« 中国のイラン政策を注視せよ | トップページ | ロシアは東アジアに何を求めるか明確にせよ »

2012年3月31日

永田町はイランとの関係を再考せよ

以前に記したように、日本の指導者達と市民はイランの現体制の恐るべき性質は我が国のナショナル・アイデンティティーとは全く相容れないことを見過ごしている。これに鑑みて、玄葉光一郎外相と自民党の藤井孝男参議院議員が3月26日の参議院予算委員会で行なった質疑応答は驚くべきものである。両氏とも、日本が英イラン石油紛争の時期に共産主義者のムハマド・モサデグ首相と「友好関係」なるものにあったことを称賛したのだ。あろうことか両氏とも衆人環視の中で、サー・ウィンストン・チャーチルよりもヨシフ・スターリンを支持すると宣言したのである。イラン近代史の地政学を考慮すれば、両氏の発言はきわめて軽率である。

ここで近代イランの地政学的な歴史に触れてみたい。イランは19世紀以来、列強の衝突の舞台であった。植民地帝国主義の時代、イギリスとロシアはこの地でのグレート・ゲームで競合した。第二次世界大戦中には連合国がイランをソ連への軍事物資供給ルートとして利用した。しかしスターリンはすでに戦争が終結したにもかかわらず、イラン北部でのソ連軍の駐留を維持した。1946年のイラン危機国連安全保障理事会で審議された最初の事案で、イラン帝国政府は米英両国の支持によって赤軍を自国領内から放逐することに成功した。

イランが大国間の勢力争いでこれほどまで重要な地位を占めることを考慮すれば、モサデグが自らの背後にソ連の影響力があることを示唆したことは、あまりにも軽率であった。イギリスとイランの石油紛争の最中、日本は英米による制裁に従わなかった。出光興産はイランから石油を輸入するために、イギリス海軍による封鎖をかいくぐってタンカーを派遣した。しかし、それは玄葉氏と藤井氏が国会で述べたほど栄光に満ちたものではない。日本の戦後復興と高度経済成長をもたらしたのは出光ではない。モサデグ政権が生き残っていれば、湾岸地域に赤いナショナリズムのドミノ効果が起こっていたであろう。参議院での玄葉氏と藤井氏の発言とは逆に、1950年代から70年代にかけて日本が中東の安定を「ただ乗り」し、「トランジスター・ラジオのセールスマン」として経済成長に集中できたのは、英米によるクーデターが成功してモサデグの退陣とシャーの復権が成し遂げられたからである。その後、シャーのイランがペルシア湾の憲兵として中東の安全保障という国際公共財を提供したことは、周知の通りである。

1960年代から70年代にかけて、日本はパーレビ体制とは友好的な関係にあった。IJPC石油化学プロジェクトが結ばれたのは、シャーとの間である。我が国にとって、共産主義者のモサデグも暗黒時代の精神に浸りきったムラーも、とてもではないがビジネスのできる相手ではない。チャーチルよりもスターリンを支持するような発言をした玄葉氏と藤井氏は、各々が民主党と自民党を離党して共産党に入った方がよろしいのではなかろうか。不思議なことに、参議院ではこうしたおぞましき発言に対して野次一つなかった。永田町の政治家達は中東での日本の立場に鈍感なようだが、日本が西側民主主義の主要国であることからすれば由々しきことである。

またバラク・オバマ大統領のカイロ演説が、アメリカ国内ではアングロ・イラニアン石油紛争の解決にCIAとMI6が起こしたクーデターに対してあまりにも謝罪姿勢だとして厳しく非難されたことを忘れてはならない。イランと日本が真の友好関係にあったのは、シャーの体制下で西欧的な教育を受けたエリート達が指導的な地位に就いていた時期である。現在、彼らの多くはアメリカとヨーロッパで亡命生活を送っている。そうしたイラン人達は、国内でグリーン運動を支持する者達とともに祖国の自由のために活動している。よって現在の、玄葉氏と藤井氏が参議院でのたまったようなシーア派神権体制への宥和と共産主義者のモサデグへの賞賛に対しては、それがいかなる類いのものであれ、悪の体制と戦う我が国の真の友に対する侮辱と裏切りだと見なすほかはない。

モサデグ体制の事例と同様に、イランの誤った行動を許すことへの短期的な利益と長期的な損失を考慮する必要がある。遺憾なことに、日本のオピニオン・リーダー達は短期的な石油価格の上昇にばかり目が向いているが、歴史はチェンバレン的な平和主義によって長期的には脅威が著しく増大することを語っている。核大国への野望を抱くイランに封じ込めで対処するとなると、テロ支援をはじめテヘランの現体制が地域の不安定化を煽るために仕掛ける様々な行動にも対策を練る必要が出てくる(“Containing Iran will cost untold blood, treasure”; Jerusalem Post; March 18, 2012)。それはイランへの先制攻撃よりも長期的には高くつくかも知れない。正しい歴史の理解は正しい政策の選択への前提条件である。永田町の政治家達は我が国のナショナル・アイデンティティーとイラン現代史について再考する必要がある。

« 中国のイラン政策を注視せよ | トップページ | ロシアは東アジアに何を求めるか明確にせよ »

中東&インド」カテゴリの記事

日米同盟と国際的リーダーシップ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 永田町はイランとの関係を再考せよ:

« 中国のイラン政策を注視せよ | トップページ | ロシアは東アジアに何を求めるか明確にせよ »

フォト