新年への問いかけ:西洋文明とアメリカの覇権への反発
2007年はパキスタンでのベネジール・ブット氏の暗殺という悪夢のようなテロ攻撃で幕を閉じた。イスラム世界での西洋文明への反感は今年の重要な問題になりそうである。これはアメリカの覇権に敵対するものである。NPRラジオでニュー・リパブリック誌のピーター・バイナー編集員はパキスタンが民主化の普及にブッシュ政権がどれほど本気で取り組むかの試金石になると述べた。
イスラムだけが西洋文明の優位に反発しているわけではない。以前の記事でも述べたように、中国は儒教の価値観による別の世界秩序を模索してアメリカに対抗しようとしている。またロシアはプーチン政権下での経済的成功を背景に自信満々に振る舞うようになっている。
そこで以下のことを問いたい。彼らが西欧の啓蒙主義を受け容れるのに及び腰で暗黒時代の権威主義に固執するのはなぜだろうか?そして自由主義世界秩序にはどのような悪影響をもたらすのだろうか?
私は多文化主義を否定しないが、それは一国の社会的な一体感を損なわず自由主義世界秩序の発展に寄与するという条件に適う限りである。北京にある清華大学の閻学通教授は東洋的な価値観の台頭によって世界の文明を豊かなものにできるかも知れないと言う。
しかし問題は、自分達の民族の文明の再興を主張する者がしばしばこれを利用して啓蒙主義を拒否し、暗黒時代の権威主義を擁護していることである。1990年代には東南アジア諸国の経済が急成長し、シンガポールのリー・クアンユー首相やマレーシアのマハティール・ビン・モハマド首相らがアジア通貨危機という惨めな経済政策の失敗にまみれるまではアジアの価値観を高らかに謳い上げた。両首脳とも今日の中国、ロシア、イスラム過激派の指導者のように西欧型啓蒙主義を声高に批判していた。
またアメリカン・エンタープライス研究所のルエル・マルク・ゲレクト常任フェローは欧米が自らの文明への自己批判を経てきたと指摘する(“Selling out Moderate Islam”; Weekly Standard; February 20, 2006)。
イスラム文明はエドワード・ギボンのように厚い信仰心を持ちながらもそれに懐疑的で批判的、そして時には極端に非宗教的な視点から自らの文明の土台を見つめ直した人物を輩出していない。
実際には中国、ロシア、その他アジア諸国民も自分達のエドワード・ギボンを輩出していない。今日、ここに挙げた諸国は急速な経済成長を謳歌している。これら諸国は国際社会の進歩に貢献するのだろうか、それとも西洋文明とアメリカの覇権に対する不満分子に終わるだけなのだろうか?彼らがギボンのような歴史学者を輩出できない限り、経済が発展しても不満分子に留まるしかないであろう。
西欧は中世には未開であった。この時代の西洋は封建秩序、教会の権威、未開の迷信に支配されていた。ギリシア・ローマ文明の再生によって西欧は暗黒時代より解き放たれた。西欧型啓蒙主義は日本とトルコで素晴らしい成功を収めた。イランでもパーレビ王政下の近代化に反対した悪名高き革命が起きるまでは成功を収めていた。
他方で、暗黒時代の教会支配が近代をもたらしたことも注目すべきである。
大学が創立され、知の探求が始まり、工業技術への信頼が生まれ、そして個人主義が生まれてきた。
個々人と神の関係を重視するプロテスタントの教義が個人主義を生んだのか、それとも個人の尊重がプロテスタントの発展に寄与したのかは定かではないが、いずれにせよ個人主義は生まれてきた。 (The Future of Capitalism, Lester Thurow, p.268)
ロシア、中国、その他アジア諸国の経済成長は著しいが、依然として暗黒時代の最中にある。中世の西欧が次の時代に向けて新しい価値観を生み出したように、彼らもそうできるのだろうか?できなければ西洋文明とアメリカの覇権への不満分子に留まるしかない。
議論を深めるために、日本と西洋文明については別の機会で述べたいが、それは日本が脱亜入欧によって西洋列強の仲間入りをしたからである。
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