オバマ外交で脆弱化する世界の安全保障
今年の11月に控えた中間選挙を考慮すれば、オバマ政権の外交政策をどのように評価するかは重要である。就任からほどなく、バラク・オバマ大統領はカイロとプラハで物議を醸すような演説を行ない、イスラム世界に対する寛容、過去の力の外交への謝罪、そして核なき世界に実現への決意を印象づけた。また、オバマ氏はロシアと中国との関係もリセットしようとしている。ブッシュ政権のカウボーイ外交を非難した勢力はプラハとカイロの演説には平伏礼賛であった。しかし私はオバマ氏がアメリカ外交を謝罪し権威主義国家の台頭を受容する態度をとることを批判し続けてきた。よってオバマ政権の外交政策の方向性を見定め、それがこれまでの政権のものとはどれほど違うかを検証することが重要に成ってくる。
オバマ政権下のアメリカ外交を理解するために、今年の1月14日にBBCラジオでキャスターを務めるロビン・ラスティグ氏がカーネギー国際平和財団で司会を行なった、以下のパネル・ディスカッションのビデオを参照して欲しい。このイベントではアメリカ外交で何が変わり、何が一貫して変わらないのかが検証された。リベラル派がオバマ政権による外交政策の変化を高く評価しているのは、ブッシュ政権下の「高圧的な単独行動主義」でアメリカの立場が悪化したと考えているからである。
リベラル派のアメリカ外交政策専門家であるカーネギー国際平和財団のジェシカ・マシューズ所長は、上記のような見解を述べた。マシューズ氏はブッシュ政権のイラク戦争にもレジーム・チェンジ政策にも批判的であった。また「民主化促進」という用語が軍事介入の恐怖感をかき立ててしまい、アメリカの理念の正当性を低下させたと嘆いた。マシューズ氏はオバマ政権の組閣で国務長官と国家安全保障担当補佐官の候補にも挙げられていただけに、オバマ外交を称賛しても何ら不思議ではない。実際にオバマ氏はブッシュ政権が残した全世界に広がるアメリカへの不信感を払拭しなければならないと主張する論文を記しているほどである。マシューズ氏はオバマ氏がプラハ演説とカイロ演説、イランへのノルーズ・メッセージによってアメリカのイメージを大きく改善したと述べている(“Solid and Promising”; American Interest; January-February 2010)。私はアメリカが課題が多様化し、多国間の取り組みが必要なことには同意する。しかしヘリテージ財団のナイル・ガーディナー氏が述べているように、オバマ氏は権威主義国家のナショナリストや世界各地の極左勢力を宥めるためにアメリカのやることなすことを謝罪すべきなのだろうか? マシューズ氏は世界各地でのアメリカのイメージに関する世論調査に言及しているが、国際世論調査には憎しみのイデオロギーを信奉するような勢力も含まれ、彼らは自由のイデオロギーを信ずる者達に対して本質的に相容れない敵対勢力である。
このイベントで私を驚かせたのはカーター政権で国家安全保障担当補佐官を務めたズビネフ・ブレジンスキー氏のオーディオ・コメントである。オバマ氏に魅了されてしまったブレジンスキー氏は、ブッシュ政権の外交政策によって傷つけられたアメリカのイメージを改善したというだけでもオバマ氏はノーベル平和賞に値すると言う。この発言はまるでドン・キホーテのようである。ワシントン・ポストのリベラル派コラムニストのルース・マーカス氏でさえ受賞のニュースに驚愕したほどだというのに(“A Nobel for a Good Two Weeks?”; Washington Post---Post Partisan; October 9, 2009)。普段のドン・キホーテは理性と熟慮の人物だが、騎士道精神に関わる事柄になると完全に夢想的な人格に変わってしまう。冷徹な理性の人であるブレジンスキー氏もオバマ氏に関することになると、このように人格が変わってしまう。
確かにオバマ大統領には全世界の人々を惹きつける独特の魅力があるとは言える。しかしそれはアメリカ外交にプラスとなるのだろうか?全世界の左翼が狂喜したのは、多くの人々が感じているようにオバマ氏に「非アメリカ的」な側面を見出しているからである。しかし今やオバマ大統領は合衆国大統領として振る舞わねばならない。大統領はアフガニスタンでのテロリストの打倒、イランと北朝鮮への核拡散の阻止、大国としての自己主張を強めるロシアと中国への対応で断固とした態度を示さねばならない。リベラル派の論客達はオバマ氏のチェンジを称賛しているが、カーネギー国際平和財団のロバート・ケーガン上級研究員は、ジョン・マケイン氏もグアンタナモ収容所の件に代表されるようにブッシュ政権の政策を一部変更しようとしていたと述べた。リベラル派は共和党批判にとらわれる余り、オバマ氏を過大評価している。よってオバマ外交に公正な評価を下す必要がある。
このイベントで議論された問題を個別に振り返りたい。このイベントの冒頭ではオバマ政権での外交政策の刷新が議論された。マシューズ氏とブレジンスキー氏はプラハ演説とカイロ演説に深く感銘を受けたようだが、ロバート・ケーガン氏はオバマ外交がアメリカ外交に見られる道徳主義と理想主義の伝統に従っていると述べた。問題として私が指摘したいことは、オバマ氏の理想主義がきわめてウィルソン・カーター的なことである。
このパネル・ディスカッションで最も重要な議題となったのは中東問題で、アフガニスタン、イラク、イラン、パレスチナがとりあげられた。アフガニスタンのアシュラフ・ガニ元財務相は軍事関係機関と社会経済関係機関の連携がうまくとれていないために反乱分子鎮圧作戦の進展が妨げられていると指摘する。ガニ氏は契約に基づいて開発事業の運営を行なうだけのUSAIDでは経済再建事業には充分に対応しきれないと語った。また、パキスタンにあるテロリストの根拠地も事態をさらに複雑にしている。マシューズ氏に代表されるリベラル派はオバマ氏に目標設定を下げて勝利の再定義を行なうように主張しているが、ケーガン氏に代表されるネオコンは正しい戦略によってこの戦争での勝利は可能だと主張する。ともかく、この戦争の成功はオバマ大統領の指導力にかかっている。このイベントはオバマ氏の最高司令官としての資質を厳しく問いかけたマクリスタル事件より前に開催された。
中東ではこの他にイランが大きくとりあげられた。昨年6月12日の民主化運動を考慮すれば、アメリカは核問題での対話の継続が有益かどうか再考する必要に迫られている。むしろイランの市民による新体制の対応を支援し、核問題についてより建設的な交渉を行なった方がよいかも知れない。
中国との関係は微妙である。米中双方とも金融危機以降の世界経済の運営での協調の強化を模索しているが、両国関係の改善には人権、チベット、台湾といった問題が依然として障害となっている。司会のラスティグ氏はオックスフォード大学のスティーブ・ツァン教授の発言を引用し、中国政府にとってオバマ氏の対中政策はブッシュ氏の政策より見通しを立てにくいと述べた。これに対してカーネギー国際平和財団のダグラス・パール副所長は、オバマ氏はブッシュ政権の対中政策を土台にすると決意したと応えた。しかしパール氏は中国がオバマ氏の姿勢をよくわかっていないことは憂慮していた。中国がアメリカを挑発してオバマ氏が弱いかどうかを試すことも考えられるので、パール氏の懸念は理解できる。カーネギー・BBC共催イベントではアメリカ外交の差し迫った課題を理解するうえで重要な視点および論点が展開されている。
核不拡散に関してオバマ大統領は4月12日から13日にかけてワシントンで第一回核セキュリティー・サミットを主催し、それはメディアと知識人から大いに注目された。中にはオバマ氏を核なき世界に向けた救世主だと称賛する者までいる。カーネギー国際平和財団のジョージ・パーコビッチ副所長は、保守派もリベラル派もプラハ演説の骨子を誤解していると指摘する(“The Obama Nuclear Agenda: One Year after Prague”; Carnegie Policy Outlook; March 31, 2010)。パーコビッチ氏は以下の三点が重要だと言う。それは核なき世界ははるかに安全である、それを実現することは難しい、そして核兵器が存在する限りアメリカは自国本土と同盟国を守るために核抑止力を維持するということである。
オバマ大統領はNGOや著名人を招待して「核兵器全廃」合意の署名を見せつけたが、核廃棄の実現性や多国間交渉のスケジュールに関しては言及していない。左翼はオバマ氏の呼びかけがアメリカの国益まで犠牲にした画期的なものだと理解している。他方でオバマ氏に批判的な勢力は一方的な核軍縮を警戒している。ジェームズ・シュレジンジャー元国防長官(“Why We Don’t Want a Nuclear-Free World: The Former Defense Secretary on the U.S. Deterrent and the Terrorist Threat”; Wall Street Journal; July 13, 2009)、ジョン・カイル上院議員、リチャード・パール氏(“Our Decaying Nuclear Deterrent. The Less Credible the U.S. Deterrent, the More Likely Other States Are to Seek Weapons”; Wall Street Journal; June 30, 2009))らはオバマ氏の呼びかけを夢想的だと批判する。実際にはオバマ氏は4月の核サミットに参加した47ヶ国を全て含めた新しい核不拡散体制を作ろうとしている。ジョージ・パーコビッチ氏はオバマ氏の主張を正しく理解しないと、諸外国の首脳達が新しい核不拡散体制に参加するうえで障害になるばかりか、どこかの国が核実験を行なう危険性も高まると結論づけている。他の問題と同様に、私は全世界の左翼に広がる救世主オバマという誤ったイメージによってアメリカと自由主義同盟諸国の安全保障が脅かされると強調したい。
アメリカの本土防衛も重要である。今年の2月にはディック・チェイニー前副大統領とコーリン・パウエル元国務長官の間でオバマ氏の国家安全保障政策をめぐって激しい議論があった。チェイニー氏はオバマ氏がグアンタナモ収容所を閉鎖し、デトロイトでクリスマス爆弾テロを計画したナイジェリア人のハリド・シーク・モハメドを一般犯罪者として起訴したことを非難した。チェイニー氏はオバマ外交によってアメリカの安全が脅かされていると言う(“Cheney criticizes Obama on national security policy, and Biden fires back”; Washington Post; February 15, 2010)。さらにチェイニー氏の娘のリズ・チェイニー氏はジョセフ・バイデン副大統領がディック・チェイニー氏を非難したことに厳しく反論した。リズ・チェイニー氏はオバマ政権がアル・カイダによる核および生物化学兵器の入手の脅威を軽く見ていると主張する(“Liz Cheney: Biden, Obama Administration Ignoring Al Qaeda Pursuit of WMD”; FOX News; February 15, 2010)。CBSのフェース・ザ・ネーションという番組に出演したコーリン・パウエル氏は、ブッシュ政権が設立した機関はオバマ政権でもよく機能し、アメリカの安全は脅かされていないと述べた(”Powell: We Are Not Less Safe under Obama”; CBS News; February 21, 2010)。いずれにせよパウエル氏はディック・チェイニー氏との論争でアメリカの安全保障は悪化していないと言っただけで、改善したとは言っていない。
オバマ政権の外交政策をどのように評価すべきだろうか?ロバート・ケーガン氏はリベラル派の間でのオバマ外交への過大評価に対して注意深く論評している。オバマ氏は冷戦後の政策から離れてしまうという致命的な誤りを犯した。バラク・オバマ氏はラーム・エマニュエル大統領首席補佐官がブッシュ・シニア氏になぞらえているように、「実利的なリアリスト」かも知れない。問題は、オバマ氏が権威主義体制との協調によってアメリカの国益が達成されると信じていることである(“George H.W. Obama?”; Foreign Policy Interview; April 14, 2010)。オバマ政権は「アメリカ後」の世界を何のためらいもなく受け入れ、危険な風潮を跳ね返そうという気は余りないことである(“Obama's Year One”; World Affairs; January/February 2010)。オバマ氏は自由主義世界秩序に対抗しようという勢力と「互恵的」な関係を模索しようとしているが、相手は「ゼロ・サム」の原則で応じてくる。旧ソ連地域でのロシア、アジア太平洋地域での中国といった大国が地政学的な挑戦を突きつけてくるのは典型的な例である(“The Perils of Wishful Thinking”; American Interest; January/February 2010)。覇権安定論の観点からすると、オバマ氏の平和主義は世界の安全を損なっている。オバマ氏はパックス・アメリカーナが自由主義世界秩序を強化してゆくための公共財であることを理解する必要がある。
ロシア・スパイ事件はオバマ外交を再考するための警鐘の一つである。この事件がG8およびG20サミット期間中に行なわれたオバマ・メドベージェフ会談でリセット機運が高まる最中に起きたことは皮肉である。外交政策の専門家達は米露の雪解けは再考される必要があるとの見解で一致している(“What the Russian Spy Case Reveals”; Council on Foreign Relations; July 12, 2010)。ロシアとの互恵的な関係構築が可能と信じるオバマ政権は、イラン核問題への対処での協調関係の強化をロシアに呼びかけている。しかしロシアはイランの核保有に対して言葉のうえでの非難はしたものの、テヘラン神権体制への全面的な武器禁輸には同意しなかった。ロシアはイランにS300地対空ミサイルを売却している。またオバマ氏の宥和路線によって東ヨーロッパと旧ソ連諸国がクレムリンの再拡張主義に脆弱な状態でさらされることになった(“A Hollow 'Reset' With Russia”; Washington Post; May 25, 2010)。
外交政策全般については批判すべき点は多々あるものの、ロバート・ケーガン氏はオバマ政権が挙げたいくつかの成果は高く評価している。イランに関してロシアと中国を相手に手緩い譲歩はしたものの、両国の取り込みによってトルコとブラジルが行なおうとした仲介の意義はなくなった。さらに日本の鳩山由紀夫首相は普天間基地問題をめぐってオバマ氏の強い圧力を受けて辞任し、新任の菅直人首相は日米同盟が日本とアジア太平洋地域の安全保障の中核であると再確認した(“Obama's 5 Foreign-Policy Victories”; Washington Post; June 29, 2010)。
今回の記事ではアメリカ外交に関する問題を広範囲にわたって述べてきた。最も重要な点は、オバマ大統領が合衆国大統領として行動するのだろうかということである。一方でオバマ氏は生温い実利主義者ではあっても、全世界の左翼が称賛するような救世主ではない。他方でオバマ氏はウィルソン・カーター的な理想主義者ではあるが、アメリカの力と理念に対して余りにも自己批判的である。来る中間選挙はオバマ大統領が外交でも内政でも「アメリカ的なもの」を本当に信奉しているのかを問いかける絶好の機会である。
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