2023年7月17日

アフリカの民主主義とロシア勢力浸透に対する西側の対抗手段

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ウクライナ危機に関する国連総会の投票で、国際社会はアフリカの親露派で専制的な国々が思いも寄らぬ影響力を有することに驚愕している。しかしアフリカ連合(AU)は本年2月にアディスアベバで開催された第36回AU首脳会議にて、ブルキナファソ、マリ、ギニア、スーダンといったサヘル地域の親露派軍事独裁体制諸国に対して加盟停止を再確認し、「憲法に基づかない政権交代を一切容認しない」姿勢を示した。この首脳会議直前にはECOWAS(Economic Community of West African States:西アフリカ諸国経済共同体)も、ブルキナファソ、マリ、ギニアの加盟停止延長を告知している(“African Union reaffirms suspension of Burkina Faso, Mali, Guinea and Sudan”; Africa News; 20 February, 2023)。AUとECOWASによる一連の行動は、アフリカの民主主義には良い兆候である。よって来る多極化世界なるもので、我々は民主主義の凋落と西側の衰退を受容するような「悲観的リアリズム」に陥るべきではない。ロシアと中国が掲げるリビジョニストの世界秩序では我々の歴史は抑圧と混乱という退化と劣化への途を辿るであろう。我々が敗北主義に陥れば、国際社会には致命的なものとなろう。再確認すべきは、民主主義、自由、人権といった価値観は欧米に限られたものではなく、アフリカにとっても全く別世界のものではないということである。

まず始めにアフリカの民主主義の概要を理解しなければならない。フリーダム・ハウスによるとアフリカの自由指標は全世界的な動向と同様、ここ数年は低下している。それはこの地域でのロシアと中国の勢力浸透と共鳴している。しかしサヘル地域を中心とした軍部独裁の再びの台頭により地域全体が不安定化しているにもかかわらず、「アフリカ諸国は改善と回復力の兆候を示してきた」と同団体アフリカ・プログラムのティセケ・カサンバラ部長は語る。非常に重要なことにAUが1981年に採択した人及び人民の権利に関するアフリカ憲章』は人権擁護において非常に進歩的ということになっているが、加盟国の多くは憲章の実施には消極的である。そうした中で南アフリカでは政府が立憲政治を弱体化させているとあっては、2021年と2023年の両年とも同国を民主主義サミットに招待したジョー・バイデン米大統領も形無しである。しかし司法、市民社会、メディアが一体となって、何とか与党ANCによるポピュリスト専制政治的な試みに対して民主主義を維持し続けている (“How African Democracies Can Rise and Thrive Amid Instability, Militarization, and Interference”; Freedom House Perspectives; September 1, 2022)。アパルトヘイト体制崩壊後の長期にわたる一党支配に鑑みれば、本年8月のBRICSヨハネスブルグ首脳会談でのラマポーザ政権によるロシアのウラジーミル・プーチン大統領への招待はもっと注目されるべきで、それはこの国が国際刑事裁判所の加盟国として法の支配が徹底しているかどうかの評価につながる。

興味深いことに、世界史の逆行とも言うべきロシア勢力の浸透がアフリカでは見られる。忘れてはならぬことは、ベルリンの壁崩壊直後に東欧諸国は旧ソ連共和国も含めてEUとNATOへの加盟に飛びついた。それはこれら諸国による主権国家としての選択である。合理的に見ればロシアに魅力あるものは何もなく、国家統治も経済も科学技術も遅れ、そのうえに時代錯誤な新ユーラシア主義まで掲げる始末である。しかし不思議なことにアフリカ諸国は必ずしもそう思ってはいない。昨年3月に開催されたロシアのウクライナ侵攻に関する国連総会では、アフリカ諸国の半数近くが侵略行為を非難する決議案を支持しなかった。南部アフリカの政治指導者層には冷戦期の植民地主義とアパルトヘイトへの抗争でソ連との共闘にノスタルジーを抱く者もいるが、それは政府レベルでのことである。一般に信じられている事柄とは違い、現在のアフリカ諸国民は必ずしも反植民地主義には固執していない。またヨーロッパとアジアでの大国による地政学とイデオロギーの抗争にも関心はない。彼らはロシアだろうが中国だろうが欧米だろうが、自らが感知できる自己利益に基づいてパートナーを選ぶ。アフリカ諸国民がロシアおよび現在進行中のウクライナ侵攻に抱く意識について、英『エコノミスト』誌とプレミス社はナイジェリア、南アフリカ、ケニア、ウガンダ、コートジボワール、マリの6ヶ国で世論調査を行ない、これらの国々の国民が自国政府の外交方針に必ずしも同意していないことが判明している。南アフリカ、ウガンダ、マリは国連総会においてロシアのウクライナ侵攻への非難決議の投票で棄権しているが、残りの国々は賛成票を投じている。親露政権に統治される国の中で、南アフリカは南部アフリカの民主国家でありながら与党が反アパルトヘイトの郷愁に浸っている国の代表例であり、その一方でマリはサヘルの軍事独裁国家で反欧米政権がテロ対策でワグネルに依存している。

表1で表示されているように、ロシアのウクライナ侵攻への支持率が最も低いのは民主的な南アフリカであり、最も高いのはワグネルに支援されているマリである。また表2に見られるようにマリ国民は現在のロシアとウクライナの間の戦争に関して欧米を非難する傾向が最も強いが、南アフリカ国民はNATOとアメリカを非難する傾向が最も弱い(“Why Russia wins some sympathy in Africa and the Middle East”; Economist; March 12, 2022)。

 

表1

 

表2

 

 

 

2020年の軍事クーデター後のマリはフランスのテロ対策部隊の撤退に加え、AUおよびECOWASの加盟停止によって国際社会から孤立してきた。ワグネルはこの機に乗じて入り込んできた。貧困にあえぎ教育水準の低い国民はロシアと軍事政権が広めるプロパガンダに容易に情報操作されてしまう。

南アフリカではそうした事態に至らず、議会野党、司法、メディアによる権力の抑制と均衡によってANCのリビジョニスト的な内外政策に歯止めがかかっている。特に反アパルトヘイトで白人リベラル派の進歩党の流れをくむ民主同盟(DA:Democratic Alliance )は、シリル・ラマポーザ大統領によって本年8月に開催されるBRICSヨハネスブルグ首脳会議へのロシアのウラジーミル・プーチン大統領の招待に対し猛烈な反対運動を展開している。DAはハウテン高等裁判所に訴訟を持ち込み、国際刑事裁判所の規則を執行してプーチン氏がBRICS首脳会議出席のために南アフリカに到着すれば逮捕させようとしている(“DA launches court application to compel the arrest of Putin in South Africa”; DA News; 30 May, 2023)。またジョン・ステーンフイセンDA党首はCNNとのインタビューでANC政権がロシアに兵器類を送ったとの警告を発したと、南アフリカのデジタル・メディアで自社サイトに「ウクライナとの連帯(Stand with Ukraine)」バナーを掲げるブリーフリー・ニュースは伝えている(“John Steenhuisen Says President Cyril Ramaphosa Is a “Political Swindler” Who Fooled the Country”; Briefly.co.za; June 1, 2023)。さらにラマポーザ氏によるロシアとウクライナの仲介は納税者の金の無駄で、ただの外交ショーだとまで批判している。さらに重要なことに、DAはANCがプーチン政権下のロシアのような専制国家と緊密な関係にあると批判している(“How much did South Africans pay for Ramaphosa’s failed diplomatic PR stunt?”; DA News; 17 June, 2023)。最近の水利用での人種別割り当て原案に見られるように、その政策では水資源消費量の60%を占める農場経営者にかかる多大な負担も考慮しないANCは階級闘争と被害者意識に囚われているように思われる(“Parched Earth: ANC introduces Race Quotas for water use”; DA News; 1 June, 2023)。右であれ左であれ、そうした被害者意識のポピュリストはプーチン氏のような独裁者と容易に友好関係に陥りやすい。

そしてアフリカにおけるロシアのプレゼンスをロシアの観点からも見てみたい。アフリカ戦略問題研究センターのジョセフ・シーグル氏は、アメリカの下院公聴会でアフリカでのロシアの活動について証言した。そしてロシアのアフリカ戦略は三本柱から成っていると述べている。第一の柱はスエズとジブチを通じて南地中海から紅海に至るシーレーンへの影響力の獲得である。第二の柱はアフリカ大陸からの欧米の影響力排除である。中央アフリカとマリでのワグネルの活動は最も注目されるものの一つである。第三の柱がルールに基づく世界秩序の再編で、主権、領土保全、各国の独立の軽視といった行為はロシアのウクライナ侵攻にも見られる。クレムリンによるアフリカ関与は独裁者と情報操作を受けた一般市民を喜ばせるだけで、上記の柱から成る戦略によってこの地域は政治経済的にも不安定化するだけである(“Russia’s Strategic Objectives and Influences in Africa”; Africa Center for Strategic Studies; July 14, 2022)。いずれにせよロシアは現地の開発、エンパワーメント、国民生活などほとんど歯牙にもかけず、シロヴィキ達が感知できる国益のためにアフリカを利用したいだけである。それはAU、ECOWAS、『人及び人民の権利に関するアフリカ憲章』の理念とは相容れないものである。最も基本的なことはカーネギー国際平和財団のポール・ストロンスキ氏はリチャード・ミルズ米国連次席大使の演説を引用し、サヘルでのワグネルの存在は劣悪な統治、制度の崩壊、長期にわたる避難生活、武装勢力の拡散といった不安定化要因そのものの解決なくして人的苦難(human sufferings)を悪化させていると述べている(“Russia’s Growing Footprint in Africa’s Sahel Region”; Carnegie Endowment for International Peace; February 28, 2023)。

ロシアはアフリカへの魅力攻勢ではあまりに日和見主義で、ウクライナ侵攻以降は旧ソ連諸国で構成されるCIS、ユーラシア経済連合、CSTOで自国の影響力が低下しても、クレムリンはなおも今世紀の地政学での多極化競合で外交力を見せつけようとしている。これぞセルゲイ・ラブロフ外相が今年の始めに南アフリカ、エスワティニ、マリ、モーリタニア、スーダンなどアフリカ7ヶ国を訪問した背景である。しかしフリーランスのロシアのアフリカ政策専門家、ワディム・ザイツェフ氏は、アフリカ諸国の殆どは「慎重な中立政策」をとって欧米との関係を損なう気はなく、自国のウクライナ侵攻にある植民地主義的な性質を無視するロシアとは、文言のうえで新植民地主義への非難で同調しているように見せかけているだけであると評している(“What’s Behind Russia’s Charm Offensive in Africa?”; Carnegie Politika; 17 February, 2023)。ロシア勢力の浸透に批判的なのは欧米の専門家だけではない。アフリカの専門家もロシアのプレゼンスに警鐘を鳴らしている。南アフリカのシンクタンク、安全保障問題研究所(ISS Institute for Security Studies )のピーター・ファブリシウス氏は、ロシアとアフリカの関係進化は軍事面を通じてであって、貿易や投資の増額ではないと語る。ロシアがアフリカに浸透する時には対象国の不安定化を悪用している。マリとブルキナファソではワグネルがフランス軍撤退後の真空を埋めた。それはAUという軍事独裁への抑止力を弱める。そうした中でカメルーンでは、ロシアは英語地域の分離派をそそのかしている。彼らは体制転覆によってこの国を中央アフリカ共和国からの天然資源の輸出経路にしようとしているのだろう。そうした天然資源の輸出は武器や薬物の違法取引、マネーロンダリング、暗号通貨へのハッキングなどといった組織犯罪とともに、ロシアがウクライナその他で戦争を行なう資金源の一つとなっている(“Africa shouldn’t ignore Russia’s destabilising influence”; ISS Today; 24 February, 2023)。ファブリシウス氏は南アフリカの白人で、世界経済フォーラムにはアフリカの立場からアフリカの開発について政策提言を行なったこともある。

プリゴジンの乱以降のワグネルの活動とロシアのアフリカへの影響力については予測がつかない。コロンビア大学のキンバリー・マーテン氏は、ロシアの国防エスタブリッシュメントにとってエフゲニー・プリゴジン氏を他の誰かにすげ替えるなど相対的に容易だと評している。他方でポーランド国際問題研究所のイェンジェイ・ツェレップ氏は、全てはアフリカの顧客がロシアを自分達の目的達成のうえで充分に強く頼りになると感知できるかどうかによると主張する(“What next for Wagner’s African empire?”; Economist; June 27, 2023)。いずれにせよアメリカと同盟国がロシアをアフリカから追い出すには何をすべきだろうか?昨年8月にバイデン政権は『サブサハラ・アフリカに向かうアメリカの戦略(US Strategy toward Sub-Saharan Africa)』 を刊行し、アメリカとアフリカ諸国の間の新たな機会とパートナーシップを提示した。米国平和研究所のジョセフ・サニー氏は以下のように論評している。この新たな戦略によって食糧安全保障、農業、サプライチェーン、気候変動といった地域の問題解決に向けた援助の増額が推奨されているだけでなく、アフリカの人達に耳を傾ける必要性が強調されている。よってアメリカ大使館には高い資質の大使の麾下にある充分な人員が必要である。さらにサニー氏は、アメリカはアフリカ諸国が自らの問題を自力で解決できるように仕向けるべきだと主張する(“The New U.S. Africa Strategy Is a Moment We Must Seize”; USIP; August 11, 2022)。ワグネルの存在に関してサニー氏は、道徳的な非難には効果がないと言う。アフリカの顧客が暴虐なワグネルと契約せざるを得ない絶望的な理由は、国際的な反乱鎮圧作戦でテロを根絶できなかったからである。しかしサニー氏は、超党派の政策形成者達はこれまでのアメリカの政策はあまりに近視眼的で軍事的側面にばかり目が向けられ、対象国の統治や経済には充分な考慮が払われなかったことを理解していると言う(“In Africa, Here’s How to Respond to Russia’s Brutal Wagner Group”; USIP; April 6, 2023)。

ワグネルを通じたロシア勢力の浸透はあるものの、アフリカは我々と自由そして民主主義の価値観を共有している。G7広島で日本の岸田文雄首相はワグネルに支援されるモザンビークのフィリペ・ニュシ大統領よりも、むしろAUのアザリ・アスーマニ議長と南アフリカのジョン・ステーンフイセンDA党首を招待してこのことを確認した方が良かったかも知れない。この地域とのパートナーシップの深化のためには、西側同盟は外交プレゼンスを高める必要がある。この目的のために、アメリカは大使のジャクソニアン・システムによる政治的任用を再考するべきである。上院での承認の遅れは頻発し、任用された大使が必ずしも充分な資質を備えているわけでもない。そうした例の一つを挙げるなら、ハンドバッグのデザイナーのラナ・マークス氏をトランプ政権が選挙運動への論功行賞として駐南アフリカ大使に指名した一件がある。忘れてはならぬことは、選挙運動で多大な貢献をする人物が必ずしも外交政策に通じているわけではないということである。中には視野の狭い「票の亡者」もいる。そうした人物の一例を私の経験から語ってみたい。かつて私は自民党国会議員の事務所を内側から見る機会があった。ある日、その事務所の幹部秘書が昼食中にテレビのニュースを観ていた時、彼は永田町政治と国内選挙に関する報道を鋭意に注視していた。しかし国際問題に関する報道を流し始めるや否や、彼は軽蔑の意を込めてテレビから流れる情報に耳を傾けなくなった。それには大いに驚かされた私には、彼が非常に奇妙な生き物のように見えた。彼は京都大学卒業ではあったが、振舞いの方は無学な田舎者丸出しだった。よって誰が合衆国大統領であっても、そのように無責任な「票の亡者」を大使に任命することは控えるべきである。ともかく我々の確固たる関与こそ、アフリカでロシアとの競合を制するうえで重要である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2022年12月31日

ANCの親露外交は欧米の黒人同胞に対する裏切りである

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トランプーチン:ロシアと欧米極右の間のレイシスト枢軸

 

ウクライナ侵攻を契機に史上かつてないほど欧米との対立が悪化しているロシアだがアフリカ諸国とは緊密な関係を維持し、その内の半数近くは度重なる国連総会の場でロシアの侵攻に対する批判や制裁の決議を棄権した。その中でも南アフリカが重大な注目に値する国である理由は、プーチン政権下のロシアが世界最悪のレイシスト国家であるにもかかわらず、与党ANCはこの国との友好関係を維持しようという致命的で自己敗北的な過ちを犯しているからである。

 

ANCの親露外交路線はイデオロギー的に間違いで自己破滅的である。我々は誰もが、この党が冷戦終結までの数十年にもわたって反アパルトヘイト抗争を続けてきたことを知っている。ヨーロッパとアメリカの黒人同胞は彼らの反レイシズム抗争に強い連帯を示した。しかし現在のANCは自らの長きにわたる抵抗の歴史を忘れ去ったかのように、ソ連崩壊後のレイシスト国家ロシアとの友好関係を維持しようとしている。これが多人種民主主義を追求する彼らの取り組みへの支援者に対する無自覚な裏切りである理由は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がリベラル民主主義弱体化を目論んで欧米の極右を支援する最も悪名高き存在だからであり、実際にロシアの選挙介入がブレグジットやトランプ政権誕生につながった。ロシアのウクライナ侵攻による全世界的なショックがあっても、そうした右翼ポピュリストにはなおもプーチン氏と共鳴し、自分達が抱いているグローバル化による社会文化的多様性への反感と白人キリスト教ナショナリズムへの妄信による世論を広めようよしている。人種平等を標榜する政党ならば、ロシアと欧米のレイシストの間のやましい関係を決して見過ごしてはならない。

 

 

 

嘆かわしいことに、ANCは無意識に彼らを裏切っている。

 

 

 

そうした親露派右翼達はアメリカ国内で酷い悪評を博している。MAGAリパブリカンは「小さな政府」の理念の名の下に、アメリカはウクライナをめぐるロシアとの対決から手を引くべきだと主張している。下院ではマージョリー・テイラー・グリーン議員(MTG)、マット・ゲーツ議員、ポール・ゴーサー議員、マディソン・コーソーン議員らがそうした極右に当たる。さらにトランプ政権期の高官ではマイケル・フリン元国家安全保障担当補佐官、ピーター・ナバロ元ホワイトハウス政策局長、スティーブ・バノン元大統領上級顧問らがクレムリンを代弁するかのように、プーチン氏のウクライナ侵攻を正当化している。そうした過激派の中には、馬鹿げたことにウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領が「ソロスとクリントン家に操られたグローバリストの傀儡」だと見做す者さえある。何よりもドナルド・トランプ氏自身がウクライナ侵攻に際してプーチン氏を天才だと賞賛したほどである(“Meet the pro-Putin Republicans and conservatives”; Republican Accountability Project)。彼らにはレーガン的な国家安全保障観などは全く見られない。

 

ヨーロッパでも極右政治家の中には親プーチンの態度を崩さぬ者も見られ、彼らの国々がアメリカ以上にロシアの脅威を直接受けることも顧みられていない。本年9月のイタリア総選挙でネオファシスト系「イタリアの兄弟」から選出されたジョルジャ・メローニ首相は対露政策で立場を転換したが、閣内のマッテオ・サルヴィーニ氏とシルヴィオ・ベルルスコーニ氏は親プーチンの姿勢を変えていない(“Putin’s Friends? The Complex Balance Inside Italy’s Far-Right Government Coalition”; IFRI; November 28, 2022)。ロシアは本年12月にハインリッヒ13世を首謀者とするドイツ極右クーデター未遂事件でも黒幕であった。容疑者の一人はハインリッヒとロシアの取り次ぎ役を果たした(“Germany arrests 25 accused of plotting coup”; BBC News; 7 December, 2022)。親露派のデマゴーグと扇動者は右翼メディアにもいる。FOXニュースのタッカー・カールソン氏は自分の番組の視聴者に、ウクライナでなくロシアに味方するようにと言っている。GBニュースのナイジェル・ファラージ元UKIP党首はもっと慎重な言い回しでロシア支持を間接的に訴えようと、ゼレンスキー氏の統治能力への懐疑的な見解を喧伝している。

 

 

このように大西洋の両側での欧米極右の名前を挙げてみれば、薄気味悪い恐怖感に駆られる。なぜブラック・エンパワーメントの党が、「トランプーチン」的なレイシストの枢軸と手を携えなければいけないのか?ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は昨年の4月にアメリカ国内の白人ナショナリストに対する心底からの共感の意を示そうと、「白人への逆差別」を非難した(“Russia Warns of Anti-White 'Aggression' in U.S.”; Moscow Times; April 1, 2021)。実のところクレムリンと欧米の極右に共通している思想はレイシズム、反フェミニズム、そして反LGBTの価値観だけではない。プーチン政権のロシアと欧米のレイシストが共有している価値観はもっと深く根本的なもので、それをイスラエルの右翼系歴史学者ヨラム・ハゾニー氏はナショナリスト民主主義と呼び、ロシアのウラジスラフ・スルコフ元大統領補佐官は主権民主主義と呼ぶ。それはリベラル民主主義の普遍的価値観を否定し、土着主義と反近代主義の性格が強いイデオロギーである。彼ら「トランプーチン」的なレイシストは啓蒙主義とグローバル主義という、西側エスタブリッシュメントが推し進める両思想を嫌悪している。

 

さらにプーチン氏のウクライナ侵攻によって、ロシア国内のレイシズムも曝されてしまった。モンゴル系のブリヤート人やコーカサス地方のイスラム系ダゲスタン人など少数民族出身の兵士の死傷率は、ロシア人のそれを大きく上回っている(“Young, poor and from minorities: the Russian troops killed in Ukraine”; France 24; 17 May, 2022)。より重大な点は、ルースキー・ミールという概念に対するプーチン氏の解釈と実行には彼のレイシスト的な世界観が反映されているのではないかと、私は疑念を抱いている。かの有名な『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について』という論文でプーチン氏は冷戦後の国際政治における欧米の優位に対する深い怨念とともに、ウクライナの歴史と文化に対する蔑視の姿勢を顕わにして彼らの独立と主権を否定している。そうした軽蔑姿勢からすれば、ロシア軍がレイプ、強盗、拷問、殺人、その他ありとあらゆる暴力といった多くの犯罪を積み上げたことには何の不思議もない。あろうことかプーチン氏は厚顔無恥なブチャの犯罪者達を表彰した(“Putin honors brigade accused of war crimes in Bucha”; Washington Post; April 19, 2022)。

 

そうした事情はあれ、ANCが反アパルトヘイト闘争でかつてはソ連の恩恵を受けたことは否定しようがない。アメリカでもそうだったが、人種平等を目指す活動家には左翼に傾斜する以外に選択肢はなかった。彼らが共産主義の超大国を盟友としたことは当時なら自然な選択だったが、アンゴラとモザンビークでのソ連・キューバ勢力のプレゼンスを問題視するロナルド・レーガンおよびマーガレット・サッチャー両首脳にとっては非常に由々しきことであった。幸いにもネルソン・マンデラ党首は彼自身が欧米とも南アフリカの白人とも手を携えて多人種民主主義を発展させられると証明し、国際社会からも支持を得た。ともかくソ連は崩壊したのだが、ANCの指導者層は今なおロシアとの情緒的でノスタルジーに満ちた関係を感じているようだ。

 

どうやらアフリカ人にも日本人と同様なセンチメンタリズムがあるようにも思われる。典型的な例として故安倍晋三首相は、父晋太郎氏が残した北方領土返還実現によりソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領との間で平和条約の締結という見果てぬ夢の実現に尽力した。安倍氏は共産主義体制崩壊後のロシアとの経済協力発展を模索した。しかし安倍氏の希望的な夢はプーチン政権の力治政治という無慈悲な性質を踏まえていなかったので頓挫した。プーチン氏はゴルバチョフ氏ではない。現在のクレムリンから見れば、日本はアメリカの従属的な同盟国に過ぎず、ロシアは経済協力の見返りに領土を返還する必要もないのだ。問題は互恵性にとどまらない。イデオロギー的には旧ソ連と現在のロシアは正反対で、前者は世界各地の共産主義者を支援したのに対して後者は欧米の極右レイシストを支援している。よってANCがプーチン政権のロシアを友好国と見做すことは理に適っていない。安倍氏と同様に、彼らもロシアに幻想を抱いている。考えてもみて欲しい。アメリカとイスラエルは近代化路線のシャーの統治下にあったイランとは非常に友好的な関係にあったが、現在のシーア派神権体制にあるこの国とはそうした関係はとても考えられない。体制が変わってしまえば全く違う国になってしまうのだ。

 

ロシアとの友好関係を保つよりも、ANCはむしろプーチン氏の核脅迫レイシズムを非難するうえで格好の立場にある。彼のルースキー・ミール論文からはウクライナ人に対するロシア人の優越感が垣間見られ、そうした侮蔑的な思考だからこそ相手がチェチェン人、シリア人、ウクライナ人にかかわらず、敵に対してあれほど残虐になれるのだ。欧米の抑止力がなければ、彼のルースキー・ミール的価値観を否定する敵ならだれであれ大量虐殺の被害を免れないだろう。南アフリカは逆に自発的な核廃棄に踏み切った世界唯一の主権国家だが、他方でイランや北朝鮮のようなグローバル・サウスの専制国家は核拡散に手を染めている。両国ともプーチン氏の野蛮なウクライナ侵攻を支援していることを忘れてはならない。なぜ多人種民主主義の党が、レイシスト、反グローバル主義者、反啓蒙主義者の枢軸と友好関係にあらねばならないのだろうか?しかもその主要な構成者はプーチン政権のロシアと欧米の極右だというのに。

 

嘆かわしいことに大半のメディアは、世界各地の人種平等主義者に対するANCの無意識な裏切りに付随する壮大な矛盾を批判しない。彼らとソビエト・ロシアの歴史的な関係を「同情的」に報道しても意味はない。プーチン政権のロシアはもはや「万国の労働者よ、団結せよ!」という価値観など掲げていない。それどころか伝統主義の名の下に、今のロシアは欧米でのレイシストの不満爆発を扇動している。

 

アフリカ諸国の中で、南アフリカは以下の理由から私の注意を引き付けている。この国は大西洋地域とインド太平洋地域を結びつける位置にあり、それは21世紀の地政戦略で極めて重要である。またこの国の多人種民主主義の行方もグローバルな注目事項である。さらに付け加えるとこの国はアングロサクソン政治文化圏に属し、そのことは大英帝国の白人自治領としての建国の歴史に裏打ちされている。アメリカとイギリスを主要なフォーカスとしている私にとって、そうした事情から南アフリカに関心が向く。そしてだからこそ、メディアや学界にはANCの親露外交がはらむ致命的な矛盾を検証してゆくように注目を促せれば幸いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年5月 9日

地域大国への核拡散は抑止力にならない

世界には核兵器の保有によって自分達の国の自主抑止力が高まると考える人達もいる。 現実には核兵器は抑止力を保証するものではなく、ただ地域大国の間の緊張を高めるだけである。核抑止力の信頼性を高めるには、充分な二次攻撃能力とともにホットラインのような効果的なシステムが必要である。しかしアメリカとロシアのよう核超大国とは違い、ほとんどの地域大国は膨大な量の核兵器を保有するわけにはゆかないので、敵の一次攻撃に対して脆弱である。これら地域大国は潜在的な核保有国も含めて、限られた能力ながらどのようにして競合国に対して信頼性のある抑止力を追求しているのだろうか? いくつかの事例に言及したい。

現在、インド亜大陸はインドとパキスタンという敵対的な核保有国が国境を接して向かい合っている唯一の場所である。緊張はいつでも高まる。特にテロリストによるパキスタンからの核物質の入手は、インドでのダーティーボム攻撃の恐れから重大な懸念事項となっている。2001年にラシュカレ・トイバとジャイシュ・エ・ムハンマドがインド議会に攻撃をしたが、インドはこれらテロリストを支援したと思われたパキスタンに対して迅速な出兵ができなかった。そうした脆弱な安全保障環境に対処するため、インド政府はコールド・スタート・ドクトリンを考案し、通常兵力の大量かつ迅速な投入によってパキスタンの核攻撃を抑止することになった。これに対してパキスタンはインドの侵攻を阻止するために戦術核兵器を開発した。問題はこの相互抑止力は両国のホットラインも備えているとはいえ、米ソあるいは米露のMADと比べると非常に脆弱である。もしテロリストがパキスタン領内でインド攻撃を画策すれば、理論上はこれによってインドのコールド・スタート攻撃が始まり、パキスタンが戦術核兵器で応戦することになる(“Are Pakistan's Nuclear Assets Under Threat?”; Diplomat; April 28, 2016)。2008年のムンバイ同時多発テロに見られるように、インドとパキスタンの間の相互不信は根深い。外部の強国、特にアメリカだけが両国の核戦争を防止できる最後の仲介者なのである。

同様に、日本と韓国がたとえ核武装をしても、二次攻撃能力が限られているので北朝鮮への抑止力としては役立たないであろう。さらに重要なことに日韓両国とも北朝鮮の監視にはアメリカの衛星に依存することになろう。日本と韓国の抑止能力だけでなく、両国の二国間関係も大いに問題である。日韓関係は英仏関係ではない。ドーバー海峡両岸での核の緊張は考えにくいが、対馬海峡両岸の外交には細心の注意を要する。広く知られているように両国は植民地時代の歴史認識をめぐって頻繁に対立しているので、一見すると些細な失言でさえ二国間の緊張を激化させかねない。さらに韓国は依然として日本を一種の脅威と見なしている。敢えて言うならば、日韓関係はむしろ印パ関係に近いのである。アメリカによる安全保障の傘は、対馬海峡両岸の抗争の深刻化に歯止めをかけるうえで大きな貢献を果たしてきた。よって両国が自主核武装に向かおうものなら、北朝鮮への抑止どころか互いの国を標的にしかねないのである。ドナルド・トランプ氏はそのように細心の注意が必要な極東情勢にはあまりに無知無関心としか言いようがない。

これまで述べてきたように、国際社会が地域大国の核保有を許しても抑止力は向上しないであろう。こうした国々が核保有に走るのは自国近隣の安全保障環境が不安定だからである。そうでないなら、こうした兵器に予算を注ぎ込む必要はない。これが典型的に表れているのは、アパルトヘイト体制崩壊後の南アフリカによる核放棄である。しかし地域大国の核競争は彼ら自身の安全保障を悪化させる。これは特に中東では顕著で、当地では民族宗派抗争とテロが複雑に絡み合っている。インドが独自の戦略理論を構築したように、他の国々もそうするだろう。しかしそれら地域大国の戦略が五大国のもの、特に米露間のMADのような抑止力になるとは考えにくい。よって我々とってNPT体制の維持と強化は至上命題であり、アメリカは世界の警察官としての役割を再強化しなければならない。


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2013年2月 5日

危機管理の理解を普及させよ

安全保障の脅威が非伝統的な分野にまで拡大する傾向が強まるにおよんで、国家や企業の指導者にとって危機管理能力を備えることがきわめて重要になってきている。しかし彼らが危機管理を習得するのはほとんどOJTベースであり、大学の学部や大学院でその基本概念教わる機会が充分とは言えない。考えてみれば、経済、外交政策、国防、行政学など他の政策分野の基礎は、高等教育の社会科学では中核となる科目である。冷戦後の新しい安全保障概念によって、全世界の市民の間に危機管理の理解がこれまで以上に広まることが必要になる。

危機への対処方法はアクターによって異なる。国家アクターと非国家アクターとでは、対処の仕方に大きな違いがある。国家アクターには危機解決の最終手段として武力の行使が認められている。他方で非国家アクターの場合は植民地重商主義時代の東インド会社とは異なり、反乱分子、テロリスト、その他自分達の死活的権益を脅かす相手を打ち負かすような武装をすることはない。よって主権国家こそ危機管理の最終的な解決手段を持っている。公衆は政府の動向を見守るとともに、そこへの影響力の行使と協調のためにも、高度に教育されている必要がある。

そこで二つの事例をとりあげたい。一つはこれまで前例のなかった自然災害で、2011年の東日本大震災と津波がもたらした福島原発事故である。これは原子力発電所が次善災害に見舞われるという人類史上初の事故で、チェルノブイリやスリー・マイル島の場合とは違い、そのような事態を想定したマニュアルはない。日本では当時の菅直人首相への批判が一気に高まったのも、メディアと一般市民が危機に狼狽したからである。彼らは菅氏の行動の個別の誤りにばかりとらわれ、危機に対処するための政策と管理能力について議論がなされたとは言えない。

もう一つは人的災害で、今年にアルジェリアで起きたイナメナス人質事件である。犠牲者は多国籍であったにもかかわらず、アルジェリアのブーテフリカ政権はテロリストの打倒を優先させるあまり人質の安全には充分な考慮を払わなかった。アルジェリア政府は、米英仏などの特殊部隊の方が対テロ作戦と人質の安全のバランスをとる技能に長けているにもかかわらず、外国軍の介入の要請を一顧だにしなかった。

メディアを含めて我々の危機管理についての知識は、あまりにも少ない。よって我々が危機における指導者の行動について誤った判断を下すかも知れない。すなわち、刻々と移る事態を感情的に評価してしまいかねない。よって危機管理への理解と問題意識の普及が必要である。シンクタンクや民間の財団は一般国民への教育のためにフォーラムや講演を主催することができる。こうしたイベントはインターネット・ビデオなどを通じて誰にも公開されたものであることが望ましく、限られた会員だけのものにすべきではない。また、もっと多くの大学の学部以上のレベルで、危機管理の基本概念が教授されるできである。国家や企業の優秀な指導者となるには、この分野について包括的で体系的な理解が必要である。危機管理への訓練を大幅にOJTに依存することは、あまりにも危険である。

2012年10月 7日

フリーダム・ハウスの情勢分析:民主主義の前進と後退

今回は前回の補足で、フリーダム・ハウスのレポートについて手短に述べたい。アラブの春によってチュニジア、エジプト、リビアの民主化は前進した。また、アジアでも最もおぞましき圧政国家のミャンマーで、政治に関する公開討論やメディア報道への規制が緩和されたことは注目に値する。タイも昨年7月の自由で公正な選挙によって民主化が進展した。

しかし中東では多くの国でアラブの春への反動も見られた。バーレーン、レバノン、シリア、UAE、イエメンでは市民運動に暴力的な弾圧がなされた。サウジアラビアでは公共の場での演説とメディア報道への規制が強まった。アジアでは中国がインターネットへの検閲を強め、自由を求める数多くの活動家が逮捕された。

我々の思いもよらぬ事例にももっと注目すべきである。アフリカではエチオピア政府がテロ対策立法措置を濫用し、政府に批判的な精力を弾圧している。シリアのアサド政権がこうした論理を利用して自由を求めて立ち上がる人々を殺戮しているので、この事例は見過ごせない。ラテン・アメリカではアメリカの主権下にあるプエルトリコが警察の暴力的な姿勢によって評価を下げている。驚くべきことに、共産主義体制崩壊後のヨーロッパではハンガリーで市民の自由が後退している。この国が民主主義と市場系税への移行で模範と見なされたことに鑑みれば由々しき事態である。

フリーダム・ハウスの報告書に記された情勢は、日米欧をはじめとした主要先進民主主義国の外交政策の指針となるであろう。民主化の進展ではどの国が評価を高めどの国が強化を低めたか、こちらのリンクを参照されたい。

2012年9月30日

日米欧は世界の民主主義の巻き返しに向けて結束を再強化せよ

チュニジアとエジプトのフェイスブック革命が昨年のアラブの春を引き起こし、独裁者を政権から引きずり降ろして長年にわたる中東の民主化の夢が動き出した。しかしフリーダム・ハウスは、世界全体でも特にアジア、ラテン・アメリカ、南部アフリカを中心に民主主義が後退していると警告するレポートを発行した(“Democracy declined worldwide in 2011, Arab Spring nations at risk: report”; Reuters; September 17, 2012)。

専制国家の台頭に鑑みれば、これは由々しき問題である。中国は東アジア圏での拡張主義に何の躊躇も示していない。ロシアではウラジーミル・プーチン大統領がアメリカは今年の大統領選挙で反体制派の票が増えるように「画策」したと非難した(“Russia says U.S. aid mission sought to sway elections”; Reuters; September 19, 2012)。そしてイランは核兵器を入手しようとしている。

そこでレポートの内容を手短に吟味したい。”Freedom in the World 2012”では、チュニジア、エジプト、リビアで民主化が進展した一方で、シリア、バーレーン、イエメンでは市民運動への弾圧が盛んに行なわれていると述べられている。よって、テロとの戦いが始まってから世界の安全保障の重要課題となっている中東の民主化は、大きな壁に突き当たっている。また中国とロシアでは政府のプロパガンダによって市民の抵抗運動への恐怖感が扇動され、ジャスミン革命の波及が食い止められている。中国は世界でも最も巧妙なメディアの抑圧によって報道規制と情報検閲を行なっている。ロシア、イラン、ベネズエラといった他の専制諸国も様々な手段を通じてメディアやブログを規制している。.

現在のところ、西側同盟はそうした好ましからざる動向を座視するのみである。しかし専制政治に回帰しようとする世界的な傾向を逆転させられるのは、日米欧をはじめとする主要民主主義国である。圧政体制に抵抗して自由を求める活動家達は、西側同盟が民主化の希望を犠牲にして矮小なリアリズムと宥和政策をとることに失望している。フリーダム・ハウスのレポートに記された内容に鑑みれば、こうした活動家達の主張には理がある。

世界の民主化の進展を考えるうえで、中東は鍵となる地域である。フリーダム・ハウスはチュニジア、エジプト、リビアの変動を肯定的に評価しているが、いずれも民主主義の基盤は脆弱である。また、アメリカとヨーロッパの保守派の中にはシャリア法の施行に端的に見られるようなイスラム主義の台頭を懸念する向きもある。しかし、チュニジアのモンセフ・マルズーキ大統領は、アラブの春は反欧米でも親欧米でもないと述べている。また宗教もシャリア法も問題ではなく、社会正義こそが重要だという。マルズーキ氏は民主化によって過激派が自由な政治体制を悪用できるようになったことは認めている。しかし宗教過激派の真の目的は政治参加ではなく、混乱の助長であると強調している。過激派はアメリカの象徴を攻撃するより先に、チュニジアの国旗や国歌という自国の象徴を攻撃しているとマルズーキ氏は指摘する(“The Arab Spring Still Blooms”; New York Times; September 27, 2012)。

イスラム主義者が近代啓蒙思想という普遍的な価値観をどこまで尊重するかは注意深く見守る必要がある。しかしマルズーキ大統領の論文に注目すべきなのは、ある国での社会正義がその国の国際舞台での行動に大きな影響を与えるからである。西側同盟の再強化によって専制国家の台頭に備える必要があるのは、まさにこのためである。テロとの戦いの重要目的の一つは民主化の促進によって統治の改善をはかることであり、それによって暴力と過激思想の根を絶とうとしていることを忘れてはならない。

現在、NATOシカゴ首脳会議で見られたように、大西洋同盟には遠心力が働いている。また日米同盟も沖縄基地問題をめぐって大きく揺れている。専制諸国と過激派はこうした機会を逃さない。民主主義の後退から立ち直り中東の自由を支援してゆくためには、主要先進民主主義国の戦略的パートナーシップを再構成して自由の価値観を全世界に広める動きを主導すべきである。こうした民主化のイニシアチブは日米欧だけのものではない。戦略パートナーシップが立ち上がったら、次は新興民主主義諸国とも手を携えて民主化を促進すべきである。そうした国として、インド、オーストラリア、イスラエル、韓国などが挙げられる。フリーダム・ハウスのレポートによって、現在の世界の中で我々の自由な社会への安全保障がどれほど不充分かを認識させられる。

2012年7月29日

世界の核兵器の現状

以下の図を参照されたい。


World_nuclear_weapons


核保有国は次々に現れているが、核弾頭が実戦配備されているのは五大国だけである。

核拡散に手を染めているイランや北朝鮮は直ちに核弾頭を発射できる体制にはなっていない。両国が自らの核保有の権利を要求するのは、瀬戸際外交とテロ支援を主眼に置いてのことである。ボブ・ケイシー上院議員外交小委員会で「イランが核兵器を保有すれば増長は留まるところを知らず、アメリカとイスラエルへのテロ支援を強化し、ヒズボラとパレスチナ過激派の破壊活動はこれまで以上になるだろう。革命防衛隊特殊部隊は中東全土でテロ支援をやりやすくなるだろう」と証言した(“US Senators Examine Iranian Involvement with Terrorism”; VOA News; July 25, 2012)。北朝鮮も日本、韓国、アメリカに対して同様な行動をとるであろう。

また中国の核兵器の透明性の欠如にも注意が必要である。どれだけの核弾頭が戦略あるいは戦術兵器として実戦配備されているのか不明である。これだけの大国が核兵器削減交渉に参加せず、アメリカとロシアに責任を押し付けている。中国共産党は自国の核兵器についてより多くの情報を開示すべきである。


2011年8月 2日

それでもイスラム過激派は極右より大きな脅威である

アンネシュ・ベーリング・ブレイビクがノルウェーで起した7・22殺戮事件は、あまりにも痛ましい。テロ対策というと世界の政策形成者達はイスラム過激派ばかりに気をとられているが、キリスト教徒やユダヤ教徒の極右も視野に入れよという主張はもっともである。しかし、私は安全保障の観点から見ると、キリスト教とユダヤ教の過激派や白人至上主義者といった極右よりもイスラム過激派の方がはるかに危険だと考えている。よってテロ対策がイスラム過激派を中心として練り上げられることは当然と思われる。もちろん、イスラム教徒への差別と偏見には断固として抗議しなければならない。

なぜイスラム過激派の脅威が極右より大きいのか?以下の点に言及したい。第一には組織の規模と国際性が挙げられる。アル・カイダ、ハッカーニ・ネットワーク、ラシュカレ・トイバなど、イスラム過激派の場合は組織が国際的で、しかもグラスルーツでの膨大な支持層の拡大を積極的に行なっている。欧米在住のイスラム教徒の若者へのリクルート活動は、その顕著な例である。また、イスラム過激派同士の相互のつながりもある。それに対して極右の場合は「我が国を守る」という視点から過激な愛国主義をマニフェストに掲げているために、国際的な連携はあまり見られない。アメリカのKKKやWAR、イギリスのナショナル・フロント、ドイツのネオ・ナチといった極右が国境を超えて連携することはほとんど見られない。組織の規模という問題で見逃せないのは、国家による支援である。イランがレバノンでヒズボラを支援していることは、非常によく知られている。その他にもイラク南部やアフガニスタンのテロリスト達もイランの支援を受けている。これに対して極右で国家の支援を受けているテロリストはほとんど皆無である。

第二にその国にとって敵か味方か、すなわちジョージ・W・ブッシュ前米大統領がイラク戦争前の演説で述べた”with us, or against us”という観点を忘れてはならない。イスラム過激派になら先進国の大都市での大規模破壊を躊躇しない。彼らにとって敵であれば一般市民の殺戮は当然で、さらに敵が誇る象徴的建造物は重要な破壊目標となる。9・11事件は、その最たるケースである。これに対し極右は自国至上主義なので、自分の国の大都市が他国に誇るような象徴的建造物を含めた大規模破壊を行なうことは考えにくい。ブレイビクの殺戮は痛ましいものだが、この事件でノルウェーの誇りとなるような建造物は何も破壊されていない。彼が殺したのは、彼自身が「自国の伝統を汚す」と見なした者だけである。すなわち、自国至上主義者達による味方への破壊行為には抑制がかかる。

第三には大量破壊兵器、特に核兵器の使用の脅威を挙げたい。これは第一および第二の問題点と相互に深く関わってくる。テロリストへの核不拡散は現在の安全保障では重要課題の一つである。かつてカーン・ネットワークは、イラン、北朝鮮、リビアの他にアル・カイダともつながりがあったと見られている。イスラム過激派はこうした国際ネットワークとの関係を持ちやすいが、極右勢力は自国至上主義の性質から「悪の枢軸」への仲間入りは困難である。万一、テロリストが核兵器を入手するとどうなるだろうか?イスラム過激派なら、その核兵器で都市そのものを破壊しても不思議ではない。これは9・11事件での大規模破壊から、充分に考えられることである。これに対し、極右の核兵器入手も危険ではあるが、イデオロギー的な観点からすれば彼らが自国の都市そのものを破壊する可能性は低い。

ここまで欧米の極右とイスラム過激派のどちらがより大きな脅威かを述べてきたが、日本の極右と極左についても同様な関係が当てはまる。皇国主義を掲げる極右が皇居や靖国神社と一緒に東京の街を破壊する可能性は低いが、極左が核兵器など大量破壊兵器を入手すればこれら象徴的建造物と一緒に街全体を破壊することも考えられる。実際に極左には北朝鮮による日本人拉致を幇助したという実績がある。やはり同じテロリストでもどちらがより大きな脅威かは、上記の三点から判定できる。

ここで欧米の極右とイスラム過激派の関係に立ち返ってみよう。上記三点に基づいて考えれば、前者は警察の対処で済む。これに対して後者に対する「テロとの戦い」では、世界最強の軍事力やギネス・ブック級の腕前を持つ狙撃兵が投入されている。やはりイスラム過激派の方が極右よりはるかに大きな脅威なのである。ブレイビク事件はあまりに痛ましく、イスラム教徒をはじめとしたマイノリティーへの偏見はなくされねばならない。この意見には強く同意する。しかし政策当局者が対テロ対策で極右よりイスラム過激派への対策を重視することは、何ら間違っていない。

2011年4月11日

原子力発電所の全廃に異議:核の平和利用と不拡散の深い関係

福島原発危機によって、原子力発電所を即時全廃して放射能汚染による環境被害を避けるべきだと主張する者が増えている。中にはバイオマス、地熱、太陽光、風力、潮力といった再生可能なエネルギー資源を原子力に代わる脱石油エネルギー資源とせよ、と主張する者もいる。しかし、平和利用のための原子炉建設への技術的支援が核不拡散の交渉の道具であることを忘れてはならない。原子力エネルギーと核兵器には深い相互関係がある。よって、原子力発電施設の完全撤廃によって核拡散に走る国に対する歯止めが失われ、結果として核実験の回数が増えて放射能汚染も増大しかねなくなる。このパラドックスは、福島後の原子力平和利用と核不拡散を考えるうえできわめて重要である。

原子力の平和利用と核兵器の不拡散の関係は、以下の観点から論じられる。第一に、P5のような既存の核兵器大国と先進諸国は、そうでなければ核拡散をしかねない国に原子炉建設の技術支援を行なう。その見返りに、技術支援を受ける国は核兵器の開発や拡散を中止することが要求される。先進国が原子力発電施設を全廃してしまえば、この重要な交渉道具が失われてしまう。第二に、技術支援を供与する国は顧客の国がNPT体制に加盟していなくても査察を要求することができる。

米印原子力協定は、原子炉建設に見返りに核不拡散を求めるという取決では最も成功を収めたケースである。技術支援の見返りに、インドは核実験の停止を受け入れた。この協定は、インド市場の開拓に熱い眼差しを送る他の先進諸国と新興諸国にとっても模範となった。その中でも、ヒロシマ・ナガサキの経験から反核感情の根強い日本が、最終的に諸外国に倣ってインドとの核協定を結んだことは注目に値する。日本には平和主義感情はあるものの、日立、東芝、日本製鋼所といった日本企業は原子炉建設でジェネラル・エレクトリックとアレバの下請けとなっている(“U.S., France press for Japan-India nuclear deal – Nikkei”; Reuters; June 9, 2010

原子炉建設に見返りに核不拡散を求めるという取決は、イランと北朝鮮との交渉でも模索されている。両国との交渉に意味があるかどうかはさておき、原子炉建設の支援という飴は、経済制裁という鞭と一体で併用されている。先進諸国での原子力発電所の建設が延期されている現状では、イランと北朝鮮を相手にした交渉もままならない。

原子力発電の即時全廃を要求することは、あまりにナイーブである。そのようなことをすれば、潜在的な核拡散国を拘束する手段が失われてしまう。先の津波は日本史上でも千年に一度という自然災害であったが、核実験なら人間の意志でいつでも行なえるのである。新たな核拡散国が実験場を管理する技術は貧弱なので、地球上の放射能汚染はもっと深刻になる。

原子力の平和利用を止めてしまえば、問題はエネルギーと環境にとどまらなくなる。論客達が、福島原発事故が核の軍備管理と不拡散に与える影響について議論しないことは残念である。

2011年1月 8日

新年への問いかけ2:相互依存で国際紛争は予防できるのか?

世界史は諸国民による紛争の繰り返しである。経済、文化、社会活動などでの相互交流があっても、戦争と流血の惨事は防止できない。中国の「平和的台頭」に関して言えば、ハト派の論客達は経済や観光を通じて相互依存を深めてゆけば欧米との緊張も緩和するであろうと主張する。しかし、歴史は人的交流によって諸国民と諸文明の衝突を防げるという考えを支持していない。一度、戦略的権益が脅かされるか基本的な国家理念が否定されれば、各国は互いに対決するのである。

まず、第一次世界大戦前の英独関係について述べたい。両大国は植民地獲得や製造業で熾烈な競争を繰り広げていたものの、19世紀末から20世紀初頭にかけては互いに良好な関係であった。ビクトリア女王自身がドイツ系であった。王配のアルバート公もドイツのサクス・コーブルグ・ザールフェルト公国出身であった。女王の子女の中にも、長女のビクトリア王女をはじめ、ドイツの王子や王女と婚姻関係を結んだ者がいた。

非常に興味深いことに、セシル・ローズが南アフリカの実業界と政界での成功によって得た資産を基にオックスフォード大学の留学生に向けてローズ奨学金を設立すると、イギリスの植民地と自治領、そしてアメリカと並び、ドイツが奨学金給付対象国になった。この中で非英語圏の国はドイツだけである。このことは、イギリスの帝国主義者であったローズが当時の安定と繁栄の世界秩序のために、緊密な英独関係を重視していたことを示す。

不幸にもカイザー・ウィルヘルム2世が大英帝国の死活的国益を脅かすような拡張主義政策で世界を過剰に刺激したために、そのような麗しき相互依存は無に帰してしまった。カイザーがベルギーに侵攻すると、イギリスのハーバート・ヘンリー・アスキス首相には第一次世界大戦でドイツと戦う以外に選択肢がなくなった。

経済の相互依存は、パール・ハーバー攻撃の歯止めとならなかった。太平洋戦争勃発時に、日本は石油、ゴム、錫、屑鉄といった天然資源をアメリカと東南アジアにあるイギリスとオランダの植民地に依存していた。また、日本にとってアメリカは絹やその他の繊維製品の最重要輸出市場であった。アメリカとの戦争は日本経済の破滅を意味した。にもかかわらず、東京の軍事政権はワシントンとの間で満州と中国をめぐる戦略的な溝は埋まらないと考え、アメリカとの戦争に突入した。1934年にベーブ・ルース一行が親善野球のために来日した際(ベーブ・ルース来日75年 大宮の空に10アーチ」;産経新聞;2009年1月10日)に、日米両国の間で一時的に友好が高まって緊張が緩和されたが、7年後の戦争を防ぐことはできなかった。

現在に世界秩序に挑戦を突きつけている中国、ロシア、イスラム・テロ、ならず者国家について議論する際に、相互依存によってこうした相手を飼い馴らせると考えることは甘い希望的観測である。冷戦後の歴史からの休暇の間に、こうした怪物達が餌を貪って成長してしまった。特に中国は我々の自由世界秩序を食い尽くし、自国の専制的な指導者達の生存機会を最大化しようとしている。言わば、彼らの行動規範は我々のものとは完全に異なるのである。それでも軍事的抑止力の向上と同盟国との戦略提携を強化せずに、相互依存によってこうした相手を飼い馴らせるとでも思えるだろうか?歴史からの教訓を学ぼうではないか。

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