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2014年7月25日

スンニ派とシーア派の相違から読み解く中東情勢

去る6月21日に放映されたNHK「ニュース深読み」のイラク特集で、スンニ派もシーア派も同じイスラム教で違いはないと言われたことに私は驚愕してしまった。そのようなものは消極的平和主義による甘い願望に過ぎない。現代の政治的文脈では、シーア派とスンニ派の亀裂は国家間および民族宗派間の衝突に重大な影響を与えている。しかし戦略家や外交政策の学徒にとって神学上の詳細に立ち入ることはそれほど有益とは思えない。よって、歴史的背景と宗教的行動の初歩について述べてゆきたい。

広く知られているように宗派分裂の起源は第4代カリフのアリとムアウイアの抗争に逆上る。アリの死後は正統カリフに代わってムアウイアが設立したウマイア朝が支配権を確立した。その後はイスラム社会の少数派がアリの後継者こそカリフの地位の正当な継承者だと主張してウマイア朝の支配に抵抗した。シーア派を形成したのは彼ら少数派で、多数派はスンニ派を形成した。スンニ派とシーア派の分裂を決定づけた事件は680年のカルバラの戦いである。現在のイラク中南部にあるクーファのシーア派からの要請に応えて、アリの次男フサイン・イブン・アリはウマイア朝のヤジド1世に対して決戦を挑んだが、フサイン側が全滅という結果に終わった。

カルバラの戦いは両宗派に深い心理的影響を与え、シーア派の宗教的アイデンティティーを強化した。第一に挙げるべき点はシーア派とイランの民族性の緊密な関係である。シーア派によると、フサインはササン朝最後の国王ヤズデギルド3世の王女シャハルバヌとの婚姻により第4代イマームとなるアリ・ザイヌル・アビディンを儲けたということである。よってカルバラの件をシーア派の視点で解釈すると、中世初期のフサインの後継者達はササン朝王家の血を引いていることになる。イラン人は16世紀に自分達のサファビー朝を立てるまで長年にわたってアラブ人、テュルク人、モンゴル人などの支配を受けたが、彼らはシーア派への熱心な信仰によって国民的アイデンティティーを保ち続けた。アラブ人によるペルシア征服によってイランの国民的一体感を取り戻すために、サファビー朝はシーア派を国教とした。イラン国外ではシーア派はペルシア湾岸地域、イラク南部、レバノン、アフガニスタンのハザラ人居住地域などに広まっている。こうした地域に住む人々は文化的にも精神的にもイランと深いつながりがある。一例を挙げると、イラクのアリ・アル・シスターニ大アヤトラはイラン出身で、彼の姓もイラン南東部のシスタン地方に由来している。

第二に挙げるべき点は被抑圧者としての精神的土壌である。今日では世界のイスラム教徒人口の内でスンニ派が85%を占めるのに対し、シーア派は15%である(“The Sunni-Shia Divide”; Council on Foreign Relations; 2014)。これを表す最も象徴的な行事がアシュラの日で、シーア派はカルバラの戦いでウマイア朝の圧倒的な力に立ち向かったフサインの殉教に哀悼の意を表する。フサインと彼に従った者達が受けた苦痛と悲嘆を共有するために、シーア派の男性達は自らの体を血が出るまで鞭で打つ。儀式はただの儀式ではない。それによって共同体や宗派内での思考様式が形成される。宗派の選択は人生の在り方の選択である。毎年行なわれる儀式から、シーア派の人々は身体的な痛みと苦難によって自分達の宗教的情熱、そしてルホラ・ホメイニが被抑圧者を意味するために好んで使ったモスタザフィンというという語に託して自らの歴史的立場を思い起こすのである。

スンニ派とシーア派の関係についての初歩的な理解に鑑みて、外交政策上で見逃せないものは最近のイランとサウジアラビアの和解である。広く知られているようにイランはシーア派の神権政治体制だが、サウジアラビアはスンニ派でも極めて保守的なワッハーブ派を奉ずる君主制である。今年の5月にサウジアラビアのサウド・アル・ファイサル外相はイランのモハマド・ザリーフ外相と湾岸地域の安全保障およびシリア問題について会談した(“Saudi Arabia moves to settle differences with Iran”; Guardian; 13 May 2014)。両国の関係は劇的に改善するのだろうか?それは考えにくい。サウジアラビアにとってイランは強大な隣国であり「イランの怒りをかわないことが彼らにとって賢明なのである」ということだ(“What’s going on between Saudi Arabia and Iran?”; Jerusalem Post; June 11, 2014)。問題はイランがシーア派伝道主義のイデオロギーを振りかざすので、サウジアラビアのペルシア湾岸油田地帯で社会的にも経済的にも疎外されたシーア派が刺激されかねないことである。こうしたモスタザフィン達が住処を追われ貧困生活を強いられている中で、スンニ派は石油利権を支配している(“Iraq conflict reignites sectarian rivalry in Saudi Arabia”; Baltimore Sun; April 27, 2006)。イスラエルがイランの核攻撃を主要な脅威と見なしているのに対し、サウジアラビアはイランのシーア派覇権主義を警戒している(“Next Test for Obama: Soothing the Saudis”; Los Angels times; March 24, 2014)。

テヘランのシーア派神権政治体制の性質とアラブ近隣諸国の政治を考慮すれば、イランとサウジアラビアが劇的に和解すると考えるのはあまりにも楽観的である。ましてやイランに地域の警察官役を期待するなど論外である。スンニ派アラブ王政諸国がパーレビ時代のイランをペルシア湾の憲兵として受け入れたのは、その国が世俗的な啓蒙主義国家であり、アメリカの重要な同盟国だったからである。遺憾ながら今日のイランは東アジアでの中国と同様に、ペルシア湾岸では周囲とは全く異質な存在である。現在のサウジアラビアはナチス・ドイツに宥和したイギリスさながらの行動である。アメリカがもっとウィルソン主義外交に出ていればネビル・チェンバレンもアドルフ・ヒトラーにもっと強い態度に出ていたであろう。現代ではアメリカの敵対勢力と話し合い姿勢を見せるオバマ政権に対し、サウジアラビアが不安感を募らせている。現在の外交政策を分析するうえでも文化と宗教に関する初歩的な理解はさほどに重要である。

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