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2021年5月11日

何がバイデン外交のレッドラインとなるのか?

 

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先の記事では、マックス・ブート氏が中東でのアメリカの国益へのイランの攻撃に対するバイデン氏のレッドラインについて有益な見解を述べたコラムを引用した (“Opinion: Biden actually has a strategy for the Middle East, not just a Twitter account”; Washington Post; February 27, 2021)。ジョー・バイデン大統領は妥協の達人ではあるが、妥協とはレッドラインが明確であってこそできるものである。バイデン氏にはバラク・オバマ氏とドナルド・トランプ氏のようなカリスマ性はないが、慶応大学の中山俊宏教授によると、バイデン氏は自らの職務を通常通りにプロフェッショナルなやり方で行なう大統領だということである(『「オバマやトランプと違って…」アメリカ人が過去最多得票でバイデンを大統領に選んだ理由』;文藝春秋;2021年1月21日)。

 

バイデン氏のカリスマ性なきプロフェッショナリズムは、バランスをとる能力とレッドラインを引く能力によるものと思われる。実際にオバマ氏とトランプ氏があまりにアマチュアなために、敵対勢力から重要な国益を守れなかったことも何度かあった。中でも前元大統領の両人ともシリアでは大きな過ちを犯した。2013年にはオバマ氏がバシャール・アル・アサド大統領による反政府勢力や非戦闘員への化学兵器攻撃に、反撃の空爆ができなかった(“The problem with Obama’s account of the Syrian red-line incident”; Washington Post; October 5, 2016)。トランプ氏には前任者を非難する資格など全くない。2018年にはテロとの戦いが終了したものと思い込んで、当地より米軍撤退をしてしまった。その結果、アメリカと長年にわたる同盟関係にあった現地クルド人勢力が見捨てられ、ペンタゴンから厳しい批判の声が挙がった(“Trump orders US troops out of Syria, declares victory over ISIS; senators slam action as mistake”; USA Today; December 19, 2018)。またフランスのエマニュエル・マクロン大統領は「我々が現在経験していることは、NATOの脳死である」という有名な一言を発した(“NATO alliance experiencing brain death, says Macron”; BBC News; 7 November, 2019)。その時以来シリアの安全保障は改善せず、トランプ氏が間違っていたことが明らかになった。

 

オバマ氏とトランプ氏の外交上の失敗に鑑みて、バイデン氏は世界各地でのアメリカの重要な国益を守るために、どのようにしてレッドラインを引くのだろうか?まずロシアを挙げるが、それはウラジーミル・プーチン大統領が世界のどの国の指導者にも増して、手段を選ばずに一線を越えてきたからである。本年3月のNIC報告書に記されたように、ロシアは2020年にもアメリカ大統領選挙に介入して共和党のドナルド・トランプ候補に肩入れした。明らかにロシアはレッドラインを越えてアメリカの本土を攻撃してきた。いわば、これは第二の9・11同時多発テロなのである。中国でさえ、そのような攻撃に訴えることには躊躇した。その報告書によるとプーチン氏はサイバー攻撃ばかりでなく、トランプ陣営の人物と接触も重ねた。

 

クレムリンはブレグジットとトランプ現象よりはるか以前からヨーロッパで選挙介入を行ない続け、西側のリベラル民主主義の正統性を損なおうとしてきたことを忘れてはならない。プーチン氏、トランプ氏、英国独立党のナイジェル・ファラージ氏らに代表される極右政治家は、ヨーロッパとアメリカの白人労働者階級の間にある怒りとレイシズムを利用して自分達の政治目的を達成してきた。ウクライナのジャーナリスト、アントン・シェコフツォフ氏は、ロシアによる欧米極右への支援はプーチン氏と彼を取り巻くシロビキの仲間達よりはるかに根深く、ソ連時代まで遡ると指摘する。嘆かわしいことに、日本と東アジア近隣諸国の人々は今頃になって欧米でのアジア人差別の高まりに懸念を顕わにしているが、それがロシアによる白人キリスト教ナショナリズムへの支援からすれば当然の帰結であるにもかかわらず、クレムリンが欧州大西洋圏で行なってきた政治工作の脅威についてほとんど無関心だった。

 

ロシアの攻撃への対応でバイデン氏は明確なレッドラインを引いている。NIC報告書の講評を機に、同盟国の支持も得てロシアへの制裁を強化した(“Biden administration imposes significant economic sanctions on Russia over cyberspying, efforts to influence presidential election”; Washington Post; April 16, 2021)。さらにバイデン氏がNATO同盟諸国の協力も得てプーチン氏に圧力をかけ、ウクライナとの国境地帯からロシア軍を撤退させたことは、トランプ時代のアメリカ・ファースト払拭を印象付けるに充分である(“Russia to Withdraw Troops From Ukraine Border, Crimea”; Moscow Times; April 22, 2021)。忘れてはならぬことは、オバマ政権ではロシアがクリミアに侵攻して併合まで行なった際にアメリカのレッドラインを守れなかったということである。トランプ政権はさらに悪かった。大統領自身がロシアの併合を認めたばかりか、プーチン氏とのヘルシンキ首脳会談では、あろうことか自らが当選した大統領選挙でのクレムリンの介入に関してはアメリカ側よりもロシア側の情報機関を信用するとまでのたまった。そのことトランプ氏が大統領の職責など全く理解していないことを露呈した。留意すべきは、イギリスのボリス・ジョンソン首相が自らの首相就任には有利に働いたにもかかわらず、ブレグジット投票でのロシアの介入を非難したことである。ジョンソン氏はイギリスのレッドラインを理解している。

 

ロシアと違い中国は選挙に介入しなかったが、この国はパックス・アメリカーナへの挑戦者の筆頭である。中国は東シナ海、南シナ海、台湾海峡周辺といった自国近隣の水域で独自のレッドラインを一方的に設定し、それは中華モンロー・ドクトリンとまで言われている。そうした中でアメリカはウイグルと香港の自由に関して国際的なルールと規範のレッドラインを敷いている。中国にとって、後者はアメリカ主導の本土攻撃に思えるかも知れない。実際に王維外相は日本に、米英EU加が新疆と香港での人権擁護を訴えるために形成した連合に入らないように要求した(“China tells Japan to stay out of Hong Kong, Xinjiang issues”; Straits Times; April 6, 2021)。また中国とアメリカは情報テクノロジーの覇権をめぐっても対立を深めている。

 

一連の対立に鑑みればロシアがトランプ氏を、イランがバイデン氏を支援して選挙介入をしてきたにもかかわらず、中国が2020年の選挙に介入を躊躇したことは特筆すべきことだ。イランと同様に中国もバイデン氏を支援してポピュリストのタカ派の弱体化を使用と考えてはいた。しかし中国もイランも民主党の大統領であればハト派であろうと夢想したりはしない。リアリストの中には、米中間には表の対立とは裏腹に水面下の関係があることを語る向きもある。中国とリベラル民主主義諸国との間でのそうした相互依存が語られる際に、この国に対する我々の脆弱性が注目されがちだが、その逆もあるのだ。

 

よってNIC報告書で中国について記された箇所を見てみたい。北京政府は国営メディアを通じてトランプ氏の外交政策やコロナ危機対策に対するネガティブ・プロパガンダを流しはしたが、それらは選挙を標的にしたものではない。押えておくべきことは、中国は選挙介入によってアメリカとの関係を致命的に悪化させるリスクを恐れたということだ。トランプ氏が当選していても、中国は関係改善の必要としていた。さらに重要なことに、アメリカの中国政策は超党派のものなので親中政権が登場する見込みはなかった。習近平氏は、プーチン氏が2016年に行なった選挙介入による米露関係の悪化から教訓を得ていた、そして中国はトランプ氏の単独行動主義の脅威を、イランほど切実には感じていなかったことにも留意すべきである。北京政府にとってアメリカを同盟国から孤立させられるトランプ氏は、ある意味ではバイデン氏より好都合でもあった。中国は地政学と価値観のレッドラインを描き替えようとしているが、それでもアメリカの最終的なレッドラインを犯そうとまでは考えていない。

 

バイデン氏はアメリカの外交政策を立て直しつつあるが、アフガニスタンに関する彼のレッドラインには疑問の余地がある。バイデン氏はトランプ氏の撤退計画の日程を後伸ばしにしているが、遅かれ早かれタリバンがカブールを奪還する可能性があるなら問題解決にはならない。その場合、アメリカが成し遂げたことは全て無駄になってしまう。孤立主義の有権者は左右に関係なくトランプ流の損益思考に陥りがちで、バイデン氏はそうした国民の意識を新たに方向づけてアメリカの国家安全保障上のレッドラインを守る必要がある。外交問題評議会のリチャード・ハース氏はアフガン政策には長期的な観点からの理解が必要で、特に重要なことはテロリストを相手にした明確な勝利よりも、現実的なコストで現地政府の敗北を回避することであると論評している。

 

さらにイギリスのトム・トゥーゲンダット下院議員は陸軍でのイラクとアフガニスタンの戦争経験者として、アメリカとNATOが少人数の軍事的プレゼンスさえ維持する意志もないと見れば、他の場所でも敵対勢力が勢いづくと主張している。

 

彼らの懸念はアメリカの国家安全保障関係者の間でも共有され、本年3月にSIGAR(アフガニスタン復興担当特別監察官)が出した報告書にもそれが反映されている。SIGAR報告書では、アフガニスタンが自前の財源で治安を維持できるほどの自立には程遠く、兵員撤退によりリスクが増大することが明言されている。昨年2月29日の米・タリバン合意より、ANDSF(アフガニスタン国防治安部隊)へのテロ攻撃は急増している。こうした事態にもかかわらず、現地の治安部隊を支援する米軍の兵員数も予算の金額も現在では抑えられている。さらに和平交渉の見通しが不透明なこともあり、アメリカが民政と軍事でのプレゼンスを低下させてしまえば安全保障環境は悪化し、それによって腐敗対策、公衆衛生を含めた社会経済開発、麻薬対策、そして女性の権利といったアメリカ主導の再建計画にも支障をきたすようになるだろう。

 

そのような治安の悪化と諸問題に鑑みて、SIGAR報告書ではアメリカと主要援助国が援助体制の構造改革と予算増額によって、諸計画の監督能力の向上を図るよう提言している。しかし、それによって力の真空の根本的な問題が解決するわけではない。バイデン氏はトランプ氏と同様に、長い戦争への厭戦気運に浸る有権者と危険な妥協に走っているように思われる。それではアフガニスタンに関するアメリカのレッドラインは脆弱になる。民主主義は納税者自身による統治に由来するが、逆説的なことに納税者は必ずしも公共の問題について責任感があるわけでも意識が高いわけでもない。時に納税者は自分達の狭い利益のために、国家や国際社会の公益を犠牲にしてしまうこともある。長年に渡って上院外交員会でのキャリアを積んだバイデン氏は、アメリカの外交指導者としてオバマ氏やトランプ氏よりもはるかにプロフェッショナルであるが、それでもなおアフガニスタンでの現大統領のレッドラインは再考を要する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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