日米同盟50周年円卓会議から民主国家連盟へ
去る5月24日に日本国際フォーラムが主催した日米同盟50周年円卓会議では、同盟をめぐる日米両国の意識の違いや中国の脅威について最先端の議論が広げられ、非常に有意義であった。しかし日米双方から参加した専門家達の議論内容があまりに二国間と東アジア地域の問題に偏りがちであった。そのため、世界の基本構図である「民主国家対専制国家」という視点から日米同盟が議論されていれば、円卓会議はもっと充実したものになったと思われる。
私は日米同盟を新世紀の世界構図に合わせて深化発展させるには、日米欧同盟にまで拡大すべきと考えている。折しもNATOのグローバル化が叫ばれ始めた今世紀に、安倍政権と麻生政権は日本とNATOの協調関係に積極的であった。麻生太郎氏は外相の頃からブリュッセルのNATO本部を訪れ、首相としても「自由と繁栄の弧」構想を主張したほどである。それに対し、鳩山由紀夫首相は世界の中での日本の立場の認識がきわめて近視眼的な東アジア志向の持ち主と見受けられる。日米中の正三角形など、そうした未熟さを明らかにしている。
そのため、前回の記事で述べたような視点が円卓会議で議論されていればと願わずにはいられなかった。まず、日本から見てヨーロッパはそれほど遠いのだろうか?アメリカの同盟国として、日本と最も利害と理念を共有しているのはヨーロッパ諸国である。実際にかつてのG5から現在のG8まで、日本とヨーロッパはパックス・アメリカーナ支える世界の共同経営者である。明治維新以来、日本には西洋列強の一員として国際政治を渡り歩いた歴史的な経緯もある。
日本側には、もう一押し二押しで私の考えていることを議論してくれたと思えるパネリストもいた。円卓会議の共同議長を務めた伊藤憲一日本国際フォーラム理事長は日米同盟のグローバル化を説いた。世界規模で活動する日米同盟となると、やはり日米欧先進民主国家同盟まで考える必要があると思われる。国家基本問題研究所の櫻井よし子所長は自由の価値観の重要性を強調した。ただ、櫻井氏の視点はアジアに偏りがちな印象を受けてしまった。両パネリストの発言を聴いているうちに、私は野球場の外野席でホームラン・ボールを待つファンのような気持ちになった。「さあ、自分の場所に飛んできたぞ!」と思った大飛球は二度ともフェンス前で失速して外野手に捕球されてしまった。私に発言機会があれば問題提起してみたかった課題を議論に上げてもらえるという期待が高まっていただけに、非常に惜しく残念であった。
アメリカ側のパネリストからもアメリカの東アジア・対日政策に貴重な示唆を与えてくれる発言が相次いだ。だがより多様な出席者が議論に参加していれば、アメリカの本音に迫れたのではないかと思われる。日本の政府もそうであるが、日米関係というと日本・東アジアの専門家との対話に偏りがちな傾向がある。しかし政治的に見れば日本は明治以来「欧米先進国の一員」でもあったので、ヨーロッパなど他地域の専門家を招くのもよかったと思われる。そうすれば、これまでにない日本ファンの獲得にもつながり、アメリカ側の参加者が盛んに述べていた日米対話の深化にもつながるのではなかろうか?また、日本側が与野党の関係者を招いていたので、アメリカ側にもオバマ政権の外交方針に批判的なパネリストを招いてもよかったと思われる。先の大統領選挙で共和党の候補であったジョン・マケイン上院議員は、選挙期間中にロバート・ケーガン氏らネオコンの論客が主張する民主国家連盟の構想を採り入れた論文をフォーリン・アフェアースに掲載していた。
以上の観点から、日米欧同盟の再強化により民主国家の団結を強め、専制国家に対抗する、新しい国際課題に共通の理念と国益で対処することこそ、この円卓会議で議論された日米同盟の深化と再定義につながる。
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