ヒラリー・クリントン氏はオバマ外交からアメリカの世界秩序を再建できるか?
今年のアメリカ大統領選挙では、共和党のドナルド・トランプ候補が炎上発言と暴言で多大な注目を集めている。怒れる群衆によるグローバル化への反動、そして彼の孤立主義に世界は戦慄した。海外の指導者やメディアはトランプ氏が大統領になることに恐怖感を抱くあまり、民主党のヒラリー・クリントン候補に諸手を挙げて歓迎しているかのようにも思われる。言動に一貫性もなく無知丸出しのトランプ氏よりクリントン氏がはるかに優れていることには疑問の余地はない。しかし我々はバラク・オバマ大統領の3期目を望んでいるわけではない。我々に必要なのは、アメリカの指導力発揮を躊躇してきたオバマ外交を転換できる候補者である。オバマ氏はイラクとアフガニスタンでブッシュ政権が始めた戦争の終結にとらわれて、両国の治安部隊の再建の支援も充分ではなかった。その結果、イラクはテロリストの根拠地となり、そこから全世界にテロが拡散している(“Iraq: The World Capital of Terrorism”; Atlantic; July 5, 2016)。また国民の間で中東での長きにわたる戦争への厭戦気運が広まり、それによってアメリカは民主主義の普及に消極的になり、その結果として敵対勢力が勢いづいている(“Democracy in Decline”; Foreign Affairs; July/August 2016). トランプ氏のアメリカ・ファーストではオバマ氏の失敗をさらに悪化させることになろう。そのため、ヒラリー・クリントン氏がオバマ氏の謝罪的で宥和的な外交を転換できるか注意深く見守るべきである。
クリントン氏の外交政策顧問と選挙運動資金源はリベラル・タカ派のビジョンを反映している。かなり早い時期からロバート・ケーガン氏らネオコンの指導者はクリントン氏への支持を表明し(“Trump is the GOP’s Frankenstein monster. Now he’s strong enough to destroy the party.”; Washington Post; February 25. 2016)、6月には資金調達の運動まで始めている(“Report: Prominent neoconservative to fundraise for Clinton”; Hill; June 23, 2016)。またクリントン氏は予備選期間中に軍事産業から最も多くの献金を受けている (“The Defense Industry’s Surprising 2016 Favorites: Bernie & Hillary”; Politico; April 1, 2016)。共和党国際派のジェブ・ブッシュ氏とマルコ・ルビオ氏が選挙から撤退した以上、クリントン氏は自国の近隣に重大な脅威を抱えるアメリカの同盟国にとって最後の希望である。
実際にクリントン氏はいくつかの点ではトランプ氏よりも共和党的である。『フォーチュン』誌の調査によれば、大企業経営者の58%は経済政策が不透明で孤立主義によって自分達の国際的な事業展開に支障をきたしかねないトランプ氏よりも、クリントン氏の方が好ましいと見ている(“Survey: More than half of corporate CEOs prefer Clinton over Trump”; Hill; June 1, 2016)。さらに共和党からも元政府高官から政策専門家にいたる著名人がクリントン氏支持を表明している。そうした支持者にはロバート・ケーガン氏やマックス・ブート氏のようなネオコンの有識者だけでなく、両ブッシュ政権で要職にあったリチャード・アーミテージ元国務次官補、ブレント・スコウクロフト元国家安全保障担当補佐官、ヘンリー・ポールソン元財務長官らが名を連ねている(“Here’s the growing list of big-name Republicans supporting Hillary Clinton”; Washington Post; June 30, 2016). こうした観点からすれば、クリントン氏が強く責任あるアメリカの候補者になれると期待もできる。
他方でクリントン氏の選挙地盤が同氏を左傾化させる可能性も否定できない。クリントン氏には黒人やヒスパニックといったマイノリティーからの支持を強化するためにもオバマ氏が必要である。きわめて不思議なことに、オバマ大統領の支持率は任期の終了にさしかかって上昇し(“Don’t look now, but Barack Obama is suddenly popular”; Washington Post; May 21, 2016)、それがクリントン氏の選挙に役立っている。さらにクリントン氏にはバーニー・サンダース氏を支持する白人労働者階級の支持を取り付ける必要もある。これはクリントン氏の副大統領候補の選定にも重要な鍵となる。クリントン氏が選挙に勝つためにオバマ氏と組もうとサンダース氏の支持層と妥協しようと、それほど大きな問題ではない。深刻な問題となるのは、彼らの影響力が外交政策に浸透することである。そうなってしまうとクリントン氏の政権はオバマ政権の第3期になりかねない。
上記のような観点から、クリントン氏が6月2日にサン・ディエゴで行なった外交政策の演説について述べてみたい。以下のビデオを参照。
クリントン氏の演説はトランプ氏のアメリカ・ファーストの見解と核不拡散に対する無責任な発言を否定するうえで、ほとんど模範とも言えるものだった。また、クリントン氏はアメリカ特別主義に基づいた世界の中での指導力の発揮を強調した。クリントン氏が演説で述べたことは、ジェームズ・ベーカー元国務長官が5月12日に上院外交委員会で行なった証言とも重なり合う(“Rubio enlists James Baker to knock Trump”; Politico; May 12, 2016)。以下のビデオを参照。
他方でクリントン氏はオバマ政権の外交アプローチを継承することが、イラン核合意に於いて顕著に見られる。しかしこの合意がチャック・シューマー上院議員をはじめ民主党からも批判されたのは、制裁解除によってイランが膨大な海外凍結資産を手にしてテロ支援ができるようになるからである。またサウジアラビアがイランの脅威の高まりに恐怖感を抱き、シーア派神権体制に中途半端な妥協をするアメリカへの不信感を強める中、地域の緊張は高まるであろう(“One Year On: Iran and the World”; Foreign Policy Association Blog; July 5, 2016)。何よりもクリントン氏の外交政策がウィルソン的理想主義なのかリアリストなのか、この演説からは判断が難しい。タフツ大学のダニエル・ドレズナー教授が論評しているように、クリントン氏の演説内容はトランプ氏のへの批判と言う点で非の打ちどころはないが、政策的に右か左か、ハト派かタカ派かといった分類は難しい(“Why Hillary Clinton’s foreign policy speech is almost impossible to analyze”; Washington Post; June 3, 2016)。私にはクリントン氏が共和党流出組とサンダース支持層のどちらも刺激しないよう注意深い言動をとったように思える。
クリントン氏の外交政策をさらに理解するために7月1日に公表された民主党綱領の草案についても言及したい。ウォール街の財界人は党綱領にはサンダース氏の影響が強く、特に最低賃金維持のための規制と増税がおこなわれることには懸念を抱いている。外交政策について大企業が民主党綱領で重大な懸念を抱く点は、TPPに関して民主党内に「見解の多様性」があると記されていることである。彼らから見れば、そうした曖昧な表現はクリントン氏が自由貿易に積極的でないと思えてしまうのである(“Wall Street Takes a Hit in Democratic Party’s Platform Draft”; Bloomberg News; July 3, 2016)。しかしトランプ氏はTPPをもっと激しく非難している。
よってクリントン氏がオバマ大統領より世界での指導力発揮に積極的かどうかを見てゆくため、重要となるいくつかの問題をとり上げてみたい。第一の問題は外交政策におけるアメリカの価値観である。「スマート・パワー」の標語とは裏腹に、オバマ政権期には民主化援助は削減された。党綱領草案の「我が国の価値観の守護」という項目ではジェンダーやマイノリティー問題といった人権問題には言及しているが、民主化の拡大についてはほとんど述べていない。中東のテロは「グローバルな脅威への対処」の項目では重要な課題である。民主党の草案では現在のシリア内戦にはかなり言及しながら、イラクについてはオバマ政権が彼の地から性急な撤退をしてしまったために全世界にテロが拡散したにもかかわらずあまり触れられていない。またイランの代理勢力が両国に影響を及ぼしていることは見逃せないが、例の綱領草案ではオバマ政権の核合意にについて誇らしく記しながら、特にサウジアラビアとイスラエルに対するイランの脅威には数行しか触れられていない。非常に不思議なことにクリントン氏は国務長官在任時にアジア転進政策を主導しながら、「グローバルな脅威への対処」の項目では中国が取り上げられていない。
ともかくクリントン氏はサン・ディエゴの演説でも民主党綱領の草案でも、トランプ氏が外交政策で語った「提示」なるものを明快性かつ説得力をもって否定した。クリントン氏の世界政策はよく練られた正統派の見識に基づいている。トランプ氏の混乱した見解などは比較にもならない。そうした事情から今選挙ではヒラリー・クリントン氏への強い支持を表明したい。しかし注意は怠ってはならない。ドナルド・トランプ氏の過激な言動への恐怖感から、クリントン氏が選挙に勝ちさえすれば全ては上手くゆくと思われているようだ。しかし同候補にも目を向けるように呼びかけたい。重要な点はクリントン陣営内での力のバランスである。バーニー・サンダース氏や他のリベラル派の影響力が国内での格差問題にとどまる限り、事態はそれほど深刻ではない。私としては民主党右派、ネオコン、軍事産業、そして共和党流出組が外交および安全保障政策で大きな影響力を持つことを望んでいる。そうなれば、アメリカは国際舞台でもっと強い存在となるであろう。
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