バイデン外交に見られるバランス感覚
国際社会はジョセフ・バイデン大統領がアメリカをドナルド・トランプ氏のアメリカ・ファーストからどれほど脱却させられるかを注視している。今年の2月には外交政策に関する初の演説を国務省、続いてミュンヘン安全保障会議で行なった。学者や評論家達は演説内容の一言一句を検討しながら彼の外交政策の見通しを立てようとしている。そうした中で、バイデン氏の発言と行動を総合的な観点から比較する必要がある。
まずバイデン氏の演説を見てみたい。国務省での演説では、バイデン氏は一貫してロシア、中国、そして中東での反政府勢力および民族的マイノリティーの人権を擁護している。また、環境問題をはじめとする生活の質に関わるグローバルな問題も重要になっている。そうした中で中国に関しては、バイデン氏はアメリカ理想主義の道徳的な優位とリアリズムの地経学のバランスをとっている。ロシアに対しては事情が異なり、特にこの国がブレグジットやトランプ氏の当選を目論んでヨーロッパとアメリカで行なった選挙介入は問題視されている。国家情報会議が最近刊行した報告書によると、ロシアは2020年の大統領選挙でもハッキングや選挙運動陣営との準脈を通じ、トランプ氏を当選させようと選挙介入をしてきた。中国もそうした選挙介入を通じたトランプ陣営への中傷キャンペーンを考慮していたが、最終的にはそうした行為を控えたということだ(“Putin targeted people close to Trump in bid to influence 2020 election, U.S. intelligence says”; Washington Post; March 17, 2020)。そのように選挙介入の脅威が非常に大きくなった事態に鑑みてイギリスは長年に渡る核戦略を転換して核弾頭数を増強し、敵のサイバー攻撃に非対称的な報復を行なう方針を決定したほどである(“Boris Johnson warns Tories off cold war with China”; Times; March 16, 2021)。
続く2月19日のミュンヘン安全保障会議では、バイデン氏はアメリカがNATOの第5条を尊重し、域内とグローバルな安全保障での相互協力を進め、中国、インド太平洋の航行、そしてコロナ禍といった新たな課題にも取り組んでゆくと強調した。ヨーロッパ諸国はトランプ時代の孤立主義からの脱却の意向を歓迎しているが、ドイツとフランスのように緊密な対米関係よりも自国の戦略的自立性による環大西洋多国間主義を追求する動きもある(“Opinion: Message from Munich: Resilience is the foundation of trans-Atlantic security”; Deutsche Welle; 19 February, 2021)。そうした中でアジアではハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が述べるように、習近平政権下の中国は地域安全保障と貿易において自己主張が過剰になっているが、アメリカとしても経済や環境問題での相互依存もあってこの国との関係を断ち切るわけにもゆかない。よってアメリカにとっては日本との強固な同盟関係がこれまで以上に重要になってくるということである(“Biden’s Asian Triangle”; Project Syndicate; February 4, 2021)。それが如実に示されたのが、先日の東京での2プラス2会談である。
外交問題評議会のリチャード・ハース会長によると、バイデン氏の外交政策の中核を成すものは国内の再建、同盟国との協調、外交交渉の積極活用、国際機関への参加、民主主義の普及である。しかしトランプ氏が残した国内のトラブルには1月6日の暴動をもたらした政治的分裂と人種差別ばかりかコロナ対策の失敗も重なり、そうした事柄がバイデン氏の外交政策の足を引っ張っている(“Whither US Foreign Policy?”; Project Syndicate; February 9, 2021およびこちら)。アメリカの対外関与に最も重大な制約となっているものは国内の有権者の意識であると、ブルッキングス研究所のロバート・ケーガン氏は述べている。アメリカ国民は自国の力を過小評価してしまい、超大国の責務を請け負うことには消極的である。これが典型的に表れているのが、イラクとアフガニスタンでの限定的な戦争への国民の厭戦気運である。彼らはアメリカが旧世界の政治的な駆け引きには関わらず、自国の経済的繁栄を追求できた時代への郷愁を感じている。しかし世界情勢への国民の意識は、国際的な危機の発生時には高まる。トランプ政権は素朴な反グローバル主義によって登場してアメリカ国際主義へのストレス・テストとなったが、国民も19世紀さながらの孤立主義が自国のためにならないことを理解しつつある。ケーガン氏は超大国のノブレス・オブリージュを満たすことがアメリカの重要な国益に適い、有権者はこのことを理解すべきだと強調している(“A Superpower, Like It or Not: Why Americans Must Accept Their Global Role”; Foreign Affairs; March/April 2021)。
そうした国内およびグローバルな制約にもかかわらず、イギリスのゴードン・ブラウン元首相は昨年11月9日に放映された『BBCブレックファスト』で古くからの友人としてバイデン氏のことを「妥協の達人」だと評した。バイデン氏の長年にわたる上院でのキャリアを通じ、彼のバランス感覚は大きな長所であった。オバマ政権の副大統領として、バイデン氏は2013年の予算紛争を解決して財政支出停止を回避させている。大統領として外交を取り仕切る現在、そうしたバランス能力が典型的に表れているのが、対サウジアラビア政策である。去る2月26日にはこれまで非公開だった国家情報長官室の報告書を公開し、ジャマル・カショギ氏の殺害にモハメド・ビン・サルマン(MBS)皇太子が関わっていることを知らしめた。バイデン氏はサウジアラビア国籍の76人にアメリカへの入国ビザ発給を拒否するカショギ禁止を科した一方で、人権団体やロン・ワイデン上院議員ら身内の民主党からの強い要請にもかかわらず皇太子には禁止を科さなかった。しかしトランプ政権がMBSと常に直接連絡を取り合っていたこととは違い、バイデン政権は彼とは事実上の最高指導者ではなく国防相としての職務上の権限の範囲内での連絡に留め、当面は二国間首脳会談にも招待しないことにしている(“FAQ: What Biden did — and didn’t do — after U.S. report on Khashoggi’s killing by Saudi agents”; Washington Post; February 28, 2021)。
トランプ政権のマイク・ポンペオ国務長官が掲げた「実用的なリアリズム」と対照的に、バイデン政権の外交チームでは人権の優先順位は高い。そうした中で外交問題評議会のマックス・ブート氏がサウジアラビアを“frenemy”と呼ぶように、単純に制裁を科しては中東の地政学でイランの立場を強化するだけになってしまう。ブート氏はバイデン流のバランスと妥協のやり方を簡潔に述べている。カショギ氏殺害の非難にとどまらず、バイデン政権はサウジアラビアがイエメンで行なっている戦争への軍事的な支援を停止した。ブート氏はさらに、バイデン氏はサウジアラビアの皇太子への制御を強めるとともに、域内でのイランの攻撃にはトランプ氏が自身の任期中にとったものよりも断固とした行動をとっていると評している。就任以来、サウジアラビア、レバノン、イラクにあるアメリカおよび同盟国の施設に対するイランからのミサイル、ロケット、ドローンによる攻撃への反応として、2月25日にバイデン氏はカタイブ・ヒズボラやカタイブ・サイード・アル・シュハダといったシリアにある親イラン民兵組織に大々的な空爆で打撃を与えた。そのようにして、イランに対してはバイデン政権として彼らと対話の意志はあるが、アメリカの国益に対するいかなる攻撃も容赦しないというレッド・ラインのメッセージを送ったのである (“Biden administration conducts strike on Iranian-linked fighters in Syria”; Washington post; February 26, 2021)。
他方でトランプ氏は2019年から2020年末までイランとフーシがサウジアラビアとイラクで行なった攻撃にそこまで断固とした対応はせず、ツイッターでの汚い罵詈雑言を相手に浴びせてイラン核合意(JCPOA)から離脱しただけだった。実際には、トランプ氏は2016年の大統領選挙公約の通り、イランとその代理勢力の封じ込めをサウジアラビアに丸投げしたも同然である(“Opinion: Biden actually has a strategy for the Middle East, not just a Twitter account”; Washington Post; February 27, 2021)。中東政策でバイデン氏が示したバランス感覚は対中外交にも、同様に対露外交でも鍵となるであろう。また全世界の同盟諸国や国内政治の当事者達と渡り合う際にも、現大統領は複雑に絡み合った利益の微妙なバランスをとってゆくであろう。
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