アメリカはアジアも中東も守るべし
バラク・オバマ大統領によるイラクからの米軍撤退の表明(“U.S. Troops to Leave Iraq by Year’s End, Obama Says”; New York Times; October 21, 2011)と呼応するかのように、ヒラリー・クリントン国務長官はアジアでのアメリカの政治的および軍事的プレゼンス を高めるべきだと主張する論文を投稿した(“America’s Pacific Century”; Foreign Policy; November 2011)。しかしこれによってアメリカの中東への関与が弱められるようなら、イランが力の真空を埋めようとしかねない。中東への関与の低下は必ずしもアジアへの関与の強化にはならない。
まずクリントン長官が『フォーリン・ポリシー』誌に寄稿した論文に言及したい。長官はアメリカがこの10年にわたってイラクとアフガニスタンにあまりにも多くの精力を傾けすぎたので、世界の中でのアメリカのリーダーシップを維持するためにも今やスマートで組織的な時間とエネルギーの利用を考えるべき時だと述べている。クリントン氏は、アメリカはアジア太平洋地域をもっと注視する必要があり、それはこの地域が国際政治で重要な位置付けを占めるようになったからだと主張する。アジア諸国は高い経済成長の中にあり、その地域には中国、インド、インドネシアといった新興諸国もある。イラクとアフガニスタンでの長きにわたる戦争に自国の経済事情も合さって孤立主義が強まる国内世論に対し、クリントン氏はアメリカには経済成長著しいアジアという新たな市場が必要だと反論する。クリントン氏はアジア太平洋諸国でも特に日本、そして韓国、オーストラリアなどとの同盟関係を再構築し、安全保障での中国の挑戦に対処することを望んでいる。他方で中国での経済活動の機会拡大を目指しながら、中国の軍拡に対してはアメリカの優位を維持しようとしている。しかし、この記事では安全保障よりもアジアでの市場参入の機会の方が多く語られ、イラクとアフガニスタンに投じた人員と資材を移転すべきだと論じている。よってオバマ政権のアジア重視が中東の安全保障を犠牲にし、それが世界の警察官としてのアメリカの役割を低下させるのではないか、という深刻な懸念を抱かせる。
現在、イラクからの撤退が中東でのアメリカの役割で最大の問題である。イランの抵抗勢力「緑の党」のカイバン・カボリ党首は、イラクからの米軍撤退というオバマ氏の決定は大統領選挙を気にした性急なもので、それによってイランのシーア派神権体制の拡張主義を勢いづけてしまうと批判している(“The Future of Iraq after US Departure”; Iranian American Forum --- Washington Insight; October 24. 2011)。アメリカン・エンタープライズ研究所のフレデリック・ケーガン重大脅威プロジェクト部長、軍事問題研究所(ISW)のキンバリー・ケーガン所長、そして同じくISWのマリサ・コクレーン・サリバン副部長は連名で「オバマ大統領による米軍撤退の決断はあらゆる災難の元になる」と主張する論文を投稿した(“Defeat in Iraq”; Weekly Standard; November 7, 2011)。ベトナムとは違い、イラクはイランとアル・カイダという安全保障上の二大脅威と関連している。三者ともアメリカの撤退によってイラクで宗派間の抗争が激化し、スンニ派アラブ人がアル・カイダからに支援を求めるようになる。それに対抗してシーア派がイランの支援を模索するようになる。さらに重要なことにイランはイラクとの間の長い国境線を通じて自らの影響力を浸透させ、非合法な物資を輸入できる。よってイランの核開発計画に制裁を科すためにも両国の国境貿易への管理が重要になる。また、三人の投稿者達は現在のイラクの内政が民族宗派間のバランスに大変大きく依存しているので、政情安定の保証のためにもアメリカのプレゼンスは必要であると述べている。オバマ政権がイラクからの撤退を宣言した際に、イラン統合参謀本部長のハッサン・フィロウザバディ陸軍大将は「アメリカ兵にはイラクを去る以外に選択の余地はないので、これが中東地域からの米軍撤退の幕開けとなる」とさえ言い放った。三者とも任務を完了せずに米軍がイラクから撤退してしまえば、テロとの戦いでアメリカが成し遂げた成果が無に帰してしまうと主張する。
そうした批判に鑑みて、クリントン国務長官はイランに中東でのアメリカの意図を誤解しないようにと警告した。クリントン氏はイラクでの米軍の強固なプレゼンスは維持され、イラクの軍と治安部隊に支援と訓練を提供してゆくと強調した(“Clinton warns Iran not to ‘miscalculate’ U.S. resolve as troops leave Iraq”; Washington Post; October 24, 2011)。オバマ政権はさらにイラク撤退後に湾岸地域での軍事的プレゼンスを強化すると表明した。イラクの戦闘部隊はクウェートに移転し、イランの脅威の増大に鑑みて湾岸協力機構との関係も強化される。この地域での多国間安全保障パートナーシップはさらに発展している。イラク軍は、来年にヨルダンで行なわれる「情熱のライオン12」という対ゲリラおよび対テロリスト軍事演習に初めて招待された。また湾岸協力機構加盟国の内でカタールとアラブ首長国連邦がNATO主導のリビアでの任務に作戦用航空機を派遣し、バーレーンとUAEがアフガニスタンに派兵している。そうした中でバーレーンのシェイク・カリード外相は、イラクからの米軍撤退によって力の真空が生じ、それによってイランの拡張主義的な野心が刺激されるのではないかという湾岸諸国の懸念を代弁した。米上院軍事委員会では12人の上院議員が米軍のイラク撤退はイランに自分達の戦略的勝利だと解釈されかねないという懸念を表明した(“U.S. Planning Troop Buildup in Gulf after Exit from Iraq”; New York Times; October 29, 2011)。
中東からアジアへの人員資材の移転によって中国の拡張主義が阻止されるという保証はない。中国は、アフガニスタンからの米軍撤退を機にパキスタンの関係強化を通じて力の真空を埋めようと躍起になっている(“China, US Reevaluate Asian Strategies Post Bin Laden”; Eurasia Review; May 8, 2011)。中国・パキスタン原子力協定によって、アメリカとインドへの対抗心が明白に示されている。さらに中国はイランに最先端のミサイルを提供し続けており、これは国連の制裁に違反している。中国はアメリカとの間で1997年にC802対艦巡航ミサイルをイランに輸出しないという約定を交わしながら、これを破っている。さらに中国は昨年、イラン国内にナスル対艦巡航ミサイルを製造する工場を建設している。アメリカは先端技術兵器をイランに提供する外国企業に罰則を科すために、2006年のイラン自由化支援法と2010年のCISADA(イラン包括制裁法)を適用できる(“Inside the Ring --- China Iran Missile Sales”; Washington Times; November 2, 2011)。中国がイランとパキスタンとの間で築いている強固な関係は、中東をますます不安定にしている。
中国の脅威はグローバルで中東諸国はアメリカのプレゼンスを必要としているので、アメリカはアジアと中東の両面で安全保障上の脅威に対処するだけの準備がしっかりとできていなければならない。よってそうしたアメリカの国防費はそうした二重あるは多重の要求にさえ応えられるだけの水準に達することは必要不可欠である。アメリカン・エンタープライズ研究所のマイケル・オースリン常任研究員は、現行の国防費削減がアジアの安全保障に及ぼす影響を論じている。オースリン氏は特に東シナ海、南シナ海からインド洋にかけての中国の海軍活動の拡大を注視している。中国海軍が急速に拡大してアジアのシー・レーンで高圧的な振る舞うことによって、日本、ASEAN諸国、オーストラリア、インドといった域内諸国との緊張が高まっている。その結果もたらされる不安定によってアメリカが引き続き地域安定に果たす役割が重視されるようになり、アジア太平洋諸国はアメリカとの戦略提携の深化を模索するようになっている。レオン・パネッタ国防長官は今年の10月のアジア歴訪ではアメリカの国防予算をめぐってアジア諸国抱く不安を宥めねばならなかった(“Asian Anxiety”; New York Times; October 25, 2011)。私はアジアのシー・レーンはユーラシアの両側を結ぶので、アジアと中東の安全保障は強く相互に関わりあっていることに言及したい。
ワシントンでは予算に関する超党派の特別委員会が国防費のさらなる削減を行なわないようにと要求した。ジョン・ベイナー下院議長は、今年の夏にオバマ大統領と共和党議員との間で交わされた予算合意の要求を超えて国防支出が削減されていると述べた。そうした中で民主党のアダム・スミス下院議員は、連邦議員たちは国防支出を守るためには増収か国防以外での歳出削減と言った代替案を示す必要があると述べた(“Boehner speaks out against more defense cuts”; Military Times; October 27, 2011)。ワシントン・ポスト紙のロバート・サムエルソン経済論説員は、イラクとアフガニスタンでの長きにわたる戦争にもかかわらずアメリカ軍自体は1980年代後半から2010年にかけて大幅に削減されたと指摘する。きわめて重要なことに、イラクとアフガニスタンの戦争で2001年から2011年にかけて国防費は増大したものの、この間の戦費の総額は$1.3兆で、同時期の連邦予算の総額$29.7兆の4.4%を占めるに過ぎない。国防費そのものが効果的で賢明な国力の行使を保証するわけではないが、必要以上の削減によって政策の選択肢が狭められる。サムエルソン氏は現行の国防支出削減によってアメリカの軍事的優位の土台となっている高度な科学技術と質の高い訓練が崩壊しかねない(”The dangerous debate over cutting military spending”; Washington Post; October 31, 2011)。
アジア諸国も中東諸国もアメリカのプレゼンスを必要としていることを忘れてはならない。中国のイランとパキスタンと関係に見られるように、ユーラシアの両側での安全保障の課題は独立したものではなく相互に関連がある。また北朝鮮はイランと共に悪の枢軸を形成している。オバマ政権による現行の国防力削減は、アジアと中東で懸念を増幅させている。キャメロン政権によるイギリスの「戦略防衛見直し」(SDSR)から教訓を得る必要がある。デービッド・キャメロン首相は昨年10月19日の下院でのSDSRに関する演説の際に、「この見直しでは、急速に変化する世界の中で我が国がどのように力と影響力を投影してゆくかが論じられている」と述べた。リビア紛争から見ると、イギリスの戦いぶりがこの目的を充分に果たしたとは言いがたい。アメリカは政策上の選択肢を最大限に実行できるために、国防に充分な資材を投資するべきである。アメリカ自身が自らの突出した軍事的優位がもたらす国際公共財の受益者なのである。
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