の後発国が最先進国に追いつこうとすればプロシアだろうと日本、トルコ、イランだろうと、こうしたやり方しかありません。その意味から言えば、アメリカが力づくで民主化を推し進めることは理に適っています。

イスラム過激派はイラン革命によってこうした日本のイデオロギーを否定したわけです。すなわち、これは日本への敵対行為なのですが、当時の三井石油化学プロジェクトにばかり執心していた大平首相は鈍感にもこれを大目に見ていました。結局このプロジェクトは頓挫しました。

ところで、中東でもどこでも民主化に積極関与とはハードばかりをやれという意味ではありません。ソフトも併用するのは当然です。本文中にリンクしている「中東の民主化はとはネオコンの陰謀なのだろうか?」で述べている通り、エンパワーメントをはじめ市民社会への支援や反体制活動家への援助だってして良いと思います。

ただ、日本のNGOでは技術支援や生活支援は行なっても相手国の社会を変革しようとか政治理念を訴えようというのは余り見かけません。この点では欧米に大きく遅れをとっています。

真魚さん、

真魚さんへの返答ですが、気づかぬうちにaseanさんへの返答とかなり重複してしまいました。そちらも参照してください。

ところでアメリカが世界各地で民主化や反共運動を支援することが超大国になったが故の過ちですか?あれ、真魚さんもロバート・ケーガン著の"Dangerous Nation"を読んだのでは?そこに記してあったはずです。すでに植民地時代からアメリカには人類普遍の理想を土台にした拡張志向があったことを。モンロー・ドクトリンすら、孤立主義ではなく積極介入主義によるものだということを。

ただし、これがアメリカのソフトパワーの向上にもつながっていますし、イラク戦争であれだけアメリカを非難した反戦市民が一転してリベリアやミャンマーの混乱や人権抑圧への対処でアメリカに期待するわけです。

中東の民主化で日本がやれることはaseanさんへの返答に記した通りです。国力がない?ポーランドやオランダでさえイラクに出兵できるのに日本にその国力がない?悪いジョークです。その上、ソフト政策で日本にできることは多いです。これもaseanさんへの返答通り。

>>中近東のみなさんも、日本にはインフラ整備や農業開発などの部門での技術支援や資金援助を求めているのであって

これは多いに問題ですね。欧米の政府とNGOは政治理念の普及や現地社会の改革まで手がけるものもかなりありますが、日本はこの点で欧米に大きく遅れをとっています。だからpretty boyにしかなれないのでしょうね。

>>我が国にはそんな国力はございません、と言って、突っぱねればいいんです。吉田茂なら、そうしたでしょうなあ。

吉田茂の日本は敗戦で焦土と化していました。今の日本とは全く違います。

それに日本の自衛隊は優秀と言われますか、実戦経験が全くありません。これで将来有り得る近隣の脅威との衝突に対応できるでしょうか?

ちなみに企業への就職で優秀な素質と意欲があっても関連した実務経験がないと相手にされないことがあります。たかだか(あえてこの語を使いますが)失敗しても誰も死なないし怪我もしない仕事にしてこの有様です。

戦争ともなれば、未経験故の失敗をされると無数の国民の生死に関わってきます。だからこそ中東だろうが南米だろうがアフリカだろうが、アメリカ軍の脇役としてでも実戦経験を積んだ方が、日本国民の安心のためにも必要ではないでしょうか?

舎さん、どうも相澤です。先達ての番組ではお疲れさまでした。また、メールでこのブログをおしえていただきありがとうございます。メールでもお返事差し上げましたが、ここに自分が名指しされているのでこちらにもコメントしてみます。

まず、不運にも?私はNPO法人PEACE ONの代表であり、ピース・オン・イラクの代表ではありません。あれは私のブログのタイトルですね。紛らわしくてすみません。

「中東での良い子ちゃん外交」という呼び方は何とも言えませんが、当日の私の発言内容からそのように理解されたのだと思います。ただ、私は当日舎さんが指摘された通りの発言をしたわけではなく(そんなに話せる時間はありませんでした)、自分の現地での体験と活動を基にして、「9条を持つ日本だからこそできる武力以外の国際貢献があると思う」と主張しただけです。

ちなみに舎さんは、「こうした甘い夢に浸った発想に・・・」と言われますが、「曰く・・」の三つは日本人の発想というより、実際に中東の多くの人が「これまで」日本人に抱いていたイメージだと思います。ただ、「これまで」というのが大切です。つまり舎さんの主張されるような方向に日本の外交が舵を切り始めてから、中東の人が日本人に対して抱くイメージが変わってきているからです。

舎さんが賞賛されるアメリカを中心とした西側同盟の啓蒙主義と民主主義の拡大が、もしも全人類にとって絶対に正しいものだとするのならばわかるのですが、果たしてそうでしょうか?私は決してアメリカのすること全てに反対しているわけではありません。様々な意味において、アメリカは素晴らしい力を持っている国だと思います。ただ、私は今のアメリカのやり方、特にいわゆる「対テロ戦争」というものが、どう考えても逆に世界中に新たなテロが生まれる温床を作りだしているようにしか見えないのです。

「暗黒時代の理想に精神的に漬かりきっているイスラム過激派を打倒するべき」と主張されていますが、今のアメリカのやり方で本当に打倒できるのでしょうか?イラクやアフガンを見れば火を見るより明らかですが、逆にイスラーム過激派が増えているのではないでしょうか?

イスラーム過激派に限らず、過激派というものはどこでも困った存在です。一般のイスラームの人々にとっても、アルカーイダをはじめとする過激派はイスラームのイメージそのものを悪くするので大変迷惑な存在でした。しかし、アメリカ主導の対テロ戦争の結果、無関係な市民も多く巻き込まれて殺されていくようになると、次第に過激な思想にも共感する人々が増えていくという悪循環が起こっているのです。

私は、日本は中東に限らず国際社会においてアメリカとは別の外交手段を模索していくべきだと考えています。だからといって別にアメリカと敵対すべしというわけではありません。微妙な距離を保ってアメリカとも中東とも付き合って、むしろアメリカのやり方だけではどうしても解決できない問題に日本が独自のやり方で介入していくべきだと思うのです。世界は多様ですし、外交も多様でいいと思います。力づくでは本当の民主化も啓蒙もできないはずです。一時的に成功したように見えても、それは恐怖に基づく隷従に過ぎないでしょう。

長くなったのでこの辺にしますが、中東の人々が日本に来ないことについて一言。

大きな原因のひとつとして、日本には中東の人々のコミュニティーが欧米に比べると極端に少ないということがあると思います。欧米諸国ではこれまで中東からの移民を多く受け入れてきたので、アラブ人街など多くのコミュニティーがあり、日本に比べると衣食住どれをとっても格段に過ごしやすいのです。まずは日本の年間難民受け入れ34人(2006年)という国際的に見て異常に少ない現実を見ることからはじめるべきかと思います。舎さんが賞賛される欧米諸国は年間万単位で受け入れています。

舎さん、

>>イスラム過激派がなぜ日本にとって許すべからざる敵か?イデオロギーのうえで、イランとトルコで近代国家日本の理念と共通による国家建設に真っ向から異を唱えて暗黒時代への逆戻りを謀っているからです。<<

>>イスラム過激派はイラン革命によってこうした日本のイデオロギーを否定したわけです。すなわち、これは日本への敵対行為なのですが、<<

イスラム過激派の人々が何を考えようと、それは彼らの自由であり、日本国としてはあずかり知らぬことです。もし仮に彼らが東京などでテロを行ったのならば、それはテロ行為について裁かれるわけで、彼らの思想・イデオロギーを裁くわけではありません。


>>近代化の後発国が最先進国に追いつこうとすればプロシアだろうと日本、トルコ、イランだろうと、こうしたやり方しかありません。その意味から言えば、アメリカが力づくで民主化を推し進めることは理に適っています。<<

この「理」というのがわからないのですが。なぜアメリカが力づくで民主化を推し進めることが「理」に適っているのでしょうか。

舎さん、

アメリカは革命によって生まれた国家です。革命当時、彼らは人類の普遍的理念なのだと考える理念を掲げました。この理念が、後にフランス革命に影響し、さらに大なり小なり日本の討幕運動の志士たちにも影響を与えました。これは別にアメリカ軍がフランスや日本に行ったからではありません。

アメリカが世界のスーパーパワーになったのは、第二次世界大戦以後です。20世紀に工業大国になったことで、世界各地の民主化や反共運動を軍事的に支援することが可能になりました。ここが誤りですね。18世紀や19世紀のように、理念によって世界に影響を与える国家であればよかったのです。フランスや江戸日本を変えたように、本当に意味のある理念は国境を越えて、他の国の心ある人々に伝わるのです。暴力をもって伝える必要はありません。

yatchさん、

どうも団体名を誤って失礼しました。この記事と英語版の該当記事でピース・オンに名前を訂正しました。

まず9条をめぐる日本と世界の関係ですが、今や日本が安全保障により大きな貢献をすることを期待しているのはアメリカばかりではありません。最近ではNATOのグローバル化が議論され、日本、オーストラリア、そして韓国までもが新世紀の安全保障のパートナーとして挙げられています。また、アジア太平洋からインド洋にかけてもアメリカばかりでなく、オーストラリア、インドとも防衛協力を進めようとしています。これだけ、日本に期待を寄せる国が多いのに、9条が足枷であり続けることが良いのでしょうか?番組の一部で発言したように、日本はアメリカ、NATO諸国をはじめとする自由世界の中核であることを再認識すべきだと私は考えています。

6人の有識者達は仰々しい肩書きで雁首を並べながら、こうしたことが全く議論できていませんでした。

ただし、私はナショナリストと違い9条の歴史的な役割は高く評価しています。確かに彼らが言うように独立国が防衛の自主権を失ってしまいましたが、ファシズムの一掃には必要不可欠だった思っています。今やその役割を終えました。

中東に関して日本人に広く行き渡っている考え方には以前から強い疑問を抱いていました。yatchさんの発言から、そうした意識が刺激を受けたわけです。yatchさんがこのような消極主義でないことはわかりましたが、現状では中東での日本に対する印象が「ナイス・ガイだが頼りにはならない」といった水準にとどまってしまいます。

確かに欧米の自由と民主主義が簡単に中東に定着するわけではありません。しかし多くの困難にもかかわらず、中東の識者と市民が民主化を目指して運動を続けている事実が厳然と存在します。そして彼らは欧米の市民団体やシンクタンクとの交流を活発に行なっています。中東の民主化を促進するために参考になるのはAEIのルエル・マルク・ジェレクトの論文です。そこではこのように述べています。

「イスラム文明はエドワード・ギボンのように厚い信仰心を持ちながらもそれに懐疑的で批判的、そして時には極端に非宗教的な視点から自らの文明の土台を見つめ直した人物を輩出していない。」

イラク戦争で最も憂慮すべきことは、核兵器がなかったことでもサダム・フセイン打倒後の混乱が長引いたことでもありません。中東の民主化という政策が好戦主義と誤解されてしまったことです。イラクとアフガニスタンはある意味で例外です。中東の殆どの地域で行なわれている民主化とは、エンパワーメントなどを主とするもっと地道なものです。カーネギー国際平和財団が発行しているArab Reform Bulletinでは、こうした地道な取り組みが紹介されています。また、中東の識者や活動家からも投稿されています。こうした誤解が広まっているのはメディアの報道が偏っているせいでもあります。

最後に、9条があろうとなかろうと日本ならではできることはあります。何と言っても戦後の焦土から復興してレジーム・チェンジを成し遂げた日本です。「おしん」などその他の教育番組やビデオによって、中東の人々を啓発できます。他のどの国よりも、日本こそこの役割に相応しいです。

真魚さん、

>>イスラム過激派の人々が何を考えようと、それは彼らの自由であり、日本国としてはあずかり知らぬことです。

トルコやパーレビ・イランのように近代国家日本と理念を共有する兄弟を平気で見捨てるようでは、日本人は視野が狭いです。私が折りに触れて両国に言及しているのは、最近の右傾化した日本人の間で大和民族だけの自己満足に浸った愛国心が蔓延していることに憤りを感じているからです。このようなけちな考え方は本物の愛国心ではありません。こうなったのは、彼らが日本とはどのような国であるべきかという具体的な考え方がないからに他なりません。

真魚さん、日本にとってイデオロギー上の兄弟国の行方をあずかり知らぬと言うのですか?アメリカは誰が大統領でもそんな政策はとりませんし、ヨーロッパでもこうしたことは重視されます。

>>もし仮に彼らが東京などでテロを行ったのならば、それはテロ行為について裁かれるわけで、彼らの思想・イデオロギーを裁くわけではありません。

9・11テロではもはや国家や領域といった概念に基づく安全保障政策は通用しないことがはっきりしてきました。このような現状を踏まえた発言とはとても思えないのですが。

アメリカが力を背景に民主化を進めることが理に適っていると言ったのは、近代化の後発国ではフリードリヒ大王のような啓蒙専制君主による力づくの近代化が必要だったという歴史的事実に基づいています。最先進国であった17世紀のイギリスやオランダなら君主が力づくで啓蒙主義を推し進めなくても、市民の力だけで近代国家が築けました。しかし、そうでない国に対してはアメリカの軍事力がフリードリヒ大王の代役を果たす必要があります。

ちなみにフランスは革命後の混乱を収拾できず、ナポレオンに頼らざるを得ませんでした。日本は明治天皇をフリードリヒ大王に仕立て上げて近代化に邁進しました。

理念の実現にも時には力の後ろ盾が必要だということです。

確かにイスラム過激派は日本ではテロはまだ行ってませんが、9・11では多くの日本人が亡くなってます。彼等は普通に生活していたにもかかわらずです。世界を相手に大きな経済活動をおこなって恩恵をこうむっている日本がテロとの戦いに無関心でいて良いのでしょうか?

yatch様がイラクでしている活動は立派なことだと思いますし個人的には尊敬もするし応援もしたいです。
しかし今そのような活動ができるのもアメリカがフセインを倒したからでしょう。
フセイン政権下で虐殺された何十万もの一般市民に手を差し伸べることはできなかったでしょう。
アメリカ的な民主主義のもとだからこそアメリカに批判的な反戦団体やNGOもイラクで活動できるのではないでしょうか。

舎さん、

>これだけ、日本に期待を寄せる国が多いのに、9条が足枷であり続けることが良いのでしょうか?

舎さんのお立場で考えれば、9条というのは確かに足枷でしょう。ただ、同時に9条を外すことによって生まれる危険についても考える必要があると思います。例えば近隣諸国はますます頑なに軍事増強して、衝突の危険性はむしろ高まるでしょう。舎さんもみとめていらっしゃる歴史的な役割によって積み上げてきた世界的な信用を、ここで一気に失うかもしれない。私はまだその役目は終えていないと思っています。しかし私も、その役目だけでいけた時代はもう終わったと思っています。私の主張する9条の意義は、また別のところの可能性です。日本が積極的に国際貢献をすべきというところはとても共感しています。違いはその方法論ですね。

>現状では中東での日本に対する印象が「ナイス・ガイだが頼りにはならない」といった水準にとどまってしまいます。

そこはある程度同意できます。やはりまだいい加減な平和主義だからかもしれません。私は9条の非武装非暴力の理念を本気で体現する日本人が増えれば変わるのではないかと思っています。

>「イスラム文明はエドワード・ギボンのように厚い信仰心を持ちながらもそれに懐疑的で批判的、そして時には極端に非宗教的な視点から自らの文明の土台を見つめ直した人物を輩出していない。」

そこはわかります。確かにイスラームは変わらなければいけないところも多いと思います。私が出会った人々の中にはそういう思想を持っている方もいるのですが、主流にはなっていませんね。欧米に介入され続けた近代史の屈辱感が、ここ最近の対テロ戦争でますます強くなって、とても頑なになってしまっているような気がします。

>イラク戦争で最も憂慮すべきことは、核兵器がなかったことでもサダム・フセイン打倒後の混乱が長引いたことでもありません。中東の民主化という政策が好戦主義と誤解されてしまったことです。

開戦の経緯を考えれば、イラク戦争は残念ながら好戦主義の印象しか世界に与えないと思います。

>最後に、9条があろうとなかろうと日本ならではできることはあります。何と言っても戦後の焦土から復興してレジーム・チェンジを成し遂げた日本です。「おしん」などその他の教育番組やビデオによって、中東の人々を啓発できます。他のどの国よりも、日本こそこの役割に相応しいです。

大賛成です。ちなみにイラク人は日本のアニメも大好きですよ。ドラえもんも未来少年コナンもアラビア語吹き替えでやってました。

こんな議論を番組でも出来れば楽しかったでしょうね。

アラメイン伯さま

>世界を相手に大きな経済活動をおこなって恩恵をこうむっている日本がテロとの戦いに無関心でいて良いのでしょうか?

もちろん、無関心でいいわけはないですよね。戦い方をどうするかだと思います。武力を使わざるを得ない状況があることは私も認めます。しかし今のテロとの戦いは武力に依存しすぎていて逆効果ではないかと思うのです。

>yatch様がイラクでしている活動は立派なことだと思いますし個人的には尊敬もするし応援もしたいです。

ありがとうござます。

>しかし今そのような活動ができるのもアメリカがフセインを倒したからでしょう。
フセイン政権下で虐殺された何十万もの一般市民に手を差し伸べることはできなかったでしょう。
アメリカ的な民主主義のもとだからこそアメリカに批判的な反戦団体やNGOもイラクで活動できるのではないでしょうか。

アラメイン伯さまなら言わずもがなでしょうが、よく言われることなので念のため。「アメリカのやり方に反対する」=「サッダーム賛成」というような単純なものでは決してありません。サッダーム政権はもちろん問題でした。しかし、査察を受け入れていたあの段階で、果たして武力行使が必要であったか?ということです。

ちなみに私はサッダーム時代に初めてイラクに入りました。当時は制約が多くとても活動しにくかったのは事実ですが、今のように命が脅かされることはありませんでした。NGOが最も自由に活動できたのは政権崩壊から1年程度に過ぎず、その後は現在まで外国人が現地で直接活動することはほぼ不可能なほど治安が悪化しています。独裁者は消えたとは言っても、選挙が行われたからと言っても、今のイラクは決して民主主義とは呼べない状況です。「昔はサッダームさえ恐れていれば安全に暮らせた。今は誰の悪口を言ってもどこでだれが聞いていて、いつ捕まって殺されるかわからない。小さなサッダームが100に増えたようだ」こんなことをイラク人からよく聞きます。

「フセイン政権下で虐殺された何十万もの一般市民に手を差し伸べることはできなかったでしょう」実は同じようなことを政権崩壊直後にイラク人の友人から言われたものです。「俺だって戦争はいやだ。ここまで来てこの戦争を止めようとしてくれたのは嬉しいけど、これまでサッダームの恐怖政治、そして経済制裁の地獄に苦しんでいたときは何をしてくれたんだい?戦争でもいいからこの状況を変えてほしかった俺達の気持ちもわかってほしい」とまで言われた時、私は返す言葉がありませんでした。単に戦争を止めるだけでは、決して彼らの平和を作りだすことはできないと猛省したものです。そういう意味で、私はただ「戦争反対」だけを唱えているような平和主義者は嫌いです。平和主義を口にするなら、「戦争がダメなら、どうするのか」という対案の実現に命がけで取り組まなければならないと思っています。

しかし、だからといってあのイラク戦争は正しかったのでしょうか?本当にあれしか方法はなかったのでしょうか?上のような意見を言うイラク人は当時確かに多かったです。しかしアメリカの攻撃によって家族を失った人はもちろんそんなことは言えません。結局、どちらからどういう暴力を受けたかによって意見は全く違っていました。そして、今のイラクについて上記の発言をした友人は、サッダームについてもアメリカについても沈黙したまま、ただ「地獄だ。まともな生活などできない・・・」と呟きます。彼の妹は昨年戦闘に巻き込まれて殺されました。

今は、日によっては一日に100人も殺されるという日常ですが、みんなこんな恐怖はサッダーム時代には味わったことがないといいます。現在治安の悪化から家を出て国内外に避難したイラク人は400万人をゆうに超えました。繰り返しますが、だからサッダームが正しかったというつもりはありません。ただ、答えは二つに一つではないと思うのです。もっと他の方法を選んでいれば、ここまでのイラク人が殺されて、恐怖に怯える必要はなかったと思うのです。

yatch様。ありがとうございます。
護憲派の人の意見で初めて論理的な話を聞いた気がします。

ただ、私としてはイラク戦争の開戦の判断とフセイン政権を倒したのは正しかったと思います。湾岸戦争の停戦条件によればイラク側に大量破壊兵器を持ってないことを積極的に証明する義務があるわけで何度も査察を拒否し妨害したの事実なのですから。
結果的に核兵器は発見されませんでしたがクルド人や反体制派に化学兵器を使ったのも事実です。自国の市民を簡単に殺戮できる政権は他国の市民はもっと簡単に殺戮できる可能性が高い。自由世界全体に対する脅威だったのです。

確かにアメリカの占領政策には問題があると言わざるおえません。
ラムズフェルド国防長官が制服組の意見を容れず少数の特殊部隊に頼ったのが間違いで、本来なら各国の協力をあおぎ何十万もの大軍でイラクの家を一軒一軒まわって「刀狩」をすべきだったと思います。

今、イラクの人達が大変な状況にあることは抗弁できません。
しかし長期的な視点でみればどうでしょうか?
イラクの人達は圧制を敷く独裁者の強圧的な統治のもとでしか安定を保てないような無知蒙昧の民でしょうか?
私はそうは思いません。砂漠の誇り高い民だと思います。
イラクの人達も選ぶことができるなら圧制ではなく自由。独裁ではなく民主主義。秘密警察の支配ではなく法の支配ではないでしょうか?

ここでアメリカが退けば宗派対立により治安はさらに悪化するでしょう。
日本もイラクが民主主義社会を創るために協力すべきではないでしょうか?

アラメイン伯さん、こちらこそありがとうございます。

まずはイラク開戦の是非について。私は、たとえ結果がどうであれ、国連安保理の承認を得ないままに踏み切ったこと、さらには国際法で認められていない先制攻撃を仕掛けたということは間違いだったと思っています。イラクが過去何度も査察を妨害してきたのは事実ですが、次第に受け入れる姿勢に転じていました。今回の開戦の論理が通用してしまうと、大国の意思次第で何でも出来ることになってしまいます。

また、サッダームの脅威については、過去アメリカの支援もあって一時期は相当な脅威になっていたのは事実です。ただし今回の開戦の理由となった脅威に関しては、現在アメリカ政府も認めているように相当誇張されていたのではないでしょうか。少なくともすぐに武力行使が必要なほどの差し迫った脅威ではなかったはずです。

>今、イラクの人達が大変な状況にあることは抗弁できません。
しかし長期的な視点でみればどうでしょうか?

私も以前は、「戦争は止められなかったが、こうなってしまった以上、後はとにかくいい方向に行ってくれれば」とも思っていました。しかし問題はここまで治安が悪化して、社会システムも市民生活も破壊された結果、多くのイラク人の精神的支柱まで破壊されてしまったことです。「破壊された建物を建て直すのは難しくはないが、失われた数十万人もの命は戻らないし、戦争と混乱の時代しか知らない世代の精神が立て直されるまでには、200年は必要だろう」と、昨年私たちが日本に招聘したイラク人画家、シルワン・バランは嘆いていました。

>イラクの人達は圧制を敷く独裁者の強圧的な統治のもとでしか安定を保てないような無知蒙昧の民でしょうか?
私はそうは思いません。砂漠の誇り高い民だと思います。

そう言ってもらえて嬉しいです。まさにその通り、彼らは誇り高きメソポタミアの民です。そしてまさにその「誇り」故に、この屈辱的な占領状態を受け入れることが出来ないのです。

>イラクの人達も選ぶことができるなら圧制ではなく自由。独裁ではなく民主主義。秘密警察の支配ではなく法の支配ではないでしょうか?

もちろんその通りです。ただ、考えるべきは、西欧社会が考える自由と民主主義、そして法の支配の理念が、必ずしも人類普遍のものとは限らないことと、とりわけ実現するための方法論に関しては、その文化的背景によって大きく異なってくるということです。アラブ社会にはアラブ社会ならではのやり方があります。もちろんだからほっとこうというわけではありません。お互い積極的に改善の提案はしていくべきです。ただしそれが力による強制になってしまえばやはり反発しか生まれないでしょう。

>ここでアメリカが退けば宗派対立により治安はさらに悪化するでしょう。

ここまで悪化してしまうと、もはや退いても残ってもすぐに良くなることは望めません。米軍が守っている治安もありますが、逆に米軍の存在自体が治安悪化の原因にもなっていて、さらに最近は兵士のモチベーションが下がっているせいか、現地の友人から「戦闘があっても米軍は何もしない」という報告も増えています。また、最近増えているイラク人のジレンマを紹介しますと、「この混乱の原因である米軍には出ていってもらいたが、今すぐ出ていかれるとどうなるかわからず怖い」というものです。私も米軍の即時撤退には反対ですが、期限を切って段階的に撤退すべきだと考えています。その撤退プロセスの中で、これまでの権限を国連に渡していくのです。もちろん国連も嫌われていますから、それ相当の犠牲はともなうでしょうが、少なくとも今の米軍よりは嫌われていません。いずれにしても国際社会が本気で取り組まなければイラクの再建は不可能です。

>日本もイラクが民主主義社会を創るために協力すべきではないでしょうか?

もちろんです。ただ、前コメントの繰り返しになりますが、問題はその取り組み方をどうするかであり、私はやはり今のアメリカのやり方に一緒になっていくのでは逆効果だと考えています。

また長くなってしまいました。舎さんのブログなのにすみません。

アラメイン伯さん、

イラクとの開戦は核兵器の他に中東の民主化という大義名分がありました。後者についてはアラメイン伯さんの指摘の通り、ラムズフェルド前国防長官が少数精鋭の軍に固執したことがサダム打倒後の混乱につながりました。ただし最近では米国民主党は建設的なイラク政策を示せに記した通り、武装グループの討伐は前進が見られるようです。他方で民族・宗派間の対立は解消されぬままということです。これについては、この次の次で取り上げるつもりです。

サダムを打倒すればすぐにも中東が民主化されるかのような楽観主義の行き過ぎは誤りでした。しかし危険がありながらイラク国民が選挙に出向いているのは重要で無視できない事実です。カーネギー国際平和財団のトマス・カロザースは開戦直前の論文でイラクには日本やドイツにあった大正デモクラシーやワイマール民主主義が存在しなかったことを指摘しています。よってイラクの民主化の道程が平坦でないと述べていました。そうした困難にもかかわらず、イラク国民が選挙に行っているという事実はどのように解釈すべきなのか?

民族・宗派で言えば、サダム治世下で弾圧され続けたクルド人は多国籍軍の占領後の新体制を歓迎しています。メディアはバグダッド周辺ばかりを取り上げます。

最後にこちらの記事の参照を。イラク戦争報道風刺漫画


yatchさん、

何度もコメントいただきながら、なかなか返答できませんでした。ところで護憲派の人達の議論でいつも疑問に思うのは、9条の改正あるいは廃止が直ちに大戦争につながるかのような発言が横行していることです。実際に戦争を行なうか行なわないかは政策の問題です。ここで言う護憲派とはあくまで一般論です。

かつての戦争と違い、今の戦争は自衛と攻撃の区別は明確につけにくくなっています。これは対テロ戦争のように非国家アクターが出てきたからなのですが、スタジオではこうした議論が全くなされずに自衛のための兵力かどうかといった討論が行なわれてしまいました。これは残念なことです。

新時代には小規模な地域紛争や東南アジアの海賊討伐(まさに非国家アクター)で日本に対する関係国の期待は高まると思われます。

それにしても今の自衛隊は余りに優しくてかわい過ぎです。何せよく演奏するのが、「No. 1でなくても良い。オンリー1で良い。」です。演習などでは優秀だと評価の高い自衛隊、実戦では大丈夫か?やはりもっとパワフルな曲、例えば「Let's go! ライダー・キック!」ぐらいでないと。おや、これはこのブログのテーマ・ソングの一つでした。

そのくらいの自衛隊です。これが国防軍に変わったとしても旧日本軍になるとは思えません。

今は次の記事を完成させたいです。対米関係について、最も発言すべき親米派に発言の機会がありませんでした。あの結論に全ての出演者が同意しているわけではありません。局に対しては、司会の進め方をを再考できないかと私なりの提案をあれこれしてみました。特に司会者は会場の回答番号札と肩書きに頼って指名するのではなく、出演者の思想的バックグラウンドを事前に把握した方が良いと言いました。

私よりもっと良い案が浮かぶ人も何人かいるかも知れません。ともかく、討論の進め方次第でもっと良い番組ができるはずです。

イラクについては次の次で書くつもりです。最近のNIEレポートの他にAEIのフレデリック・ケーガンのコメントなどを取り上げるつもりです。あの兵力増強後の作戦勧告を書いたキー・パーソンです。

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