2016年5月 9日

地域大国への核拡散は抑止力にならない

世界には核兵器の保有によって自分達の国の自主抑止力が高まると考える人達もいる。 現実には核兵器は抑止力を保証するものではなく、ただ地域大国の間の緊張を高めるだけである。核抑止力の信頼性を高めるには、充分な二次攻撃能力とともにホットラインのような効果的なシステムが必要である。しかしアメリカとロシアのよう核超大国とは違い、ほとんどの地域大国は膨大な量の核兵器を保有するわけにはゆかないので、敵の一次攻撃に対して脆弱である。これら地域大国は潜在的な核保有国も含めて、限られた能力ながらどのようにして競合国に対して信頼性のある抑止力を追求しているのだろうか? いくつかの事例に言及したい。

現在、インド亜大陸はインドとパキスタンという敵対的な核保有国が国境を接して向かい合っている唯一の場所である。緊張はいつでも高まる。特にテロリストによるパキスタンからの核物質の入手は、インドでのダーティーボム攻撃の恐れから重大な懸念事項となっている。2001年にラシュカレ・トイバとジャイシュ・エ・ムハンマドがインド議会に攻撃をしたが、インドはこれらテロリストを支援したと思われたパキスタンに対して迅速な出兵ができなかった。そうした脆弱な安全保障環境に対処するため、インド政府はコールド・スタート・ドクトリンを考案し、通常兵力の大量かつ迅速な投入によってパキスタンの核攻撃を抑止することになった。これに対してパキスタンはインドの侵攻を阻止するために戦術核兵器を開発した。問題はこの相互抑止力は両国のホットラインも備えているとはいえ、米ソあるいは米露のMADと比べると非常に脆弱である。もしテロリストがパキスタン領内でインド攻撃を画策すれば、理論上はこれによってインドのコールド・スタート攻撃が始まり、パキスタンが戦術核兵器で応戦することになる(“Are Pakistan's Nuclear Assets Under Threat?”; Diplomat; April 28, 2016)。2008年のムンバイ同時多発テロに見られるように、インドとパキスタンの間の相互不信は根深い。外部の強国、特にアメリカだけが両国の核戦争を防止できる最後の仲介者なのである。

同様に、日本と韓国がたとえ核武装をしても、二次攻撃能力が限られているので北朝鮮への抑止力としては役立たないであろう。さらに重要なことに日韓両国とも北朝鮮の監視にはアメリカの衛星に依存することになろう。日本と韓国の抑止能力だけでなく、両国の二国間関係も大いに問題である。日韓関係は英仏関係ではない。ドーバー海峡両岸での核の緊張は考えにくいが、対馬海峡両岸の外交には細心の注意を要する。広く知られているように両国は植民地時代の歴史認識をめぐって頻繁に対立しているので、一見すると些細な失言でさえ二国間の緊張を激化させかねない。さらに韓国は依然として日本を一種の脅威と見なしている。敢えて言うならば、日韓関係はむしろ印パ関係に近いのである。アメリカによる安全保障の傘は、対馬海峡両岸の抗争の深刻化に歯止めをかけるうえで大きな貢献を果たしてきた。よって両国が自主核武装に向かおうものなら、北朝鮮への抑止どころか互いの国を標的にしかねないのである。ドナルド・トランプ氏はそのように細心の注意が必要な極東情勢にはあまりに無知無関心としか言いようがない。

これまで述べてきたように、国際社会が地域大国の核保有を許しても抑止力は向上しないであろう。こうした国々が核保有に走るのは自国近隣の安全保障環境が不安定だからである。そうでないなら、こうした兵器に予算を注ぎ込む必要はない。これが典型的に表れているのは、アパルトヘイト体制崩壊後の南アフリカによる核放棄である。しかし地域大国の核競争は彼ら自身の安全保障を悪化させる。これは特に中東では顕著で、当地では民族宗派抗争とテロが複雑に絡み合っている。インドが独自の戦略理論を構築したように、他の国々もそうするだろう。しかしそれら地域大国の戦略が五大国のもの、特に米露間のMADのような抑止力になるとは考えにくい。よって我々とってNPT体制の維持と強化は至上命題であり、アメリカは世界の警察官としての役割を再強化しなければならない。


にほんブログ村 政治ブログ 国際政治・外交へ
にほんブログ村


国際政治・外交 ブログランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月 5日

危機管理の理解を普及させよ

安全保障の脅威が非伝統的な分野にまで拡大する傾向が強まるにおよんで、国家や企業の指導者にとって危機管理能力を備えることがきわめて重要になってきている。しかし彼らが危機管理を習得するのはほとんどOJTベースであり、大学の学部や大学院でその基本概念教わる機会が充分とは言えない。考えてみれば、経済、外交政策、国防、行政学など他の政策分野の基礎は、高等教育の社会科学では中核となる科目である。冷戦後の新しい安全保障概念によって、全世界の市民の間に危機管理の理解がこれまで以上に広まることが必要になる。

危機への対処方法はアクターによって異なる。国家アクターと非国家アクターとでは、対処の仕方に大きな違いがある。国家アクターには危機解決の最終手段として武力の行使が認められている。他方で非国家アクターの場合は植民地重商主義時代の東インド会社とは異なり、反乱分子、テロリスト、その他自分達の死活的権益を脅かす相手を打ち負かすような武装をすることはない。よって主権国家こそ危機管理の最終的な解決手段を持っている。公衆は政府の動向を見守るとともに、そこへの影響力の行使と協調のためにも、高度に教育されている必要がある。

そこで二つの事例をとりあげたい。一つはこれまで前例のなかった自然災害で、2011年の東日本大震災と津波がもたらした福島原発事故である。これは原子力発電所が次善災害に見舞われるという人類史上初の事故で、チェルノブイリやスリー・マイル島の場合とは違い、そのような事態を想定したマニュアルはない。日本では当時の菅直人首相への批判が一気に高まったのも、メディアと一般市民が危機に狼狽したからである。彼らは菅氏の行動の個別の誤りにばかりとらわれ、危機に対処するための政策と管理能力について議論がなされたとは言えない。

もう一つは人的災害で、今年にアルジェリアで起きたイナメナス人質事件である。犠牲者は多国籍であったにもかかわらず、アルジェリアのブーテフリカ政権はテロリストの打倒を優先させるあまり人質の安全には充分な考慮を払わなかった。アルジェリア政府は、米英仏などの特殊部隊の方が対テロ作戦と人質の安全のバランスをとる技能に長けているにもかかわらず、外国軍の介入の要請を一顧だにしなかった。

メディアを含めて我々の危機管理についての知識は、あまりにも少ない。よって我々が危機における指導者の行動について誤った判断を下すかも知れない。すなわち、刻々と移る事態を感情的に評価してしまいかねない。よって危機管理への理解と問題意識の普及が必要である。シンクタンクや民間の財団は一般国民への教育のためにフォーラムや講演を主催することができる。こうしたイベントはインターネット・ビデオなどを通じて誰にも公開されたものであることが望ましく、限られた会員だけのものにすべきではない。また、もっと多くの大学の学部以上のレベルで、危機管理の基本概念が教授されるできである。国家や企業の優秀な指導者となるには、この分野について包括的で体系的な理解が必要である。危機管理への訓練を大幅にOJTに依存することは、あまりにも危険である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年10月 7日

フリーダム・ハウスの情勢分析:民主主義の前進と後退

今回は前回の補足で、フリーダム・ハウスのレポートについて手短に述べたい。アラブの春によってチュニジア、エジプト、リビアの民主化は前進した。また、アジアでも最もおぞましき圧政国家のミャンマーで、政治に関する公開討論やメディア報道への規制が緩和されたことは注目に値する。タイも昨年7月の自由で公正な選挙によって民主化が進展した。

しかし中東では多くの国でアラブの春への反動も見られた。バーレーン、レバノン、シリア、UAE、イエメンでは市民運動に暴力的な弾圧がなされた。サウジアラビアでは公共の場での演説とメディア報道への規制が強まった。アジアでは中国がインターネットへの検閲を強め、自由を求める数多くの活動家が逮捕された。

我々の思いもよらぬ事例にももっと注目すべきである。アフリカではエチオピア政府がテロ対策立法措置を濫用し、政府に批判的な精力を弾圧している。シリアのアサド政権がこうした論理を利用して自由を求めて立ち上がる人々を殺戮しているので、この事例は見過ごせない。ラテン・アメリカではアメリカの主権下にあるプエルトリコが警察の暴力的な姿勢によって評価を下げている。驚くべきことに、共産主義体制崩壊後のヨーロッパではハンガリーで市民の自由が後退している。この国が民主主義と市場系税への移行で模範と見なされたことに鑑みれば由々しき事態である。

フリーダム・ハウスの報告書に記された情勢は、日米欧をはじめとした主要先進民主主義国の外交政策の指針となるであろう。民主化の進展ではどの国が評価を高めどの国が強化を低めたか、こちらのリンクを参照されたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月30日

日米欧は世界の民主主義の巻き返しに向けて結束を再強化せよ

チュニジアとエジプトのフェイスブック革命が昨年のアラブの春を引き起こし、独裁者を政権から引きずり降ろして長年にわたる中東の民主化の夢が動き出した。しかしフリーダム・ハウスは、世界全体でも特にアジア、ラテン・アメリカ、南部アフリカを中心に民主主義が後退していると警告するレポートを発行した(“Democracy declined worldwide in 2011, Arab Spring nations at risk: report”; Reuters; September 17, 2012)。

専制国家の台頭に鑑みれば、これは由々しき問題である。中国は東アジア圏での拡張主義に何の躊躇も示していない。ロシアではウラジーミル・プーチン大統領がアメリカは今年の大統領選挙で反体制派の票が増えるように「画策」したと非難した(“Russia says U.S. aid mission sought to sway elections”; Reuters; September 19, 2012)。そしてイランは核兵器を入手しようとしている。

そこでレポートの内容を手短に吟味したい。”Freedom in the World 2012”では、チュニジア、エジプト、リビアで民主化が進展した一方で、シリア、バーレーン、イエメンでは市民運動への弾圧が盛んに行なわれていると述べられている。よって、テロとの戦いが始まってから世界の安全保障の重要課題となっている中東の民主化は、大きな壁に突き当たっている。また中国とロシアでは政府のプロパガンダによって市民の抵抗運動への恐怖感が扇動され、ジャスミン革命の波及が食い止められている。中国は世界でも最も巧妙なメディアの抑圧によって報道規制と情報検閲を行なっている。ロシア、イラン、ベネズエラといった他の専制諸国も様々な手段を通じてメディアやブログを規制している。.

現在のところ、西側同盟はそうした好ましからざる動向を座視するのみである。しかし専制政治に回帰しようとする世界的な傾向を逆転させられるのは、日米欧をはじめとする主要民主主義国である。圧政体制に抵抗して自由を求める活動家達は、西側同盟が民主化の希望を犠牲にして矮小なリアリズムと宥和政策をとることに失望している。フリーダム・ハウスのレポートに記された内容に鑑みれば、こうした活動家達の主張には理がある。

世界の民主化の進展を考えるうえで、中東は鍵となる地域である。フリーダム・ハウスはチュニジア、エジプト、リビアの変動を肯定的に評価しているが、いずれも民主主義の基盤は脆弱である。また、アメリカとヨーロッパの保守派の中にはシャリア法の施行に端的に見られるようなイスラム主義の台頭を懸念する向きもある。しかし、チュニジアのモンセフ・マルズーキ大統領は、アラブの春は反欧米でも親欧米でもないと述べている。また宗教もシャリア法も問題ではなく、社会正義こそが重要だという。マルズーキ氏は民主化によって過激派が自由な政治体制を悪用できるようになったことは認めている。しかし宗教過激派の真の目的は政治参加ではなく、混乱の助長であると強調している。過激派はアメリカの象徴を攻撃するより先に、チュニジアの国旗や国歌という自国の象徴を攻撃しているとマルズーキ氏は指摘する(“The Arab Spring Still Blooms”; New York Times; September 27, 2012)。

イスラム主義者が近代啓蒙思想という普遍的な価値観をどこまで尊重するかは注意深く見守る必要がある。しかしマルズーキ大統領の論文に注目すべきなのは、ある国での社会正義がその国の国際舞台での行動に大きな影響を与えるからである。西側同盟の再強化によって専制国家の台頭に備える必要があるのは、まさにこのためである。テロとの戦いの重要目的の一つは民主化の促進によって統治の改善をはかることであり、それによって暴力と過激思想の根を絶とうとしていることを忘れてはならない。

現在、NATOシカゴ首脳会議で見られたように、大西洋同盟には遠心力が働いている。また日米同盟も沖縄基地問題をめぐって大きく揺れている。専制諸国と過激派はこうした機会を逃さない。民主主義の後退から立ち直り中東の自由を支援してゆくためには、主要先進民主主義国の戦略的パートナーシップを再構成して自由の価値観を全世界に広める動きを主導すべきである。こうした民主化のイニシアチブは日米欧だけのものではない。戦略パートナーシップが立ち上がったら、次は新興民主主義諸国とも手を携えて民主化を促進すべきである。そうした国として、インド、オーストラリア、イスラエル、韓国などが挙げられる。フリーダム・ハウスのレポートによって、現在の世界の中で我々の自由な社会への安全保障がどれほど不充分かを認識させられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月29日

世界の核兵器の現状

以下の図を参照されたい。


World_nuclear_weapons


核保有国は次々に現れているが、核弾頭が実戦配備されているのは五大国だけである。

核拡散に手を染めているイランや北朝鮮は直ちに核弾頭を発射できる体制にはなっていない。両国が自らの核保有の権利を要求するのは、瀬戸際外交とテロ支援を主眼に置いてのことである。ボブ・ケイシー上院議員外交小委員会で「イランが核兵器を保有すれば増長は留まるところを知らず、アメリカとイスラエルへのテロ支援を強化し、ヒズボラとパレスチナ過激派の破壊活動はこれまで以上になるだろう。革命防衛隊特殊部隊は中東全土でテロ支援をやりやすくなるだろう」と証言した(“US Senators Examine Iranian Involvement with Terrorism”; VOA News; July 25, 2012)。北朝鮮も日本、韓国、アメリカに対して同様な行動をとるであろう。

また中国の核兵器の透明性の欠如にも注意が必要である。どれだけの核弾頭が戦略あるいは戦術兵器として実戦配備されているのか不明である。これだけの大国が核兵器削減交渉に参加せず、アメリカとロシアに責任を押し付けている。中国共産党は自国の核兵器についてより多くの情報を開示すべきである。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 2日

それでもイスラム過激派は極右より大きな脅威である

アンネシュ・ベーリング・ブレイビクがノルウェーで起した7・22殺戮事件は、あまりにも痛ましい。テロ対策というと世界の政策形成者達はイスラム過激派ばかりに気をとられているが、キリスト教徒やユダヤ教徒の極右も視野に入れよという主張はもっともである。しかし、私は安全保障の観点から見ると、キリスト教とユダヤ教の過激派や白人至上主義者といった極右よりもイスラム過激派の方がはるかに危険だと考えている。よってテロ対策がイスラム過激派を中心として練り上げられることは当然と思われる。もちろん、イスラム教徒への差別と偏見には断固として抗議しなければならない。

なぜイスラム過激派の脅威が極右より大きいのか?以下の点に言及したい。第一には組織の規模と国際性が挙げられる。アル・カイダ、ハッカーニ・ネットワーク、ラシュカレ・トイバなど、イスラム過激派の場合は組織が国際的で、しかもグラスルーツでの膨大な支持層の拡大を積極的に行なっている。欧米在住のイスラム教徒の若者へのリクルート活動は、その顕著な例である。また、イスラム過激派同士の相互のつながりもある。それに対して極右の場合は「我が国を守る」という視点から過激な愛国主義をマニフェストに掲げているために、国際的な連携はあまり見られない。アメリカのKKKやWAR、イギリスのナショナル・フロント、ドイツのネオ・ナチといった極右が国境を超えて連携することはほとんど見られない。組織の規模という問題で見逃せないのは、国家による支援である。イランがレバノンでヒズボラを支援していることは、非常によく知られている。その他にもイラク南部やアフガニスタンのテロリスト達もイランの支援を受けている。これに対して極右で国家の支援を受けているテロリストはほとんど皆無である。

第二にその国にとって敵か味方か、すなわちジョージ・W・ブッシュ前米大統領がイラク戦争前の演説で述べた”with us, or against us”という観点を忘れてはならない。イスラム過激派になら先進国の大都市での大規模破壊を躊躇しない。彼らにとって敵であれば一般市民の殺戮は当然で、さらに敵が誇る象徴的建造物は重要な破壊目標となる。9・11事件は、その最たるケースである。これに対し極右は自国至上主義なので、自分の国の大都市が他国に誇るような象徴的建造物を含めた大規模破壊を行なうことは考えにくい。ブレイビクの殺戮は痛ましいものだが、この事件でノルウェーの誇りとなるような建造物は何も破壊されていない。彼が殺したのは、彼自身が「自国の伝統を汚す」と見なした者だけである。すなわち、自国至上主義者達による味方への破壊行為には抑制がかかる。

第三には大量破壊兵器、特に核兵器の使用の脅威を挙げたい。これは第一および第二の問題点と相互に深く関わってくる。テロリストへの核不拡散は現在の安全保障では重要課題の一つである。かつてカーン・ネットワークは、イラン、北朝鮮、リビアの他にアル・カイダともつながりがあったと見られている。イスラム過激派はこうした国際ネットワークとの関係を持ちやすいが、極右勢力は自国至上主義の性質から「悪の枢軸」への仲間入りは困難である。万一、テロリストが核兵器を入手するとどうなるだろうか?イスラム過激派なら、その核兵器で都市そのものを破壊しても不思議ではない。これは9・11事件での大規模破壊から、充分に考えられることである。これに対し、極右の核兵器入手も危険ではあるが、イデオロギー的な観点からすれば彼らが自国の都市そのものを破壊する可能性は低い。

ここまで欧米の極右とイスラム過激派のどちらがより大きな脅威かを述べてきたが、日本の極右と極左についても同様な関係が当てはまる。皇国主義を掲げる極右が皇居や靖国神社と一緒に東京の街を破壊する可能性は低いが、極左が核兵器など大量破壊兵器を入手すればこれら象徴的建造物と一緒に街全体を破壊することも考えられる。実際に極左には北朝鮮による日本人拉致を幇助したという実績がある。やはり同じテロリストでもどちらがより大きな脅威かは、上記の三点から判定できる。

ここで欧米の極右とイスラム過激派の関係に立ち返ってみよう。上記三点に基づいて考えれば、前者は警察の対処で済む。これに対して後者に対する「テロとの戦い」では、世界最強の軍事力やギネス・ブック級の腕前を持つ狙撃兵が投入されている。やはりイスラム過激派の方が極右よりはるかに大きな脅威なのである。ブレイビク事件はあまりに痛ましく、イスラム教徒をはじめとしたマイノリティーへの偏見はなくされねばならない。この意見には強く同意する。しかし政策当局者が対テロ対策で極右よりイスラム過激派への対策を重視することは、何ら間違っていない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年4月11日

原子力発電所の全廃に異議:核の平和利用と不拡散の深い関係

福島原発危機によって、原子力発電所を即時全廃して放射能汚染による環境被害を避けるべきだと主張する者が増えている。中にはバイオマス、地熱、太陽光、風力、潮力といった再生可能なエネルギー資源を原子力に代わる脱石油エネルギー資源とせよ、と主張する者もいる。しかし、平和利用のための原子炉建設への技術的支援が核不拡散の交渉の道具であることを忘れてはならない。原子力エネルギーと核兵器には深い相互関係がある。よって、原子力発電施設の完全撤廃によって核拡散に走る国に対する歯止めが失われ、結果として核実験の回数が増えて放射能汚染も増大しかねなくなる。このパラドックスは、福島後の原子力平和利用と核不拡散を考えるうえできわめて重要である。

原子力の平和利用と核兵器の不拡散の関係は、以下の観点から論じられる。第一に、P5のような既存の核兵器大国と先進諸国は、そうでなければ核拡散をしかねない国に原子炉建設の技術支援を行なう。その見返りに、技術支援を受ける国は核兵器の開発や拡散を中止することが要求される。先進国が原子力発電施設を全廃してしまえば、この重要な交渉道具が失われてしまう。第二に、技術支援を供与する国は顧客の国がNPT体制に加盟していなくても査察を要求することができる。

米印原子力協定は、原子炉建設に見返りに核不拡散を求めるという取決では最も成功を収めたケースである。技術支援の見返りに、インドは核実験の停止を受け入れた。この協定は、インド市場の開拓に熱い眼差しを送る他の先進諸国と新興諸国にとっても模範となった。その中でも、ヒロシマ・ナガサキの経験から反核感情の根強い日本が、最終的に諸外国に倣ってインドとの核協定を結んだことは注目に値する。日本には平和主義感情はあるものの、日立、東芝、日本製鋼所といった日本企業は原子炉建設でジェネラル・エレクトリックとアレバの下請けとなっている(“U.S., France press for Japan-India nuclear deal – Nikkei”; Reuters; June 9, 2010

原子炉建設に見返りに核不拡散を求めるという取決は、イランと北朝鮮との交渉でも模索されている。両国との交渉に意味があるかどうかはさておき、原子炉建設の支援という飴は、経済制裁という鞭と一体で併用されている。先進諸国での原子力発電所の建設が延期されている現状では、イランと北朝鮮を相手にした交渉もままならない。

原子力発電の即時全廃を要求することは、あまりにナイーブである。そのようなことをすれば、潜在的な核拡散国を拘束する手段が失われてしまう。先の津波は日本史上でも千年に一度という自然災害であったが、核実験なら人間の意志でいつでも行なえるのである。新たな核拡散国が実験場を管理する技術は貧弱なので、地球上の放射能汚染はもっと深刻になる。

原子力の平和利用を止めてしまえば、問題はエネルギーと環境にとどまらなくなる。論客達が、福島原発事故が核の軍備管理と不拡散に与える影響について議論しないことは残念である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 8日

新年への問いかけ2:相互依存で国際紛争は予防できるのか?

世界史は諸国民による紛争の繰り返しである。経済、文化、社会活動などでの相互交流があっても、戦争と流血の惨事は防止できない。中国の「平和的台頭」に関して言えば、ハト派の論客達は経済や観光を通じて相互依存を深めてゆけば欧米との緊張も緩和するであろうと主張する。しかし、歴史は人的交流によって諸国民と諸文明の衝突を防げるという考えを支持していない。一度、戦略的権益が脅かされるか基本的な国家理念が否定されれば、各国は互いに対決するのである。

まず、第一次世界大戦前の英独関係について述べたい。両大国は植民地獲得や製造業で熾烈な競争を繰り広げていたものの、19世紀末から20世紀初頭にかけては互いに良好な関係であった。ビクトリア女王自身がドイツ系であった。王配のアルバート公もドイツのサクス・コーブルグ・ザールフェルト公国出身であった。女王の子女の中にも、長女のビクトリア王女をはじめ、ドイツの王子や王女と婚姻関係を結んだ者がいた。

非常に興味深いことに、セシル・ローズが南アフリカの実業界と政界での成功によって得た資産を基にオックスフォード大学の留学生に向けてローズ奨学金を設立すると、イギリスの植民地と自治領、そしてアメリカと並び、ドイツが奨学金給付対象国になった。この中で非英語圏の国はドイツだけである。このことは、イギリスの帝国主義者であったローズが当時の安定と繁栄の世界秩序のために、緊密な英独関係を重視していたことを示す。

不幸にもカイザー・ウィルヘルム2世が大英帝国の死活的国益を脅かすような拡張主義政策で世界を過剰に刺激したために、そのような麗しき相互依存は無に帰してしまった。カイザーがベルギーに侵攻すると、イギリスのハーバート・ヘンリー・アスキス首相には第一次世界大戦でドイツと戦う以外に選択肢がなくなった。

経済の相互依存は、パール・ハーバー攻撃の歯止めとならなかった。太平洋戦争勃発時に、日本は石油、ゴム、錫、屑鉄といった天然資源をアメリカと東南アジアにあるイギリスとオランダの植民地に依存していた。また、日本にとってアメリカは絹やその他の繊維製品の最重要輸出市場であった。アメリカとの戦争は日本経済の破滅を意味した。にもかかわらず、東京の軍事政権はワシントンとの間で満州と中国をめぐる戦略的な溝は埋まらないと考え、アメリカとの戦争に突入した。1934年にベーブ・ルース一行が親善野球のために来日した際(ベーブ・ルース来日75年 大宮の空に10アーチ」;産経新聞;2009年1月10日)に、日米両国の間で一時的に友好が高まって緊張が緩和されたが、7年後の戦争を防ぐことはできなかった。

現在に世界秩序に挑戦を突きつけている中国、ロシア、イスラム・テロ、ならず者国家について議論する際に、相互依存によってこうした相手を飼い馴らせると考えることは甘い希望的観測である。冷戦後の歴史からの休暇の間に、こうした怪物達が餌を貪って成長してしまった。特に中国は我々の自由世界秩序を食い尽くし、自国の専制的な指導者達の生存機会を最大化しようとしている。言わば、彼らの行動規範は我々のものとは完全に異なるのである。それでも軍事的抑止力の向上と同盟国との戦略提携を強化せずに、相互依存によってこうした相手を飼い馴らせるとでも思えるだろうか?歴史からの教訓を学ぼうではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月11日

日米欧と新興経済諸国の衝突

最近のメディアと財界は、新興経済諸国を成長著しい魅力ある新市場として語ることが多い。しかし本当に新興諸国に将来の希望を見出してよいのだろうか?近視眼的な商業主義とは裏腹に、新興諸国は国際政治経済の自由主義秩序に大きな挑戦を突きつけている。先進国は低賃金の新興諸国と熾烈な競争にさらされている。新興経済諸国の中には西側の自由体制を否定し、自分達の専制体制を擁護する国もある。

新興経済諸国はBRICs、ASEAN、韓国、メキシコ、南アフリカなどが挙げられる。それらの国々の事情は、国ごとに異なる。民主的で親欧米の国もあれば、中国のように「平和的台頭」を口にして全く新しい世界秩序を主張する国もある。

新興経済の中で最も重要なグループはBRICs諸国で、これらの国々は経済的な繁栄を背景に政治でも影響力の拡大を主張するようになってきている。ロシアと中国は西側に挑戦を突きつけて指導的地位を目指しているのに対し、インドはアメリカとの戦略的パートナーシップによって台頭してゆこうとしている。ブラジルはトルコと共にイランと国際社会の仲介を試みたが、アメリカの覇権に挑戦する気はない。よって、中国とロシアに特別な注目をする必要がある。

10月15日に日本国際フォーラム主催のAPECに関する円卓会議で、私は中国の政治環境について3点の問題に言及した。中国では外国企業の経済活動の自由が充分に保証されていないのに、なぜ財界人がこの国の市場に期待するのか理解しがたい。第一に、中国は為替相場に介入して国際市場競争を不公正に勝ち抜こうとしている。第二に、人権問題は深刻なリスクとなっている。尖閣紛争の際に、中国当局は何の躊躇もなくフジタの社員を報復逮捕した。第三に、共産党の情報管理によってグーグルは中国から撤退してしまった。

19世紀に日本の明治政府が西洋列強に「不平等条約」の改正を要請した際に、日本の法制度が未整備なために自国民の人権が侵害されかねないとの懸念から、列強は日本の要請を拒否した。明治政府が日本は充分に「文明化」されたと西洋列強を説得して初めて、日本は条約改正できた。外国企業にとって、現在の中国の政治環境は、徳川時代と明治初期の日本より酷いものである。

相互依存を主張する者達は、中国とロシアの体制がどうあろうと対話によって良好な関係を築けると主張するが、両国とも我々の自由主義世界秩序を自国に有利なように利用している。中国の資本家達は共産党と緊密に連携して、アメリカ、ヨーロッパ、日本の戦略産業を買い取って知識を海賊利用し、世界経済の支配を目論んでいる。ロシアの新興財閥資本家がサウス・ケンジントンの高級マンションを買い漁ったので、FSBの工作員がロンドンに身を潜めてアレクサンドル・リトビネンコ氏を暗殺することも容易になった。権威主義的な政府と特権的な企業との緊密な協調関係を通じて、両国とも利益を軍拡につぎ込んで自由諸国に脅威となっている。バブル期に日本企業がニューヨークのロックフェラー・センターを買い取ってアメリカ人の不興をかった。確かにこうしたシャイロックさながらの行為への嫌悪感は理解できるが、「誰もロックフェラー・センターをどこにも持ってゆくことはできない」ので日本企業のやったことは何の脅威にもならない。しかし中国とロシアの資本家達は西側の自由な資本主義に公然と異議を唱えている。

体制のあり方と大国間の競合の他にもナショナリズムも問題となる。1990年代には東南アジア諸国が「アジアの価値観」を訴えて、自国民への家父長的な権威主義を正当化した。当時の経済好況を背景に自信を強めていた東南アジア諸国は、欧米の優位に反旗を翻すようになった。アジア通貨危機によって初めて、東南アジア諸国は欧米の自由主義に対する「アジアの価値観」を高らかに主張することはなくなった。

経済的側面に関しては、新興経済諸国を語る際には低賃金労働による競争力の優位だけが問題ではない。HSBC銀行のスティーブン・キング主任エコノミストは、西側諸国と新興諸国の間で希少資源の争奪が激化すると警告している。生活水準の向上と需要の増大を背景に、天然資源の価格設定で新興諸国の影響力は増大するであろう。グローバル化によって世界経済全体は成長するものの、新興諸国の低賃金下請業務によって西側の消費者は将来への展望が持てなくなっている。自由市場経済には第二次世界大戦のような資源争奪戦を回避するための自動的安定装置の役割が期待されているが、ロシアと中国の専制政治家達は経済成長を高めるだけのために資本主義を利用し、自分達の政治的な立場を強化しようとしている(“Stephen King on scarce resources”; The Economist Online; October 13, 2010)。実際に、中国は10月に日本との間で尖閣紛争が勃発すると、レアアース資源の輸出削減を表明した。

新興経済諸国の台頭で最も深刻な問題は、自由主義世界秩序の脆弱化である。ユーラシア・グループのイアン・ブレマー社長とニューヨーク大学スターン・ビジネス・スクールのヌーリエル・ルービニ教授は、世界が一極覇権による安定から無極で無責任な不安定に変貌しつつあると述べている(“Paradise Lost: Why Fallen Markets Will Never Be the Same”; Institutional Investor; September 2010)。覇権安定理論では、自由主義の国でなければ自由世界秩序という国際公共財を提供することはできない。戦間期のイギリスがアメリカとの両頭体制を模索したように、覇権国家が他の大国と責任を分担することはあり得る。しかし責任を分担する国は単に国力があればよいというものではなく、自由主義国家でなければならない。イギリスがナチス・ドイツやソ連と責任を分担しようとしたことはない。現在の新興経済諸国には日米欧と責任分担するだけの充分な資格を備えていないので、G20による政策調整がうまく機能しないのは当然である。

もちろん、日米欧と対等な関係を築きたいという新興諸国の希望は尊重すべきである。真の問題は、これらの国々の体制の性質である。特に、どのような基本理念で国家建設を行なってきたかに注目すべきである。毛沢東主義の中国による「平和的台頭」は危険であるが、民主主義のインドによる競争力の向上は平和的である。独立以来、インドはイギリス労働党の基本理念であるフェビアン主義による経済開発を追求してきた。だからこそ、インドの台頭は歓迎できても中国の台頭は歓迎できないのである。

近視眼的な財界人は世界を「カントリー・ファースト」の視点から見直す必要がある。新興経済諸国について、相手が何者かを見極める必要がある。危険な体制の国々と取引を行なう多国籍企業は、短期的には利潤を挙げられるかも知れないが、長期的には損失を被るであろう。かつて日本の大平政権は、在テヘラン米大使館占拠事件の際にアメリカとヨーロッパの同盟諸国がイランに経済制裁を科したにもかかわらず、IJPC石油化学プロジェクトの建設を継続した。ならず者国家との商取引は、結局のところイラン・イラク戦争によって頓挫してしまった。

新興経済諸国をただ新たな市場としてしか考えない者達は、あまりに単純な朴念仁かシャイロック的な金儲け主義者かである。新興国は経済的な競合相手にも安全保障上の脅威にもその他の何にでもなり、我々の自由主義世界秩序を破壊するかも知れないのである。日米欧の指導者達は、新興経済諸国にどう向き合うかを見つめ直すべきである

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年8月13日

「核なき世界」への障害

今年は国際安全保障が「核なき世界」に向けて動き出したのだろうか?プラハ演説に基づいて、バラク・オバマ大統領は4月12日から13日にかけてワシントンで核セキュリティー・サミットを開催した。また、ジョン・ルース大使が8月6日の広島の原爆記念式典に、史上初のアメリカ代表として参加した。こうした行動は印象的だが、この目標を達成するには長い道程を要する。それは冷戦後に古い地政学が復活し、「ならず者国家」が核開発計画を追求しているからである。

まず「核なき世界」の構想に関して基本的な点について述べたい。これはバラク・オバマ氏のオリジナルではない。「核なき世界」の構想に理論的な基礎を与えたのは、2007年にウォールストリート・ジャーナルに共同で投稿したヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ジョージ・シュルツ元国務長官、ウィリアム・ペリー元国防長官、そしてサム・ナン元上院議員らアメリカの長老政治家達である。超党派の投稿論文では、政策形成者達にMADという冷戦思考では、イランや北朝鮮に代表される「ならず者国家」の挑戦とテロリスト集団のような非国家アクターの出現により、核抑止力も信頼性が低下している現状に対処できないと主張されている。四人の政治家達はリアリストの視点から主張を掲げただけで、プラハ演説で注目された「核兵器を使った唯一の国として、アメリカには行動すべき道徳的責任がある」といったような物議を醸すようなことは何も述べてはいない。

この一節に関してカーネギー国際平和財団のジョージ・パーコビッチ副所長は、オバマ氏は核の脅威が存在する限りはアメリカと同盟国を守るために核抑止力を維持すると明言したと指摘する(“The Obama Nuclear Agenda: One Year after Prague”; Carnegie Policy Outlook; March 31, 2010)。

「核なき世界」に最も大きな障害となるのがロシアと中国が突きつけてくる古い地政学の復活である。ロシアは東ヨーロッパと旧ソ連諸国を事故の勢力圏として維持したがっている。中国に関してはゴードン・チャン氏が「北京の冷徹で実利本位の指導者達は我々が人権問題で強く出なかったことは弱さの象徴だと受け止めている。我々が弱いと思われてしまえば、彼らが協調する理由はなくなる。よって、人権の普及はアメリカの安全保障につながる」と述べている。

オバマ政権はロシアとの互恵的な取り決めを模索しているが、保守派はクレムリンがアメリカとの核均衡を求めているだけだとの理由から新STARTに懸念を抱いている。ジョン・ボルトン元国連大使は軍縮の目的ばかりを優先するオバマ政権を批判し、「アメリカとロシアの立場は同じではなく、核弾頭数の均衡にこだわればモスクワよりワシントンの方が国益を損ねてしまう」と言う。私は、アメリカは世界各地の同盟国を守らねばならないがロシアにはその必要がないというボルトン氏の見解に同意する。

きわめて重要なことに、ロシアも中国も「ならず者国家」やテロ集団への核拡散についての懸念を西側とは共有していない。ロシアはS300地対空ミサイルをイランへ売却した。さらに、クレムリンはブシェールにあるイラン発の原子炉へのウランの供給を決定したが、アメリカはイランがこれを自らの核の野望に対する寛容を示唆するものと解釈することを懸念している(“Russian nuclear agency says Iran's first nuclear plant will start getting fuel next week”; FOX News; August 13, 2010中国は核拡散よりもピョンヤン独裁体制の崩壊に伴う混乱を恐れるという理由だけで、北朝鮮の圧政体制を支持している。大きな食い違いが見られるのは、核テロに関してである。リズ・チェイニー氏が今年2月のコーリン・パウエル元国務長官との論争で述べたように、アメリカの政策形成者達は保守からリベラルに至るまで、テロリストによる大量破壊兵器の入手に神経を尖らせている。ロシアと中国はそれぞれがチェチェンやウイグルのイスラム過激派からさらに攻撃を受けなければ、核テロに関してアメリカと共通の理解には至らないのかも知れない。

また、中国がオバマ氏の呼びかけに敬意を払っていないことが明らかになった。6月に中国はインドとの核軍拡競争の懸念も意に介さずにパキスタンに原子炉の売却を持ちかけた。北京の共産党政府は「アメリカがインドのためにルールを曲げられるなら、中国もパキスタンのためにルールを曲げられる」と考えている(“Nuclear proliferation in South Asia: The power of nightmares”; Economist; June 24, 2010)。理論上はそうした地政学的競合はあり得る。しかしブッシュ政権期には中国はアメリカを刺激しないようにもっと注意深く振る舞っていた。「自由のための退役軍人の会」を設立した元イラク戦士のピート・ヘグセス大尉の一節を摘要すれば「中国はオバマ氏をなめている」のである。

大量破壊兵器不拡散教育センターのヘンリー・ソコルスキー所長は、アメリカが途上国と理想的な原子力協定を結んだとしても、他の原子力供給国がそうした取り組みを水泡に帰すような行動に出てしまうと指摘する。オバマ政権が昨年にアラブ首長国連邦と締結した核協力協定に関して、ソコルスキー氏はアメリカより低価格で核不拡散の要求基準が緩い韓国の施設がUAEに入札されたと述べている(Nuclear Nonproliferation Games”; National Review Online; August 5, 2010)。いわば、オバマ政権はUAEに拘束力のある協定を実施できず、ビジネス・チャンスを失っただけである。核不拡散の取り組みに大きな影響を与えるのは、バラク・オバマ氏が提唱したような崇高な理念ではなく商業上の利害である。

オバマ大統領は「核なき世界」に向けて印象的な行動に出たかも知れないが、それが主要核保有国と潜在的な核拡散国からは敬意を払われていない。こうした国々がアメリカを弱いと見なすようなら、核廃絶の取り組みは何一つ進展しないであろう。特に専制国家は自国の指導者達の利権を求めても世界平和を求めたりはしない。確かに「核なき世界」は今よりはるかに安全である。この目的を達成するために、アメリカは強さを印象づけねばならず、オバマ氏がプラハ演説で述べたような道徳的な後ろめたさをほのめかせばよいというものではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)