ロシアによるウクライナでの戦争と西側民主主義への破壊工作
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、アフガニスタンからの米軍撤退による国際政治上の力の真空を埋めようとするかの如くウクライナに侵攻した。この戦争はロシアと欧米の地政戦略上の衝突によって勃発した。しかしプーチン氏が最近発表した『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について』と題された論文とは違い、彼のKGBでの経験から育まれたNATOとEUに対する反感はロシアの文化と歴史に根差すものではない。エリツィン政権期のアンドレイ・コズイレフ元外相は、それとは全く違う見解を唱えている。コズイレフ氏はNATO拡大を阻止するのではなく、ロシアがNATOと連携してゆく将来像を描いた理由は、大西洋同盟が攻撃的な軍事組織から共通の価値観に基づく同盟に変貌しつつあると見ていたからである。実際にコズイレフ氏はロシアをヨーロッパ文明に基づくヨーロッパ民主国家であるべきだと考えているが、それはプーチン氏の新ユーラシア主義とは真っ向から対立するものだ(“Open Door: NATO and Euro-Atlantic Security After the Cold War”; p.450 ; Brookings Institution Press 2019)。
この戦争に関する報道と分析のほとんどは地政戦略に関するものばかりなので、私はあまり注目されていない問題、すなわちロシアによる西側民主主義への破壊工作について、彼らにとっての敵国への内政介入から敵同盟の内部崩壊まで取り上げたい。それらの工作活動は西側の連帯を弱めることでロシアの世界的な地位を強化しようという意図で行なわれている。こうした目的に沿ってプーチン氏は特定のイデオロギーに拘泥はしていないが、トランプ政権登場とブレグジットによって世界的にはロシアと欧米極右の間の闇の関係が多いに注目されている。先日、イランがロシアのウクライナ侵攻と歩調を合わせるかのようにイラクのイルビルにミサイルを撃ち込んだ際に、『エルサレム・ポスト』紙は「ロシアはウクライナを自国の“近い外国“に戻すためにも、アメリカの孤立主義者、欧米の極右、極左、そして”リアリスト“達がロシアの”安全保障上の要求“を受け容れてくれることを期待している。イランもロシアの尻馬に乗ろうとしている」と結論付けている(“Did Russia empower Iran’s attack on Erbil? – analysis”; Jerusalem Post; March 13, 2022)。すなわち、プーチン氏が数十年にもわたって西側民主主義に対して行なってきた工作活動は、最近ウクライナで勃発した戦争と緊密に関わっているのである。
アメリカでは2016年の大統領選挙で、ロシアがドナルド・トランプ氏を当選させようと介入してきたことはあまりによく知られている。彼の政権は大西洋同盟には非常に懐疑的で、ロシアによるクリミア併合さえ認めたほどだった。社会保守派とオルト・ライトは、ポリティカル・コレクトネス、LGBTの権利、家族の価値観などをめぐって欧米のリベラル派と対立するプーチン氏に共鳴した。今回の戦争勃発後でさえ、マージョリー・テイラー・グリーン(MTG)下院議員に率いられたトランプ・リパブリカンは、アメリカ・ファースト政治行動委員会の会合で親プーチンのスローガンを叫んだ。その団体は2017年にシャーロッツビルで行なわれたネオ・ナチの行進にも参加したニック・ファンテス氏によって設立された。共和党では他にもマット・ゲーツ下院議員とポール・ゴサール下院議員がこの団体と深く関わっている。共和党エスタブリッシュメントは極右に重大な懸念を抱き、こうしたトランプ・リパブリカンの党からの除名を主張するほどだ(“Republicans tested by congresswoman’s speech to Putin-cheering white supremacists”; Times of Israel; 2 March, 2022)。
なぜトランプ・リパブリカンはそれほど親露なのだろうか? ロナルド・レーガンの伝記の著者、クレイグ・シャーリー氏は今の共和党では「ロシアに対する態度は全て内政と絡んでいる」と語る。極右の連邦議員からフォックス・ニュースのタッカー・カールソン氏にいあるトランプ・リパブリカンが親プーチンである理由は、「アメリカ・ファースト」の外交英策によって自国には全世界にわたる西側民主主義諸国の同盟から手を引いて欲しいとの考えからである。それはポピュリストがエスタブリッシュメントに対して抱く反感から来ている(“How Republicans moved from Reagan’s ‘evil empire’ to Trump’s praise for Putin”; Washington Post; February 26, 2022)。
ロシアは左翼もリアリストも手懐けている。そのように左傾したリアリストには、オバマ政権のエレン・タウシャー軍備管理・国際安全保障担当国務次官の補佐官を務めた、RAND研究所のサムエル・チャラップ氏がいる。今回の戦争勃発前にチャラップ氏は「対決的」なアプローチでは成果を見込めない以上、欧米はロシアとの国境紛争でウクライナへの支援を停止すべきで、ミンスク合意IIに基づきクレムリンの要求を受け容れるよう主張した(“The U.S. Approach to Ukraine’s Border War Isn’t Working. Here’s What Biden Should Do Instead.”; Politico; November 19, 2021)。しかしそれは致命的な誤りで、プーチン氏の真の意志が欧米の優位に対する根深い怨念に基づいていたことが見落とされていた。チャラップ氏が掲げたオバマ流左翼思想と一見洗練されたかのようなリアリズムの混ぜ合わせは「現実的」に見えたかも知れないが、それはロシアを増長させただけだった。
注目すべきはミンスク合意がドイツとフランスという、米英よりもロシアには柔軟姿勢の国による仲介ということだ。ライフライン・ウクライナのポール・ナイランド氏によれば、二度にわたるその合意ではクリミアとドンバスへのロシアの侵攻が非難されていないということだ。また、ロシアが占領を続けるドネツクとルハンスクでの将来の自治については何も言及されていない(“The Trouble With Minsk? Russia”; CEPA; September 21, 2021)。すなわちこの合意によってロシアはこれら二つの地域にプラスでクリミアを、日本の北方領土と同様に不法に占拠し続けることになった。これではウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が不満を抱くのも当然だが、プーチン氏は「もう充分!」とは全く思わない。
それではドイツとフランスはなぜ、そこまでロシアに対してハト派なのだろうか?石油と天然ガスのためだけか?英国王立国際問題研究所が昨年5月に発行した報告書によると、両国はアメリカからの戦略的自律性を追求し、ロシアをヨーロッパないし国際機構に取り込むことを重視していた。すなわち、両国はEUとロシアの関係を運営する「モーター」の役割を担うことを自負していた。ドイツは東方政策の伝統からエネルギーと経済での相互依存に注視している一方で、フランスはゴーリストの伝統から米露両国のバランをとるために安全保障の問題を注視している。そのような観点から、両国はミンスク合意とノルマンディー・フォーマットを通じてロシアとウクライナを仲介してきたが、ロシアにはそうしたものを真剣に受け止める気はなかった。クレムリンはプーチン氏による侵攻を前にますます攻撃的になり、独仏両国の努力でも為す術はなかった(“French and German approaches to Russia”; Chatham House; 30 November, 2021)。むしろ、それら取引によってプーチン氏が両国の戦略的自律性を悪用し、大西洋同盟に楔を打ち込むことになった。
両国の内政へのロシアの侵入についても述べたい。ドイツでのロシアの勢力浸透は石油と天然ガスよりもはるかに根深い。環大西洋社会の他の国と同様に、プーチン氏はドイツでも極右を扇動してNATOとEUの弱体化を謀り、またナショナリストと伝統主義の価値観の高揚によってリベラル民主主義を信用失墜させようとしている。親露派の声は左翼の社会民主党(SPD)にも広がっている。しかしスウェーデン国際問題研究所のアンドレアス・ウムランド氏は、SPDが軍事的脅威を前になおもモスクワに対して宥和的な東方政策をとり、ソフトパワーに頼ることは、プーチン氏によるウクライナ侵攻が迫った時点ですでに成り立たなくなっていると論評している(“Ukraine crisis spotlights German party ties to Russia”; The Citizen; January 30, 2022)。ドイツでの問題はゲアハルト・シュレーダー元首相のガスプロムおよびロズネフチと関わりに見られるように、主流派の左翼にまでロシアの影響力が及んでいることである。
フランスでもマリーヌ・ルペン氏とエリック・ゼムール氏からジャン=リュック・メランション氏にいたる極右と極左が、今回の戦争直前まではプーチン氏の反グローバル主義と反米的な世界観を称賛していた。本年4月10日に行なわれる大統領選挙に向けた選挙運動で、メランション氏はエマニュエル・マクロン大統領によるウクライナの主権保全の取り組みを、この国のNATO加盟を画策する陰謀だと非難した。右派の側ではルペン氏がプーチン氏のクリミア侵攻以来、ロシアとの関係正常化を主張してきた(How Putin is dividing French politics; Le Monde; 8 February, 2022)。アメリカの孤立主義者と同様に、フランスの主権主義者達は「ヨーロッパ連合、NATO、アメリカ合衆国に対する同様な嫌悪感の共有」というだけでプーチン氏を称賛している。彼らはロシアに対するウクライナの主権について軽視するという、自分達の主張の矛盾は一向に気にしない(French far-right candidates in Putin’s den”; Le Monde; 22 February, 2022)。
イギリスではブレグジット推進派のナイジェル・ファラージ氏が2014年にはプーチン氏のクリミア侵攻を称賛し、現在はEUがウクライナの加盟申請運動を許したとして非難している(“Nigel Farage once admitted he 'admires Putin politically'”; Daily Express; February 28, 2022)。左翼の側では、ジェレミー・コービン元労働党党首がソールズベリー毒攻撃事件でロシアを支持し、スクリパル父子への攻撃に続いてイギリス国民が毒殺されたことさえ意に介していない。さらに問題となることに、コービン氏は極左の下院議員達とともに「ストップ・ザ・ウォー」の運動に加わり、ロシアに対するイギリスとウクライナの「好戦性」を非難している(“Jeremy Corbyn sides with Russia (again)”; Spectator; 20 February 2022)。ここで注意すべきは、ストップ・ザ・ウォー(ツイッター:@STWuk)を「ノー・ウォー」というグラスルーツの無心な反戦スローガンと混同しないことだ。前者はイギリスのいかがわしい左翼団体で、ロシアのクリミア併合を支持したほどである。
ウクライナでの戦争によって上記のような親露派政治家への国内支持率は低下し、彼らも語調を和らげているかも知れないが、それでも彼らの言動を注視すべきである。停戦の合意が成ったとしても、ドネツク、ルハンスク、クリミアといった紛争地域の地位は明確に決定しないかも知れない。また、調停も一時的なもので、紛争の火種は残り続けるかも知れない。欧米は自国の内政へのプーチン氏の侵入行為について今回の戦争よりはるか以前から認識していたが、よりタカ派の米英でさえ自国へのロシア勢力の浸透に充分に強力な対策を講じなかった。今回の戦争で何が起ころうと、ロシアでプーチン氏と彼のシロビキ仲間達が権力の座にあり続ける限り、今後もそれら第五列マシーンを利用して西側民主主義を内部から破壊しようとし続けるだろう。今後とも警戒を怠ってはならない!
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