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2011年5月24日

イスラエルに対するオバマ大統領の5・19演説に異議あり

バラク・オバマ大統領はオサマ・ビン・ラディンへの攻撃の成功を節目に中東改革に対する基本的なアプローチを表明する演説を行なった。この演説では広範囲にわたる問題が取り上げられたが、中でもイスラエル・パレスチナ問題への言及はメディアの注目を多いに集めた。国際社会はオバマ氏が5月19日の演説で中東和平のためにイスラエルに1967年の国境外の土地の放棄を迫った一件に歓喜した。これは多くの人が期待するほどの突破口になるのだろうか?この問題を手短に述べたい。

イスラエルの視点に立てば、オバマ氏はパレスチナ側に何も要求せずにイスラエルには土地の放棄を要求している。エルサレム・ポストのダビド・ホロビッツ記者はオバマ氏が2009年のカイロ演説でユダヤ民族と現在のイスラエルの領土の間にある歴史的関係に言及しなかったと指摘する。歴史と主権の関係が受け入れられないなら、イスラエルとパレスチナの間で真の妥協は成立しないとホロビッツ氏は言う(“Obama’s failure to internalize Palestinian intolerance”; Jerusalem Post; May 20, 2011)。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はオバマ氏の演説を2004年にジョージ・W・ブッシュ大統領とアリエル・シャロン首相の間で交わされた合意を覆すものと解釈している。その合意では1967年国境外地域からのイスラエルの全面撤退は要求されないこと、そしてパレスチナ難民を将来のパレスチナ国家が受け入れることが記されている。同じくエルサレム・ポストのヘルブ・カイノン記者は、オバマ氏の発言を以下の三点から批判している。第一はオバマ氏が1967年の国境を和平交渉の基本だと述べたために、イスラエルは六日戦争で獲得した領土の全てをパレスチナ側に譲り渡すことになる。これはオバマ氏がパレスチナの政策目標を擁護しながら、イスラエルには全面的な妥協を要求していることになる。第二にオバマ氏は2004年の合意で謳われたパレスチナ難民のパレスチナ国家への帰還を再確認しなかった。これによって難民問題が曖昧になり、イスラエル側の懸念を刺激した。第三にオバマ氏はハマスとの対話路線を以下の基本原則を明確に要求もせずに始めようとしている。それはテロの抑制、イスラエルの承認、そして従来からの合意の受容である(”Analysis: What rankled Netanyahu in the Obama speech”; Jerusalem Post; May 20, 2011)。

アメリカ側からのオバマ提案への批判も取り上げたい。イスラエルの占領地からの完全撤退は考えにくいが、アメリカの政策形成者達は1967年の国境と殆ど同じ国境線を想定している。2004年の合意については、アメリカとイスラエルの双方でこのように解釈されている。しかしアメリカン・エンタープライズ研究所のダニエル・プレトカ副所長は、この演説のタイミングとバランスは不適切だと述べている。オバマ氏は1967年の国境について政権内の高官達に何の相談もせずに、直前になって独断で盛り込むことにしたという。共同記者会見でオバマ大統領の傍らに立つネタニヤフ首相が、この論争を呼び起こしかねない演説を聞いて驚愕したのも無理からぬことである。バランスに関しては、オバマ氏はハマスのテロとパレスチナ地域の劣悪な統治を非難もしなかった。プレトカ氏はこうしたバランスの欠如の根底にはオバマ氏がイスラエルに対して抱く反感があり、それはアメリカの価値観とも国益とも相容れないと述べている(“A Little More on the 1967 Lines, Obama and Israel”; Enterprise Blog; May 20, 2011)。いずれにせよ、私はオバマ氏が犯したタイミングとバランスに十分な考慮も払わずに従来の合意を覆すという過ちは、日本の鳩山由紀夫元首相が普天間航空基地で犯した過ちと同じものであるという議論を呼び起こしたい。

イスラエル・パレスチナ和平交渉に向けたオバマ氏の新提案を称賛するには、時期尚早である。他方でバラク・オバマ氏は中東民主化推進というブッシュ政権の政策を再確認しており、国際社会も5・19演説の主題とも意言うべきこのメッセージにもっと注目しなければならない。ベンヤミン・ネタニヤフ氏を驚愕させた空虚なパフォーマンスがなければ、この演説はもっと意義深いものだったと思われるだけに、これは残念である。

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2011年5月 8日

米英識者が語るビン・ラディン後の世界

世界の最重要指名手配テロリストであったオサマ・ビン・ラディンは、アメリカ海軍SEALsの攻撃によって5月2日にパキスタンのアボタバードで死去した。これは対テロ戦争で記念すべき事柄であり、アル・カイダに代表されるテロ組織には大打撃である。だからと言って、それがイスラム・テロの終焉を意味するわけではない。ビン・ラディンの潜伏地がパキスタンの首都イスラマバードからそれほど遠くなかったので、パキスタンと欧米の関係は緊張を強めている。

まずこの事件がアフガニスタンでの戦争でどのような意味を持つかについて述べたい。リベラル派では、フランス国立アナトリア研究所のギーユ・ドロンソロ研究員は、これを機にアメリカはタリバンと対話してこの長年にわたる戦争から手を引くべきだと主張する。アフガニスタンとパキスタンの情勢がすぐに好転するとは見ていないからである(“Bin Laden Death Points to Way out of Trap”; Bloomberg News; May 3, 2011)。他方でカーネギー国際平和財団のアシュリー・テリス上空研究員は、現地での民族および部族間の抗争が抑えられるのは、アメリカの政治的および軍事的な関与が充分な時に限られると主張する。テリス氏は、現地司令官達が言うようにアフガニスタンでは可能な限り駐留兵力を維持すべきだとオバマ氏に訴えている(“Creating New Facts on the Ground”; Carnegie Policy Brief; May 2011)。

西側がアフガニスタンに関与してゆくうえで鍵となるのは、アル・カイダが中東と南アジアにとれほどの深刻な脅威をもたらし続けるかである。BBCによると、アル・カイダとその関連組織はパキスタンでオサマに弔意を示すテロ攻撃を行なう決意を固めているので、アフガニスタン、パキスタン、インドではかなりの危険が見込まれる(“Osama's death: What next for al-Qaeda?”; BBC News; 2 May 2011)。ブルッキングス研究所のダニエル・バイマン上級研究員は、ビン・ラディンのようなカリスマ性と組織を束ねる能力を合わせ持つ人物が葬り去られたことで、アル・カイダには非常に大きな打撃になったと論評している(“What Next for Al Qaeda?”; Brookings Opinion; May 2, 2011)。しかし、対テロ戦争が終結したと見る専門家は殆どいない。

アメリカン・エンタープライズ研究所のフレデリック・ケーガン常任研究員は、ビン・ラディン後の国際テロについて簡潔に述べている。オサマの殺害は重要な成果で、アル・カイダは弱体化された。ブッシュ政権によるイラクでの兵員増派によって、アル・カイダは当地での拠点を失ってしまった。また、彼らはアフガニスタンでも敗北を続けているとケーガン氏は言う。しかしケーガン氏は、アメリカと同盟諸国が性急に対テロ戦争から手を引いてしまえばアル・カイダの残存勢力が他の場所に根拠地を築きかねないと警告している(“Bin Laden, No More”; National Review Online Symposium; May 3, 2011)。ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究学院のフーアド・アジャミ教授はさらに辛辣に、ビン・ラディンなどイラクからもアフガニスタンからも締め出された敗北者だと述べている。アジャミ氏は「アラブの春」によってジハード精神が退潮となった時勢の最中にビン・ラディンが死去したとも述べている(“Osama Bin Laden, Weak Horse”; Wall Street Journal; May 3, 2011)。

イギリスの専門家達もアメリカの専門家達とほぼ同様な見解を示している。チャタム・ハウスのポール・コーニッシュ国際安全保障部長は、最も悪名高い殺戮者の死が持つ象徴的な意味は過小評価できないうえに、チュニジア、エジプト、リビアでのジハード主義者の脅威も低下したと述べている(Osama bin Laden: Gone but not Forgotten”; Chatham House Comment; 3 May 2011)。もちろん、ジハード主義者の脅威が一掃されたわけではない。チャタム・ハウスのゼニア・ドーマンディ上級研究員は、アメリカ議会に対して財政規律を理由にこの戦争に注ぎ込む人員資材を削減しないようにと警告している(“Death of Osama bin Laden: The Threat Remains”; Chatham House Comment; 2 May 2011)。

現在の最も差し迫った課題はパキスタンである。ビン・ラディンがアボタバードで発見されたために、アメリカの政策形成者の間ではパキスタンへの不信感が高まっている。潜伏先が軍事基地の近くであったことから、アメリカはパキスタンの情報機関がビン・ラディンをかくまったのではないかと疑っている。この件ではアメリカとパキスタン両国の政府当局者達が困惑している(“Amid Skepticism, Pakistan Calculates Its Response”; New York Times; May 2, 2011)。イギリスの指導者達も今回の知らせに衝撃を受けている。ペルベズ・ムシャラフ氏の退陣以来、アシフ・アル・ザルダリ大統領の下で対テロ作戦での英パ関係は深まっていた。両国関係を後退させないために、パキスタンのワジド・シャムスル・ハサン駐英高等弁務官は、アメリカのSEALs部隊が攻撃を行なうまでパキスタン政府はビン・ラディンについての情報を持っていなかったと釈明した(MP 'shocked' at bin Laden Pakistan discovery”; Independent; 2 May 2011)。

重要な問題はビン・ラディンがパキスタンに持っていた秘密のネットワークである。オバマ大統領の対テロ作戦顧問を務めるジョン・ブレナン氏は、パキスタンにビン・ラディンを支援する何らかの組織があったのではないかと問いかけている。対テロ作戦でのパキスタン立場は微妙で複雑である。パキスタンの情報機関周辺は、ビン・ラディンの脅威を利用すればアメリカに軍事援助を要求できるが、アフガニスタンでインドとの関係が深い安定した民主国家ができあがれば、パキスタン自体が包囲されてしまう(”American secrecy lays bare deep distrust of its Pakistani 'allies'”; Independent; 3 May, 2011)。欧米での批判と疑念に応えるために、パキスタンのフサイン・ハッカーニ駐米大使はCNNに出演してオサマ・ビン・ラディンを支援する勢力がパキスタンにあることを認めた。しかしハッカーニ氏はパキスタン政府が自国領内にオサマをかくまったことは否定した。さらに、パキスタンが対テロ戦争ではハリド・シーク・モハメドやラムジ・ビン・アルシーブといったテロ指導者を逮捕するという貢献をしていることも強調した(“Osama had support system in Pak: Haqqani”; Hindu; May 3, 2011)。

オサマ・ビン・ラディン攻撃の成功は、象徴的で大きな成果である。しかし解決を要する重要課題もある。パキスタンの核兵器との関係を考慮すれば、テロリストを支援する勢力は国際安全保障に対する最重要脅威の一つである。かつてパキスタンはイラン、北朝鮮、リビアとも結びついた悪名高きカーン・ネットワークで批判にさらされていた。また、国家による過激派支援も調査されねばならない。前回の記事で述べたように、イランはアル・カイダとつながっている。また、ヘズボラのようなシーア派過激組織を支援してレバノンやバーレーンで親欧米政権を転覆し、イスラエルを抹殺しようとしている。こうした問題は、オサマに弔意を示す報復攻撃よりも恐るべきものである。

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