アメリカの「世界の警察官退任」発言に対する歴史的教訓
バラク・オバマ大統領がアメリカはもはや世界の警察官ではないと発言した際、それを歓迎する声はほとんど聞かれない。イラク戦争を「傲岸不遜」として反対した者達さえも、あまりに唐突な一言に当惑している。重要な問題は、アメリカが本当に世界の警察官から本当に降りる気なら、その責任の一部でも分担できるパートナーを指名する必要があるということだ。歴史を振り返れば、アメリカはベトナム戦争後に国際的な関与を弱めると表明した。今日と同様にアメリカ国民の間には長い戦争に対する厭戦気運が広まっていた。しかしベトナム戦争後のアメリカを率いたリチャード・ニクソン氏はバラク・オバマ氏よりもはるかに責任ある行動をとっていた。
まずニクソン・ドクトリンについて述べたいが、これは1969年にニクソン大統領が戦争のベトナム化を表明したものである。当時、世界各国のオピニオン・リーダー達はアメリカの衰退を語り、アメリカが世界の安定の礎であり続けるかどうかにさえ疑問を呈した。現在のオバマ大統領と同様にニクソン大統領も同盟諸国に広まるポスト・アメリカ世界への不安を宥めるため、アメリカは条約上の遵守し、同盟国が死活的な安全保障上の権益を脅かされれば支援をしてゆくというメッセージを発した。他方でニクソン氏は、アメリカは敵の脅威に直面している国を背後から支援し、自国の防衛に第一の責任を持つのはそうした国々だと強調した。これらの点はオバマ政権の外交政策と方向性が似ている。しかし超大国がその地位を降りるあるいはその責任を他の国に委譲するというなら、そのためのパートナーが負担を分担できる能力を持てるように支援する必要がある。この点に関する限る、オバマ政権はニクソン政権よりもはるかに稚拙である。両者の顕著な違いが見られるのは中東政策においてである。
ニクソン大統領が自らのドクトリンを公表してからほどなく、パーレビ王政下のイランがペルシア湾の憲兵として台頭するための支援に乗り出した。このことが典型的に表れているのは、ニクソン政権がイラン帝国空軍の強化に対して行なった好条件で迅速な支援である。1970年代初頭のイランはソ連による領空侵犯に悩まされていた。特に高速で飛行するミグ25戦闘機はイラン空軍のF4戦闘機でも侵入を阻止できず、イランはソ連空軍のなすがままに偵察され放題であった。イランは自国の主権下にある領土を守るためにも、最先端の戦闘機を必要としていた。そのため、モハマド・レザ・パーレビ国王は1973年7月にワシントン郊外のアンドリュース空軍基地でニクソン大統領と会談した。ニクソン氏はF14かF15のどちらでもイランの防空に好ましい方を選ぶようにと、同基地での飛行デモストレーションにシャーを招待した。両機の飛行を見たシャーが躊躇なく選択したのはF14である(“Thirty minutes to choose your fighter jet: how the Shah of Iran chose the F-14 Tomcat over the F-15 Eagle”; Aviationist; February 11, 2013)。
帰国したパーレビ国王は翌年1月に30機のF14を発注すると、6月には矢継ぎ早に50機のF14をAIM54フェニックス・ミサイルとともに発注した。ニクソン政権の迅速な行動によりイランは1976年1月に最初のF14を受け取り、それとともにイラン空軍のパイロットもアメリカから集中的な訓練を受けた(“Grumman F-14 Tomcat#Iran”; Wikipedia)。その結果は目覚ましい成果となった。1977年8月にはイラン空軍のF14がフェニックス・ミサイルの発射テストで無人機を撃墜し、ソ連の侵入に対するイランの防空能力を誇示した。それ以来、恐るべきミグ25がイランの領空に飛来することもなくなった(“Aircraft/Jet fighters/F-14”; IIAF.net)。ニクソン氏が公約を果たしたと言えるのは、シャーが自国を充分に防衛できるだけでなく、ペルシア湾の憲兵としてアメリカの代役を務められるほど軍事力を備えるなでになったからである。この件から我々が学ぶべき重要な教訓は、アメリカが世界への軍事的な関与を削減できるのはその地域に強固で信頼性の高いパートナーがある場合だけだということである。
上記の歴史的事例と比較すると、オバマ大統領が世界の警察官から降りると発言したことは著しく思慮を欠いていた。ニクソン政権と違い、オバマ政権には中東の地域安全保障でアメリカの責任を委譲できるほど信頼できるパートナーはない。特にイラク政策は稚拙をきわめ、ISISの台頭に見られるように地域の不安定化を深めている。ニクソン政権はパーレビ王政下のイランが地域の警察官を担えるほどの軍事力強化を支援したが、オバマ政権はイラクの治安部隊の再建も行なわずに撤退してしまった。湾岸戦争勃発時にサダム・フセインが空軍機の多くをイランに疎開させ、残りの空軍機もイラク戦争で破壊されてしまったので、イラク空軍は実質的に存在しなかった。よってアメリカとの安全保障合意を結んで地上のテロリストを掃討するためにも、イラク空軍の地上攻撃能力の再建は必要不可欠であった(“Iraq to Have Some Air Strike Capability, U.S. Says”; Assyrian International News Agency; December 6, 2007)。
このため、イラクはF16戦闘機とアパッチ攻撃ヘリコプターの購入を決断した。マリキ政権はブッシュ政権末期にF16の購入を検討し始めた(“Iraq Seeks F-16 Fighters”; Wall Street Journal; September 5, 2008)。彼らが決断を下したのはオバマ政権の発足から数ヶ月後である(“Procurement: Iraqis Put Up The Bucks For F-16s”; Strategy Page; April 9, 2009)。イラクは2011年にまず36機を発注することでアメリカとの間で最終的に合意に達したが、UPI通信の報道によればそれでもイラク全土をカバーするには不十分だという(“Iraq F-16 Order Finally Confirmed”; Iraq Business News; December 7, 2011)。問題はサダム・フセインが政権の座を追われてからイラクにはジェット戦闘機がなかったので、そのような先進機器を使いこなせるパイロットがほとんどいないということである(“Iraq Has Brand New F-16s, But Can't Use Them Against ISIS Yet”; International Business Times; June 12, 2014)。さらにISISの攻撃から教官とイラク軍パイロットの安全を期すため、F16の飛行訓練地はイラク北部のバラド空軍基地からアリゾナ州ツーソンに変更された。そのうえ、イラク軍パイロットには長時間の集中的な訓練が必要である。よってF16がイラクに引き渡されるのは2017年になるという(“Islamic State threat delays delivery of F-16s to Iraq”; Military Times; November 10, 2014および “Iraqi F-16 pilots need years more training in U.S.”; Military Times; December 11, 2014)。イラク議会はF16の引き渡しがさらに遅れる事態に苛立ちを募らせている(“Iraq urges US to explain delay in F-16 jets delivery”; Islam Times; 25 December, 2014)。
イラクがアメリカから輸入しようとした地上攻撃用の航空兵器にはAH64アパッチ・ヘリコプターもある。しかしオバマ政権がイラクとの合意に達すると、民主党のボブ・メネンデス上院議員が委員長を務めていた上院外交委員会は、シーア派のマリキ政権がISISや反乱分子との戦闘よりも少数派のスンニ派への抑圧にアパッチを利用するのではないかとの懸念を提起した(“Agreement Reached to Sell Apache Helicopters to Iraq”; Defense News; January 27, 2014)。合意には何とか達したものの、イラク政府は両国で合意した24機に加えて6機のリースを要求した。最終的にイラクはその合意を破棄した(“Iraq passes on Apache buy”; Jane Defence Weekly; 25 September, 2014)。F16の場合と同様に、オバマ政権はイラク政府が要求してきた機数を迅速に引き渡すことができなかった。
上記のような失敗を重ねたためにイラクはISISだけでなくイランに対しても脆弱になった。オバマ政権はISISとの戦いでイランに協調を依頼しながら難しい核交渉を行なう羽目になった。さらにイランはイラクでは南部のシーア派を通じて影響力を浸透させている厄介なアクターである。今やイラク政府はシーア派民兵への依存度を高めている。オバマ氏はイランとの反ISIS提携を一時的なものと考えているかも知れないが、それではイラクの治安には長期的な悪影響を及ぼす。イランは依然としてシリアのアサド政権を支持している。また、シーア派民兵はスンニ派住民を自分達の周囲から追い出そうとしている。そうした宗派間の亀裂を克服する唯一の方法は、中央政府があらゆる民族と宗派を取り込んだ強固な治安部隊を作り上げることである(“The U.S. and Iran are aligned in Iraq against the Islamic State — for now”; Washington Post; December 27, 2014)。
イラク国内でアメリカの重要な同盟者であるクルド自治政府は多国籍軍の空爆によってISISの脅威は相対的に封じ込められたが、シーア派民兵を通じたイランの影響力の浸透に非常な危機感を募らせている。それら民兵の内でもアサイブ・アール・ハクとバドル民兵がクルド人にとっては重大な脅威で、双方ともイラン革命防衛隊と緊密な関係にある。シーア派勢力が最も活発なのはクルド地域とイランとも境界を接するディヤーラー県で、彼らはさらに北のキルクークにまで進出している(“Forget ISIS: Shia Militias Are the Real Threat to Kurdistan”; National Interest; January 7, 2015)。そうした問題にもかかわらず、オバマ政権は核交渉のためにイランに対する政策を緩和しようとしている。それは一般教書演説で議会の反発を呼び、オバマ氏はイランの脅威を理解しているのか疑問視される有り様である(Unanimity at last: Obama is delusional on foreign policy”; Washington Post; January 21, 2015)。そうした批判は当然のことで、オバマ氏はまるで中東の安全保障をイランに委任しているかのようにさえ見える。
アメリカがイギリスの覇権を引き継いで以来、その力は好調な時期も不調な時期もあった。ニクソン政権とオバマ政権の歴史的背景はきわめてよく似ているが、それに対応する政策には著しい違いがある。オバマ政権は世界の警察官という責任を投げ出してアジア転進政策をとろうとしているが、その準備は何もしていない。多くのコメンテーターが表面的なアメリカの衰退を議論しているが、本当に問題なのはリーダーシップの質である。ニクソン氏とは違いオバマ氏には外交政策のビジョンがない。パーレビ国王にはニクソンおよびフォード政権との相互信頼があったが、マリキ氏もアバディ氏もオバマ氏との信頼関係にはない。ニクソン氏にはヘンリー・キッシンジャー氏がいたが、オバマ氏には頼るべき外交政策の助言者がいない。両大統領の歴史的な比較によって、今日のアメリカ外交に多大な示唆を与えてくれるものと信じている。
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