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2014年7月31日

中国は日帝の再来か?

今年5月のCICA(アジア相互協力信頼醸成措置会議)において中国の習近平国家主席が「アジア人によるアジア」という演説で物議を醸した際に(“China president speaks out on security ties in Asia “; BBC News; 21 May 2014)、私は我が耳を疑った。この演説の根底にある発想は戦中の日本が主張した大東亜共栄圏と二重写しである。中国の海洋拡張主義と大国意識の高まりに近隣諸国の懸念が高まっていることから、習氏の「アジア人によるアジア」演説は国際社会では否定的に受け止められている。第二次大戦中と現代のアジアの大国の間には数多くの共通点がある。そうした共通点について述べてみたい。

地政学の観点から言えば、大戦中の日本も現代の中国も反欧米である。戦中の日本は脱植民地化と白人支配からの解放を掲げ、ヨーロッパとアメリカの勢力をアジアから駆逐しようとした。しかし日帝自体が植民地帝国であり、アジア人にとっては白いサーヒブも黄色いサーヒブも根本的に大きな違いはなかった。今日では中国もアジアにおけるアメリカのプレゼンスを追い払い、そこを自国の勢力圏に収めようとしている。

さらに重要なことに、戦中の日本も現在の中国も自由主義世界秩序に異を唱え、民主主義諸国に対抗するための枢軸を築き上げようとしている。日本はファシスト国家のドイツとイタリアと同盟したが、中国は上海条約機構、BRICS、CICAを利用して西側民主国家に対抗する発言力を得ようとしている。日本がドイツおよびイタリアと結んだ枢軸は共同の戦略立案や作戦が行なえるほどの政策調整能力はなかったが、中国もアメリカとその民主的な同盟諸国に対抗する枢軸の形成には成功していない。また過去と現在のアジアの大国はいずれも普遍的に受容される価値観を打ち出して国際公益のために動くことができていない。

注目すべきは過去と現在の反欧米専制国家の台頭と進撃がアジア人から歓迎されていないことである。シンガポール陥落はアジア諸国民に強い印象を与えたかも知れないが、ダグラス・マッカーサーとルイス・マウントバッテン卿の指揮で連合軍が反撃に転じた際に、彼らは日本軍と手を組んで白人のサーヒブを押し返そうとはしなかった。同様に、中国が主導する「アジア人によるアジア」はアジア近隣諸国、中でも東シナ海と南シナ海で領土をめぐる衝突を抱える国々の間では強い警戒の念を呼び起こしている。またアジアは政治的にも文化的にも多様なので、どの地域機構も中国が国際政治上の支配力を強めるための道具にはならないだろう(“Don't bet on China's 'Asia for Asians only' vision yet”; Strait Times; 30 May 2014)。今日では白人支配の植民地帝国などとっくに消え去っているので、アジア諸国民がアメリカの影響を排除した中国主導のアジアに関心を持つことはないだろう。

アジア諸国民の福利よりも、両専制国家は天然資源を求めて南方に拡大している。戦中の日本は東南アジアの石油、錫、ゴム、その他鉱産物およびプランテーション作物を求めていた。今日では東シナ海および南シナ海での中国の領有権主張は、この水域での石油と天然ガスを求めてのものだと広く理解されている。両国がアジアの結束による欧米勢力の駆逐を呼びかけているのは、天然資源を確保しようという欲望と深くかかわっている。

極めて皮肉なことに、中国の漁船は南方海上の島々の領有権を主張しようとして、海洋地域の隣国警備隊に対して体当たり攻撃を仕掛けてくる。こうした攻撃は日帝が米軍の艦艇に行なった神風攻撃と同様に前近代的である。中国は本当に戦中の日本のカーボン・コピーなのではなかろうか?興味深いことに、アメリカのカーティス・チン元駐アジア開発銀行大使も現在の中国を戦中の日本になぞらえている(“Xi Jinping's 'Asia for Asians' mantra evokes imperial Japan”; South China Morning Post; 14 July 2014)。

アジア諸国が中国の大国気取りに警戒心を強める中で、私は中国に歴史認識の問題で日本を非難する資格があるのか疑問を呈したい。私の目には中国こそが他のどの国にも増して日帝さながらの行動をしている国である。中国はこれからも恒久的に第二次世界大戦の勝者として振る舞いたいのであろうが、重要な点を忘れてはならない。戦争に敗れたのは日本国民ではなく戦中のファシズムである。中国が本当に戦勝国として振る舞うつもりなら、このことを銘記すべきである!

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2014年7月25日

スンニ派とシーア派の相違から読み解く中東情勢

去る6月21日に放映されたNHK「ニュース深読み」のイラク特集で、スンニ派もシーア派も同じイスラム教で違いはないと言われたことに私は驚愕してしまった。そのようなものは消極的平和主義による甘い願望に過ぎない。現代の政治的文脈では、シーア派とスンニ派の亀裂は国家間および民族宗派間の衝突に重大な影響を与えている。しかし戦略家や外交政策の学徒にとって神学上の詳細に立ち入ることはそれほど有益とは思えない。よって、歴史的背景と宗教的行動の初歩について述べてゆきたい。

広く知られているように宗派分裂の起源は第4代カリフのアリとムアウイアの抗争に逆上る。アリの死後は正統カリフに代わってムアウイアが設立したウマイア朝が支配権を確立した。その後はイスラム社会の少数派がアリの後継者こそカリフの地位の正当な継承者だと主張してウマイア朝の支配に抵抗した。シーア派を形成したのは彼ら少数派で、多数派はスンニ派を形成した。スンニ派とシーア派の分裂を決定づけた事件は680年のカルバラの戦いである。現在のイラク中南部にあるクーファのシーア派からの要請に応えて、アリの次男フサイン・イブン・アリはウマイア朝のヤジド1世に対して決戦を挑んだが、フサイン側が全滅という結果に終わった。

カルバラの戦いは両宗派に深い心理的影響を与え、シーア派の宗教的アイデンティティーを強化した。第一に挙げるべき点はシーア派とイランの民族性の緊密な関係である。シーア派によると、フサインはササン朝最後の国王ヤズデギルド3世の王女シャハルバヌとの婚姻により第4代イマームとなるアリ・ザイヌル・アビディンを儲けたということである。よってカルバラの件をシーア派の視点で解釈すると、中世初期のフサインの後継者達はササン朝王家の血を引いていることになる。イラン人は16世紀に自分達のサファビー朝を立てるまで長年にわたってアラブ人、テュルク人、モンゴル人などの支配を受けたが、彼らはシーア派への熱心な信仰によって国民的アイデンティティーを保ち続けた。アラブ人によるペルシア征服によってイランの国民的一体感を取り戻すために、サファビー朝はシーア派を国教とした。イラン国外ではシーア派はペルシア湾岸地域、イラク南部、レバノン、アフガニスタンのハザラ人居住地域などに広まっている。こうした地域に住む人々は文化的にも精神的にもイランと深いつながりがある。一例を挙げると、イラクのアリ・アル・シスターニ大アヤトラはイラン出身で、彼の姓もイラン南東部のシスタン地方に由来している。

第二に挙げるべき点は被抑圧者としての精神的土壌である。今日では世界のイスラム教徒人口の内でスンニ派が85%を占めるのに対し、シーア派は15%である(“The Sunni-Shia Divide”; Council on Foreign Relations; 2014)。これを表す最も象徴的な行事がアシュラの日で、シーア派はカルバラの戦いでウマイア朝の圧倒的な力に立ち向かったフサインの殉教に哀悼の意を表する。フサインと彼に従った者達が受けた苦痛と悲嘆を共有するために、シーア派の男性達は自らの体を血が出るまで鞭で打つ。儀式はただの儀式ではない。それによって共同体や宗派内での思考様式が形成される。宗派の選択は人生の在り方の選択である。毎年行なわれる儀式から、シーア派の人々は身体的な痛みと苦難によって自分達の宗教的情熱、そしてルホラ・ホメイニが被抑圧者を意味するために好んで使ったモスタザフィンというという語に託して自らの歴史的立場を思い起こすのである。

スンニ派とシーア派の関係についての初歩的な理解に鑑みて、外交政策上で見逃せないものは最近のイランとサウジアラビアの和解である。広く知られているようにイランはシーア派の神権政治体制だが、サウジアラビアはスンニ派でも極めて保守的なワッハーブ派を奉ずる君主制である。今年の5月にサウジアラビアのサウド・アル・ファイサル外相はイランのモハマド・ザリーフ外相と湾岸地域の安全保障およびシリア問題について会談した(“Saudi Arabia moves to settle differences with Iran”; Guardian; 13 May 2014)。両国の関係は劇的に改善するのだろうか?それは考えにくい。サウジアラビアにとってイランは強大な隣国であり「イランの怒りをかわないことが彼らにとって賢明なのである」ということだ(“What’s going on between Saudi Arabia and Iran?”; Jerusalem Post; June 11, 2014)。問題はイランがシーア派伝道主義のイデオロギーを振りかざすので、サウジアラビアのペルシア湾岸油田地帯で社会的にも経済的にも疎外されたシーア派が刺激されかねないことである。こうしたモスタザフィン達が住処を追われ貧困生活を強いられている中で、スンニ派は石油利権を支配している(“Iraq conflict reignites sectarian rivalry in Saudi Arabia”; Baltimore Sun; April 27, 2006)。イスラエルがイランの核攻撃を主要な脅威と見なしているのに対し、サウジアラビアはイランのシーア派覇権主義を警戒している(“Next Test for Obama: Soothing the Saudis”; Los Angels times; March 24, 2014)。

テヘランのシーア派神権政治体制の性質とアラブ近隣諸国の政治を考慮すれば、イランとサウジアラビアが劇的に和解すると考えるのはあまりにも楽観的である。ましてやイランに地域の警察官役を期待するなど論外である。スンニ派アラブ王政諸国がパーレビ時代のイランをペルシア湾の憲兵として受け入れたのは、その国が世俗的な啓蒙主義国家であり、アメリカの重要な同盟国だったからである。遺憾ながら今日のイランは東アジアでの中国と同様に、ペルシア湾岸では周囲とは全く異質な存在である。現在のサウジアラビアはナチス・ドイツに宥和したイギリスさながらの行動である。アメリカがもっとウィルソン主義外交に出ていればネビル・チェンバレンもアドルフ・ヒトラーにもっと強い態度に出ていたであろう。現代ではアメリカの敵対勢力と話し合い姿勢を見せるオバマ政権に対し、サウジアラビアが不安感を募らせている。現在の外交政策を分析するうえでも文化と宗教に関する初歩的な理解はさほどに重要である。

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2014年7月 8日

アメリカがオバマ大統領の失敗を取り返すためのイラク戦略

オバマ政権は6月初旬に「イラクおよびアル・シャームのイスラム国」(ISIS)が急速に拡大したのを受けて、2011年のイラクからの完全撤退を転換せざるを得なくなった。バラク・オバマ大統領と政権閣僚達はイラクに関する戦略的な評価を明らかに誤ったのである。2010年2月11日にラリー・キング氏からインタビューを受けたジョセフ・バイデン副大統領はイラクは銃撃戦なき安定した民主主義に向かっていると楽観的に論評していた以下のビデオを参照されたい。



しかしクルディスタン地域政府(KRG)は6月のISIS侵攻よりはるか以前に、ISISと現地部族指導者そして旧バース党との間の電報を傍受した結果に基づいて、アメリカとイギリスにイスラム過激派による攻撃を警告していた(“Washington and London Ignored Warnings about the ISIS Offensive in Iraq”; Daily Beast; June 24, 2014)。さらに重要なことに共和党のジョン・マケイン上院議員やリンゼイ・グラム上院議員らは2011年以降も米軍の一部を継続駐留させなければスンニ派武装勢力が反乱を起こすだろうと警告していた(“GOP on Iraq: We told you so”; Politico; June 13, 2014)。MSNBC局で6月13日に放映されたモーニング・ジョーに出演したマケイン氏はオバマ政権の安全保障関係閣僚は辞任し、デービッド・ペトレイアス退役陸軍大将、ジャック・キーン退役陸軍大将、ライアン・クロッカー元駐イラク大使ら彼らにが取って代わるべきだとまで述べた。さらにイラクでも日本、ドイツ、韓国のように占領終了後の治安の安定を維持留守ためにもアメリカ軍の継続駐留が必要だと述べた。以下のビデオを参照されたい。



イラク情勢がここまで不安定化した理由を検証するとともに、ISIS打倒の戦略とイランやロシアといった地政学的な競合相手の拡大を模索してゆきたい。特に6月18日にアメリカン・エンタープライズ研究所で開催されたジョン・マケイン上院議員とジャック・キーン退役陸軍大将による公開討論に注目したい。それは2007年の兵員増派に見られるようにイラク問題に関しては両人が最も精通し、影響力がある政策形成者だからである。マケイン氏は米軍の一部駐留が継続していれば反乱分子の台頭を抑制し、マリキ政権が民族および宗派の違いを乗り越えて多様性のある政府となるように導くこともできたと主張した。外交問題評議会のマックス・ブート氏も最近の寄稿で最低でも1万人のアメリカの軍事顧問団が駐留していればイラクの治安はより安定し、アメリカがマリキ政権に民族と宗教のバランスがとれた政府にするよう外交的な影響力も行使できただろうと記している(“Obama’s Iraq”; Weekly Standard; Jun 23, 2014)。オバマ大統領にはイラクを第二の日本やドイツにしようとする気などさらさらなかったのは明らかである



アメリカとイラク政府はISISとその同盟勢力をどのようにして押し返せるのだろうか?反乱分子の分断が非常に重要になる。マリキ政権がシーア派に過剰依存しているとあって、ISISはスンニ派アラブ人部族連合のアンサール・アル・イスラム、そして旧バース党と手を結んでいる。アラブ首長国連邦のデルマ研究所のハッサン・ハッサン研究員によると彼らは必ずしも一枚岩ではなく、ISIS以外の武装勢力が放棄した真の理由を究明する必要があるという(“More Than ISIS, Iraq’s Sunni Insurgency”; Carnegie Endowment for international Peace -- Sada Journal; June 17, 2014)。戦略的優先事項はバグダッドの防衛とテロリストへの反転攻勢である。イラク領内への快進撃とは裏腹に、キーン大将はISISにはスプロール化した都市のバグダッドを陥落させるだけの戦力造成(force generation:略称ARFORGEN)はできないと述べた。他方でISISはシリアからイラクにかけてイスラム過激派としては史上最大の領土を確立している。キーン氏は彼らがここを根拠地にしてヨーロッパとアメリカを直接攻撃できるとも述べた。マケイン氏はスターリンでさえそうした脅威を及ぼさなかったと語った。だからこそ両氏ともイスラム・テロの危険性を強調したのである。

厭戦気運の国民が地上軍の派遣を承認することは考えられないので、アメリカの選択肢は限られている。しかしキーン氏はアメリカが以下の方法でイラクを支援できると述べている。第一にアメリカの軍事顧問は敵の位置を知り、シリアとイラク北部に関する情報を与えるための諜報活動をイラク連邦政府に提供できる。さらにアメリカの軍事顧問はイラク軍によるバグダッド防衛と反乱分子への反撃の計画作成を支援できる。それに加えてアメリカの特殊部隊は重要な標的とテロ指導者を攻撃してイラク治安部隊を支援しなければならない。そのうえに、アメリカの航空作戦は現地語を話す地上の特殊部隊とも連携しなければならない。航空作戦は地上での限定的で目標を絞った攻撃には不可欠だが、キーン氏はアメリカの航空兵力がシーア派の空軍になってはならないと強調した。

軍事的な観点に加えて、アメリカの戦略は政治的な観点からも追求されねばならない。サウジアラビア、ヨルダン、湾岸諸国といったイラクの近隣諸国はアメリカの「衰退」よりも非関与政策を懸念している。マケイン氏は厭戦気運に浸る国民に国際関与の重要性を説得するのが大統領のリーダーシップであることは、朝鮮戦争でのハリー・トルーマンを見てもよくわかると述べた。また、モスルの住民50万人が土地を追われ1,700人も処刑された事態を見ればISISはアル・カイダよりも危険なことから、アメリカのイラク支援は緊急の必要性があるとも訴えた。フォーリン・アフェアーズ誌のギデオン・ローズ編集員は6月21日放映のPBSニューズ・アワーでISISはあまりの残虐性にアル・カイダから破門されたほどだと述べている。以下のビデオを参照されたい。



現在、ISISは油田を制圧したうえに企業からも強引に税を徴収していることもあってアル・カイダよりも資金に恵まれている。さらにモスル制圧の際に銀行から資金と金塊を強奪している。以下のビデオを参照されたい。



他方でシーア派の間ではイランの影が大きくなっている。アメリカとイランが協調するということもあり得るのだろうか?マリキ政権によるシーア派民へのスンニ派反乱分子打倒の要請に呼応し、イランの代理勢力はシリアからイラク南部に移動した。マリキ政権はイランへの過剰依存に陥りかねない(“Iranian Proxies Step Up Their Role in Iraq”; Washington Institute for Near East Policy---Policy Watch; June 13, 2014)。そうした中でイランのアリ・ハメネイ最高指導者はオバマ大統領が300人規模の派兵を公表した際にイラクへのアメリカの介入を非難した。それはアメリカがマリキ首相に代わって誰かほかに人物を擁立しようという動きに対する警告だと受け止める観測筋もある(“Iran rejects U.S. action in Iraq, ISIL tightens Syria border grip”; Reuters News; June 23, 2014)。シリア、イラク、湾岸アラブ諸国へのイランの影響力は増大している。こうした事情に鑑みてジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係学院のカミール・ペスカスティング上級准教授はオバマ政権が事態への関与に消極的なことから、ニクソン・ドクトリンでそうであったようにイランが地域の憲兵を担う可能性さえ主張している(“Iran, the New Force for Regional Stability?”; World Affairs Online; June 2014)。しかしキーン大将はイランにはイラク西部の砂漠からISISを追い払おうなどという意志はさらさらなく、石油資源に恵まれた南部を抑えたいだけだと指摘した。よって、キーン氏はイランとの協調もこの国を地域安定の頼みとすることも無意味だと述べた。

国内と地域の勢力の交錯に加えて、マリキ政権がロシアから12機のスホイ25対地攻撃戦闘機を購入するとあって事態は一層予断を許さなくなっている。イラクはアメリカからのF16戦闘機の引き渡しの遅延に不満を感じていた。イラクは2011年に18機のF16の購入で合意していたが、その内の最初が入手できたのは今年の6月に入ってである (“From Iraq to Syria, splinter groups now larger worry than al-Qaeda”; Washington Post; June 10, 2014)。オバマ大統領はさらに無人機を出動させて非戦闘任務に従事する米軍地上要員を防衛するように命令した(“Iraq receives Russian fighter jets to fight rebels”; BBC News; 29 June, 2014)。ロシア人教官が周防戦闘機とともにイラクに乗り込んできたことは、アメリカに対する挑戦を暗示している。さらにイランが1990年から91年の湾岸戦争でアメリカの空爆から自国に避難してきたサダム・フセイン時代の軍用機を一部変換するとの噂もある。そのほとんどはロシア製で、フランス製のミラージュF1も含まれている(“Russian Jets and Experts Sent to Iraq to Aid Army”; New York Times; June 29, 2014)。問題はサダム・フセイン打倒後のイラク軍が兵器体系と訓練の面でアメリカ化されていることである。ソ連製のスホイ25を再配備したところでイラク軍のパイロットが効果的に使いこなせるのだろうか?さらに旧ソ連製の戦闘機で地上の米軍特殊部隊と一体となって標的を絞った限定的な攻撃などできるのだろうか?

F16戦闘機とアパッチ・ヘリコプターの契約の件でも見られるように、オバマ政権はイラクの治安部隊が充分に強化される前に米軍を撤退させてしまった。マケイン氏は先の公開討論の場でオバマ氏が大統領に選出されたのはブッシュ政権によるイラクとアフガニスタンでの長きにわたる戦争への反発からであると語った。オバマ氏の非西欧的な思想とバックグラウンドは従来のアメリカに対するアンチテーゼである。現在の危機は外交政策の継続性を軽視した結果である。アメリカはイラクでの好ましからざる動向をキーン大将の提言に従って覆し、アフガニスタンでは同じ過ちを繰り返さないでいられるのだろうか?

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