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2016年4月25日

オバマ大統領は広島でトランプ氏に警告を発せよ!

バラク・オバマ大統領が就任してからというもの私が彼の広島訪問の希望には強く反対であったのは、そうした態度がいかにも謝罪姿勢でポスト・アメリカ的なものに映るからである。私はそれによって冷戦後に西側同盟に敵対するようになった勢力が勢いづくのではないかと大いに懸念していた。しかしアメリカ国内の大統領選挙ではそれよりもはるかに甚大な脅威が出現したとあっては、核安全保障に関して無知で無責任な発言への強いメッセージで臨み、党派にも国家にもかかわらず、国際社会の良心がいかなる類いのものであれそうした言動を許さないと表明しなけらばならない。今や「トランプ許すまじ!」の観点から優先すべき事柄は変わるべきだとの信念から、私はオバマ氏の広島訪問を歓迎したい。

大多数の日本国民、そして広島と長崎の被爆者さえも、アメリカの指導者が誰であれ大戦中の行為に対して謝罪して欲しいとは思っていない。私は広島がアウシュビッツではなく、原爆ドームを含めた平和記念公園の展示物でアメリカおよび連合軍を非難するものは何もないということを全世界の人々に訴えたい。よってオバマ大統領が謝罪を行なう義務など全くなく、むしろ世界を核の脅威から安全にするうえでアメリカのリーダーシップを発揮するという自信にあふれたメッセージを発するべきである。これまでも大量破壊兵器(WMD)の不拡散はアメリカの外交政策では最重要課題の一つであった。その中でも核問題は保守派であれリベラル派であれ有力シンクタンクでは主要な政策課題である。このことは核不拡散がアメリカにとって超党派の重要な国益であることを意味する。ここで銘記すべきことは、ロシアと中国さえもアメリカの核不拡散イニシアチブを受け容れてきたことがイランと北朝鮮の事例にもみられる通りだということである。特にNPT(核不拡散条約)体制は国際公益におけるアメリカのリーダーシップを象徴するものである。さらに9・11同時多発テロ以降は核によるテロ攻撃の防止が至上命題になっている。

非常に嘆かわしいことに、ドナルド・トランプ氏はアメリカの核外交での基本的なアプローチを何一つ学んでいない。戦術核兵器は中東でのテロとの戦いに使用するには破壊力が大き過ぎる。さらに驚くべきことに日本と韓国にはアメリカの核の傘に頼ることなく自前の核武装をせよとまで言い放っている。それではNPT体制は崩壊に向かい、アメリカの国益そのものが脅かされることになる。そうなると、その波及効果は全世界に広がりかねない。中東では核合意が発効しても弾道ミサイル実験を止めないイランを尻目に、イスラエル、サウジアラビア、エジプト、トルコといった地域大国が核武装の強化ないし保有に走りかねない。またインドとパキスタンの核競争も激化しかねない。それによってテロリストによる核兵器の入手の可能性が高まるであろう。トランプ氏は「財務諸表」に基づいて議論しているが、アメリカは在外兵力の撤退によって予算を削減せよと説くような経済学者はほとんどいない。外交政策と安全保障の専門家達も、そのようにビジネスマン的な考え方には当惑している。

トランプ氏が犯した致命的な誤りとは、核保有が無条件に核抑止力になるという前提である。しかし米ソ対立の歴史から、それが全くの間違いであることがわかる。冷戦初期にはアメリカ国民はソ連による核攻撃を非常に恐れていたので避難訓練を繰り返していた。鉄のカーテンの向こう側でも事態は同様だったであろう。核の瀬戸際政策が頂点に達したのは1962年のキューバ危機である。信頼性のある抑止力の確立には長い時間を要した。第二撃能力とホットラインによって相互確証破壊(MAD)が確固としたものになるまで、米ソ間の核抑止力は信頼できるものではなかった。我々が思い出すべきは、1998年にインドとパキスタンが互いに核実験を繰り返した際にはそうしたシステムは全く作動せず、両国の核競争が地域の緊張を高めただけだったということである。さらにイスラム過激派に対しては核抑止力など全く効果がない。彼らは敵からの殲滅に恐怖を感じていないばかりか、我々との間には米ソ間ホットラインのように予期せぬリスクを予防できる相互の意思疎通手段もない。イスラム過激思想の根本的な価値観では「西欧十字軍」との戦い自体が目的である。よって歯止めなき核拡散は抑止力を強化するどころか空洞化してしまうのである。

こうした観点から、日本が独自核戦力によって北朝鮮に対する抑止力を構築できるかを問いかけねばならない。軍事ジャーナリストの田岡俊次氏は日本が核武装をしても北朝鮮は戦争のリスクなど厭わないと主張する。アメリカの大量報復だけが冒険主義的なキム政権による核戦争を予防できるだろうということである(「『日本核武装論』には現実性もメリットもない」;ダイアモンド・オンライン;2016年4月14日)。田岡氏の分析は理に適っており、それは北朝鮮が核の威嚇を行なう目的がアメリカを交渉に引き込んで自らの体制の生存を保証することだからである。またIAEA事務局長が日本外務省出身の天野之弥氏であるという事実は、日本とNPT体制が切っても切れない関係であることを意味している。それはこの秩序を構築したアメリカにとっても非常に重要かつ超党派の国益であるが、トランプ氏はただの利潤追求者であるせいか、こうしたことには全くの無知無関心なのである。北朝鮮からISISにいたるまで、トランプ氏の核戦略は全く意味をなしていない。トランプ氏の支持者の大多数は核安全保障のことなど考えたこともないので、彼の扇動で悦にいたるばかりである。これはきわめて危険である。よってオバマ氏は全世界で核問題を軽く考えている政治家、その中でもトランプ氏に対して強いメッセージを発するべきである。これは後世におけるオバマ氏の評価のためではなく国際公益のためである。

アメリカ国民が広島での大統領が自国の外交に好ましくない影響を与えると懸念することは理解できる。私もトランプという怪物の出現まではそうした視点を共有していた。確かにアメリカ側から一方的な自責の念を表明しても日本側も相応の行動に出なければ、アメリカ国民もアジア諸国も当惑するだろう(“So Long, Harry: Will Obama’s Apology Tour End in Hiroshima?”; Weekly Standard; September 2, 2015)。オバマ氏が広島で演説すればパール・ハーバー攻撃とバターン死の行進の痛ましい記憶を刺激し、日米両国民の間で大戦中の歴史認識に関する相違が表面化することもあろう(“Kerry's Premature Visit to Hiroshima”; Weekly Standard; April 11, 2016)。しかし安倍晋三首相はその返礼として当地訪問により連合国の戦争被害者を追悼し、互いにとってより良い未来を模索することを真剣に考慮するであろう。 我々にとって必要なものは謝罪でも後世での評価でもなく、将来の核不拡散に対する関与のメッセージである(“At Hiroshima, Obama should make a pledge, not an apology”; New York Post; April 13, 2016)。リベラル派の論客からはプラウシャーズ・ファンドのジョセフ・シリンシオーネ会長がブリュッセル事件によって核テロの可能性は高まり、オバマ大統領は広島でそうしたテロを防止するためにリーダーシップを献身的に発揮することを示すさねばならないと主張する(“Obama Still Has Time to Leave a Legacy of Nuclear Security”; Huffinton Post; March 31, 2016)。

もはや過去への悔恨の時ではない。我々が切実に必要としていることは核安全保障への問題意識を喚起し、核不拡散に不誠実な態度をとる指導者には誰であれ反対の声を挙げることである。特にドナルド・トランプ氏は今日の世界では最大の核の脅威である。核問題に関する真剣味に欠ける発言からして、トランプ氏が大統領の職務に真面目に取り組むとはとても思えない。バラク・オバマ大統領が広島を訪問する際には、全世界の人々がそのように恥知らずな政治家を排除してゆくように導くような強いメッセージを発することを望んでやまない。


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