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2015年8月31日

国際政治と安保法制における法と力

日本の安保法制をめぐる議論は国際政治に基本的で普遍的な問題を突きつけているが、それは法と力の関係である。よって学者も実務家も日本が専門であろうとなかろうと、永田町の議論にもっと注目すべきだと提言できれば幸いである。フーゴー・グロチウスが『戦争と平和の法』を著してから、人類は戦争と紛争の管理と制限を模索してきた。戦間期にはアメリカのフランク・ケロッグ国務長官とフランスのアリスティード・ブリアン外相がケロッグ・ブリアン条約によって戦争の非合法化さえ試みた。しかしそれで第二次世界大戦は防げなかった。国際政治ではいかなる権力も主権国家の上には存在しないので、戦争を法的に規制することはきわめて難しい。非常に重要なことに、日本は国内憲法による法的規制を見直して力が支配する世界に適応する一方で、法の支配を維持しようとしている。

そうした前例のない取り組みを理解するために国内事件における個人の犯罪行為と国際事件における国家の犯罪行為では、法の適用と強制執行がどのように違うかを見直す必要がある。個人は国家の三権に従う存在であるが、主権国家はいずれも超国家機関に従う存在ではない。国内法はテクノクラート的な手続きで適用されるが、国際法の適用には政治的なやり取りが絡む場合も時にはあり得る。国内法への侵害の場合、犯罪者個人は国家権力によって身柄を拘束される。しかし国家が超国家機関によって身柄を拘束されたり拘留されたりすることはない。国際法を強制執行できるような、単一の中央集権化された世界政府は存在しない。よって国際政治における法の強制執行は、力と責任を持つ国民国家の軍事力の行使に依存している。

このことを踏まえれば、6月4日に衆議院で行なわれた安保法制に関する憲法学者の証言はあまりに単純であった。その審査会において慶応大学の小林節名誉教授および早稲田大学の長谷部恭男教授と笹田栄司教授といった3人の憲法学者が、この法案は憲法違反で法的安定性を損なうものだと切って捨てた。しかし国際法さえ戦争と紛争を規制するには不完全なのである。どうして日本が国内憲法によって自らの行動にそれほど厳格に規制しなければいけないのか?日本が法の支配を重視する国であることには何の異論もなく、3人の憲法学者達が「違憲」と「法的安定性」の両語を法案阻止のカードに利用することも理解できる。しかし三学者とも力の支配で動くという国際政治の性質など、ほとんど気にも留めていないように見受けられる。

国際政治における法と力に関する考察を進めるうえで、ブルッキングス研究所のロバート・ケーガン上級研究員は有名な著書『ネオコンの論理』で非常によく知られた説得力のある議論を展開している。ケーガン氏の論理を安保法制をめぐる議論に適用すれば、反対派は法と超国家的な協調が支配する「恒久平和」というカント的な世界観を信奉しているのに対し、賛成派は平和とは頼りにできない国際法や超国家機関よりも自由主義秩序の覇権国家による軍事力に裏付けられるというホッブス的な世界観を信奉していることになる。主権国家が乱立して力によって自国の国益を最大化しようとする世界では、法で平和は保証できない。もちろん日本が法規に基づいて行動する遵法国家であることに異論を挟む余地はないが、敵がそこまでカント的に行動する保証はどこにもない。法的安定性とは主として国内向けのものなのである。安保法制反対派は「法的安定性」という呪文を唱えているが、それが通用するのは国内であってホッブス的な国際政治では通用しない。世界は「政治的安定性」のためにパックス・ブリタニカとパックス・アメリカーナを必要としてきた。安保法制によって日本は自国の法で身動きできない状態を脱し、ホッブス的な世界で行動できるようになるだろう。

そうしたホッブス的な現実に鑑みて、安倍政権はカント的な法的安定性と新時代の安全保障上の要求との微妙なバランスを非常に注意深くとっている。それが典型的に表れているのがペルシア湾に関する事項で、イランのA2AD能力向上で艦隊防空がより重要になっている現状にもかかわらず、安倍晋三首相は日本は掃海艇を派遣するにとどまるというきわめて抑制された答弁に終始している。当ブログで幾度も述べてきたように、これでは日本がなすべき安全保障上の役割を果たすにはまだ不充分ではあるのだが。さらに安倍氏はこの掃海作業は自衛隊が多国籍軍への後方支援以上の任務に就くきわめて例外的なケースだと明言している。礒崎陽輔首相補佐官が法的安定性について物議を醸す発言をしたが、安倍氏のアプローチは非常に、それどころか過剰に慎重である。

3人の憲法学者達は憲法違反の安保法制では日本の民主主義と法の支配を破壊すると非難している。しかし実際の反応を見ると、アメリカ、NATO諸国、アジアの民主主義諸国は新法案を歓迎している。安倍政権が提案するこの法案が反対派の学者達が言うようにそれほど危険なものなら、これが民主的な国々から支持されているのはどうしたことだろうか?忘れてはならないことは、民主的な価値観が重大な危機に瀕する時には欧米諸国が専制国家を糾弾することである。中国は欧米との経済的な関係が深まっているとはいえ、人権侵害が深刻になると非難の的になる。戦略的なパートナーシップが深く根付いているサウジアラビアでさえ、国民への抑圧が行き過ぎると厳しい批判にさらされる。しかし日本で「違憲」とされる安保法制がそのような敵意にさらされることは全くない。現在、メディアは安保法制が採決されるかを注視しているが、この法案がどのように適用されて強制執行されるかについて考えることも重要である。それは全世界の人々にとっては国際政治の理論と政策の重要問題であり、日本国民にとっては国家安全保障の問題である。

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2015年8月25日

自衛隊のペルシア湾派兵は日本の国益に適う

国会における安保法制の議論では、諸野党が安倍政権は自衛隊の海外派兵に地理的制約を科すべきだと主張している。国際的な作戦に無制限に関与すれば憲法9条が空洞化しかねないとの懸念からである。野党はそうした制約が緩和されてしまえば法的安定性を損なうと憂慮している。さらに安倍政権の全世界的な関与政策に反対する勢力は、日本はアジアの国として東アジアの脅威、特に中国と北朝鮮への対処に国防の精力を集中すべきだと主張する。

しかし、こうした議論には説得力がない。テロ、過激思想、専制政治、核不拡散といった脅威はますますグローバル化している。また日本はペルシア湾からの輸入に総需要の80%以上も依存している(「今日の石油産業」;石油連盟;2014年4月)。よって、日本はアメリカおよび西側主要国とともに湾岸の緊急事態を管理してゆく必要がある。我々が忘れてはならないことは、現在の積極的平和主義と安保法制の発端は1991年湾岸戦争での外交的屈辱である。国連決議に基づくアメリカ主導の多国籍軍がサダム・フセインの不当なクウェート侵攻に懲罰を科す時に、日本は何も支援できなかったばかりか、アメリカの軍事作戦に資金を出すATMマシーンだと嘲笑されてしまった。この事件によって日本の指導者層と国民は戦後の平和主義がどれほど受動的か、それどころか孤立的なものだと知らしめられたのである。この観点から言えば、自国の周囲を超えて世界の安全保障の負担を分担することが日本の国益と責務である。

ペルシア湾での石油輸送路の安全保障に関しては、最も重大な脅威はアメリカの空母打撃部隊に対するイランのA2AD能力向上である。実際にイランは今年2月の海軍演習で模擬空母を破壊してアメリカ艦隊攻撃への強い意志を示した(“Iran blasts mock U.S. carrier in war games”; CNN; February 27, 2015)。アメリカの空母機動部隊は日本の防衛に大変重要で、敵の空母攻撃は日本の国家と国民にとって明白な存立危機事態である。日米同盟の深化に最も不熱心な政治家の一人である小沢一郎衆議院議員でさえ、日本の防衛に第7艦隊が不可欠だと認めている(「『駐留米軍は第7艦隊で十分』 民主・小沢代表」;産経新聞;2009年2月25日)。よって私は安保法制が日本の防衛任務に地理的制約を科すべきではないと強く主張する。安倍政権は湾岸へは掃海艇の派遣のみという非常に抑制された関与を提案しているが、艦隊防空の方がもっと重要である。鉄壁にさえ見える空母であるが防御の武装はほとんどなく、夜間には不意の攻撃を避けるために飛行甲板の照明を落としているほどである。このことは空母打撃部隊の防衛にはアメリカのイージス艦やイギリスの45型艦のように先進技術を駆使した駆逐艦が不可欠なことを意味する。この観点から、アメリカやイギリスのようにイージス艦を派遣することは日本の重要な国益に適うのである。よって、安倍政権のきわめて抑制されたビジョンにさえ反対する者は非常に孤立志向なので、1991年湾岸戦争の屈辱のような過ちを繰り返しかねない。

日本人には主力艦喪失が戦略的そして象徴的にもたらす影響を理解するうえで重要な歴史的体験があり、それも攻撃側と防御側の両方の立場を経験している。シンガポール陥落の時に日本帝国軍はイギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈し、アジア太平洋地域の英連邦および大英帝国の諸国に重大な戦略的および心理的な打撃を与えた。他方でレイテ沖海戦によって日本帝国海軍が戦艦武蔵をはじめとする主力艦の喪失により近隣海域の制海権を失うと、日本の本土はアメリカの空襲にさらされることになった。ペルシア湾で敵がアメリカの空母への攻撃に成功すれば、それはどこか遠くでの軍艦の喪失では済まない。世界各地で脅威となる勢力が勢いづき、割れ窓理論で言われるようにこれらの勢力がパックス・アメリカーナに対して立ち上がるだろう。そうなると日本にとってはまさに存立危機事態である。

永田町では最近の核協定をイランとアメリカの外交的雪解けと見なす国会議員もいる。バラク・オバマ大統領はカイロ演説での謝罪姿勢に見られるように就任以来、イランへの外交的アプローチを変えようとしている。しかし間違ってもアメリカとオバマ氏を同一視してはならない。イギリスのデービッド・キャメロン首相がオバマ氏と親しい友人だからといって、アメリカ政策形成者の評価が必ずしも高いわけではない。実際にオバマ政権の核協定はキャピトル・ヒルで超党派の厳しい批判にさらされている。ほとんど協定に反対で一致している共和党ばかりか、民主党からも反対の声が挙がっている。そうした民主党員の中で、チャック・シューマー上院議員は核の野望を捨てない限り協定によってイランが穏健化することはないと主張している(“Schumer: I'm Voting Against Iran Deal”; Weekly Standard --- Blog; August 6, 2015)。シューマー議員の見解を裏打ちするかのように、アリ・ハメネイ最高指導者はイランの事情に部外者は口を挟むべきでないと述べた。これはハメネイ師には核計画を止める意図などなく、ただ制裁の解除だけを望んでいるものと解釈されている(“Iranian Hard-Liner Says Supreme Leader Opposes Nuclear Deal”; New York Times; August 15, 2015)。こうした事態に鑑みて、もう一人の民主党員のボブ・メネンデス上院議員は協定によってイランの核開発能力が完全に排除されたわけではないとして深刻な懸念を表明している。すなわち、フォルドのように査察官が入り込めない施設があるばかりか、依然として多数の遠心分離機がイランの手にあるということである (“Senate Democrats stake out both sides of Iran deal” Reuters; August 18, 2015)。

オバマ大統領は議会の批判を何とか乗り切るかも知れないが、核協定が施行されるとしても、それで米・イラン関係が緩和すると考えるのは夢想的と言わざるを得ない。過去にはSALT合意が米ソのデタントを保証しなかった。米・イラン間の外交的雪解けを信じる永田町の政治家達は、レオニード・ブレジネフ氏のカモにされたジミー・カーター氏と同類としか思えない。イラクとシリアのISISを打倒するうえでイランが同盟国になるとの主張も見られるが、それは妄想としか言えない。イランはISISの拡大阻止を望んでいるかも知れないが、彼らの真の狙いは両国を不安定化させてアメリカと近隣アラブ諸国の影響力を弱めることである。それはイランが支援知るシーア派代理勢力をさらに勢いづかせる(“Sorry, America: Iran Won't Defeat ISIS for You”; National Interest; July 23, 2015)。永田町の政治家達の間では政策通とされる議員まで核協定後の米・イラン関係に楽観的なのは、どうしたことだろうか?いずれにせよオバマ大統領の任期は1年過ぎには終わり、次期大統領がたとえ民主党であってもイランにはより強硬になるだろう。また核協定は地域の緊張の引き金になりかねず、イスラエルやサウジアラビアはイランの地域支配を懸念している。‬‬

石油輸送路に突きつけられる脅威はイランだけではない。海賊やテロリストといった非国家アクターも機雷や対艦ミサイルで航海の自由を妨げることができる。ハマスがイスラエル攻撃のために巡航ミサイルを配備していることを忘れてはならない。イランやテロリストのようなこの地域の脅威を理解するには、イスラム過激派の思想的および歴史的背景を知る必要がある。ある永田町の政治家はアメリカあるいは欧米によるイスラム過激派掃討に日本が巻き込まれることを避けられれば、彼らと友好的な関係でいられると言う。しかしそれは殺戮と破壊のイデオロギーで、カフィール(異教徒)と穏健派ムスリムに対して徹底的に非寛容である。一度でもアラーへの冒涜だと見なされれば、キリスト教徒やユダヤ教徒であろうとなかろうと過激派による攻撃の標的となってしまう。イスラム過激派は中世にはインドの仏教を根絶した。タリバンはバーミヤンの大仏の救済に向かった日本代表団を侮辱的にあしらった。これらの観点から、受動的で孤立志向の平和主義では日本が宗教過激派に対処するうえで役に立たない。ISISが今年の1月に後藤健二氏と湯川遥菜氏を身柄拘束して殺害するより以前から、彼らは多くの日本人を殺してきた。

湾岸の安全保障がどうであろうとも、日本人の中には我が国は高まる一方の中国と北朝鮮をはじめとした近隣の脅威に集中すべきとの声もある。彼らは自国から遠く離れた場所に自衛隊を送るのは日本の国防と財政の資材の無駄だと言う。しかし歴史は彼らの見方が間違いだと教えてくれる。例えば、韓国は国境を隔てた北朝鮮の甚大な脅威に直面していながら、ベトナム戦争に派兵した。当時の韓国にとってベトナムなどほとんど気にもかけない存在で、それよりも近隣に北朝鮮、中国、ソ連といった敵対的な国々を抱えて孤立して包囲されている状況の方が深刻であった。日本との関係は緊張していた。よってソウルはアメリカへの忠誠を証明する必要があった。ポーランドも同様にイラク戦争に参戦してアメリカとの緊密な同盟関係をロシアに見せつけた。そのような忠誠は、同盟国にとって自分達の国益をアメリカの外交政策に反映させるうえで何らかの役に立つことがある。

さらに海外派兵は実戦部隊の戦闘経験を深める良い方法である。日本自衛隊は多国間演習で訓練の行き届いたパフォーマンスから高く評価されている。しかし日本が戦後70年間の平和に浸かっていたこともあって、自衛隊は世界でも最も実戦経験が乏しい軍隊である。日本のリベラル派はそれを誇りに思っているが、私の目には現在の自衛隊がマシュー・ペリー来航時の徳川武士に見えてならない。自衛隊は戦闘経験もなしに、日本本土に直接的で差し迫った危険が及ぶ際に実戦を戦えるだろうか?自衛隊が中東およびアフリカで多国籍軍に参加できれば、それは自国本土での危険な事態への対処を準備するうえで、まさに好都合な修業の場となるだろう。アジアにおいては自衛隊に実戦経験がなくても重要な責任を背負わざるを得ない。他方で中東やアフリカなら自衛隊は比較的低いリスクで実戦の中で戦争について学ぶことができるが、それは主要交戦国がアメリカ、NATO同盟諸国、そして地域の関係諸国だからである。これは日本が「殺るか殺られるか」という戦場への見習いと準備をするうえで好都合な環境である。イギリスのヘンリー王子はアフガニスタンでタリバン兵をプレイステーションのように射殺したと語った(“Prince Harry: 'I've killed Taliban fighters'”; Daily Telegraph; 21 January, 2013)。自衛隊もヘンリー王子のように平常心を持って敵に直面しなければならない。

アメリカあるいは欧米が中東や他の場所で行なう戦争に日本が巻き込まれてはならないと強調する者は、アジア太平洋諸国との友好とパートナーシップを重視しているのだろう。しかしこれは我が国が世界の中で占める特別(exceptional)な地位への素っ気ない否定である。日本はアジア太平洋の国でありながら、明治末期以来は「西欧列強」の一員としてアメリカやヨーロッパと共に世界を運営してゆく立場であった。日本国民はペルシア湾の戦略的重要性も日本の特別な地位もよく理解している。永田町で「自衛隊を湾岸に派兵するなど国民には理解できない」と言うことは全くの間違いなのである。私は天才でも何でもないが、ここに記したように上記の点をよく理解している。よって日本国民がペルシア湾の重要性をよく理解することに何の疑いの余地もない。

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