2018年8月 8日

ヘルシンキでのトランプ大統領によるプーチン大統領への危険な宥和

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自信に満ちたプーチン大統領と不安そうなトランプ大統領


ドナルド・トランプ大統領の選挙チームが2016年の大統領選挙でクレムリンとの共謀が疑われていることもあって、ヘルシンキ首脳会談についてアメリカの外交政策の論客達と情報関係者が重大な懸念を抱いていたが、それは正しかったことが明らかになった。当初の予想通り、トランプ氏はロシアのウラジーミル・プーチン大統領との共同記者会見においてメディアと安全保障の専門家達からの批判の渦を巻き起こした。この共同声明の全文書き下しを見ての通り、両首脳はクリミアやシリアといった重要な問題について詳細には語らずにこれらの問題をめぐる相互の見解の相違を述べただけだった(“Read the full transcript of the Helsinki press conference”; Vox; July 17, 2018)。そのためトランプ氏がプーチン政権によるクリミア併合を認めたのか、またシリアをロシアに委ねるのかは不明である。ともかくトランプ氏にはクリミア併合の合法性、およびシリア難民の人道的処遇についてプーチン氏に強く要求を押し出す意図などなかったものと理解されている(“Putin didn’t have to push the Kremlin’s narrative. Trump did it for him.”; Brookings Institution; July 20, 2018)。そうした中でトランプ氏はロシアは選挙に介入しなかったとプーチン氏が言うのでそれを信じると発言したので、あまりに安易に相手の言い分を受け入れる態度に批判が紛糾した。トランプ氏はアメリカの情報機関よりもプーチン氏を信頼すると言ったばかりか、ミュラー捜査で12人のロシア人スパイへの取り調べをさせる見返りにクレムリンが不都合と見なすアメリカ人および同盟国民に対する尋問をロシアの情報機関に認めるとまで言明した(“Trump Says He Lay Down the Law in His Latest Account of His Meeting With Putin”; New York Times; July 18, 2018)。

プーチン氏がトランプ氏にロシア当局による尋問を要求した人物には、クレムリンが反プーチン的な外交活動をしていたとするマイケル・マクフォール元駐露大使、元MI6工作員でトランプ文書でトランプ氏のロシアとの緊密な関係と不名誉な行状について記したクリストファー・スティール氏、ロンドン在住のビジネスマンでロシアから15億ドルを違法に持ち出してヒラリー・クリントン氏の選挙運動に4億ドルの献金を行なったとしてプーチン政権から指名手配を受けているビル・ブラウダー氏らの名が挙がっている。非常に重要なことに、ブラウダー氏はロシアの人権侵害に対する制裁を科す目的のマグニツキー法の成立のためのロビー活動を行なっていた(“White House says Trump to discuss allowing Russia to question US citizens”; Hill; July 18, 2018)。プーチン氏の要求に応じてアメリカおよび同盟国の国民の身柄を引き渡すなら、トランプ氏が固執する国家主権とは明らかに矛盾する。特にマクフォール元大使への取り調べというプーチン大統領の要求は言語道断で、しかもアメリカが国際刑事裁判所から距離を置いているのは自国の外交官を敵国から守るためである(Twitter; Richard Haass; July 19, 2018)。さらに重要なことにトランプ氏がプーチン氏との間で成した無分別なディールは、ウィーン外交関係条約の外交特権の侵害になる。トランプ氏はマクフォール氏のようなオバマ政権の高官、そしてスティール氏やブウラダー氏のように彼に不利な行動をとった者への個人的な復讐のためには、アメリカの主権などプーチン氏に切り渡してしまうように見受けられる。トランプ氏はロシアとの和解によって有権者の間で自身の人気が高まると思っていたが、逆に議会から超党派の激しい批判を浴び、政権内からもマイク・ペンス副大統領、ジョン・ボルトン国家安全保障担当補佐官、ジョン・ケリー大統領首席補佐官らホワイトハウスの陣営の加えてジェームズ・マティス国防長官とマイク・ポンペオ国務長官がトランプ氏とプーチン氏の間のディールに危機感を唱えた(“Pence, Bolton, Kelly confronted Trump in Oval Office about Russia comments”; Chicago Tribune; July 21, 2018)。

実際に外交政策の識者達はリベラルだろうが保守だろうか、トランプ氏とプーチン氏の和解には失望している。アメリカ政治へのロシアの介入にこだわっているのはリベラルの人達で、それはトランプ氏を貶めるためだという見方は全くの間違いである。現在の共和党はもはやレーガンやリンカーンではなく「プーチンの党」とまで言われるほどナショナリストで孤立主義になってしまったが、責任ある識者達はグラスルーツ保守の間で広まるそのように視野の狭い党派主義には染まっていない。アトランテック・ジャーナル誌のジェームズ・ファローズ氏は大統領がロシアの国益を優先する有り様に衝撃を受け、共和党支持者は党に忠誠を誓うのか国家に忠誠を誓うのかと問いかけている(“This Is the Moment of Truth for Republicans”; Atlantic; July 18, 2018)。ブッシュ政権のスピーチライターを務めたデービッド・フラム氏は、アメリカ政府はプーチン大統領とのディールについて何か聞いているのか、そのようなディールが存在するならトランプ氏はその意味が本当に分かっているのかという深刻な懸念を表明している(“The Worst Security Risk in U.S. History”; Atlantic; July 19, 2018)。マックス・ブート氏はさらに辛辣で、トランプ氏がプーチン氏と成したディールはアメリカ国民に対する敵対行為であり、彼の許し難い国家反逆をとりあげたことはメディアの大きな手柄だとまで述べている(“We just watched a U.S. president acting on behalf of a hostile power”; Washington Post; July 16, 2018)。自らを保守と見なす有権者の多くがトランプ氏を夢中で支持する有り様は非常に嘆かわしい。フォックス・ニュースによると共和党支持層の88%がトランプ大統領の職績を肯定的に評価している(Twitter; Fox News; July 24)。プーチン大統領がトランプ氏にロシア政府による捜査を認めるようにと要請したマクフォール氏とブラウダー氏はインタビューで、そうした過剰な要求はクレムリンがマグニツキー法にどれだけ戦慄しているかを示すものだと答えている(“Deeply disappointed”: Michael McFaul opens up about threat of being turned over to Putin by Trump”; Salon; July 20, 2018)。トランプ氏がそうした背景と外交的なやり取りの基本を理解しているか否かはともかく、彼はオバマ政権期の成果の破棄とミュラー捜査への直接的あるいは間接的な協力者への報復しか考えていないように思われる。

何よりも、トランプ氏が通訳以外に誰も同伴させずにプーチン氏と会談したことは非常に奇妙である。太ってたるんだ肉体の不動産屋上がりなど、筋肉質で引き締まった肉体の旧KGBエリートにはとても敵わぬことはホモ・サピエンスの常識である。チーム・アメリカになってはじめてチーム・ロシアと同等あるいはそれ以上に渡り合うことができるのである。それではトランプ氏がプーチン氏と一対一の会談を望んだのはなぜだろうか?外交問題評議会のリチャード・ハース会長は、こうした交渉スタイルはトランプ氏のビジネスマンとしての経験に由来すると述べている。トランプ氏は外交においても個人的な関係を重視している。官僚が準備した会談よりもトランプ氏が臨機応変の会談を好む理由は、相手方とより自由に議題を設定できるからである。しかし合意について公式の文書のない会談では何をすべきという義務も定義されないので、最終的にはディールの実施をめぐって相互不信になりかねない。双方が何かで見解の相違にいたった時にはディールの内容を読み直す手段がない。トランプ氏はそうした危険を軽視しているので、プーチン氏やキム氏など奸智に長けた独裁者のカモになりかねない(“Summing up the Trump Summits”; Project Syndicate; July 25, 2018)。またトランプ氏はロシアとの共謀が疑われていることから、さらなる考察が必要である。ワシントン・ポスト紙およびロンドン・スクール・オブ・エコノミックスのアン・アップルボーム氏はロシアと英米の右翼がケンブリッジ・アナリティカを通じて情報を共有していたと指摘しているが、この会社がクレムリンによる選挙干渉でトランプ氏を支援したことはメディアの注目を集めた。ロシアおよび東ヨーロッパを専門とするアップルボーム氏は、オルタナ右翼のブライトバート・ニュースと緊密な関係にあったこのコンサルティング会社を通じて先に挙げた「悪の枢軸」がどのように形成されたかを説明している。ケンブリッジ・アナリティカはケンブリッジ大学のアレクサンドル・コーガン氏を通じて8700万人のフェイスブック利用者の個人データを違法に入手し、トランプ氏、ブレグジット運動そしてテッド・クルーズ上院議員の選挙運動まで支援した。ロシアのインターネット・リサーチ・エージェンシーはケンブリッジ・アナリティカと共同でトランプ選挙チームと選挙情報を共有し、特定の有権者を標的にしたと疑われている。例を挙げると、トランプ氏の支持者には反移民のメッセージを送って立ち上がるように促し、黒人の有権者には歪曲された情報を送りつけて投票意欲を削いだ。ケンブリッジ社のデータが彼らの違法工作に一役買ったと考えるのは当然である(“Did Putin share stolen election data with Trump?”; Washington Post; July 20, 2018)。

ヘルシンキ首脳会議は、トランプ氏の国家に対する忠誠と外交上のやり取りへの理解不足以上に深刻な問題を露呈している。トランプ政権の発足時にはワシントン政治の観測者達は「政権内の大人」によって大統領の気質や不可測性には対処できると言ってきた。その後、レックス・ティラーソン国務長官とH・R・マクマスター国家安全保障担当補佐官は更迭され、後任にはトランプ氏への忠誠とナショナリスト色の強いマイク・ポンペオ氏とジョン・ボルトン氏がそれぞれ就任した。しかし両人はトランプ大統領との関係が近くとも、プーチン氏とキム氏を相手に彼が行なおうとした準備不足でしかも危険な一対一外交を阻止できなかった。さらにトランプ氏はジェームズ・マティス国防長官をも遠ざけるようになり、軍事問題に関しても自分が主導権を握ろうとしている(“Trump is reportedly turning on Mattis and taking US military matters into his own hands”; Business Insider; July 25, 2018)。またジョン・ケリー首席補佐官自身がトランプ氏の任期終了まで現職に留まるとメディアに語っても、首席補佐官の大統領との緊張関係の噂は絶えない(“John Kelly, Trump’s chief of staff, says he will stay in role through 2020”; PBS; July 31. 2018)。閣僚達が大統領の歯止めとならないなら、プーチン氏との間には公開されていない合意もあるのだろうか?それはきわめて危険である。ドナルド・トランプ氏のコアな支持層はヘルシンキ首脳会談で露呈したきわめて憂慮すべき欠陥など気にもかけないだろうが、こうした問題を追及することは見識ある人々の責務であり、我々も俗悪なポピュリズムに迎合すべきではない。


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2018年7月16日

トランプ・プーチン首脳会談で世界秩序は破壊されるか?

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米露両国の首脳会議では、大国間の競合をめぐる世界の戦略的な光景が特にヨーロッパと中東で変わるとも考えられる。ヘルシンキで7月16日に開催される太った男と筋肉男の首脳会談は、北朝鮮という特定の核の脅威についての交渉に過ぎなかったシンガポールでの太った男と太った男の首脳会談よりもはるかに重要である。さらに、この首脳会談が開催される時期に合わせて12人のロシア人スパイが2016年アメリカ大統領選挙への介入で起訴された("U.S. accuses Russian spies of 2016 election hacking as summit looms" Reuters; July 14, 2018)。ヘルシンキ首脳会談と事前のNATO首脳会議を前に、ドナルド・トランプ大統領はドイツからの米軍撤退ばかりかロシアのクリミア併合承認まで口走って、批判を招いた。これは西側同盟と国際政治での法の支配の完全な否定である。さらにスティーブン・ウォルト氏はNATOとEUがなければヨーロッパは戦前のような国家中心の競合の場となるので、どちらの多国間安全保障機関もアメリカの国防費削減に一役買っていることをトランプ氏は理解していないと指摘する(“The EU and NATO and Trump — Oh My!”; Foreign Policy—Voice; July 2, 2018)。アメリカの安全保障関係筋ではヨーロッパ同盟諸国の不安を鎮めようとあらゆる手を尽くしている(“Withdrawal of U.S. troops from Germany is not being discussed, U.S. ambassador to NATO says”; Washington Post; July 5, 2018 および “Pentagon: White House did not request plan to withdraw Germany troops”; Washington Examiner; June 29, 2018)。クリミアに関してはジョン・ボルトン国家安全保障担当補佐官が7月1日放映のCBSニュース「フェイス・ザ・ネーション」に出演した際に, トランプ氏がプーチン政権による非合法的な強奪を承認しないと確約することができなかった (Twitter; Richard N. Haass; July 2, 2018)。さらに問題となるのは、トランプ氏がスタッフの同伴なしにロシアのウラジーミル・プーチン大統領と会談することである(Twitter; Richard N. Haass; July 4, 2018)。

トランプ氏とプーチン氏は強権的なリーダーシップを好み、同盟を尊重しないという思考様式で共通している(“Trump hopes he and Putin will get along. Russia Experts worry they will”; Washington Post; July 29, 2018)。よって専門家達はトランプ氏が選挙介入とシリアでプーチン氏に宥和姿勢をとるのではという危機感を抱いている。そうした中でトランプ政権はシリア南西部でヨルダンとロシアに支援されたアサド政権の間での停戦を模索している。そうした事情からトランプ氏はロシアとの妥協に余念がないが、アメリカの政府高官はアサド政権が再び化学兵器を使用しないか警戒している(“Trump is kowtowing to the Kremlin again. Why?”; Washington Post; June28, 2018)。アメリカの同盟国の間でもイギリスとウクライナはそれぞれが、ソールズベリ毒攻撃とクリミアおよびドンバスでのクレムリン代理勢力の活動によってロシアと厳しい対立を抱えている。そのため両国ともヘルシンキで致命的なディールが結ばれないかという重大な懸念を抱いている(“First Trump-Putin summit has Cold War backdrop, U.S. allies nervous”; Reuters: June 28, 2018)。最も危険な問題点は、トランプ氏がアメリカ外交にとっての同盟の重要性を評価できないままにプーチン氏と会談することである。ビクトリア・ヌーランド元駐NATO大使は、戦後を通じてアメリカの歴代大統領はヨーロッパ同盟諸国の支持を固めてソ連およびロシアの指導者との会談に臨んだが、トランプ氏はNATOがアメリカの対露外交に多大な力を及ぼしていることを理解していないがためにこうした立場を弱体化させていると論評する。さらにロシア国民はシリアやクリミアでの軍事的な成功によって自分達の愛国心を満足させるよりも、西側の制裁解除による経済の好転を望んでいる。言わばアメリカはロシアとの外交上のやり取りで相手よりも強い立場にある。しかしヌーランド氏はトランプ氏がクリミアや選挙介入の件でロシアとの妥協に傾き過ぎることで、最終的にプーチン大統領の立場を再び強くしてしまうのではないかと深刻な懸念を述べている(“In Two Summits, a Moment of Truth for Trump”; New York Times; July 6, 2018)。

しかし問題がトランプ氏自身より根深いのは、共和党がプーチン大統領が仕かける工作の簡単な餌食に陥ってしまったからである。以前の共和党はクレムリンに対してはより強硬であり、ビル・クリントン政権がボリス・エリツィン政権のロシアをG8に加盟させる決定を下した際には警戒の念をあらわにしていた。しかし現在の共和党が国家安全保障よりも党利党略を優先していることは、ヒラリー・クリントン氏のeメールへのロシアのハッキングの一件に典型的に表れている。このような雰囲気の中で、トランプ氏は外交政策のエスタブリッシュメントが長期的な同盟関係の構築に向けてきた取り組みを無下にあしらい、自分のビジネスの利益のための外交を追求している。それがかれの個人的な勝利のために行なわれるディール志向の外交である(“The Trump-Putin summit in Helsinki”; Economist; July 5, 2018)。そうした共和党の劣化に関してブルッキングス研究所のジェイミー・カーチック氏はさらに分析を進めているが、ここで注目すべきはジェブ・ブッシュ氏やマルコ・ルビオ氏の下であれば彼が共和党の外交政策の一翼を担っていた可能性のある人物だということである。よって「トランプの共和党」についてこれから述べる批判は、間違っても民主党革新派の観点からではない。クリントン氏のeメールの件で最も致命的な問題は、選挙期間中に大多数の共和党政治家はロシアが盗み取ったeメールを入手してクリントン氏への誹謗中傷を行なったことである。見過ごしてならぬことは、マイク・ポンペオ現国務長官もプーチン大統領とウィキリークスが仕掛けたこの誹謗中傷に積極的、しかも事情を承知のうえで関与したということである。共和党の中でもジョン・マケイン氏やマルコ・ルビオ氏などごく一部がプーチン政権の工作への支援を拒絶した。実のところアメリカの保守派の間で親露的な考え方が見られるようになったのはトランプ氏の台頭以前のことで、特に反LGBT運動など社会問題において顕著になっていた。またプーチン氏とトランプ氏の支持層は世界的に広まるミー・トゥー運動を馬鹿にしきっている。ポリティカル・コレクトネスやグローバル化に困惑した今の共和党支持層は、プーチン氏がKGBでの経験を通じて抱くようになった非自由主義的で反西欧的な価値観に惹かれるようになっている。彼らのアメリカ第一主義がプーチン氏の世界観と共鳴するのは、リベラルな世界秩序を下支えするNATOやEUのような多国間安全保障機関に対して彼らが懐疑的だからである。これぞ共和党の政治家や支持層が今や国家よりも党利党略を優先するようになった重要な理由である。「レーガンの党」はこのようにして「プーチンの党」に堕落してしまったのである("How the GOP Became the Party of Putin"; Politico: July 18, 2017)。

最後にヘルシンキ首脳会談がヨーロッパと中東を超えて及ぼすであろう影響について述べたい。中国外務省はこの首脳会談がグローバルな課題を解決するうえで一役買うことを望むと表明した("Trump-Putin Summit: China says meeting should help solve global problems"; CGTN; June 29, 2018)。そうした中でインドはトランプ政権がユーラシアから手を引くようになれば、この大陸全土で自国の影響力を強める新たな好機が訪れると見ているが、ヨーロッパはその結果もたらされる巨大な力の真空を憂慮している("Raja Mandala: Trump, Putin and future of the West"; Indian Express; July 3, 2018)。中国と北朝鮮の脅威増大に直面する日米同盟は、トランプ氏の問題発言はあっても表面上は上手く機能しているように見える。しかし彼の法外な選挙公約が本気であってハッタリでないことは、全世界を相手にした貿易戦争や先のNATO首脳会議での罵詈雑言にも見られる通りである。重要な問題は世界の中でのアメリカの役割と同盟ネットワークについて、トランプ氏が基本的にどのように考えているかである。ヨーロッパでも見られたように、トランプ氏は在韓米軍の撤退を口にして、日本を含む東アジア諸国の間に不安が広がった。それらの失言からは、彼の経営センスに基づく視点からはアメリカの同盟国など負債としか見ていないことがわかる。さらにウクライナでのクリミアおよびドンバスへの侵入、ソールズベリでのロシアの元スパイとイギリス人一般市民に対する毒攻撃、ヨーロッパとアメリカでの選挙介入といったクレムリンの所業に対するトランプ氏の宥和的なアプローチでは、国際政治における法の支配を侵害するプーチン氏の行動に青信号を発したのも同然である。それでは南シナ海での航行の自由作戦へのアメリカの関与にも疑念が生じる。また、ヨシフ・スターリンによる非合法的な北方領土の強奪に対する日本の訴えも土台から揺らいでしまう。トランプ・プーチン首脳会談にはあまりにも多くの懸念材料がある。


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2018年5月10日

米欧と日本は、ロシアと中国に対しどのように共同対処できるか?

価値観本位の国際政治が地政学本位に移行すると、世界はこれまで以上に不安定になる。冷戦期には自由民主主義諸国の団結は比較的強かった。しかしロシアと中国を相手にした新冷戦では、民主主義諸国の同盟は必ずしも連帯行動をとっていない。これはヨーロッパ人とアメリカ人が、日本人は中国に気を取られてロシアには目が向いていないという不満によく表れている。他方で日本人はしばしば、ヨーロッパ人とアメリカ人は一帯一路構想の裏にある中国の危険な野望に対する意識が低いと不満を漏らす。歴史的にも似たような例があり、それは第二次世界大戦におけるイギリスと英連邦の白人自治領の関係である。リビジョニスト・パワーであるナチス・ドイツとロシア、そして日帝と中国の間には地政学的なアナロジーがある。同様に英本国をNATO諸国に、オーストラリア自治領を現在の日本に見立てることができる。

戦前の英連邦にはBritishの名が冠せられていたように、今日の英連邦よりもイギリス帝国主義と緊密な関係にあった。第一次世界大戦を通じてイギリスの白人自治領は国際舞台でより重要なアクターとなり、内政においても外交においても自治を認められるようになった一方で、アングロ・サクソンの社会文化的伝統とイギリス王冠への忠誠に基づくイギリス本国との特別な絆は維持して帝国の強化に寄与することとなった。しかし第二次世界大戦が勃発して地政学の重要性が増すと、英連邦の求心力が試されることになった。イギリスはドイツの打倒に優先順位を置いたが、オーストラリアとニュージーランドのような太平洋の自治領は特にシンガポール陥落以後に日本の脅威にさらされることになった。ダーウィンのように日本軍の空襲を何度も受ける都市もあった。他の自治領では南アフリカでアフリカーナがイギリス支配に抵抗さえ示し、ドイツとの連携まで模索した。歴史が示すところは地政学による世界秩序は脆弱であり、だからこそ自由民主主義諸国の同盟を再強化してリビジョニスト・パワーが世界各地で突きつける挑戦に対処してゆくことが肝要なのである。

現在の安全保障から見ると、NATO諸国と日本の優先順位は違う。しかしながらナチス・ドイツと日帝とは異なり、ロシアと中国は極東では長い国境で接するばかりか中央アジアでも優位を競うように、互いに潜在的な地政学上の競合国同士である。実際に冷戦期にはどちらもアメリカと対立していたにもかかわらず、東ではウスリー川中洲のダマンスキー島、西では新疆ウイグル自治区のテレクチで両国の領土紛争となった。両国の相互不信は拭い去られていない。よって日本の政策形成者は極東での中露競合にNATO諸国の注意を引きつけ、大西洋と太平洋の民主主義諸国の間での戦略的な利益と視野の食い違いを埋める必要がある。ヨーロッパ人とアメリカ人の方が日本人よりもロシアに関する問題意識が高いことは間違いないが、彼らの関心は圧倒的にヨーロッパと中東でのロシアの行動に向かっている。特にバルト海地域での軍事的脅威、クリミアの併合、シリアでのアサド政権支援、イランとの緊密な連携などが欧米にとっての懸念事項である。しかしロシアのこうした行動は東アジアでの行動と分離しているわけではなく、互いに関連し合っている。

大西洋と太平洋の民主主義諸国の戦略的立場の違いはさて置き、中露の地政学的な連携と競合について述べたい。ロシアと中国は欧米優位に対抗して世界の多極化の追求という利害を共有しているが、極東と中央アジアをめぐる両国の地政学戦略的な目的は必ずしも一致しているわけではない。グローバルな観点から言えば、ロシアはリベラルな世界秩序の転覆を望む一方で、中国はWTO加盟や製造業で西側企業に無数の下請け企業の存在もあり、すでにグローバル経済に組み込まれている。そうした中でロシアは中央アジアと極東での中国経済的プレゼンスの増大を懸念している。中央アジアでは、中国は一帯一路構想でロシアの利益も受容している。しかし中央アジアおよびアフガニスタンの不安定化が進むに及んで中国がこの地域の安全保障への関与を強めているので、将来的にはロシアの軍事的影響力が駆逐されることも有り得る。極東シベリアでの中露の提携と競合はより複雑である。プーチン政権下のロシアでは人口希薄で開発が遅れた地域の主権統治を確固とするためにも、経済開発促進が戦略的な至上命題となっている。この目的のために、ロシアは極東のエネルギー資源およびインフラで中国の投資を呼び込んでいる。ウラジーミル・プーチン大統領と習近平国家主席の間には個人的な友好関係はあるが、地方自治体は中国の企業と犯罪集団の影響力の増大に重大な危機感を抱いている。中央アジアと違い、極東での両大国の衝突はロシアの領内で起きている(“Cooperation and Competition: Russia and China in Central Asia, the Russian Far East, and the Arctic”; Carnegie Endowment for International Peace; February 28, 2018)。そうした地政学的な背景に鑑みて、ヨーロッパ大西洋諸国もプーチン政権のアジア転進がもたらす安全保障上の影響を見過ごすことはできない。

中露の地政学関係の他にも極東シベリアにはヨーロッパ大西洋圏の民主主義諸国にとっても注目に値するものがある。コムソモリスク・ナ・アムーレはロシアの航空宇宙および軍事産業の中心で、この地域には過密なヨーロッパ地域よりも戦闘機やミサイルの試験に有利な巨大な空域がある。また、プーチン氏が2011年に建設を開始したボストーチヌイ宇宙基地はすでに使用されている。広大なシベリアのタイガは中国の違法伐採業者によって危機に瀕しているが、地球環境に対するその重要性はアマゾンその他の熱帯雨林にも劣らぬものである。さらに東に行けばベーリング海峡が北極海航行の時代には米露間の戦略要衝となる。歴史的にはフン人、アヴァール人、モンゴル人といったアジアの騎馬民族が、中国北方からルーマニア、ハンガリーにいたるユーラシア・ステップを通ってヨーロッパに侵入した。よって新しい地政学の時代が必ずしも近視眼的なローカリズムの時代を意味するわけではない。太平洋と大西洋の民主主義国の間の認識の相違を埋めるには、双方にとっての第一の脅威の相互関連を理解することが必要となるだろう。

他方で日本は中露地政学に対する自らの対処の仕方を再検討する必要がある。アメリカ国内でアメリカ第一主義のポピュリズムがはびこる時代にあって、日本には地域的なパワー・バランスの保証が必要なことは間違いない。しかし、それだからと言って日本が民主主義諸国の同盟の抜け穴を作れということにはならない。EUとの経済連携協定に見られるように、トランプ政権下でアメリカの指導力に空白が生じる世界にありながらもリベラルな世界秩序を維持することには、日本の国益がかかっている。しかし日本はロシアが行なったクリミア侵攻、セルゲイ・スクリパリ氏への神経ガス攻撃、非武装の一般市民に化学兵器を使用し続けるシリアのアサド政権への支援といった逸脱行為に対する西側の制裁を空洞化してきた。それら「自主独立」の行動は日本が西側民主主義諸国の中で孤立するリスクをもたらすだけだが、一方でアジアには日本の国家的生存のために強力で頼りになるパートナーはない。 さらに重要なことは、激烈な地政学的競合によって日本の国際的な地位は脆弱で壊れやすくなる(“A New Cold War With Russia Forces Japan to Choose Sides”; Diplomat; April 23, 2018)。ナショナリストは、戦前と同様に中国とロシアどころかアメリカをも含めたどの地域大国からも完全に「自主独立」な日本を思い描いて誇らしく思うかも知れない。しかし中露の地政学は日本が単独で動かせるものではない。これはプーチン大統領がアメリカと同盟関係にある日本には北方領土を返還しないとにべもなく言ったことに端的に表れている。戦前の日本はナショナリストが言うように誇り高く自主独立だったわけではなく、日英同盟から強制的に切り離されてしまったのだということを忘れてはならない。


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2016年1月 6日

新年への問いかけ:今日の世界秩序不安定化の第一原因はソ連崩壊後のロシア政策の失敗にあるのか?

新年にあたって、ソ連崩壊後のロシア政策に我々が失敗したことが現在の世界不安定化の第一原因なのかどうかという問題提起をしてみたい。そうであるならば、その結末はどうなったのか?我々は共産主義の終焉によって歴史の終わりがもたらされ、それによって世界から紛争もなくなると信じ込んでいた。実際にはロシアは混乱に陥り、世界はその後に混乱を深めている。私の見解では、国家間の力のバランスの変化よりも西側の価値観への幻滅こそが今日の世界を語るうえで重要だと考えている。

ソ連崩壊の直後、我々は共産主義の専制政治から解放された国々には民主主義と自由市場体制が広まることに何の疑いも抱いていなかった。我ら冷戦の勝者が抱いた期待はあまりに単純素朴であり、ロシアおよび旧ソ連共和国の社会経済的な移行を支援するために充分な関与を行なわなかった。これは第二次世界大戦の勝者がとった行動とは著しい対照をなす。連合国は日本とドイツの軍備解体と民主化に邁進し、旧敵国の安定と繁栄に多大な資材とマンパワーを投入した。こうした取り組みの成果は「過剰な」成功で、復興した日本と西ドイツはアメリカとイギリスにとって経済的に手強い競争相手となった。しかし私はこれを当時のアメリカの「自然な衰退」とは見なさない。むしろ、それはロバート・ケーガン氏の最新刊の題名のように「アメリカが作り上げた素晴らしき今の世界」とみなすべきもので、実際に両国ともG7に名を連ねているように西側同盟に不可欠なステークホルダーとなった。この成功はアメリカ外交政策の金字塔である。

アメリカ、そして一部はイギリスの排外的孤立主義達は自国が経済的苦境にある時には旧敵国が再興してきたと恐怖心を煽り立てたが、そうした者は全くの間違いであったことが白日の下に晒された。アメリカの悪名高き大統領候補ドナルド・トランプ氏やイギリスのナイジェル・ファラージ英国独立党党首の例にも見られるように、そうした考え方に魅了されるような人々はその国の中でも嗜好、見識、道徳、そして知性のいずれにおいても最も貧困な部類の有権者層である。その国で最良の人材(crème de la crème)なら国際主義者であることが当然であり、自分達の国が世界の中で果たすべき役割への問題意識が高いものである。

冷戦の勝者達がロシアに対してそのように寛大な支援もしなければ、かつての敵国の軍備解体も行なわなかったことは遺憾である。勝者達はロシア国民が社会経済的変化に苦しみもがく姿を横目に、ただ資本主義についてご高説を垂れるばかりであった。ロシアの新しい資本主義はカルビン主義の精神を欠いて経済格差を拡大するだけだった。オリガルヒは享楽的に振る舞い、「稼ぐが勝ち」の資本主義を当然視していた。これではロシア人が西側の資本主義と自由に幻滅しても何ら不思議ではない。実際のところ西側の資本家は必ずしも公衆に対するロールモデルにはならず、享楽的で贅沢な生活を送ることも稀ではない。しかし彼らはビジネスとサービスにイノベーションをもたらしている。他方でロシアのオリガルヒはソ連時代からの古い産業から搾り上げた利益で自分達の富を蓄積しただけである。戦後の日本と西ドイツとは違い、ロシアの資本主義は国際舞台で競争力のある産業を生み出さなかった。石油や天然ガスといったエネルギー資源の輸出に大いに依存しているということは、ロシアがまだ「離陸期」さえむかえていないばかりか経済的には第三世界にとどまっていることを意味する。ロシアは世界的にも優れた科学者と技術者に恵まれているが、その多くはソ連時代から続く軍事産業に職を得ている。これら航空宇宙産業からは国際的に競争力のある民間機は製造されていない。

ソ連崩壊が起きたのは最悪のタイミングのようにも思われ、というのも当時はネオリベラルが何の疑いもなく信奉する自由放任の経済的グローバル化という考え方が席巻していたが、社会主義的思考を抜け出せない人々にとってそのような社会は災難以外の何物でもなかった。競争本位の資本主義を教え込むのではなく、我々はロシアを北欧型の福祉国家に変貌させて共産主義からのソフトランディングをはかれたかも知れない。ロシアを我々に友好的で民主的な巨大なスウェーデンに変えることはできなかった。ロシアでのネオリベラル資本主義の失敗によって、バンクーバーからウラジオストクにいたる欧州共通の家という夢は完全に崩壊した。ロシアは新たな日本やドイツにも巨大なスウェーデンにもなれなかった。歴史は終焉せず再び始まったのである。

こうした事態によって世界の安全保障には甚大な悪影響が及んだ。西側の資本主義と自由という理念はロシアのみならずその他の国々でも色褪せた。そうした国々は西側中心の世界秩序と価値観に異を唱えるようになった。1990年代には東南アジア諸国がアジアの価値観を掲げ、人権侵害に関する西側の批判を跳ねつけた。ソ連崩壊後のロシア政策の失敗がもたらす波及効果はこのようにして世界各地に広がっている。中国の台頭がもたらす脅威についても、我々がロシアの友好的な民主国家への変遷に成功していればもっと小さなものだったかも知れない。我々は北京共産党の支配に対して立ち上がる中国の市民を支援するうえで圧倒的に有利な立場であったろうし、地政学戦略的には、我々はこの北方の巨人と手を組んで中国の拡張主義への対抗と封じ込めをすることもできたであろう。さらに国際世論はネオコンが主張するような反西欧的な専制体制の打倒による中東の民主化にも、そうした考え方を反映してブッシュ政権が行なったイラクとアフガニスタンでの戦争にも、もっと共鳴していたかも知れない。そうなれば現地のテロリストも反乱勢力も現在ほど勢いづくこともなかったであろうが、それは彼らが本質的に弱小な軍事勢力であって国際社会を向こうに回して戦うにはプロパガンダに大きく依存しているからである。世界は今よりはるかに素晴らしきものだったであろうし、指導力の発揮を躊躇するオバマ大統領にも排外主義丸出しのトランプ氏にも振り回されることもなかったであろう。両氏ともイラク戦争による厭戦気運の副産物である。

戦後の日本とドイツでの民主化は勝者にとっても敗者にとっても素晴らしきものであった。遺憾なことに冷戦ではこうは運ばず、この戦争の勝者達は敗者の自己改革の支援に熱心とは言えなかった。我々、冷戦の勝者は「勝って兜の緒を締めよ」という日本の武士の格言には従わなかった。この失敗の影響は全世界に広まり、西側の価値観が色褪せるようになると多くの国々と非国家アクターが我々に対抗どころか敵対さえするようになった。しかしプーチン氏の時代も彼が不死ではない以上、遅かれ早かれ終わる。我々はポスト冷戦期の経験から教訓を学び、将来に向けて備えるべきである。これは共産主義による専制の崩壊を目の当たりにした時期に我々が思い描いた世界を再建してゆくための第一歩である。よって、新年に当たってこのことを問題提起したい。


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2015年3月13日

プーチン大統領は核大国の責任を果たす気があるのか?

国連安全保障理事会の常任理事国の指導者ともなれば、大西洋憲章と国連憲章に記されているように国際公益を守るために責任ある行動をとるものとされている。しかしウクライナ危機以降にロシアが新たに打ち出した核戦略ドクトリンとヨーロッパでの挑発的な行動から、プーチン政権は大国としての責務と責任を果たすよりもその地位を濫用しているのではないかと疑わざるを得ない。プーチン氏が核による威圧を行なえば国際安全保障は不安定化するのみである。そうした問題をはらみながら、ロシアはイランでのP5+1協議と北朝鮮での六ヶ国協議の両方で当事者となっている。よってウラジーミル・プーチン大統領が世界の核の脅威を低下させる責任を果たすかどうかを批判的に問いかけねばならない。

新核戦略ドクトリンよりも以前から、ロシアは核戦力を強化してきた。最近になってボレイ級潜水艦に配備されたブラバーSLBMは敵のミサイル防衛システムを通り抜けられる。さらに問題なのはイスカンダル移動式戦域弾道ミサイルで、アメリカ側はこれを1987年の中距離核戦力全廃条約に対する違反だと非難している(“Russia’s deployed nuclear capacity overtakes US for first time since 2000"; End the Lie; October 6, 2014)。核攻撃能力の拡大を背景に、ユーリー・ヤクボフ退役陸軍大将はインテルファクス通信社に対してロシアは敵への先制核攻撃ができるように軍事ドクトリンを改訂し、アメリカとNATOが最も重大な安全保障上の脅威だと明言すべきだと語った("Russian General: Bring Back Pre-emptive Nuclear Strike Option Against NATO”; Breitbart News; 3 September 2014)。新ドクトリンがヨーロッパで広く懸念されているのは、近年になってロシアの強硬姿勢が目立つからである(“Insight - Russia's nuclear strategy raises concerns in NATO”; Reuters News; February 5, 2015)。

ウクライナ危機が深まるとロシアはイギリス上空に頻繁に侵入するようになった。英空軍のタイフーン戦闘機がスコットランド上空でTu95爆撃機の侵入阻止をするのは日常茶飯事となり、中にはさらに南下してイギリス海峡まで飛来して核兵器ミサイルまで搭載している機体もあった。サー・トニー・ブレトン元駐露大使は西側のウクライナ介入に関してイギリスに怒りの意を示したいのだと述べている(“Putin showing UK 'what we are taking on' with Russian bombers, former UK ambassador claims”; Independent; 7 March, 2015)。ロシアは海からも侵入してくる。英海軍のフリゲート艦「アーガイル」はイギリス海峡でロシアのフリゲート艦「ヤロスラフ・ムードルイ」と補給艦「コラ」を追跡した(“UK Navy's HMS Argyll tracks Russian warship in English Channel”; Naval Technology; 18 February 2015)。さらに危険な事件では、ロシアの軍事偵察機がデンマーク発でスウェーデン沖を飛行中のSAS旅客機とニアミスを引き起こしている。デンマークとスウェーデン両国は民間飛行の安全のためにロシア大使を呼び出して事情説明を求めた(”Scandinavians warn Russia after air near-miss”; Financial Times; December 15, 2014)。

プーチン大統領はロシアの力を誇示したいがために核の脅威を増幅しているだけで、国際安全保障での責任ある当事者として振る舞う気などないように思われる。ロシアの先制攻撃ドクトリンとヨーロッパの海空での威嚇行為は、イランと北朝鮮の非核化交渉の当事者としての資格に疑問の余地を持たせる。実際にイランと北朝鮮でのロシアの行動は核不拡散よりも地政学上のパワー・ゲームを志向しているようにさえ見える。我々はプーチン氏の優先順位が欧米との競合と核軍備管理のどちらにあるのかを批判的に検証するべきである。

イランとの核交渉の当事者でありながら、プーチン政権はP5+1の役割と矛盾するような挑発的な行動にも出ている。クリミア危機と並行して、ロシアは昨年2月よりイランと二国間経済協力に向けた交渉を開始し、民間用原子力発電所の建設を支援する見返りにルコイル社への石油および天然ガス開発の利権供与を持ちかけた。イランのメフディ・サナイ駐露大使は、16世紀以来の友人であるロシアがイランの市場で優遇されるのは当然だと述べた(“‘Friends from Russia should have advantage in the Iranian market’ - Iran’s ambassador”; RT; February 17, 2014)。実際にロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官は、ロシアはウクライナ危機で欧米から受けた制裁に報復措置をとると語った(“Russia May Alter its Position on Iran in Standoff With West” ;Global Security Newswire; March 20, 2014)。欧米の批判にもかかわらずロシアはイランで原子炉2つの建設を行なうと合意した。どのような原子力技術であれイランへの移転は危険だという批判も挙がっている。非常に問題なのは、現在交渉中の原子力協定ではイランのウラン濃縮能力が制限されない。しかしオバマ政権はこの協定自体への反対を引き下げた。その一方でアメリカと同盟諸国はイランにウラン濃縮の停止を要求した(“Russia Reaches Deal With Iran to Construct Nuclear Plants”; New York Times; November 11, 2014)。

濃縮ウランに関しては、2009年にイランは自己申告した医療用の低濃縮ウランをロシアとフランスに輸送し、そこで核燃料に加工することで合意した。しかしその合意では申告されない濃縮ウランまでカバーしていない(“Iran Agrees to Send Enriched Uranium to Russia”; New York Times; October 1, 2009)。しかしイランは今年の初旬にアメリカとはそのような合意はしていないと表明した(“Iran says no deal with U.S. to ship enriched uranium to Russia”; Reuters News; January 3, 2015)。核協定はそれほど脆弱なので、低濃縮ウランがロシアに輸送されてもその国の行動まで規制できないと思われる。核交渉が第一次合意にいたったその日、プーチン政権はイランに新型のアンテイ2500防空ミサイル・システムの売却を決定した。ロシアがハイテク兵器の輸出に踏み切ったことでイランに対する国際的な制裁が空洞化しかねない(“Putin Throws Wrench in Iran Nuke Talks”; Fiscal Times; February 23, 2015)。


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スホイ35スーパー・フランカー


ロシアは北朝鮮とも関係強化をはかる行動に出ているが、それもまた核拡散に手を染める国を勢いづけることになる。昨年よりモスクワや極東地域の州からロシアの政治家が北朝鮮を頻繁に訪問し、貿易と投資の促進と北朝鮮からシベリアに通じる鉄道網の整備を話し合った。北朝鮮外務省は本年初旬に経済のみならず政治面と軍事面でもロシアとの関係を拡大すると述べたが、ロシアは北朝鮮に対する国際的な制裁もあって軍事援助は再開していない。しかし北朝鮮はミグ17、ミグ21などソ連時代の旧式戦闘機に代わる兵器として、ロシア空軍最新鋭のスホイ35戦闘機の購入に強い関心を示している。現在のところロシアは国際的な制裁を遵守しているが、北朝鮮が一度スホイ35を手にすれば核兵器の運搬手段を得ることになるので我々としても注意深く見守る必要がある。北朝鮮は弾道ミサイルを開発したが、核弾頭はそれに搭載できるほど小型化していない。しかしスホイ35があれば北東アジア一帯に北朝鮮が核攻撃できるだろう。もちろん、ハドソン研究所のリチャード・ワイツ政治軍事分析センター長が主張するようにロシアが最新鋭戦闘機を輸出して制裁に違反するリスクを冒すよりも、航空機器のスペア部品を民間用と偽装して北朝鮮に供給する可能性の方が高い。いずれの場合もプーチン政権が北朝鮮に対する核不拡散のための制裁を骨抜きにするかどうか、注意深く見守らねばならない(“Moscow and Pyongyang: From Disdain to Partnership?”; Diplomat; February 19, 2015)。

新戦略ドクトリン、ヨーロッパ、イラン、そして北朝鮮でのプーチン政権の行動に鑑みて、ロシアは国際安全保障における核の脅威を増幅させているうえに、フランクリン・ローズベルトが構想した戦後の世界秩序における大国の役割を果たしていない。プーチン大統領には世界の核安全保障問題でもっと責任ある行動をとるように要求する強いメッセージを発するべきである。その一環として、国際社会はロシアを国連安全保障理事会の常任理事国から除名するというのはどうだろうか。実際にはロシアに拒否権があるので、これはきわめて難しい。より現実的に、世界各国の指導者達が第二次世界大戦終結70周年の声明で大国の責任について言及すべきだと私は提案したい。今や21世紀であり、この70年間に主要国がとった行動の方が日本やドイツが過去に犯した過ちよりもはるかに重要である。ドイツのアンゲラ・メルケル首相の場合はロシアに対する柔軟政策からすると、こうした案には関心を持たないだろう。他方で日本の安倍晋三首相にとっては70周年談話で責任を果たさない大国に言及することは有益である。

今年の2月には中国の王毅外相が中露両国で「反ファシズム・抗日戦争勝利70周年」式典を開催して日本の「右翼」を抑え込み、両国が第二次大戦の戦勝国としての地位をこれからも維持してゆくと語った(「安保理公開討論:中国外相『侵略ごまかそうとする者いる』」;毎日新聞;2015年2月24日)。安倍首相がアメリカとの共同談話で戦後の民主的で平和な日本を強調する際には、中露枢軸への対抗のためにも大国の責任に言及すべきである。ブルッキングス研究所のロバート・ケーガン上級研究員はロシアと中国が挑発的な行動をとっているのは自国の防衛のためでなく、欧米主導の世界秩序で傷つけられた自分達のプライドを満たすためだと論評している(“The United States must resist a return to spheres of interest in the international system”; Brookings Institution blog --- Order from Chaos; February 19, 2015)。これはこの記事で述べたようなプーチン大統領の瀬戸際外交や地政学的なパワー・ゲームに顕著に表れている。よって核安全保障はロシアが責任ある大国の資格を満たしているのかを問い質すためには重要な問題なのである。


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2014年11月 7日

ロシアに空から包囲されるヨーロッパ

ウクライナ危機を契機にロシアとNATOの緊張が高まるにつれて、ロシア空軍はバルト海および黒海方面からだけでなく、ノルウェーおよびスコットランド沖の北大西洋上の空域からもヨーロッパを包囲している。このことはロシアが東西両前線からヨーロッパのサプライ・ラインを切断できることを意味する。このニュースが私の注意をひいたのは、イギリス空軍の公式フェイスブックでスコットランド上空に飛来するロシアの爆撃機に対してタイフーン戦闘機がスクランブルを行なっているとの情報を頻繁に目にするからである。特に10月29日にロシアがNATO空域で行なった挑発行為は多発的で大々的なものだった。ベルギーのモンスにあるNATO軍司令部付きのジェイ・ジャンセン報道官は「この24時間以内に行なった我々の観測を通じて、ロシア軍機の数とその一部の飛行計画はこれまでに見られなかった規模だと断言できる」と述べた(“NATO says Russian jets, bombers circle Europe in unusual incidents”; Washington Post; October 29, 2014)。それはアメリカ戦略軍が毎年行っている「グローバル・サンダー」演習の時期を見透かしたかのように行なわれた。『エービエーショニスト』誌のリチャード・クリフ校正員はロシアも演習に参加した米軍機と同様な長距離爆撃機を飛行させたと指摘する(“Spike in Russian Air Force activity in Europe may be a reaction to large US Strategic Command bombers exercise”; Aviationist; October 30, 2014)。

スコットランドのアレックス・サモンド自治政府首相は上空での緊張をもっと意識する必要がある。スコットランドが連合王国の国防の傘によってロシア航空兵力の侵入に対する必要があるのは明白であり、事態はファスレーン海軍基地を母港とするトライデント戦略ミサイル原潜の問題をはるかに超越したものなのである。西方前線でのロシアの包囲網はポルトガルにまで拡大している。スコットランド空域は、そうした動きを阻止するために重要である。興味深いことに、イギリスやノルウェーのような西方前線の国がバルト海および黒海地域の「新しいヨーロッパ」の国々と同様にロシアから直接の脅威を受ける一方で、「古いヨーロッパ」の国々はそうはでない。これはドイツに代表される「古いヨーロッパ」がイギリスや「新しいヨーロッパ」よりもロシアに柔軟姿勢である理由の一つかも知れない。ヨーロッパにおけるロシアの脅威を論ずる際に、メルカトル図法のように標準的な世界地図を見慣れていると東方前線にばかり目を奪われがちである。ロシアの海軍と空軍はムルマンスク周辺からバレンツ海を通ってスコットランドの海空域に進出することができる。


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歴史的に見て、ノルウェーからスコットランドにいたる海空域は大国の係争の場である。両世界大戦ではイギリスとドイツが激しくたたかった。冷戦期にはこの海域がソ連の水上艦隊および潜水艦勢力に対するNATOの防衛線であった。今日ではこの海空域は英露衝突の場である。私はノルウェーからスコットランドの海空域がロシアの支配下に入ればアジアとヨーロッパを結ぶシーレーンが切断されかねないと主張したい。最近になって北極海航路の潜在性にアジアとヨーロッパ双方の政策形成者達が注目している。しかしカナダ沖の航路をとったとしても、大国がぶつかり合う海空域に国際的な商業船舶が入り込んでしまえばロシアの甚大な脅威に直面するだろう。

こうした観点からすれば、ロシアの海軍攻勢も注視しなければならない。アメリカのジョナサン・グリナート海軍作戦部長はウクライナ危機よりロシアの潜水艦の動きが活発化しているが、水上艦隊の方は老朽化が目立つと語っている(“CNO Greenert: Russian Navy ‘Very Busy in the Undersea Domain’”; USNI News; November 4, 2014)。海中の脅威に対抗するにはハンター・キラーとも呼ばれる攻撃型原子力潜水艦が有効な手段の一つとなる。ファスレーン海軍基地は世界最強のハンター・キラーの一つと言われるアステュート級潜水艦の母港でもある。同級艦には最も効果的なソナー・システムが装備されている(“Astute Class Submarines”; BAE Systems Products)ので、潜水艦のように隠密性が要求される兵器体系が「ファースト・ルック、ファースト・ショット、ファースト・キル」を行なううえで非常に有利になる。スコットランド周辺の空と海は、ロシアの進出を阻止するうえではそれほど戦略的に重要なのである。

ここでロシアが東アジアでも同様な行動をとっていることを銘記すべきである。日本の航空自衛隊はロシア軍機に対してこの6ヶ月以内に533回のスクランブルを行なっているが、これは昨年同時期の308回より大幅に増加している(“Russian Jets Invading Japan Airspace In Record Numbers Over Past Year, Japan Wants To Know Why”; Inquisitr; October 19, 2014)。ウラジーミル・プーチン大統領が何を言おうとも、これが日本に対してロシアが行なっていることである。我が国はNATOと同様な脅威に直面しているのである。ナショナリストや左翼は日本がウクライナ危機に関して欧米から自主独立路線をとるべきだと主張する。絶対的な事実はそうした主張をきっぱりと否定している。そうした主張をする人達はクレムリンが深層心理では日本に対して好意的だという証拠を握っているとでも言うのだろうか。

ヨーロッパとアジアはロシアという共通の脅威を抱えている。よって双方は戦略的な政策調整を深化する必要がある。ヨーロッパ諸国の中でも東アジアとの関係強化に最も積極的なのはイギリスで、それは再優先化(re-prioritisation )という語によく表れている(“Does Britain Matter in East Asia?”; Chatham House Research Paper; September 2014)。 スコットランドと北海道の安全保障情勢はそれほどまでに似通っている。

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2014年6月30日

イラクはロシア製スホイ25を有効に活用できるか?

これがスホイ25対地攻撃用戦闘機である。この戦闘機は旧式ではあるが、イラクのヌーリ・アル・マリキ首相はアメリカからのF16およびアパッチの到着の遅延を座視できなくなっている。そこでロシアからスホイ25戦闘機を受領し、イラクおよびアル・シャー無のイスラム国家との戦闘に投入する。アメリカから訓練を受けたイラク軍のパイロットが、かつてサダム体制化の空軍に配備されたソ連時代の戦闘機を操縦できるだろうか?



上記のビデオはチェチェンで戦闘任務に従事したスホイ25。

2014年6月 4日

中国とイスラム

ツール・ポワチエ間の戦い以来、イスラムと西欧の激突こそ最も歴史を左右する文明の衝突だと一般には思われている。しかし中国が昨年9月にGDPよりも先に石油輸入量でアメリカを抜いて世界第一位になってしまったので、イスラム世界との新たな衝突相手として浮上するであろう(“China surpasses US as biggest oil importer”; New York Post; October 10, 2013)。これは中国とイスラム諸国との接触が増え、そのためにアフリカで見られるように摩擦も増えることを意味する。これによって欧米の支配からイスラムの解放者、そして途上国のリーダーを自任する中国の立場は揺らぐであろう。また中国経済は欧米以上にイスラム圏での政治的動向に対して脆弱となる。

アメリカのエネルギー情報庁による「中国カントリー・レポート2012年」によれば、中国への主要石油輸出国の中でイスラム諸国はサウジアラビア(1位)、イラン(3位)、オマーン(5位)、イラク(6位)、スーダン(7位)、カザフスタン(9位)、クウェート(10位)となっている(“Fueling a New Order? The New Geopolitical and Security Consequences of Energy”; Brookings Institution; April 15, 2014)。これほどまでイスラムの石油に依存しているとあっては、中国は中東と中央アジアで綱渡りの外交および内政政策をとって自国の経済的権益を守り、国際舞台での勢力強化をはかっている。

中東で中国が戦略的に重視している国はイラン、サウジアラビア、トルコである。イランはイスラム革命以来、中国とは緊密な関係を保ってきた。しかしペルシア湾岸ではイランとサウジアラビアと対立する大国同士であり、中国も両国の微妙なバランスをとらねばならない。イスラエルはテヘランの核の脅威を恐れているが、サウジアラビアが懸念しているのはイラクからバーレーン、シリア、レバノン、イエメン、自国の東部にいたるシーア派包囲網の確立による湾岸地域でのイランの覇権である(“Next Test for Obama: Soothing the Saudis”; Los Angels Times; March 24, 2014)。今春に行なわれた軍事演習では、サウジアラビアは中国製の東風3弾道ミサイルを誇示した。サウジアラビアはこのミサイルを1988年に輸入していたが、今回の演習までそれを極秘にしていた。CIAによればサウジアラビアは2007年にはより高度な東風21を輸入しているが、それはまだ公開されてはいない(“Saudi missile parade a signal to Iran, Israeli defense expert tells ‘Post’”; Jerusalem Post; May 1, 2014)。

サウジアラビアはオバマ政権によるイランとの対話に重大な懸念を抱いている。チャック・ヘーゲル国防長官は今年5月の湾岸協力会議でアメリカがペルシア湾岸諸国との安全保障上の関係を犠牲にすることはないと言ってアラブ同盟諸国を宥めねばならなかった (“Hagel Says Iran Deal Won’t Weaken Gulf Security”; Eurasia Review; May 15, 2014)。アメリカの安全保障の傘が信頼性を失っているように思われては、サウジアラビアが中国に接近しても不思議はなく、中国もそこから石油を輸入している。しかし中国はサウジアラビアとイランの地政学的あるいは宗教的な対立に本気で関わる気があるのか? そうした問題を抱えながらも中国は石油輸出の得意先として好感を持たれながら危険な事態の責任を全面的にアメリカに担ってもらい、そして一部をイギリスやフランスに担ってもらえるような立場にはない。中国には1960年代から80年代の日本が当然視していたようなことはできないのである。中国は自分だけでこの地域のパワー・ゲームに関わり、影響力の拡大と石油供給の確保を目指さねばならない。武器輸出はこうした目的のために重要な政策なのである。

トルコのような非石油輸出国も中国の武器輸出の潜在的な市場となる。イスラム復古主義を掲げるエルドアン政権の下ではアフメト・ダウトール外相がトルコをアフロ・ユーラシア圏の中核に据えようと、欧米よりもイスラムとアジアへの接近をはかり、ケマル主義から脱却しようとしている。中国は自国の中東およびユーラシア戦略のために要石となるような国への影響力を強めようとしている。これはトルコと欧米同盟諸国との間の中国製ミサイル論争に典型的に表れている。中国精密機械進出口総公司(CPMIEC)は自社の対空ミサイル・システムの売り込みのために、低価格および技術移転の条件緩和といった好条件を提示している。レッド・チャイナはレイセオン=ロッキード・マーチン連合やユーロサムといった欧米企業を押しのけんばかりの勢いで、大西洋同盟も崩壊させかねなかった。しかしNATO同盟諸国の圧力によって、トルコは中国とのミサイル取引を白紙に戻した (“Why Turkey May Not Buy Chinese Missile Systems After All”; Diplomat Magazine; May 7, 2014)。日本の安倍晋三首相も昨年10月にレジェップ・エルドアン首相との会談でトルコの中国製ミサイル輸入中止に一役かっている(「トルコが中国製ミサイルの購入を白紙に 米欧の圧力、安倍首相の訪問が原因か―中国メディア」;新華社ニュース;2013年10月31日)。 しかし国防大学インターンのデニース・ダー氏によると、ミサイル取引の一件は中国が新興経済諸国の防衛市場に浸透する能力が恐るべきものだということを示している。

そうした大躍進にもかかわらず、中国は中東での影響力強化には決定的な弱点がある。最近行なわれた南インド洋でのマレーシア航空の遭難機探索の任務では、中国は水上戦闘艦艇18隻、沿岸警備隊舟艇、民間輸送船、砕氷船から成る大艦隊を派遣した。中国が真の外洋海軍となるには海外に海軍補給ネットワークが必要なことが明らかになった。中国は今回の任務ではオーストラリアの港湾を使用しているが、インド洋から太平洋にいたるシーレーンの国々のほとんどはアメリカの同盟国である(“Search for MH370 reveals a military vulnerability for China”; Reuters News; April 22, 2014)。中国の政治的および経済的プレゼンスが増大すれば現地住民との接触も増加し、そうなると中国人が過激派に攻撃される可能性も高まる。空母「遼寧」に見られるように中国の海軍力は急激に強化されてはいるが、海軍への支援能力が不充分な現状では中東での中国の戦力投射能力は向上しないだろう。

中央アジアは内陸で近隣でもあるので、中国は海軍への支援体制を気にかける必要はない。しかし中国はすでにアフリカばかりか反欧米の同志ともいうべきロシアの極東地域でも、天然資源の収奪と環境破壊という悪名を博している。イスラム圏との経済的取引が増えれば、中国と現地住民の摩擦もそれに伴って増えてくるだろう。このことは新疆にも影響を及ぼすだろう。非常に興味深いことに世界ウイグル会議のラビヤ・カーディル総裁は、中国がウイグル人には抑圧的な政策をとりながら、中央アジア近隣諸国の不興をかわぬためにも他のイスラム少数民族にはそうした政策をとらないと論評している(“Incidents of unrest in the East Turkestan reflect a Uighur Awakening”; The New Turkey; November 6, 2013)。中国はいつまで新疆でそうした分割統治を続けられるのだろうか?中央アジア諸国住民との経済摩擦および文化摩擦は中国の北西部辺境地帯に容易に飛び火する。ウイグル人の抵抗は今年になって強まっている(“Q&A: Xinjiang and tensions in China's restive far west”; CNN; May 23, 2014)。中国の石油浪費経済は彼の地の紛争を激化させかねない。

中国とイスラムの衝突は中東と中央アジアにかつてないほどの不確実性をもたらす。従来から中国はタンザン鉄道への援助に見られるように、自らを西欧帝国主義に立ち向かう途上国のリーダーと位置付けてきた。しかし今日では中国は欧米と並んで現地過激派の憎悪の標的になる可能性の方が高い。イスラム過激派にとってカフィールはカフィールであり、相手がキリスト教徒であろうと非キリスト教徒であろうと、また白人であろうと非白人であろうと同じであることは銘記すべきである。イスラムとの衝突は中国と地政戦略上の対抗相手との関係にどのような影響を与えるだろうか?特に日米両国、そしてヨーロッパとの関係がどうなるか注目すべきである。

2014年4月30日

カルザイ政権後のアフガニスタンとアメリカの継続的関与

アフガニスタンの大統領選挙はアブドラ・アブドラ元外相とアシュラフ・ガニ元財務相の間で激戦となっているが、アフガニスタン独立選挙委員会(IEC)は両候補とも第一次投票では過半数を獲得できなかったと述べた。選挙は二次投票の決選に持ち込まれる (“Preliminary Afghan vote results released”; Khaama Press; April 26, 2014)。この選挙は以下の点からアフガニスタンの治安の行方を占ううえで重要である。ハミド・カルザイ大統領は憲法で三選が禁止されているので、今回の選挙はアフガニスタン史上初の平和的な権力移譲となる。また治安の権限も今年末までにNATO主導のISAF(国際治安支援部隊)からアフガニスタン政府に移譲される。

今回の選挙を前にした3月24日、アメリカン・エンタープライズ研究所はフレデリック・ケーガン重大危機プロジェクト部長の司会でカルザイ政権後のアメリカの対アフガニスタン政策の公開討論会を開催した。このイベントが重要な理由は、NATO軍撤退後のアフガニスタンと地域の安全保障に超党派の戦略が模索されたからである。ゲスト・スピーカーには共和党側からアダム・キンジンガー下院議員とRAND研究所のセス・ジョーンズ国際安全保障および国防部長が、民主党側からセンター・フォー・アメリカン・プログレスのキャロライン・ワダムス上級フェローが招かれた。パネリストと参加者達はBSA(二国間安全保障合意)、域内大国の動向、そして現地住民の生活といった広範囲にわたる課題を議論した。さらにアメリカ外交と世界秩序の観点から、アフガニスタンはアメリカが厭戦気運からの孤立主義を乗り越えられるかという重要な試金石でもある。以下のビデオを参照されたい。



現在、アメリカはシリアからウクライナまで次々と出てくる新しい外交案件に目を奪われがちだが、9・11テロの教訓を考慮すればアフガニスタンでの戦争を軽視することは全く間違っている。フレデリック・ケーガン氏が明言したように、アメリカに対する脅威は海外からでなく両党の孤立主義からやって来る。パネリスト達は党派やイデオロギーの違いにもかかわらず、アフガン戦略を党利党略に利用することには一致団結して反対し、国際主義者は手を携えて国民の問題意識を高めるべきだと主張した。中でもキンジンガー下院議員はイラクでのテロとの戦いに空軍パイロットとして従軍した経験から、アメリカのアフガニスタンへの関与の重要性を強調した。カルザイ氏はアメリカ軍の戦闘による一般市民への被害を理由にBSAの調印を引き伸ばしているが、キンジンガー氏はロヤ・ジルガから市民社会にいたるアフガニスタン国民はアメリカの味方だと強調した。現地を訪問してアフガニスタンの指導者達とも会見したキンジンガー氏は、アフガニスタンの治安部隊ではタリバンやアル・カイダと戦うだけのプロ意識も高まり、脱走兵の割合も急速に下がったと述べた。

しかしオバマ政権は当時のロバート・ゲーツ国防長官が2011年以降も数千人規模の兵力を駐留させるよう主張したにもかかわらず、イラクに充分な兵員を残さなかったことは周知の通りである(“Redefining the Role of the U.S. Military in Iraq”; New York Times; December 21, 2008)。バラク・オバマ大統領は明らかに厭戦気運に浸った世論に迎合したのである。それによって、アル・カイダが再び台頭したイラクからシリアにジャバト・アル・ヌシュラが入り込むという致命的な結果をもたらした。そのためにキンジンガー氏は、政治家はどれほど不人気でも必要な政策なら選挙民に語る勇気を持つべきだと主張する。そしてアメリカは自由と正義を代表すべき存在だとも主張する。シリアで見られたように、保守の国際介入反対派は「祖国から離れた地」の人々のためにアメリカ人が犠牲になることには消極的で、特に彼らが半ば敵視しているイスラム教徒のためともなればなおさらである。他方でリベラルの反対派は海外でのアメリカの軍事的プレゼンスには謝罪姿勢である。そうした中で民主党のボブ・ケーシー上院議員は2014年以降のアメリカの関与について、リベラルでは数少ない賛成派である。アフガニスタンの治安はワシントンの国際主義者が超党派で連携できるかどうかにかかっている。

アメリカ国民はなぜ継続的な関与にそれほど乗り気でないのか?ワダムス氏はオバマ政権がアフガニスタンから手を引こうとしているのではないかという、広く行き渡る誤解に反論した。オバマ政権がジョン・ケリー国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官といった重要閣僚をアフガニスタンに派遣して地域安全保障の将来を話し合っていることがその証左だという。しかし国民はブッシュ政権期から長きにわたって続く戦争に嫌気がさしている。さらにアメリカ国民が国際的な関与の正しさを信じきれなくなったのは、国際情勢への深入りに対する幻滅に加えて国内経済の立て直しの優先を願うようになったからである。ワダムス氏はさらに、アフガニスタンで人権侵害や腐敗の問題が深刻になればアメリカ国民は失望するであろうとも述べた。東京会議では支援国がカルザイ政権に160億ドルの援助と引き替えに腐敗の撲滅に取り組むように要求した(“Afghanistan aid: Donors pledge $16bn at Tokyo meeting”; BBC News; 8 July 2012 および「アフガニスタンに関する東京会合 東京宣言 権限移譲から『変革の10年』におけるアフガニスタンの自立に向けたパートナーシップ」;外務省;2012年7月8日)。厭戦気運に関しては、フレデリック・ケーガン氏がアメリカ国民のほとんどは海外の戦争とは無縁かつ無関心の生活を送っているという興味深い事実に言及した。クリントン政権期から、ブッシュ、オバマ政権期にいたるまで、戦争がアメリカの債務を増加させていないとケーガン氏は述べている。アメリカ国民は戦争の犠牲などほとんど受けていないばかりか、戦争の負担に不満を述べる資格があるのは人口の1%に過ぎないという。ケーガン氏が述べたような事態は、オバマ氏が議会にシリア爆撃を持ちかけていた時期にアメリカのメディアはマイリー・サイラスに関する報道をシリアの12倍も流していたという事実に顕著に表れている(“Americans prefer Miley to Syria stories by huge number”; USA Today; September 9, 2013)。

アフガニスタンに対する国民の無関心を考慮すれば、アメリカのプレゼンスがどうして必要なのか理解させるために彼らを教育する必要がある。非常に驚くべきことに、キンジンガー氏はアメリカ国民の90%がカルザイ氏はこれから1月余りで退任することを知らないと語った。しかし幸運にも二次投票で大統領の座を争うアブドラ氏もガニ氏もBSAに対してはカルザイ氏より積極的である。ジョーンズ氏はアメリカがアフガニスタンに留まるべき戦略的な必要性を以下の理由から簡潔に述べている。アル・カイダその他のテロリスト達はアフガニスタンとパキスタンの国境地帯では依然として活発で、そこを根城にアメリカ、ヨーロッパ、インドを攻撃することができる。またジハード主義者達はアメリカの撤退を自分達の勝利だと解釈しかねない。よってアメリカとNATO同盟諸国はタリバンおよびアル・カイダの掃討とアフガニスタン軍の訓練のためにも充分な兵力を留めねばならない。しかしオバマ政権はここに来てアフガニスタンでのアメリカ軍の継続駐留規模は1万人どころか5千人にも満たないものになると示唆したが、これではISAF司令官のジョセフ・ダンフォード海兵隊大将や他のNATO軍将官の勧告よりもはるかに少ない兵力となってしまう(“Exclusive - U.S. force in Afghanistan may be cut to less than 10,000 troops”; Reuters News; April 22, 2014)。オバマ大統領が厭戦気運に浸る国民に迎合しようと望むなら、それは彼がイラクで犯したような致命的な誤りとなって跳ね返る。現在、イラクではシーア派民兵とイラク・レバントのイスラム国(ISIL)の間の宗派間の緊張は高まっているが、2011年の撤退もあってアメリカがそうした紛争を調停するだけの影響力は大きく低下している(“Historic Iraq Election Brings New Uncertainties”; Council on Foreign Relations; April 28, 2014)。

BSAとカルザイ政権後のアフガニスタンの治安について語る際に、近隣諸国の情勢も考慮する必要がある。ジョーンズ氏が当日のイベントで述べたように、アフガニスタン近隣のステークホルダーにはロシア、中国、インド、パキスタン、そしてイランといった核保有国および潜在的核保有国が並んでいる。欧米の不用意な撤退によって力の真空が生じてしまえばインドがジハード主義者との戦いのために介入しかねず、そうなるとアフガニスタンはカシミールのようにインドとパキスタンの衝突の場と化してしまうとケーガン氏は述べている。さらに警戒すべきことに、イランが2014年以降のアフガニスタンでの影響力の拡大を模索している。BSAは自国の安全保障に対する重大な脅威だとして公然と非難している国はイランだけだということを銘記すべきである。実際にカルザイ氏はアメリカとイランを天秤にかけている。イランのハッサン・ロウハニ大統領がカーブルを訪問してノウルーズを祝った際に、この「占領国」に留まる外国軍は撤退すべきだと訴えた(“Iranian President visits Kabul, describes Afghanistan an occupied nation”; Khaama Press; March 28, 2014)。アブドラ氏もガニ氏もBSAには積極的だが、カルザイ氏の影響力はカーブル政界に残るであろうし、イランは共通の文化的伝統を通じてこの国への浸透を模索している。

ロシアと中国は中央アジアでの地政学的観点からアフガニスタンでの欧米のプレゼンスを好ましく見てはいない。しかし両国ともイスラム過激派を恐れているのでアフガニスタンと近隣諸国の安定を必要としている。まずロシアについて述べたい。ブッシュ政権期よりクレムリンは中央アジアのアメリカ空軍基地の存在を自国の勢力圏への侵入と見なしてきた。ロシアは中国とともにこの地域からの米軍の撤退を求めて圧力をかけた(“Q&A: U.S. Military Bases in Central Asia”; New York Times; July 26, 2005)。ロシアはタジキスタンとの軍事基地協定を批准して中央アジアからアメリカの影響力の排除をとともに、ISAF撤退後のアフガニスタンの混乱が彼の地に及ばぬようにした(“Ratification of Russian military base deal provides Tajikistan with important security guarantees”; Jane’s Intelligence Weekly; 1 October 2013)。キルギスタンではアメリカがマナス基地をアフガニスタンでの戦争への補給支援に利用する一方で、ロシアがカント基地を保有している。エネルギー資源は豊富だが腐敗と貧困に悩まされる中央アジア諸国にとってアメリカのプレゼンスは自国の経済を救済する天与の恵みである(“The United States in Central Asia”; Economist; December 7, 2013)。現地での駐留兵力削減を視野に入れたアメリカは、アフガニスタンとパキスタンにあるテロリストの根拠地を攻撃するための無人機の基地を中央アジアで物色している。しかし問題はロシアと中国の反対だけではない。アフガニスタン北部で国境を接する3ヶ国にも問題はある。タジキスタンは親露色が濃すぎる。ウズベキスタンには深刻な人権問題があり、トルクメニスタンは永世中立国である(“Where In Central Asia Would The U.S. Put A Drone Base?”; Eurasia Net—The Bug Pit; February 17, 2014)。

中国はアメリカがアフガニスタンと中央アジアで強固なプレゼンスを築くことによる自国への包囲網だけでなく、ウイグルの自由への動きを刺激することを懸念している。高い経済成長によって、中国は昨年9月にはアメリカを抜いて世界第一位の石油輸入国となった(“China surpasses US as biggest oil importer”; New York Post; October 10, 2013)。そのためにサウジアラビア、イラン、カザフスタンなど中東および中央アジアのイスラム諸国への経済的依存度が強まっている(“Fueling a New Order? The New Geopolitical and Security Consequences of Energy”; Brookings Institution; April 15, 2014)。中国はイスラム教徒の決起による脅威とアメリカが主導する自由が突きつける挑戦に対し、どのようにバランスをとって対処するのだろうか?中国は鉱山事業や開発援助を通じてISAF撤退後のアフガニスタンでの影響力拡大を望んでいる(“China emerges as key strategic player in Afghanistan”; Khaama Press; April 14, 2014)。しかし中国のそうした諸事業もアメリカの安全保障の傘なしにはうまくゆかない。

アメリカが費用削減、現地の政治改革への近視眼的な幻滅、戦争への無関心からゼロ・オプションに走るようなことは間違ってもあってはならない。カルザイ氏の影響力は残るであろうが、アフガニスタン国民はBSAが自分達の将来にどれほど重要な意味合いを持つかよくわかっている。二国間の観点とともに近隣ステークホルダーの戦略的動向にも注意を払う必要がある。これらの国々はアフガニスタンおよび中央アジアでのアメリカのプレゼンスを必ずしも好ましくは思っていないが、地域安全保障という公共財を提供できるのはアメリカだけである。そうした複雑なゲームを象徴するように、インドは今年の2月にアフガニスタンのロシア製兵器購入の資金援助に合意した(“India to finance Russian arms supply to Afghan security forces”; Khaama Press; February 18, 2014)が、マンモハン・シン首相は昨年12月にはハミド・カルザイ大統領にBSAの調印を促している。オバマ大統領は今年4月の東アジア歴訪でアジア重視政策を再確認したが、中東からの軽率な撤退は決してそうした目的に適合しない。アメリカは超大国として、カルザイ政権後のアフガニスタンが安定した民主主義への道を歩み世界が安全になるための責務を果たさねばならない。孤立主義でマイリー・サイラスに浮かれている場合ではないのである。

2014年3月13日

プーチン政権のプロパガンダ五輪とウクライナ危機

ソチのオリンピックとパラリンピックは政治的に問題のある行事である。これはプーチン氏のプーチン氏によるプーチン氏のためのオリンピックである。問題は同性愛者の人権にとどまらない。クレムリンが国家の誇りと威信を優先した陰で会場周辺の住民の福利厚生が犠牲にされている。欧米諸国の首脳はロシアでの人権抑圧に対する懸念の意志表明として開会式への参加を見合わせたのに対し、日本は安倍晋三首相が西側同盟から突出してロシアのウラジーミル・プーチン大統領と二国間会談に臨み、中国との地政学的競合、平和条約の締結、東シベリアの資源開発を話し合った。今回のオリンピックおよびパラリンピックの政治的意味合いについて、6月に開催予定のG8と昨年11月から続くウクライナ情勢の不安定化を考慮に入れて模索したい。そして日本がロシアに対して西側民主主義同盟から突出した行動をとってしまえば、鳩山政権の過ちを繰り返すことになるかも議論したい。どのような理由があろうとも、こうした事態に陥れば安倍政権が新たに制定した国家安全保障戦略で強調した民主主義の価値観を共有する同盟と矛盾してしまう。

ソチ・オリンピックには2つの目的がある。第一にはロシアの国力を国際舞台で誇示することであり、第二には黒海地域への治安部隊の集中によって隣接するカフカスとウクライナに政治的あるいは軍事的な圧力をかけることである。このオリンピックはクーベルタン男爵が掲げたスポーツを通じた友好の促進とはかけ離れたものである。2012年のロンドン大会のような自由なオリンピックと、北京やソチのような国家主導の権威主義的なオリンピックの際立った違いについて述べたい。2008年の北京大会と同様に、2014年のソチ大会は専制国家の力を誇示するためのもので、自国民の福利厚生にはほとんど考慮が払われていない。オリンピック会場の建設のために、両大会では多くの住民が自分達の住処を追われたことはよく知られている。以下に示したヒューマン・ライツ・ウォッチのビデオを参照されたい。



ソチのスケート会場とクラースナヤ・ポリャーナのスキー会場の間にあるアクシュティールという山村で撮られたビデオによると、両会場を結ぶ高速道路と鉄道によって沿線住民の生活圏が分断されてしまった。村人達は高速道路の反対側に行くためには遠回りを余儀なくされている。道路建設によって日常生活のための井戸も干上がり、様々な環境劣化も起きている。ヒューマン・ライツ・ウォッチのジェーン・ブキャナン、ヨーロッパ・中央アジア次長は、そうした損失に対して村人が受ける保証は不十分だと述べている。プーチン氏はナロードの福利厚生など眼中にはなく、世界の中でのロシアの力に執心している。

ソチや北京とは異なり、ロンドンでは住民の立ち退きや疎外といった問題はほとんど生じていない。何よりも大きな違いは、ソチと北京では国家権力が全面に出てきたのに対し、ロンドンではそうではなかった。これは共和党のミット・ロムニー大統領候補がロンドン大会について失言をした際に、真っ向から反論したのがエリザベス女王でもデービッド・キャメロン首相でもなく、ボリス・ジョンソン市長であったという事実に端的に表れている。市民主導のロンドン・オリンピックとは異なり、ソチも北京も馬鹿げたほどに大国症候群にかかっていた。英中露3ヶ国の国力をハード・パワーとソフト・パワーの様々な側面を比較してみると、大国の地位を盛んに喧伝するロシアと中国がそうしたことをしないイギリスより必ずしも優位ではないことがわかる。両国とも人口と面積はイギリスよりはるかに巨大である。さらにロシアはアメリカに対抗できる核戦力を備えている。しかしロシアも中国も近年の急速な軍事力増強にもかかわらず、イギリスのような地球規模の戦力投射能力はない。中国の総体としての経済規模はアメリカと競合するほど巨大かも知れないが、国民一人当たりの所得ともなるとG8諸国にはまるで及ばない。さらに言えば、一体誰が英米系のブランドを差し置いてロシアや中国のブランドを買うのだろうか?ソフト・パワーではイギリスの方が中露両国より圧倒的に優位である。中国政府が運営する英字紙グローバル・タイムズは、キャメロン首相の訪中に際してイギリスを矮小化する記事を掲載した(“‘Britain is merely a country of old Europe with a few decent football teams': Chinese newspaper criticises UK during David Cameron visit” Independent; 3 December, 2013)が、中国が第二次世界大戦をめぐる歴史認識や尖閣諸島の領有権での反日キャンペーンで頼りにしているのは英米系のメディアである。そうした観点からすれば、オリンピックおよびパラリンピックでこれ見よがしに大国の地位を誇示する両専制国家の態度は馬鹿げている。

巨額の予算をかけたソチ・オリンピックは同性愛者の権利よりも深刻な問題をはらんでいることも述べたい。安倍氏がロシアに対して西側同盟から突出した行動に出たことは、ウクライナ危機が現在ほど深刻化する以前からすでに問題であった。ソチがどれほど奇妙なオリンピックであったかは、訪問者に対するホスピタリティーからもよくわかる。海外から訪れた訪問客はソチでの自分達の宿泊施設の水道やトイレの整備について、ツイッターで不満を漏らしていた(“#BBCtrending: Does Russia think it has #SochiProblems?”; BBC News; 8 February, 2014)。ソチの施設の建設労働者達が利用客にはほとんど考慮を払わず、建設を急ぐプーチン氏を満足させることばかり考えていたことは明らかである。これはソ連時代の中央統制的な思考様式の典型であり、とても「おもてなし」など眼中にはないものである。ロンドンではこうした事態は観られなかった。このようにあらゆる観点から見て、ソチはオリンピックおよびパラリンピックを主催するにはあまりにも抑圧的な開催地なのである。

ウクライナ危機はプーチン氏のオリンピックに見られるような大国志向と緊密に関わっている。欧米との地政学的な競合を抱えるロシアにとって、旧ソ連内共和国での影響力を維持することが重要な国益となっている。他方で日本の対露突出外交はきわめて目を引くものである。ウクライナは11月より不安定化し始めていたので、プーチン氏の介入は予測できないことでもなかった。明らかに、ソチには多くの政治的な問題があった。欧米諸国の首脳が参加を見送る中、安倍氏が開会式に参列してプーチン氏に対するチアリーディングを行なったことは遺憾である。もちろん、日本がロシアへの接近を模索する理由もわからぬではない。福島原発事故によって、エネルギー供給源の多様化に迫られる日本にとって、北極海や東シベリアでの石油および天然ガス開発でロシアとの提携も視野に入れるべきものとなっている(“Japan and Russia: Arctic Friends”; Diplomat; February 1, 2014)。 地政学的観点からも、日本はロシアの力で高まる一方の中国の拡張主義を抑えようとしている。また、安倍氏は第二次世界大戦終了より長年の悲願となっている北方領土問題の解決のためにも、ロシアを宥める必要があると考えている。岸田文雄外相は3月4日の記者会見でウクライナ情勢のステークホルダーに自制を呼びかけてロシアを刺激しないように努めた(“Between a Rock and a Hard Place: Japan's Ukraine Dilemma”: Diplomat; March 8, 2014)。反安倍色の強い朝日新聞さえもロシアと欧米のバランスをとるという安倍政権の方針に同意している(「社説:日ロ領土問題 地域の安定が前提だ」;朝日新聞;2014年2月10日)。

しかし安倍氏がソチで行なったチアリーディングの見返りに日本の安全保障上の要求に応ずるほど、プーチン氏は寛大なのだろうか?確かにロシアは開発の遅れた極東地域への経済的なてこ入れのためにも、日本の資金と石油および天然ガスの輸出市場を必要としている。しかしプーチン氏の最重要戦略目的はパックス・アメリカーナを否定し、ロシアがアメリカと並ぶ核大国、そして世界の中での大国の地位にあると主張することである。中国へのカウンターバランスどころか、ロシアは中国とともに上海協力機構を設立して西側同盟に対抗している。実際に、中国外務省の秦剛報道官は3月2日の記者会見で、欧米もロシアと同様に混乱の責任を負うと間接的に述べた(“China Backs Russia on Ukraine”; Diplomat; March 4, 2013)。2012年に中国が首位に躍り出るまでロシアは日本の領空に最も頻繁に侵犯してきたことを忘れてはならない(「中国に対するスクランブル発進が前年の倍に」; J-CASTニュース;2013年4月18日)。さらに2010年の大統領在任中に国後島を訪れたドミトリー・メドベージェフ氏よりもプーチン氏が寛容だとはとても思えない。ロシアが北方領土の住民生活施設に投資したということは、クレムリンが領土紛争中の島々にこれからも長く関わってゆくという意思表示である。

独裁者へのチアリーディングではなく、安倍氏は自らが制定したNSS(国家安全保障戦略)で日本は自由な国際秩序、その価値観、民主主義諸国の同盟を守ると謳った原則に忠実に従うべきである。この点からも日本がロシアと欧米のバランスをとれという主張は馬鹿げている。イランでは欧米とのバランスをうまくとってIJPCおよびアザデガン油田での日本の商業権益を維持しようとしたが、そうした政策は失敗に終わっている。また、鳩山由紀夫元首相の東アジア共同体によって米中のバランスをとろうという夢も惨めに頓挫している。ウクライナ危機以前においてさえ、プーチン氏に対する安倍氏のチアリーディングは一種の「鳩山化」のように思えてならなかった。安倍氏はソチでプーチン氏と何らかの合意に達したのかも知れないが(「日露首脳会談 プーチン大統領今秋来日 北方領土「協議重ねる」」;産経新聞;2014年2月8日)、それは祝賀ムードの中で決められたものである。ウクライナ危機で白日の下にさらされたプーチン政権の専制的でパワー志向の性質からすれば、彼の訪日によって日米同盟が冷却化するだけで領土問題でも極東地域の安全保障環境でも進展は望めないと思われる(「【ウクライナ情勢で安倍政権】 プーチン氏批判に及び腰  領土念頭、米と温度差」; 47NEWS; 2014年3月7日)。

NSSの原則に基づけば、日本は人道的な観点から親露派民兵の脅威にさらされているクリミア・タタール人に救いの手を差し伸べる立場にある。プーチン政権による侵攻はヨシフ・スターリンが彼らに強制立ち退きを迫ったという悲劇的な歴史を思い起こさせている (“Russian occupation opens old wounds for Ukraine's Crimean Tatars”; Sydney Morning Herald; March 11, 2014)。安倍氏の靖国神社参拝によって日米間には不必要な緊張が生じてしまったので、これ以上の緊張は避けねばならない。最後に、IOCに代表される国際的なスポーツ機関は開催都市の選定に当たって政治情勢を考慮すべきである。ソチも北京もオリンピックとパラリンピックを開催するには問題が多すぎた。現実世界においてスポーツと政治は切り離せない。独裁体制へのチアリーディングなどあってはならない。ソチとウクライナの問題は深く相互関連しているのである。

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