複雑化するアジアでのアメリカ外交政策
去る12月12日にグローバル・フォーラム・ジャパンと明治大学が主催する日本・アジア太平洋対話「パワー・トランジションの中のアジア太平洋:何極の時代なのか」が開催された。シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授をはじめ、対話に招かれたパネリスト達はアジア太平洋地域のパワー・ゲームについてリアリストの観点から明解に述べた。
実は11月5日のムンク討論会で『ウォールストリート・ジャーナル』紙のブレット・スティーブンス編集員が中国の脅威が抜き差しならないほど大きくなれば、日本のプルトニウム施設は核兵器に利用されるかも知れないとの疑念を述べたことに、私は少なからぬ驚きを覚えた。私はオバマ政権の超大国の自殺行為に対するスティーブンス氏の批判には同意するが、彼のような影響力のあるオピニオン・リーダーが日本を北朝鮮、イラン、パキスタンと同列に論じるかのように警鐘を鳴らしたことにはやや戸惑いを感じた。私は核不拡散がアメリカ外交で優先度の高い案件であることを充分に認識しているので、スティーブンス氏の発言はまるで日本をアメリカにとっての潜在的な「敵」と見なしているかのように響いた。問題は核不拡散自体にとどまらず、アメリカのコントロールが効かなくなるほど地域の緊張が高まることで、そうした事態は1998年のインドとパキスタンによる核実験の応酬に見られた。
しかしミアシャイマー教授のリアリストに視点によれば、スティーブンス氏の発言はアジア太平洋地域でアメリカの最重要同盟国に対して「非友好的」とも言い切れないようだ。国家は 国力と国威の最大化を追求し、自国の周囲に確固とした勢力圏を築こうとする。そうして生存の可能性を高め、政策の選択肢を増やしてゆく。よって、リアリストはアメリカが中国の脅威の増大に対処するにはあまりに弱く信頼できないと映れば、日本が核保有に走るのは当然だと考えている。それは核兵器が中国に対して最も費用効果の高い抑止力だからである。
そうした議論を念頭に置けば、日本の指導者達はアメリカと中国を両方とも相手にしたパワー・ゲームに絡んでまで核兵器を保有する覚悟があるのだろうか?歴史的に見てアメリカがアジアで支配的な勢力の台頭を受容しなかったのは、1899年に当時のジョン・ヘイ国務長官による門戸開放政策からもわかる。たとえ中国に宥和姿勢のように見えることがあっても、アメリカがアジアでの影響力を手放すことは考えにくいばかりか、極東が1998年の印パ核競争のように管理不能に陥ることなど欲していない。よって日本の指導者達は歴史認識に関して注意深い言動をとるべきである。何と言ってもミアシャイマー氏やスティーブンス氏のような名立たるオピニオン・リーダー達が日本の核保有の可能性をこれほど公然と語っているのである。
この対話は非常に印象深く洞察力に富んだもので、私はここで以下3つの論点を提起したい。第一はアジア転進政策である。確かにアジア新興経済諸国での市場の機会は重要である。しかしそれはアメリカがヨーロッパと中東への関与を弱めよという意味だろうか?ウクライナ危機はアジア関与を低下させるだけなのだろうか?そうとは言えない。ロシアは日本の北方空域に頻繁に侵入しているからである。この国はヨーロッパとアジアの双方で我々の脅威なのである。さらに中国は世界規模でアメリカに立ち向かっている。中国が中東への戦力投射能力がないにもかかわらず、一極支配の世界を恐れてロシアとともにイラク戦争に反対したことを忘れてはならない。また、中国の対アフリカ援助は物議を醸しているが、それも影響力の拡大のためである。よって私はヨーロッパと中東での関与を低下させることはアジアでのアメリカのプレゼンス強化を保証するわけではないと信じている。遺憾ながらISISの台頭に見られるように、これがオバマ政権によるアジア転進政策によってもたらされた結果で、その一方で中国が東アジアでますます挑発的になってきている。
中国が全世界で展開するアメリカへの挑戦に関して、この国が自らを「まだ途上国だ」としばしば言う理由を再考すべきである。これは謙遜からでた言葉ではなく大々的な野心から出た言葉であろう。私はそれが暗示する意味を「全世界の途上国よ、団結せよ!欧米(そして日本も)帝国主義に対して立ち上がれ!」であると解釈すべきではなかろうか。中国は革命国家であり、彼らには世界規模でパックス・アメリカーナに世界規模で抵抗するだけの充分な理由がある。中国の拡張主義を抑制するうえで、私は割れ窓理論を適用すべきと考えている。すなわち、アメリカの敵が防衛の弱い場所を見つければ、街で割れ窓を見つけたギャングのように勢いづくというものである。
第二の点は仮にもヘゲモニーの移転が起きた場合である。万一にも中国がアメリカによる世界秩序の後を襲うことがあれば、前覇権国のものとの違いは著しいであろう。パックス・アメリカーナはパックス・ブリタニカから自由主義の価値観、文化、政治システムを引き継いだ。20世紀初頭に競合国の追い上げに直面したイギリスは、超大国の役割のバードン・シェアリングにはドイツよりアメリカの方が好ましいと見た。こうしたギリシアとローマに擬せられる関係は、中国がさらに台頭した場合には決して見られることはない。それはパックス・アメリカーナとパックス・シニカではヘゲモニーの断層があまりにも大き過ぎるからである。仮にそうした事態になったとしても、中国ではローマを破壊して後世に何も残さなかったアッティラのフン族にしかなれない。
第三には、たとえリアリストの視点からでも大国の競合で各国のレジームの性質が何の影響も及ぼさないのかという点である。私は一例としてイランを挙げたいが、それはこの国が近代化路線を歩もうがイスラム神権政治であろうがペルシア湾の大国を志向してきたからである。パーレビ王政時代には、イランはアメリカが支援するペルシア湾の憲兵としての台頭を目指した。シャーは啓蒙専制君主で西欧式の近代化によるネーション・ビルディングを追求した。シャーはペルシア人の偉大な歴史とともに、脱イスラム化によってアラブ諸国民に対する人文たちの優位を訴えかけた。それによってイランはレアルポリティークの面でもイデオロギーの面でも極めて親米で親イスラエルになった。他方で現在の神権体制はアメリカの優位への抵抗を通じた台頭を求め、その性質から言っても極端に反イスラエルである。彼らはアラブの間でも宗派が共通するシーア派のモスタザフィン(被抑圧者)との連帯を主張している。そうした国がテロ支援を行なうのは、レアルポリティークの面でもイデオロギーの面でも不思議ではない。
この対話はますます複雑化してゆくアジア太平洋地域の情勢を理解するうえで非常に有益だったばかりか、日本の指導者達に対しても微妙な問題では注意深く振る舞うべしという重要なメッセージを発信した。私が言及した3つの疑問点の中でも最も重大なものはアジア転進政策の真の意味である。これはただのレトリックなのか、それとも中国での市場機会への叩頭なのか、それともこの地域への真の戦略的関与なのか?それが問題である。
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